2.ギルド会議

 一度暗くなった視界が中央から徐々に明るくなっていく。これは頭をすっぽり覆うVRメットで突然明るくすると目を傷める危険性があるからだ。ゲームはすでに起動していてタイトル画面が表示されている。


 〈エターナルクエスト〉というファンタジックに装飾された文字の背景はゲームの世界観を表現するイラストになっていて、左右を見渡しても途切れないように繋がっている。それを見れば初めてプレイする人にも古典的な剣と魔法のファンタジー世界が舞台だとわかるだろう。森の向こうの丘に立つ古城といった中世的な風景の中に多種多様な種族がそれぞれスタンダードな姿で描かれ、剣や斧や槍を持ち、魔法使いは杖から炎を出したり雷を呼んだりしている。一人のプレイヤーが一人のキャラクターを操作して同じロールプレイングゲームを遊ぶ、というMMORPGのコンセプトを表現しているのだ。


 相対するはプレイヤーの敵となるモンスターたちで、人型のゴブリンやオーク、スケルトンやゾンビなどのアンデット、そして巨大なドラゴンなど。それらはプレイヤーが操作しないノンプレイヤーキャラクターの一種だ。エターナルクエストはプレイヤー同士の対戦よりも協力がメインのコンテンツとなっている。


 もう二十年プレイしている僕にとっては慣れ親しみ過ぎて意識することすらなくなっていたタイトル画面が、今日は何故だか胸に迫った。毎日プレイしているのにおかしな話だが、例えるならそれは郷愁のようなもので、また涙が溢れそうになったけれども、VRメットをわざわざ脱ぎたくないから我慢した。ぼんやりと明滅していた【Login】の文字が輝き、【Now Loading...】に変わると壮大な音楽が流れ始める。次に表示されるのはキャラクター選択画面。このゲームはプレイヤーキャラクターの種族と職業が固定されているから複数キャラクターを育てている人のほうが多い。僕もそうだが、今回はメインキャラクターと公言している〝スノーリ〟を選択する。再びロード画面を挟んで僕はエターナルクエストの世界へと戻って来た。


 ログイン直後の同期が不十分なカクカクした数秒の後、現れたのは円形の大部屋で僕は入口から入ってすぐのところに立っている。パイン材の床には若草色のマットが敷かれ、三人掛けのソファが四つ、ホールの中心に向けて囲むように配置されている。二階へ続く湾曲した半螺旋階段は右手前と左奥にあり、見上げると中央の吹き抜け部分から壁際に並ぶ本棚の上部が見えた。本棚の間には読書用の小さな丸テーブルと椅子のセットが置いてあるけど、ここからでは床が邪魔して見えない。天井から吊り下げられたシャンデリアが不自然なほど室内を明るく照らしている。


 顔の向きや目線と連動するVRメットのおかげで現実の視野と区別がつかないほどだが、残念ながら二十年も前のゲームなのでグラフィックスはいまいちだ。陰影で立体感が出るよう誤魔化しているテクスチャーなんかがいかにもという感じ。例えば本棚にはぎっしり本が詰まっているように見えるが、もし最新ゲームのようにVRグローブにも対応していたら、本を取るどころか表面はのっぺり平らでツルツルした感触だろう。幸か不幸かこのゲームは非対応だが。


 コントローラーを操作して前進し、ソファの一つに座る。視線認識と音声でかなりの操作は補助されるけれどコントローラーは必須だ。昔流行ったライトノベルみたいに自分の身体を動かす感覚で操作できるフルダイブ式VRゲームなんて実現しそうにないけど、ただ視覚と聴覚が現実からゲームに置き換わるだけで臨場感はとてつもない。普段はコントローラーを操作している自分なんてほとんど意識しないほどだ。


 時刻表示を見ると十九時三三分。約束の時間は二一時だから全然余裕だ。現実時間のデジタル表示を見ていると胸がざわつくので非表示にする。


 今日はこのギルドホールで、〈サルサ〉の今後について話し合う予定だった。そこに二代目ギルドリーダーである僕が遅刻するわけにはいかない。〈サルサ〉というギルドネームに特別な意味はなくて、最初にプレイヤー六人でこのギルドを結成した時にたまたまサルサバーガーがどうのこうのと雑談していて「もうそれでいいんじゃね」と決まってしまったのだった。


