第4話

「もうこんな時間だ!」


 腕時計が交替の時間を指す。最後のひとすくいを流し込むと、ロイはポケットに手を入れようとした。それをテッドが止める。おごってもらうことまでが「ヤクオトシ」らしい。


 食後の紅茶を差し出そうとした女店主に礼を言うと、ロイはほこりっぽい町並みにまた、足を踏み出した。


 真ん中を通りが抜けていく。計画された町は、向かって右半分が店や学校、病院などのある町の中心。左半分が局員たちの居住区になっている。建物に囲まれているときはそう感じないが、足元に目を落とすと、ところどころに草がある程度の荒涼とした大地である。この地特有の強い風が運ぶ砂を受けないよう、ロイはうつむき加減に先を急いだ。


 店が建ち並ぶ道のはずれに、老人が一人座っている。

 乾いたこの地の暑さを逃がすため、風をはらむような服を身につけ、頭には色鮮やかな刺繍を施した帽子をのせている。浅黒く、深くしわの刻まれた手で、パイプをつまみ上げ、ふかす。水煙草をふかすその姿は、わずかばかりの罪悪感と、その何倍もの嫌悪感をロイの心に沸き上がらせた。


 町の中心と開発局をへだてる大きな道路を渡りきると、ロイは大きく息を吐く。砂埃を払うために体のあちらこちらをはたくと、「イシリアンテ王国宇宙開発局」と書かれた門を通り抜けた。


 門を抜けてすぐだった。


 快活に何かを話し、ときおり笑い声が広がる一群が、こちらに向かって歩いてきていた。その顔を見、ロイは足がすくんだ。気づいてくれるな、との祈りもむなしく、向こうもすでに立ち止まっている。とまどいと怒り、気まずさと嫌悪。それぞれの思いを顔にうっすらと浮かべている。その中にいるひときわ小さい人物が、こちらをじっと見つめている。複雑に揺れる光から隠れるように、ロイはすっと目をそらした。


「や……やあ。みんな、元気だった?」


 努めて明るく声をかけてみる。だが、誰も返事を返そうせず、ただ、後始末の悪い空気が漂う。

 一人の青年がロイをにらみつけた。


「お前、今更なにを……。よくスバルの前に顔出せたな」


 ぐいと乗り出した体を、他の仲間が制止する。その間も、スバルはじっとこちらを見ていた。

 交替の時間だから、とつぶやききびすを返す。怒鳴る声から逃げるように、その場を立ち去った。


「同盟国の、それも女が候補に残ったんだな。世界最高峰といわれたイシリアンテ宇宙開発局も落ちたもんだな」


 訓練中、多くの仲間が脱落した。自分が最後の一人だった。訓練生の寮を立ち去るとき、見送りに来てくれたスバルに、言ってしまったのである。――自分に吐きけがした。


 ロイは正面にある白い建物に入り、管制室のある三階へ向かう。着くと、廊下からふと外をながめた。

 開発局より高い建物はなく、ここにくれば地平線を見渡せる。さっき逃げるように通り抜けた町の中心の向こうには、延々と鈍色の壁が連なっている。その一か所だけ、ものものしいところがある。警備の兵が銃を携え、出入りする全てのものに目を光らせている。数日前、自分も通ったところだ。


 この町は地図には、ない。全てが、発射台に捧げられた町なのだ。



 目の前に広がる巨大な画面には、さっき打ち上げたロケットが運んだ衛星が、うまく軌道に乗ったことを示していた。地図の上を黄色の点が横切る。刻々と変わる数値。順調だった。

 管制室の一番後ろに向かう。すでに師匠が立っており、じっと画面をながめていた。


「おはようございます」


 ロイがそう言いながら歩み寄ると、眉一つ動かさずに師匠は画面を見つめたままだった。


「ギリギリに来ない。いつもそう言ってるでしょ」

「……すみません」


 研修を指導してくれているスズカはイシリアンテ人ではない。黒みがかった焦げ茶色の髪に黄色みを帯びた肌、彫りの浅い顔は同盟国である東方の国の特徴である。つるりとしたその顔は、イシリアンテ人のロイから見れば、顔に目鼻がないに等しかった。


 外では日が沈み始めるこの時間、管制室はひときわ賑やかになる。

 交替と引き継ぎをするため、それぞれの担当者の数が倍になる。その上、数日前からロイ達運行指揮官見習いの最終研修が始まっている。その分ふくれあがっていた。衛星を積んだロケットの打ち上げ成功が、安堵とちょっとした興奮を部屋中に満たしている。その中で冷静に状況把握を続けているスズカの姿が、浮き上がるように見えてしまうのは、日頃の鬱屈した感情のせいだろうか。


「テッドさんにミラの店に連れて行ってもらったんだって?」


 きしむ二人の空気を読んでか、他の運行指揮官がロイに声をかけた。


「はぁ。黒猫が水を運んできて……、なんなんですか、あの店は」


 眉をひそめたロイに、指揮官はほがらかな笑い声を立てた。


「チビに何かされたのか? アイツは興味のあるヤツにはちょっかいをかけるからなぁ」


 そばにいたもう一人の見習がロイに話しかける。店で黒猫がしたことを事細かに説明すると、見習いは目を丸くしていた。


「ボクが行ったときはカウンターの端っこで寝てただけだよ」

(猫に興味を持たれてもなぁ……)


 残り二人の見習が集まり、運行指揮官達の引き継ぎが始まった。

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