第47話 エルという名の虚像(後編)


 エルは完全にリタが見えなくなってから店に入り、葡萄酒のボトルとグラスをカウンターに用意する。


「ふう……。それにしても最悪な男だったな」


 葡萄酒をグラスに注ぎながら、今日を振り返り呟いた。


 あの男が口にした「雑種」というのは混血に使われるよくある侮辱の言葉だ。エル自身も言われたことはあった。不愉快ではあるがいちいち気にしないようにしている。


 しかし、彼女は違う。リタは恵まれた環境で育ったからこそ、他人からの悪意に弱い。


「あの店の出資者だと言っていたな……。ちょっと調べてみるか」


 リタの涙に濡れた瞳や、震える肩の感触、か細い声での謝罪の言葉が忘れられない。彼女の前では「事故」などと言ったが、エルはあの男を許すつもりは毛頭なかった。



 翌日の午後、正装して最後に薄手のローブを着たのちフードをかぶり、エルは昨日の店に来店していた。


 ポールがフードで顔などを隠すエルを警戒したが、同行した人間が交渉し、店の奥の席に案内された。ランチタイムが落ち着いた時間なので店内は客が数組、まばらに席を埋めている。


「お待たせいたしました」


「どうも……」


 紅茶を注文したエルは、飲みながらターゲットが現れるのを待った。オーナーのことは昨日中にあっさりと調べがついた。


 元はポールがこの建物をオーナーの父から相場よりも少し安く買い取るつもりだった。ところが父が病に倒れた途端に法外な金額に引き上げ、男は分割で返済させる契約をした。そしてその間、自分はオーナーとして店にきてはただ飯を食らい、気に食わない客に文句を言うということを繰り返している。最低な人間だった。


「いらっしゃいませ……オーナー」


 男がやってきた。入り口を見ると、ポールが男を出迎えていた。他の客のときのような明るい笑顔はない。店の中に、混血と思われる客はエル以外にいなかった。ローブのフードもかぶっているため真っ先に目に入ったのだろう。オーナーはこちらを見ながら大声でポールを叱った。


「ポール! アレはなんだ? また怪しい者を入れおって……。昨日の今日でお前もわからないやつだな!」


「オーナー、他のお客様もおりますから、どうか控えてください」


「うるさい! 指図するなっ!」


「……っオーナー!」


 オーナーは、舌打ちしながらポールを突き飛ばし、エルの元へ大きな腹を揺らしながら歩いてきた。他の客たちは静まり返り、不安や不快さが入り混じったように顔を歪め男を見ていた。男はエルの席までつくと、ローブのフードを指差して声を張り上げた。


「こんな晴れた日の真っ昼間からフードをかぶって来店とは怪しいやつだな。さては雑種だな?」


「雑種とは、混血のことか?」


「そうに決まってるだろう。そのフードを下ろせ! この店にふさわしい客か見極めてやるっ!」


「……いいだろう。よく見るがいい」


 エルはフードを下ろし、ローブを脱いで立ち上がった。その姿を見た店員や他の客たちが息を呑む音が聞こえる。

 あれだけ威勢のよかったオーナーも、目を見開き、たるんだ頬の肉を揺らしながら小刻みに震えている。


「あ、あ、あ……。あなた様は……っ」


「ほう、その濁りきった目でも、僕が何者かはわかるんだな?」


「ははあ……」


「どうだ、お前の言葉で言うと僕は「雑種」だが、この店にふさわしい客か?」


 エルの問いかけに、男はその場で床に這いつくばり、謝罪の言葉を口にした。


「おおおお、お許しを……。どうか、どうか……」


 床に額を擦りつけながら、男は何度も謝り続けた。エルはそれを冷ややかに見下ろす。


「お前のことは調べさせてもらった。マルコ、父が所有しているこの土地や建物を店主のポールに分割払いで販売する契約をしているな。そして、支払いが終わるまではと言ってオーナーとして店の経営に口出しをしている……」


「そ、それは……」


「ポール、店の帳簿を出しなさい。一年でいい」


「はい!」


 エルの指示に、ポールは急いで奥の部屋から帳簿を出して戻ってきた。それに目を通している間、オーナーのマルコは顔を歪めエルを見上げていた。


「マルコ」


「ははあ!」


「利息がおかしい。彼は毎月二十万エールの返済をしているのに、そのうちの元金が十万エールだ。ジュエリトスでは利息の上限は一割だぞ。どういうことだ?」


「それは……」


 エルを見上げていたマルコは都合が悪くなり困ったのか、言い淀んで再び顔を床に向けた。


「お前のことは然るべきところに引き渡し、この件を裁いてもらうことにしよう。それから、回収しすぎた分は返済の元金に回す」


「ううっ……」


「さらに、この店と土地は私が買い取る。すぐにこの契約書にサインしろ」


「ははーっ!」


 エルの向かいに座っていた同行者が契約書を出した。そしてマルコにサインをさせる。


「権利書は後日回収する。次にポール!」


「はい」


 一部始終を見ていたポールが急に自分の名を呼ばれ驚き、背筋をピンと伸ばした。


「君はこちらの契約書にサインしなさい」


「……これは!」


 契約書を読んでいたポールが目を見開き、エルを見つめる。それに笑顔で答えた。


「分割契約はそのまま、今度は適正価格で君にこの土地と建物を売ろう。完済後は君がオーナーだ。それまでは僕の名前を貸そう。経営に口出しはしないから安心するといい」


「あ、ありがとうございます!」


 ポールが涙を流しながらエルに礼を言って、震える手で契約書にサインをした。エルは契約書と、逃げないように縛って拘束したマルコ、同行者を連れ店を出る。


 そして、手厚く見送るポールの目を見てこう言い渡した。


「君が信念を持って店を経営しているのは知っている。どんな客にもしっかりサービスしていることも。どうかこれからも、人種や出身に関わらず分け隔てなく素晴らしい料理とサービスを提供するように」


「はい! ありがとうございます!」


 エルは馬車に乗り、店を去った。

 その後はマルコを騎士団に引き渡し、自宅に戻った。


 そして夜。寝支度を済ませたエルは自室のソファに腰掛けていた。

 グラスに水を注ぎ、一口飲んで背中をソファの背もたれに沈める。


「今日は疲れたな……」


 だが、有意義な一日だったと、エルは心の中でつぶやいた。きっとマルコはしっかりと裁かれ、財産没収ののち田舎で奉仕活動になるだろう。


 これでもう、あの店でリタが悲しむことはない。来週連れて行ったら、彼女は笑ってくれるだろうか? エルはリタの控えめで優しい笑顔を思い出し、目を細めた。


 しかし、エルはそれをかき消すように首を横に振る。


 エルには目的がある。家族のために、自分の感情は後回しにすると決めていたのに。

 もうずっと、リタの笑顔や泣き顔、凛とした立ち姿が頭から離れなくなっていた。彼女と結ばれるなど、どう考えたって無理なのにだ。


「僕は一体、何がしたいんだ……」


 大きなため息をついて、エルは水の隣に置いていた葡萄酒をグラスに注いで一気に飲み干した。


>>続く


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