第49話 願う者たち


 店の前には、リタが倒れていた。額が赤く腫れている。エルは動揺し、何度も彼女の名を呼んだ。


「リタさん、リタさんっ、リタさんっ!」


「…………」


 リタの返事はない。エルは急いで店の鍵を開け、彼女を背負って店内へ。テーブル席のソファに彼女を寝かせた。


「リタさん……返事をして……」


 エルはリタの様子を確認する。額の傷以外に外傷はなさそうだった。呼吸も乱れておらず、気絶しているか眠っているようだ。ひとまず胸を撫で下ろす。


「殴られた感じでもなさそうだ……転倒したか?」


 リタの衣類を確認すると前面だけが砂埃で汚れていたので、薬や魔法で意識を奪われ、前に倒れ込んだと予想した。


「だったら……」


 エルはカウンター奥へ行きのドリンク棚を見渡す。そこから両手に瓶を一本ずつ手に取った。毒消しと気付け薬だ。


「これと……これだ!」


 それぞれの瓶から液体をグラスに注ぎ混ぜ合わせた。中には青緑色のどろりとした液体が完成する。エルはグラスを持ってリタが横たわるソファに戻った。


「リタさん、飲んでください」


 リタの顔を横に向かせ、グラスを口元に近づけた。反応はなく彼女は液体を飲まない。


「……すみませんっ」


 エルは大きく深い呼吸をして、グラスの液体を口に含んだ。強い苦味に顔をしかめながら、リタの額と顎を押さえ口を開かせる。そこへ唇を重ね自分が含んだ液体を流し込んだ。


「ゴホッ……」


「リタさん!」


「…………」


 リタが液体を飲み込みわずかに咽せていた。呼びかけには答えなかったが、呼吸は穏やかで眠っているようだった。高度な魔法でなければ、数時間後には目を覚ますだろう。

 エルはリタの口元についた液体を拭き取り、椅子を移動させ、彼女の隣に座って手を握った。


 二十一時、貴族学院。

 消灯の時刻になってもリタは戻らなかった。


「私は一度騎士団の知り合いに声をかけてくるよ。ヘマタイト君、クリスタルさんをよろしく」


「はい」


「クリスタルさん、きっとリタさんは無事に帰る。安心して待っていなさい」


「シルベスタ先生……。ありがとうございます」


 去っていくシルベスタを力無く見送り、オリビアはジョージとソファに座った。


「リタ……どうしよう、こんなことになるなんて。ひとりになんかするんじゃなかった。ここは王都なのに……クリスタルと同じように考えてしまっていた……。私のせいだわ」


「お嬢様、リタならきっと大丈夫です。腕は立つし自分の身は自分で守れるはずです」


 ジョージが隣に座り、優しくオリビアの肩に手を置いた。言葉や行動の穏やかさとは相反して、彼の視線はオリビアから逸れていて、何かを考え込むように鋭く真っ直ぐ前を向いていた。


 しばらくそのままジョージとの沈黙の時間が続く。

 ずいぶん経ったと思いオリビアが時計を眺めると、まだ十分しか経過しておらず、焦りや不安は増すばかりだった。


「……そうだ!」


「お嬢様、どうしました?」


 オリビアはあることを思いつき、というか思い出し、座ったまま背筋をピンと伸ばした。隣に座っていたジョージがやっとこちらを向く。


「これで呼びかければいいんだわ ! どうして気づかなかったのかしら」


「え……」


 オリビアはジョージに笑いかけてみせると、自分の耳飾りに触れた。ほんの少し魔力を流すと、耳飾りは淡い光を放つ。

 それを見たジョージが目を見開いている。直後にオリビアの手は鈍い痛みとともに耳飾りから離された。


「何してんすか!」


「痛っ。何するのよ、ジョージ」


 オリビアは手を叩き払ったジョージを睨みつけた。しかし、彼はそれ以上の怒気を放って主人を睨んでいる。大きな息を吐き、静かにオリビアの行動を諌めた。


「こんなの使って、もしリタ一人じゃなかったらどうするんですか? 冷静になってくださいよ」


「……い」


「え?」


「冷静になんて、なれるわけないじゃない!」


 眉を寄せ真っ赤な顔でジョージを見上げ、言い放つオリビア。ジョージが頭の後ろをかきながらバツの悪そうな顔で口を開いた。


「お嬢様……」


 コンコン——!

