第2話

 空色のツナギを着た若い局員の目には驚きしかなかった。


 町中にたたずんだ、一軒の食堂、かもしれないもの。

 おそらく建てた当初は、暖かい国の片田舎にあるような家をイメージしたのだろう。クリーム色した漆喰の壁。テラコッタ色のタイルが重ねられた屋根。木の扉には素朴なコの字型の黄金色のノブ。


 が、今はどうだろう。壁にはところどころひびが入り、テラコッタのタイルの屋根は、他の色のタイルが賑やかに乗っかっている。なにより、全体的に傾いている。

 少し右にかしげた首を元に戻すと、若い局員は問うた。


「看板も何も出ていませんよ」

「大丈夫だって。ほら、開けろ」


 同じ空色のツナギを着た男が肩を叩く。はぁ、と半信半疑な心を隠そうとせずに吐き出すと、若い局員はノブに手をかけた。


「お? え? か……固い。建物が傾いているせいかな」


 若干こめかみに力が入る。動かない。若い局員は一度離すと、右足を下げ肩幅くらいに開いた。腰を落とし、再びノブを握る。右足に重心をかけ、力任せに引き開けようとした。


「あ! 言い忘れてた。ロイ、それ、押すんだ」


 そのままカクリと右足の力が抜ける。恨めしそうに上司を見ると、「ボクも最初、間違えたんだよ」と笑いながらはぐらかされた。

 ギィ……、と思いのほか軽く扉が開く。と、一匹の黒い猫がちょこんと座り、二人を出迎えてくれた。


「チビ、元気かい?」


 上司は猫の頭をわしわしとなでる。気に入らないのか、シャーッ!と威嚇されるも、上司はお構いなしである。


 店内はあまり広くない。カウンター席が五つだけである。薄暗く、使い込まれたいすが黒光りしているが、破れなどない。窓は拭き清められ、カウンターは塵一つなく、静かにたたずんでいる。食事の邪魔にならないように小さく生けられた花に、店主の心づかいを感じた。


 その時、ズウゥゥゥゥン! と腹の底に響くような音が届く。ロイと上司は窓のそばまで行くと、空に向かって旅立っていく白い船体をながめた。


「成功したな」

「そうですね」


 ロケットはあっという間に点になり、空を突き抜けていく。振り返ることを知らない白い船体を、ロイはじっと見続けていた。

 ナー! という鳴き声で我に返る。振り返った先に見える光景に、あんぐりと口を開けた。


「猫が……水を運んでる……!」


 さっき出迎えてくれた黒猫は、カウンターに置かれた小さな台車を鼻先で押し、あらかじめ乗せられていたグラスを運んでいる。座席の前に止まるとまたちょこんと座り、「ここだよ」と言わんばかりに、しっぽでカウンターをピシャリと叩く。上司は驚きもせず「ありがとう」と答え、一つの席に腰を下ろした。


「黒猫だなんて、縁起の悪い。……だからアグノゥサは嫌なんだ」


 おそるおそるいすに腰を下ろすロイを、黒猫がちらりと振り返る。が、黒猫はすぐそっぽを向くと、軽やかにカウンターを飛び降りる。店の奥に入ると、「あらいけない!」と女の声が聞こえてきた。


 出迎えのあいさつをしながら出てきた女も、黒かった。アグノゥサ人らしい浅黒い肌はともかくとして、長い黒髪、黒のワンピースを身につけたその姿は、さっきの猫かと思った。

 だが、あの黒猫にはない雰囲気が、彼女を人間だと認識させた。切れ長の黒い瞳の奥底に愁いが見える。どことなく、寂しげだった。


「スープセット二つ、お願いね」

「はい」


 ロイはあたりを見渡すが、メニューも、メニューらしきものも見当たらない。上司はクスリと笑いながら、ロイの疑問に答えてくれた。


「ここはスープをメインにしたセット、それだけなんだ」

「一種類だけですか」


 頷く。スープは日によって変わるそうだ。

 女は棒のようなものを取り出し、長い黒髪をクルクルと巻き付け始める。耳の後ろ辺りにまとめると、最後に髪の束にその棒を押し込んだ。棒には琥珀色に茶色の波紋が広がっている。


「カンザシ、だ」

「ご存じなのですね。お客様からいただきました」


 愁いを帯びた目が少しほほえむ。目元のほくろに胸がかすかにざわつき、ごまかすように、ロイは店内に顔を向けた。


 古びた壁には幾枚かの写真が飾られている。いずれも、空の色をしたツナギに身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。当然、全ての顔に見覚えがある。有人ロケットに搭乗した飛行士たちだ。――あの仲間には、なれない。ロイは唇の端をわずかに噛んだ。


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