 この思い出話をしてクスクス笑える初期メンバーはもう三人しか残っていない。そのうち一人は自分のギルドを立ち上げて活動しているから、〈サルサ〉に残っているのは僕を含めて二人だけだ。


 いつもならさっさと外へ出て競売所をチェックし、高く売れそうなアイテムを狙ってどこかへ出掛けているところだが、今日ばかりはしみじみとギルドホールを眺めて過ごした。そこここに懐かしい思い出が残っているように感じられる。今日の話し合いがどういう展開になろうとも、僕がこのギルドホールに足を踏み入れるのはこれが最後になるはずだ。距離に関係なく会話可能なギルドチャットがあるのにわざわざ集合をかけたのもそういう理由があるからだった。


 やがてログウィンドウにシナモンがログインしたと通知が出た。このシナモンこそ初期メンバーのもう一人だ。ギルドホールを見回しても姿がないから、前回はどこか別の場所でログアウトしたのだろう。例えばマイルームとかで。すぐに出入口の扉ががちゃっと開閉して人間族の女性キャラクターが現れた。平均的な身長と体型だが胸は少し大きめ――というかプレイヤーキャラクターの女性は胸が大きいかぺったんこかのどちらかで標準サイズに設定している人は少ない――で黒髪に茶色の瞳という地味な外見だが、身に着けている装備品は色合いなども凝っていておしゃれに見える。


「わんばんこー」と、シナモンは二十年前から変わらぬ第一声を発した。僕は普通に「こんばんわー」と返す。


 オンラインゲームの世界では不思議と年上に見られたがる人も多い。それで敢えて死語を使ったり、古いアニメやドラマをネタにしたりする。「歳がバレるw」という突っ込みはお約束だ。シナモンの実年齢がいくつなのかは知らないけれど、彼女は現実世界の状況を気兼ねなく話すほうだった。一時期は出産を理由に長期間ログインしなかったし、その後もちょくちょく子供の話をしていたから同世代だと思われる。その全てが作り話ということもありうるけど、実際のところそこまで現実の彼女に興味はなかった。


「早いな」と発声するとVRメットのマイクが音声認識してログウィンドウにそのままテキストとして入力される。修正が不要なら決定ボタンを押せばスノーリの発言として表示される仕組みだ。音声でそのままやりとりするボイスチャットも可能だが、ほとんどのオールドゲーマーはテキストチャットに回帰していた。声音よりも、顔文字や記号付きのテキストのほうが正しく感情を伝えてくれるような気がするからだ。


「うん。今日は洗い物だんながやってくれるっていうから。ホールの模様替えしたかったんだよねー。もうすぐ七月なのにいつまでも春色じゃあねぇ。今やっていい?」


「どうぞ」


「はーい^^」


 彼女にはギルドホールの家具を自由にする権利が付与されているので僕に許可を求める必要はないのだが、いきなり作業を始めるのも気まずかったのだろう。本物の人間と区別がつかない最新のゲームと違っていかにもゲームキャラクターという見た目の彼女が階段を上り、両手を交互に上下させ始める。何かの作業をしていると動きで判別できるようになっているのだが、ほとんどの作業をこの動き一つで表現してしまうのはさすがに時代を感じる。桜の小枝が花瓶ごと浮き上がってパッと消え、代わりにひまわりを活けた花瓶が出現した。花瓶は重力を無視してすーっと空中を移動し、一切の摩擦を感じさせない動きでソファ間のサイドテーブル上を滑ってカチッと音を立てる。位置がロックされた音だ。


 ゲームは年々リアルさの追求という方向へ進化し続けている。VRが普及してからはなおさらだ。だからこんな旧式のグラフィックスで、いかにもゲーム的な挙動をして不自然な音を出すようなオールドゲームはどんどん淘汰されている。それでも、たとえリアルでなくても、ここは僕にとって慣れ親しんだもう一つの現実だった。暖炉や観葉植物やマットレスがびゅんびゅん空中を移動してシナモンの望む位置にカチッとはまっていくのを見上げている間に、他のギルドメンバーたちもログインしてきた。挨拶だけ交わして姿を見せないので、どうやらギルド会議の時間まで各々過ごすらしい。シナモンが最後に壁紙を夏の空のようなブルーに変更したところで半裸のマッチョ男が入ってきた。


