第88話 オリビアVSエヴァ・ペリドット

 話を引き延ばして時間を稼ぐつもりだったオリビアは、自身の発言で窮地に陥ってしまい焦っていた。顔には出さぬようにしていたが、冷や汗が額に滲む。


「君のことは『領内で事故に遭い亡くなってしまった』とご両親に伝えておくよ」


 ペリドットが腰にかけていた短剣に手を伸ばす。絶体絶命という言葉がオリビアの頭の中でちらついた。


「伯爵様! 至急ご報告です!」


「なんだ、騒がしいな」


 ペリドットが振り返る。彼の後ろ、牢屋の外にはペリドット家の護衛と思われる男性がいた。息が乱れ、急いでここまで走ってきたようだ。


「何者かが屋敷に侵入し、護衛と交戦しています!」


「なに?」


「傭兵たちに応援を頼みたいのですが……」


 不機嫌をあらわにする主人に、護衛は萎縮しつつも要件を伝えた。ペリドットはこの場にいる全員に聞こえるように、わざとらしく「チッ」と舌打ちをする。


「仕方ない、私が呼んでくる。なんとしてもこの場所には侵入を許すな!」


「はっ!」


「エヴァ、逃げないように見張っていろ!」


「はい、かしこまりました」


 苛立ちを声色に乗せて言葉を吐き、ペリドットは牢屋を出ていった。彼の妻エヴァが下げていた顔を上げ、息を吐いた。ゆるくウエーブがかった金髪。肌は透き通るように白く、はっきりとした目鼻立ちに水色の瞳が際立つ。微笑めば欲しいものは大体手に入るのではと思うほどの美貌だが、彼女は陶器の仮面でも被っているかのように無表情だった。


「残念ね。『彼』は恐ろしい人よ。あなたはもう助からない」


「それは、ペリドット伯爵のことですか?」


 抑揚なく言ったエヴァ。しかしオリビアの言葉を聞き眉を下げ、口元を歪めて嘲笑した。


「ペリドットが『彼』? まさか。あり得ないわ」


「じゃあ、その『彼』というのは、ラピスラズリ侯爵?」


 ジョージの報告でエヴァがラピスラズリの元愛人とは聞いていた。彼女は十年前にペリドット家に嫁いでいる。どう見ても二十代と思われる目の前の女性に、ラピスラズリの「悪趣味」がオリビアの脳裏をよぎった。


「本当に何もかも知っているのね。私は十二歳から十七歳まで『彼』といたわ。貧しい農家の末っ子で、年相応にも見えないくらいガリガリのチビだった。不作の年に親に売られたのよ」


「そんな……」


 あまりにも自分とかけ離れた生い立ちに、オリビアは絶句した。エヴァが口の端を上げ、空色の瞳を細める。彼女の手がオリビアの銀髪に伸びた。


「そういう世界もあるのよ。けれど『彼』に買ってもらえず実家に居続けたら、何年もしないうちに私は餓死していたかもしれない。日に数回の温かい食事、甘いお菓子、柔らかな羽毛の寝具。それがどんなに贅沢で幸せなことか……あなたには当たり前なのでしょうね」


「…………」


 オリビアは反論できなかった。貧富の差があることは理解している。少しでもその差を無くしたい。領地を、人々の暮らしを豊かにしたいと思って日々活動してきたが、取りこぼすこともある。エヴァの言葉がそれを物語っていた。


「綺麗な髪の毛ね。本当ならこのまま美しく成長し、素敵な貴族の男性と結婚して、子供を産んで優雅に暮らすのよね。でも、あなたの命はここでおしまい。王も討たれ、ジュエリトスも貴族社会もおしまい。ざまあみろ」


 エヴァがククッと押し殺すように笑い声を漏らす。最後の一言が彼女の本音だと思うとオリビアはたまらなくなった。だがこのまま思い通りに命を奪われるわけにはいかない。


「そんなことにはならない。私は生きてここから出ていきます」


「手足を縛られてどうやって?」


 小馬鹿にするように笑いながら首を傾げるエヴァに、オリビアは強気な笑みを返した。


「私の恋人が迎えにきます。外の侵入者はきっと彼です。私が遅くまで戻らないことに心配して、探しにきたのだと思います」


「なぜ場所がわかるの?」


 エヴァが不愉快そうに顔を歪める。手足を拘束しているというのに、目の前の娘の自信に満ちた表情が気に食わないのだろう。それに対しオリビアは、彼女がこちらペースにのってきたことに、さらに笑みを深めた。


「あなたたち、武器以外の持ち物は調べていないのね」


「まさか、追跡できる道具を持っているの?」


 焦りや苛立ちを隠すことなく、エヴァがオリビアのドレスについている装飾やポケットの中を荒っぽく確認する。彼女はそこから小さな笛の形のチャームを取り出す。狙い通りだ。


「これね? これで追跡していたのね?」


「…………」


 オリビアが黙り込むと、エヴァは「こんなもの!」と言ってチャームを石床に叩きつけた。


 チャームは割れ、光の矢となって飛んでいく。これを持たせてくれた、頼もしくて愛しい恋人の元へ。


>>続く

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