第68話 ある少女の死
金曜日の夜。
「残念。今日は月が見えないわ」
少女は窓から空を見上げ、ため息をついた。本来であれば満月だったのに。今日は雲が厚く、大好きな月も星も見えない。
「指名だよ。いけるかい?」
「はい、オリーブ
幼い頃両親を亡くした少女は、親戚に引き取られ隣の領地に住んでいた。しかし成人したその日に人買いに売り飛ばされた。
ああ、だから私は疎まれながらも虐待はされなかったのか。食事も与えられていたのは、商品価値を守るためだったのか。彼女は親戚たちが心無い言葉を浴びせながらも自分を手元に置いた理由を知った。
少女が親戚の家を去る日、彼らはめかし込んで出かける準備をしていた。成人する娘のために、王都でドレスを買うと言っていた。娘は少女と同い年。宝物のように大切にされていた。
「姐さん、お待たせしました」
「綺麗だよ。ちょっと変な客だけど、金払いはいいから。何かあれば呼んでちょうだい」
「はい」
少女は頷いて客が待つ部屋に向かった。
結局、人買いについてきてよかった。少女はそう思っている。体を売るという仕事は確かに辛いこともある。けれど店のみんなは優しく、似た境遇の者も多く慰め、励まし合えた。
それに表向き内緒にしているが、この店のオーナーは一つ年上の男の子で、妾腹だが貴族だ。気さくで優しくて格好いい。少女の叶わぬ初恋の相手。
彼は仕えている主人と少女が同じ歳の頃なせいか、顔を出せば必ず声をかけてくれる。領地一人気者の彼は、主人の事しか頭にない。だから彼は誰のものにもならない。少女は安心して彼を好きでいられる。
「失礼いたします。本日は、ご指名いただきありがとうございます」
「おお、なんと愛らしい。こっちへおいで」
少女は実年齢より幼く、小柄で体の丸みは少ない。わざわざ指名する人間は、そういう趣味を持つ人間ばかり。相手は金持ちが多かった。それなりに地位もあるから本物の子供を買うわけにはいかないのだろう。少女はここに勤めて世の中の闇深さを知った。
「楽しかったよ」
「ありがとうございます。ところで素敵なローブですね。とても肌触りが良いです」
男性客の身支度を手伝い送り出す前、少女はさりげなく話を振った。男が着ていたローブは、今まで相手をしたどんな客が身につけていたものより上質に感じた。オリーブ姐さんが探していた、ハイランドシープかもしれない。
「ああ、隣国の希少な素材でできているんだよ」
少女はにこにこと嬉しそうに、誇らしそうに語る男に一歩踏み込んだ。
「そうなんですね。希少な素材といえば、ハイランドシープとか?」
「どこでそれを?」
男の表情が一気に冷ややかになる。しまった。少女は慌てて話を終わらせようと作り笑いを浮かべた。
「店主のオリーブさんから聞いたことがあります。ハイランドシープという、ファイヤアルパカよりも高級で希少な素材があると。もちろん見たことはないですけど」
「そうか、だがこれは違うよ」
「そうでしたか。お気を悪くされたら申し訳ございません」
少女はしおらしく謝って頭を下げた。男は少女の頭を撫で、優しい声色で話し出す。
「いいんだよ、気にすることはない。また来るからね」
「ありがとうございます、お待ちしております」
デレデレと緩んだ笑顔で手を振り、男は少女や店主オリーブにチップを渡し、上機嫌で店を去った。
「行こう」
少女は外出用のコートを羽織った。右手には客から拝借したあるものを持っている。握っていた手を開き、それらを見つめる。
それは男が着ていたローブの生地の一部と、ローブのポケットに入っていた指輪だった。金でできていて、大きな青い石がはまっている。石の台座の裏面には、貴族家の紋章が彫られていた。
あの男は「違う」と言ったが、生地はハイランドシープだろう。彼が探しているものだ。これらを彼に渡せば、きっと喜んでもらえる。よくやったと言って、頭を撫でてくれる。もうすぐ訪れる十六歳の誕生日も祝ってくれるかもしれない。淡い期待を胸に、少女は「客が忘れ物をしたから追いかける」と言って、娼館を飛び出した。
「どこへ行くんだい?」
「きゃっ……」
男が歩いて行った方角とは反対方向の馬車乗り場を目指した少女。しかし直前の路地で背後から捕えられ、暗がりに連れ込まれる。目の前には、先ほどの男性客。自分を捕まえているのは兵士のような大男だった。
「残念だよ。君のことは贔屓にしようと思っていたのに」
「ぐっ……ううっ……!」
男は少女に向かって寂しそうに笑って見せた。少女は後ろから首を締め上げられ、苦痛に顔を歪め歯を食いしばった。
「さようなら、カタリーナ」
男の言葉を合図に、背後の大男が腕に一気に力を込める。
(ジョージ……)
心の中で、愛しの彼の名を呼び、手を伸ばす。
ゴキ! という音とともに少女の意識は絶え、伸ばした腕がだらりと垂れた——。
>>続く
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