「間に合ったw」と言うシナモンに、「なにが?」と返した彼はバーバリアンのYamaichiだ。いかにも蛮族の戦士然とした恰好をした人間族だが、職業によって装備品が限られているせいで大抵は半裸になってしまう。古いグラフィックスで良かったと思うのはこういう時だ。現実と区別がつかないくらいリアルな半裸のマッチョ男と話をするのはちょっと怖い。「シナモンが模様替えしてたから」と彼女に代わって答えると、Yamaichiはギルドホールを見回した。「なる。夏っぽくなってるね」


 そこへエルフの二人組が入ってきた。☆はるる☆とまっつんだ。いかにも日本人な名前だがキャラクターは緑色と水色の髪をした可愛らしいエルフ女性。しかしプレイヤーは男で特にそれを隠してもいない。ギルドに入ってきた当時は大学のサークル仲間だと言っていたが今では別々の業界に就職し、それぞれ結婚もしている……らしい。選択されたキャラクターの造形が似通っているのは趣味が近いからだろう。職業は☆はるる☆が盗賊で、まっつんが精霊使いだ。


 僕を含めたこの五人が〈サルサ〉の現役メンバーだった。メンバーリストには他にも名前があるけどもう何年もログインしていない。集まったメンバーは残業がどうとか、健康診断がどうとか、子供がどうしたとかいう月並みな雑談をはじめた。昔はバイト先の店長がどうとか、ポテチやジュースの新味がどうとか、そんな話題ばかりだったから年相応になったということだろう。僕は独身のサラリーマンで現在は課長という嘘をついている。現実ではとても吐けないような嘘もここでは簡単に言えた。胸が痛んだりもしない。まるで現実のほうが仮想世界みたいに。年齢の話題が出ただけであれほどキレたのに、「子供優先になっちゃうのは仕方ない」とか「もう何年も前からメタボ判定だからw」などと合いの手的に発言しても違和感なんてない。


「スノーリがメタボなのは見ればわかるしw」シナモンが僕の発言を拾った。それが現実世界の僕を知っているという意味でないのは考えるまでもない。僕のキャラクター〝スノーリ〟の種族はドワーフで職業はパラディン。ずんぐりむっくりの胴長短足で髭もじゃな種族。外見ではなく能力で選んだから最初はあまり思い入れも無かった。名前にしても現実の僕の名前をモチーフにしてそれっぽくしただけで――


 ――ゆきちゃん。

 母の呼ぶ声がしたような。いいや、気のせいだ。


 ゲームを始める前から僕は〝盾役〟をやると決めていた。敵を引き付けて仲間を守るというのがいかにも英雄的に感じたからだ。必須の役割なのに、下手をすると仲間に被害が及ぶという責任感から盾役を選ぶプレイヤーは少ない。ゆえに引く手数多というのも魅力的だった。せめてゲームの中でくらいは、誰かに求められる自分でありたかった。パラディンは盾役に分類される職業の一つで、ドワーフは盾役に必要とされる能力値が軒並み高い。さらに低身長種族ゆえに視点が低いので、同じく低身長な敵キャラクターを見逃しにくいという隠れた特徴もある。身長が標準以上のキャラクターは視点が高いから小さい目標を見るために下を向かなければならず視野が狭まってしまう。


 現実で体型をネタにされたら死にたくなるくらい落ち込むだろうが、ゲーム内では自らネタにすることもままある。☆はるる☆が「ドワーフも人間と同じ基準値なんかな?」と話をつなげて、それならエルフはどうなんだと雑談は続いたが、しばらくしてシナモンが話を戻した。


