4.俺はここにいる

 ――うう、身体中が痛い。首から背中にかけてがちがちに固まっている。頭が膨れ上がったみたいに重くて目の奥に鈍痛がある。どのくらい眠ったのか。すごく嫌な夢を見た気がする。寝ぼけ眼で見る天井は自分の部屋じゃなく――そうだった、マヤンの宿屋だ。寝汗がひどいのは気候のせいだろうか。


 ハンモックから起き上がって葦材の椅子に移動する。寝心地が良さそうに見えるのになぁ、などとぼんやりしつつ身体の痛みがましになるのを待っていると、トゥン、と通知音がした。ライルからの直接会話テルだ。


「おー、早起きだね」


 外を見ると朝焼けなのか夕焼けなのか判然としない赤い空。ドワーフの種族特性である方向感覚によれば東の空だから、今は早朝で正しい。


「おはよう」


「ギルド誘っていい?」


「OK」


 少しの間があって、トゥン、とまた鳴る。『ギルド〈ブレイブ〉に勧誘されています。承認しますか?』というシステムメッセージに「はい」と答える。ライルはさっそくギルドチャットに切り替えた。


「他の人たちは?」


「移籍は俺だけ」


「そか」


 ライルは昔からこんな調子だった。自分の意見をはっきり主張するが言葉少なめ。それが自己中心的でそっけない印象を与えるらしく、匿名掲示板で叩かれた過去もある。しかし彼はこの世界に居続け、彼を叩いていた連中は消えた。それに〈ブレイブ〉が現バージョンで最難関のレイドボス、ドラゴンロード・ヴァンデルモースに挑むまでになれたのは彼のようなリーダーがいたからだろう。


「これから仕事?」とライル。


「有給w」もう嘘なのか本当なのか自分でも分からなくなってきている。


「うらやまw じゃあ見張りよろしく」


「OK。俺マヤンまで来てるけど、どうしよ?」


「輸送用のキャラ置いてあるから大丈夫。もう出るから、十二時頃にスカイレイク神殿の入口で」


 それだけ言ってライルはオフライン表示になった。早朝だけでなく日中にもログインすることがあるので、現実世界での彼については〈サルサ〉内でも何度か話題になっていた。実は学生だとかニートだとか冗談半分に言っていたけれど、僕は経営者だと思っている。自分の会社からログインしてる、みたいなことをたまに言うのだ。もしくはそういう設定なのかもしれないけれど、僕にとって彼はライルであって、むしろプレイヤーである学生でニートで社長な何某さんのほうが架空の存在に近い。


 ――そうか、それは僕自身にも当てはまるだろう。この世界ではスノーリこそが実体のある本物で、誰も谷山たにやま幸弘ゆきひろなんて意識しない。存在もしていない。ここにはドワーフのパラディン、スノーリしかいない。それでいい。それがいい。そうであるべきだ。


 少し気分が良くなり、お腹が減ってきた。テーブルの上には昨日と同じトロピカルジュースとフルーツの盛り合わせ。僕は食べかけのチョコバーを手探りして頬張った。こんなブルーハワイ色のジュースがあるくらいだから、チョコバーがあってもおかしくないだろう。それからベランダに出てマヤンの町の様子を眺める。住民たちは荷物を頭の上に乗せて行き交っているが同じルーチンを繰り返しているだけ。だとしても、そこには本物の生活感があった。なぜなら現実世界の人間も同じだから。


 十二時に待ち合わせということはまだ四、五日あるから、それまで思い出の場所を巡って旅するのも悪くない。普段は走って通り過ぎるだけだった道を歩き、入ったことの無い店に入って、宿屋に泊まる。トロピカルジュースのような発見がきっとあるに違いない。


*****


 そして約束の時間、スカイレイク神殿の入口にいた。スカイレイク神殿はジャングルの中に埋もれた古代の神殿で、入口付近はほとんど崩落しているが壁だけは残っている。内部は本当に神殿だったとは思えないような迷路になっていて、ストーリークエストのラスボスである闇の魔王よりも強いリザードマンの一族が住み着いていた。複数エリアで構成されているレイドダンジョンだが、ライルは召喚士のサブキャラを各エリアの接続部分に配置している。召喚士は同じエリアにいるパーティーメンバーを呼び寄せる魔法が使えるので、それで道中をスキップして目的地まで輸送してくれるというわけだ。


 パーティーに加わると、ライルのサブキャラの他にTa-keyという僧侶がいた。名前だけはレイドで何度か見かけているが話したことはない。一緒に見張りをする相棒だろう。挨拶すると、「よろしくお願いします」と丁寧に返してきた。


