第3話

 すると、ロイの感傷を切り裂くかのように、うう……、とうめき声が耳に飛び込んだ。我に返ったロイは、声の方に向く。黒髪をまとめ上げた店主が、眉間にしわを寄せ、何事かをつぶやき始めた。


「……皿には百八十入るから、このお玉四杯分。具は肉、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、キャベツ。それぞれ三きれ。その分を減らして入れるから、ちょうどお玉二杯分」


 深めの皿と卵形した杓子を掲げ持ち、呪文のように唱える。くわっ! っと目を見開くと、鍋からすくい上げる。ロイは感傷も飛んでいき、ぱかんと開いた口をふさぐことも忘れ果てた。


「サワークリームはスプーン一杯。それ以上でも以下でもダメ。……味はバランスが大事」


 言いきかせるように唱えながら、サワークリームをひとさじすくい、ふんわりとのせる。満足したのだろう、人差し指で鼻下をぬぐう。ぬぐった後には、白いひげが一本、立派にできていた。

 カウンターテーブルに用意されたランチョンマットに、計算し尽くされたひと皿をのせる。右側にはグリーンサラダ。左側にはパン。カラリと水が音を立てると、スープセットの完成である。


「お待たせいたしました」


 ニコリ、と白いひげがほほえむ。ナー! と猫がひと鳴きする。早く食べろ、と言っているらしい。それにうながされるように皿に目を落とす。各具材が種類ごとに整然と並んでいた。


(普通スープってさ、こう、ゴチャゴチャっとなってないか……)


 隊列を組んでいるようなスープをひとさじすくう。


「……うまい!」


 見た目の奇妙さはさておき、うまい。二口、三口目と進めるとなおうまい。始めは物足りなさを感じたが、それも計算のうちのようだ。重なるごとに深みを増すうま味。しつこくならないように、酸味が引き算を買って出る。

肉を刺す。ほろりと崩れる感触に、つられて笑みが浮かんだ。


「な? 言ったとおりだろ?」


 満足そうに笑う上司に、素直に頷く。夢中で半分ほど食べ終えたあと、ロイは思い出した。


「テッドさん、アグノゥサの開発局に配属された局員は、なんでまずここに来るんですか?」

「ここのスープを食べるとな、運がよくなるらしい」


 カウンターの端にとぐろを巻いていた黒猫が、ピクリと耳を挙げた。


「キミの身に起こったことは、確かに不運だとは思う。だけど、そんなキミだからこそ、飛行士を安全に導けるとボクは思ってる」


 ――息が、できなくなると思った。

 ガチャンと鍵がかかる音を聞いたとたん、体に酸素が入らなくなった。目の前にあったテーブルに手をつき、はくことに集中して呼吸を整えようとした。だが、だんだん周りに膜が張られていく。白く混濁していく世界に心が、叫び声を上げた。


 閉鎖環境での訓練中パニックを起こしたロイは、体質の改善が見込まれず、宇宙飛行士なる事を諦めた。

 スプーンを握り、視線を落とすロイの肩を、テッドがトンと叩く。


「こういうのを『ヤクオトシ』って、いうらしいよ」


 またピクリと黒猫は耳を動かした。

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