「ところで今日の議題は? 私10時にはログアウトしないとだけど」


「リーダー?」まっつんが僕を促す。


「えっと、うん。これまでずっと参加してきた〈ブレイブ〉主催の合同レイドなんだけど、今後も続けるなら合同を止めて、全員〈ブレイブ〉に移籍する形で合併したいってライルから言われた。もちろんうちだけじゃなくて」


「なんで?」


 ☆はるる☆の疑問にはYamaichiが答えた。


「複数のギルドチャットに分かれてると面倒だからだろ。俺もちょっと不便に感じたことある」


 それに僕は補足する。


「現状では、各ギルドのリーダーを経由して指示を伝達してるから反応が遅い。鍵をもう一つ取れれば次はドラゴンロードだから、そのタイムラグが原因で失敗するんじゃないかって心配なんだと思う。それとたぶん戦利品の管理が面倒なんじゃないかな。〈ブレイブ〉移籍の条件は今までの鍵取りに一度でも参加していること。今後は四つの鍵取り全部に参加した人から優先でドラゴンロードの戦利品を希望できるようにするって」


 発言を待ったが誰も何も言わなかった。VRメットを使用していると現実の顔の向きと目線がキャラクターのそれと連動するのだが、〈エターナルクエスト〉では表情までは反映されない。固定された表情のまま顔の向きだけ変わったり目だけが動いたりするから気持ち悪いといえば気持ち悪い。しかしそこから何となく相手の心情を察するようになれるから不思議だ。今も皆が移籍に否定的なのは感じられた。


「私はパスかな」シナモンが口火を切る。「私、鍵取り自体一度しか参加してないし、元々あんまりレイドとか興味なかったし。皆と一緒に何かしたかっただけだから」


 続けて☆はるる☆とまっつんも合併に反対した。子供がまだ小さいので定期的に拘束されるのは厳しいという理由だった。僕はずっと黙っているYamaichiに訊ねる。「Yamaさんは?」


「皆が反対ならもう決まりだろ。俺は楽しかったよ。三十人とか四十人とか集まってレイドボスやったりレイドダンジョンやったり。そういうのとは無縁だと思ってたから。でもこのギルドを潰してまでやるかどうかって言われたらNOだな」


 もし賛成するとしたらYamaichiだけだろうと思っていたからほとんど予想どおりだった。〈サルサ〉は典型的なお友達ギルドというやつで、仲の良い友達同士が集まってわいわいするためのギルドだ。悪く言えば無目的で閉鎖的だから、新規参加者なんてもう何年もいない。しかしそれは気心の知れた仲間で固まっているということでもあり、居心地はすごく良かった。十年以上の付き合いになるオンライン友達なんてそうそうできるものじゃない。顔の向きや目の動きだけで気持ちを察せられるなんてすごいと思う。でもこのギルド単体でできる遊びはもうこのゲームにあまり残っていない。それほど危険じゃないダンジョンに低レベルキャラで行って遊んだり、部屋を模様替えしたり、家具を作るための素材集めをしたり……そういうぬるい遊びではもう達成感を得られなかった。


「皆の意見はわかった。じゃあギルド合併の件は断っておく。ただそれなら俺は個人的に〈サルサ〉を抜けて〈ブレイブ〉に移籍するよ」


「えっ!?」


「なにそれ」


「ギルドリーダーが抜けたらどうなるの?」


 驚きと不満の声。本当は、いってらっしゃいと送り出して欲しかった。


「ごめん。返答期限は次の鍵取りまでだから明日には移籍しないといけない。ギルドリーダーはいったんシナモンに渡すよ。それでギルドホールとギルドチャットはそのまま使えるから」


「ちょっとまって」


「急過ぎない?」


 理由は言えない。今まで皆でやってきたことをぬるい遊びだなんて言えない。本当の現実の話はできない。だけど適当な理由をでっちあげることも何故かできなかった。仲間の声を聞きながらギルド設定画面を開いて、ギルドリーダー変更手続きを進める。胸がドキドキして心臓が張り裂けそう。目の前がチカチカする。〈サルサ〉は僕にとって思ったより大切な場所だったと気付く。でももう決めたことだ。僕にはあと何日残っている?


『ギルドリーダーを変更します。よろしいですか?』


 システムメッセージに僕は「はい」と答えた。

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