「じゃあ移動させる」ライルのサブキャラがギルドチャットで発言する。


「OK」


 俺がやることは呼び出しに応じてエリア境界線をまたぐだけ。各エリアに配置されている召喚士に入れ替えつつ瞬間移動を繰り返して、ダンジョン最奥の塔の天辺まで到達した。ドラゴンロード・ヴァンデルモースに挑むために必要な鍵を落とすスカイレイクドラゴンが出現する場所でそれ以外のモンスターはいない。四方の壁がない四角い塔の頂上で四隅の柱だけが石造りの天井を支えている。巨大なドラゴンと四十人以上の冒険者が入り乱れても問題ない広さだが端から転落すれば死ぬ。


 スカイレイクドラゴンの再出現リポップ間隔は三日から五日と幅があり、だいたい今日の今頃から再出現リポップする可能性があるので見張りが必要というわけだ。二人で倒せるような相手ではないが、もし海外ギルドに取られてしまっても討伐時間を記録しておけば次回の再出現リポップ時間をある程度予測できるし、夜の時間帯であれば敵視タゲを保持している限りは他のギルドに奪われないから仲間を集めて倒せる。今回は盾役の俺と回復役のTa-Keyがいるので維持キープできる可能性もあった。


「あとはよろしく~」ライルのサブキャラクターがオフラインになる。ドラゴンのいない頂上はただがらんとして広いだけの場所だ。ボールがあればサッカーして遊べそうなくらい。Ta-Keyが周囲を見回す。「ライバルいませんね」


「いや、いる。北東の柱の裏」


「あっ……」Ta-Keyも気付いたらしい。「もし再出現リポップしたらどうします?」


敵視タゲを取って維持キープかな」


「何時間も維持キープするのきつくないです?」


「それでも俺はやりたい。Ta-Keyさんは無理そう?」


「時間によりますかね ><」


「無理めでもやるだけやってみよう」


 見張りといっても何もない部屋をじっと見ている必要はない。俺は壁の無い西側の縁まで歩いた。一番近くにいるモンスターをターゲットして挑発スキルを発動するよう自動設定マクロを作ってあるのでそれをポチポチ実行していれば出現した瞬間に敵視タゲを取れる。相手も同じようにしていた場合はほとんど運だ。


 さすがに頂上だけあって見晴らしはいい。濃淡の入り混じったジャングルの緑が霞む視界の果てまで続いていて、瞬間移動でスキップしてきたスカイレイク神殿のダンジョンが足元に見えた。半分緑に埋もれた灰色の迷路は、テレビで観た南米の遺跡マチュピチュに少し似ている。他にも塔は三つあるが、ここが一番高い。ここに来るのは三度目で、最初はスカイレイクドラゴンに敗退。二度目は海外ギルドに取られ、皆でやけくそにここから飛び降りて遊んだ。VRメットを使っている場合は保護機能が働くので、ある程度の高さを落下すると暗転し、地面に倒れて死んでいる自分が表示されるだけだから、さほど面白くもない。疑似体験でも墜落は心身に悪影響を及ぼす、ということらしい。


 あの時は俺も皆と一緒にここから飛んで死んだ。途中で引っかかっただの、何ダメージ出ただので盛り上がったが、今後はもう絶対にそんな事はしないだろう。大した理由もなく自殺するなんて馬鹿らしい。


 縁に座って遺跡を見下ろしていると、鷹のような鳥が飛んでいるのに気付いた。注目してもターゲットできないからモンスターでもオブジェクトでもなく、背景の一部だろう。ダンジョンを攻略中に空なんて見ないし、ここまで来てのんびり景色を見ることも無かったから気付かなかった。鳥はとても単純な動きをしている。延々と三角形を描き続けているだけ。


「鳥がいる。鷹かなぁ」


「どこですか?」Ta-Keyが近くに走り寄ってきた。


「走ると危ないよ」


「え、あ、そうですねw 本当だ。全然気付かなかった。ここって南米モチーフっぽいからコンドルとかじゃないですかね」


「コンドルって実際見た事ある?」


「ないですねw」


「俺も。じゃああれがコンドルだったら、初コンドルだね」


 バトルのためにあるこの場所にBGMは無く、環境音は遠い。とても静かだった。ライバルの見張りたちもパーティーチャットかギルドチャットをしているはずだから声なんて聞こえてこない。魂のない人形みたいに棒立ちしている。同じように立ち尽くすTa-Keyに「突っ立ってないで座ったら。まだまだ先は長いよ」と言うと、彼女は「あ、はい。そうですねw」と何故か草を生やして俺の隣に座った。「スノーリさんと話すのはじめてですよね」