 ドアをノックする音が聞こえる。


 ジョージが立ち上がりドアを開けると、シルベスタが立っていた。


「クリスタルさん、騎士団の人間で手が空いている者にリタさんの特徴を伝えて捜索してもらっているよ。それから、頼もしい味方も連れてきた」


「え、味方……?」


 オリビアはシルベスタがいる部屋の入り口を注目した。部屋に入ってきたのは、確かに彼の言うとおり、頼もしい味方だった。


「オリビア嬢」


「リアム様……」


 オリビアにとって頼もしい味方で恋人のリアムだった。ソファから立ち上がり、彼の元へ歩いていく。


「リタが戻らないと聞いた。心配だろう。本当は私も捜索に出るべきかとも思ったんだが、君のことが気になってね」


「来てくれて、嬉しいです」


 リアムがオリビアの両手を優しく包み込む。冷えていた指先がじんわり温まり、オリビアは少しだけ安堵した。


「アレキサンドライト公、お越しいただきありがとうございます。自分はこれからリタを探しに出ますので、お嬢様をお願いします」


「ああ、気をつけて」


 ジョージがリアムに頭を下げ部屋を出て行こうと歩き出した。

 オリビアは急いでリアムの手から片手を離し、護衛の手を掴んだ。


「ジョージ! どういうこと?」


「騎士団の皆さんとは別ルートで探してみます」


「ちょっと待って、それなら私も行く」


「ダメです。万が一トラブルだったら大変です」


 ジョージの声が低く冷静で、余計に不安を掻き立てた。それでもオリビアは居ても立っても居られず、彼の言うことを聞くことができない。


「嫌よ。私も行く」


「ダメです、アレキサンドライト公と待っていてください」


「自分の身は自分で守れるわ。だから私も……」


「ダメだって言ってんだろ!!」


 室内に響く怒鳴り声。オリビアは肩をびくりと跳ねさせ、俯き、自分に向けられたそれに反応した。声の主は一度深呼吸をして今度は冷静に言葉を発した。


「……すみません、大声出して」


「…………」


「必ずリタを連れて帰ってきます。アレキサンドライト公、あとはよろしくお願いいたします」


「ああ。ジョージ、気をつけて」


 俯いたままのオリビアを残し、ジョージが部屋を出ていく。


「ジョージ!」


 顔を上げ、護衛の名を呼んだ。彼は歩みを止めるが振り向かない。オリビアはその背中を激励した。


「必ず、リタと帰ってきてね」


「はい、約束します」


「できなかったら減給よ!」


「そりゃ大変だ。いってきます」


 オリビアはそう言って出ていくジョージを見送った。目にはいっぱい涙を溜めている。


「クリスタルさん、私も寮の管理人や教師たちに連絡して管理人室で待つよ」


「シルベスタ先生、ありがとうございます」


「早く見つかるといいね。アレキサンドライト君、あとは頼むよ」


「はい。ありがとうございます!」


 シルベスタも去り、リアムが部屋のドアを閉めた。彼はこちらを向いて目を丸くして驚いているような表情を浮かべた。次に、眉と目尻を下げオリビアの元へ駆け寄ってきた。全体的にその様子はぼんやりと歪んで見える。


「オリビア嬢っ……き、きっとリタは大丈夫だ。だから泣かないで……」


「え、私……泣いて?」


 オリビアは目元に手を伸ばすと、まつ毛が濡れていた。次に頬も一部濡れていることに気づく。溜まっていた涙は、すでにボロボロと流れ、今も止まっていない。


 そして、近づいてきたリアムに今度は自分の体がすっぽりと包まれる。


「こんなこと、初めてなんだね」


「はい、リタは私を心配させるようなことはしないんです」


「うん、だったら不安も無理はない」


「ええ、探してくれているみなさんを信じています。けれど……」


「大丈夫、きっと無事に帰ってくるよ。みんなを、ジョージを、リタを信じて待とう」


 話している間、オリビアはリアムの体温や優しく背中を撫でる一定のリズムに少しずつ落ち着きを取り戻してきた。涙が引いたタイミングでリアムがオリビアを抱き抱え、ソファにおろす。そして隣に腰掛け、片方の手で肩を抱き、もう片方の手でオリビアの手を握った。


「リアム様」


「なんだい?」


「ありがとうございます。少し落ち着きました」


「よかった。お茶でも淹れようか、待ってて」


「いいえ!」


 オリビアは立ちあがろうとしたリアムの手をぎゅっと握った。さらに彼の胸板に自分の頭を擦り寄せる。


「オリビア嬢?」


「もう少し、このままでいていただけないでしょうか?」


 大胆なことを言ったかと思いつつ、オリビアはリアムの手を離さなかった。彼も体の力を抜き、ソファに身を預け、肩に置いていた手で髪の毛を撫でる。


「わかった。もう少しこのままでいよう」


「はい……」


 優しく髪を撫でるリアムの大きな手と、微かに聞こえる胸の鼓動を心地よく感じながら、オリビアはリタとジョージが無事戻ってくることを強く願った。


>>続く


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