「そだね」


「たまに流れる連絡とか指示のやり取りしか見たことなくて。もっと事務的な人かと思ってました」


「仕事中はそうなるよ」


「仕事w」


「Ta-Keyさんは、今日はお休み?」


「はい。というか私、大学生でして。もう卒業まで学校にいく用事もあまりなくて。バイトも今日はないです」


「えっ、そうなんだ」


 それはさすがに驚いた。サービス開始から二十年も経過した古いゲームを今時の若者が遊んでいるなんて。


「スノーリさんはもう長いですか」


「ベータテストからやってるから二十年ちょい」


「すごい。大ベテランですね。もしかして、Peachteaとヘチマってキャラ名に覚えあります?」少し真剣に考えてみたが思い出せなかった。その間で伝わったのか、Ta-Keyは話を続ける。「それ、両親のキャラ名なんです。子供の頃、両親がこのゲームで遊んでて、私も二人の間で観てて、すごく喜んでたっていつも親が言うんです。特にスケルトンが出てくると大はしゃぎだったそうで」


「なんでスケルトン?」


「実際見てもわかりませんでしたw まあ、それが始めたきっかけですね」


「やってみてどうだった?」


「最初は古いゲームで不便だなって。今だってわざわざライルさんのサブキャラに運んでもらって、こうして再出現リポップ待ちとかして、もし出たら取り合いしなきゃいけないし、今時あり得ないですよ」


「だよねぇ」


「でも逆に、システムが不便なせいでプレイヤー側に工夫や努力が求められるゲームって今無いなと思うんです。召喚士キャラを配置したり、見張りしたり、待ち時間の暇つぶしに雑談したりとか。そういうの体験できてよかったなと思ってます」


「すごいなぁ。そんなふうに考えたことない」


「私、某ゲーム会社から内定貰っていて。卒論でエターナルクエストについても書いたんですよ」


「おおー。それはご両親も喜んだでしょ」


「はいw フルダイブのVRMMOを作れとか言うんですけどw」


「ああ、それわかる。世代だなぁ」


 西の空が赤くなって、オレンジ色の太陽が沈んでいく。コンドルだか鷹だか分からない鳥はまだ三角移動を続けている。スカイレイクドラゴンは現れない。俺はTa-Keyの横顔を見た。白い肌をした人間族の年齢不詳な女性だが、話を聞いた今ではちゃんと大学生くらいに見える。髪の毛はペンキみたいな赤色。この世界にはピンクや紫の髪も普通にいるから変ではない。もしかしたら自分にもあり得たかもしれない可能性が心の傷に障る。いや、それは谷山幸弘の痛みであって俺には関係ない。


「まだ何日も見張りしなきゃいけないと思うから、休憩したい時は言ってよ。何かあったら音鳴らして知らせるから」


「えっ、何日も? ああ、ゲーム内時間でって事ですね。びっくりしたw」Ta-Keyも俺のほうを向いた。「スノーリさんのロールプレイいいですね。本当にここにいるみたいに感じる」


「本当も何も、俺はここにいるよ」


*****


 その日の夜にスカイレイクドラゴンは再出現リポップした。ライバルの見張りたちに先んじて俺が敵視タゲを取り、Ta-Keyが回復し続けてギルドメンバーが集結するまでの三十分間を維持キープし続けた。本格的に戦闘が開始してから二十分で撃破。ギルド〈ブレイブ〉は最後の鍵を手に入れ、ドラゴンロード・ヴァンデルモースへの挑戦権を獲得した。その後の話し合いでレイドは土曜日の夜に決行となった。


「土曜日っていつ?」パーティーチャットで訊くと、Ta-Keyが「明日ですw あっ、そっか。えーとだいたい二三日後ですね」と教えてくれた。戦利品の分配なども終わってメンバーはそれぞれ解散していく。一人だけ塔の頂上に残っているとTa-Keyから直接会話テルが飛んできた。


「おつかれさまでした。今日はありがとうございました」


「こちらこそ。おつかれ。今回は俺たちの手柄だったね」


「はい。でもやっぱり大変過ぎますね、このゲームw」


「うん。でもすごく本物って感じるんだ」


「なんとなくわかります。キャラクターの向こうにいるプレイヤーの真剣さとか努力とかが伝わってくる不思議なゲームですよね」


 俺の言いたかったこととは少し違う気もしたが、どう伝えたらいいのかもわからなかった。


「あれ、まだ神殿にいるんですね」


「うん。もうすぐ夜明けだから。最後にもう一度ここから朝日が見たくて」


「あー、一人で気軽に行ける場所じゃないですもんね。スクショ撮っておけば良かったかなぁ。私はもう寝ます。また明日がんばりましょう!」


「おやすみー」


 それからすぐに朝日が昇った。ジャングルの向こうが絵の具のような赤色に染まり、白く輝く太陽がピク、ピク、と一ドットずつ軌道を進む。塔の影が長く伸びて、鷹だかコンドルだかが三角移動を始める。同じ朝日は二度とない、なんてどこかで聞いたような気もするけれど、この世界では毎日同じ朝日が同じように昇る。なのに、どうしてだろう。胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、目から溢れた。

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