第46話 エルという名の虚像(中編)
「ぜひ一度、クリスタル領にきてください。私やリビー様の故郷です。クリスタルなら、混血や他国の人間にも寛容で、どんな格好でどこに行っても誰も咎めません」
リタが漆黒の瞳を細め、わずかに口の端を上げ、静かに優しく控えめな笑みを湛えていた。
エルは同じ混血でありながら、彼女の心はなんと純粋で清らかなのだろうと思った。きっと周りの人間に恵まれたというのもありそうだが、彼女自身のまっすぐさがあってこそだろう。傷つかないように先回りをして付き合う人間を選び、心無い他人を牽制し接触を控えてきた自分とは大違いだ。
「クリスタル領?」
「はい。ただエルは顔を出すと、美形ですから女性の視線が集中するかもしれませんが……」
ふふっと息を漏らし最後は冗談で締めたリタを見て、エルはテーブルの上に置かれた彼女の手を目掛けて自分の手を伸ばそうとしていた。
無意識だった。
気づいた瞬間、その手をテーブルの下まで引っ込めズボンの生地を力いっぱい握る。それを気取られないように笑ってごまかした。
「そんな、僕なんて……。けど、ぜひ行ってみたいです。クリスタル領に。そのときは案内をお願いしますね!」
「はい、もちろん」
そのまま、エルはクリスタル領の変わった店の話や、面白いデザートの話などを聞いていた。
しばらくして、そろそろ店に戻ろうかというところで、階下から怒鳴り声が聞こえた。耳を澄ませて言葉を聞き取ろうとしていると、目の前に座るリタの様子がおかしくなった。彼女の顔は青ざめ、俯き、肩が震えているようだった。
「どうしました、リタさん? 具合でも悪いんですか?」
「エル……申し訳ありません。すぐに店を出ましょう。ああ、でも下には……」
「リタさん?」
「申し訳ありません、エル」
エルは席を立ちリタの席の隣にしゃがみ込み、彼女に視線を合わせ震える肩に手を置いた。絞り出すような謝罪の言葉に、眉を寄せる。
「おい、ポール! オーナーの私がいないうちにまたお前は勝手なことを!」
「どうか……を……」
階下からポールに対する叱責のような声が聞こえた。ポールも何か言っているが内容までは聞き取れない。
「あれほど汚い雑種は店に入れるなと言っただろう! 誰がこの店の資金援助をしていると思っているんだ!」
耳を塞ぎたくなるような侮辱の言葉。エルは思わず呟いていた。
「な、なんてことを」
「ごめんなさい、エル……」
入店時にオーナーがいるかどうかを気にしていたのはこういうことだったのかと合点がいった。
階下へ続く階段を睨みつける。リタに視線を戻すと、彼女の瞳は悲しみで濡れていた。
「リタさん、立てますか?」
「はい……」
エルはリタの手をしっかり握り、慎重に階段を降りた。階下には下を向き歯を食いしばるように唇を一文字に結んでいるポールと、彼と親子ほど歳が離れていそうな男が立っていた。不機嫌そうにポールを睨みつけていたこの男がオーナーだろう。金だけ無駄にかかっていそうな、趣味の悪い服や装飾品を見てエルは一瞬吐き気を覚えた。
「ポールさん、長居してすみません。失礼いたします」
「お客様っ」
「お釣りは結構ですから」
差し出した一万エールの高額紙幣に、ポールは慌てて釣りを用意しようとしていたが、エルは軽く頭を下げリタを連れ店を出ようと歩みを止めなかった。
オーナーがそれを不快そうに顔をしかめながら目で追ってくる。エルにとってもその視線は不快だった。
そして、ふんっと鼻を鳴らし、エルは背中にさらなる侮辱の言葉を投げつけられた。
「雑種の分際で王都の広場に出てくるとはな。もっと奥の路地の店で目立たないようにしていればいいものを」
「オーナー! なんということを!」
「うるさいっ! この店のオーナーは俺だ! 文句があるなら借金を全額返してからにしろ!」
「そんな……」
振り返って文句を言おうとしたが、そうはしなかった。リタがあの男の口汚いセリフに体をこわばらせていたからだ。急いで店を出て、エルは彼女の手を引いて足早に自分の店まで戻った。
「さあ、リタさん。これを……」
「…………」
店に着いてから、エルはよく冷えた水で濡らしたタオルをリタに差し出した。目元が赤くなっていたからだ。
彼女は黙って受け取り、カウンター席に座ってそっと目に押し当てている。その間に、気分の落ち着く効果があるハーブティーを用意した。
「温かいハーブティーです。ぬるめにしたからすぐに飲めますよ」
「…………」
お茶を注いだカップをリタの前に置くと、彼女は小さく頷いてカップを手に取り、ゆっくりと口に含んでいた。そして、店に戻って初めて口を開く。
「エル、不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「リタさんは何も悪くないです。気にしないでください」
リタがカップを両手で包み込みながら首を左右に振った。
「いいえ。私は知っていたのです。あの店のオーナーがああいう人間なことを。なのにエルを連れて行って、傷つけてしまった……。全て、私の責任です」
「それは違います。リタさんはポールさんにオーナーのことを確認してくれていた。これは残念な事故です。たまたま、あのオーナーが来てしまった。それだけです。あなたのせいじゃない」
「けど……」
エルはカウンターを出てリタの隣の席に座る。椅子を回転させ、彼女に体を向けて止まった。
「ねえリタさん、確かにあの人の言ったことは酷かったけど、ジュエリトスには一定数ああいう輩もいます。残念だけど王都は特に……。だから、起きてしまったことより、何か楽しいことを考えましょうよ」
「エル……」
「あーんな不細工なおじさんのこと考えたって時間がもったいないです! それに一緒でよかったと思ってます。リタさんがひとりのときじゃなくてよかった」
「ありがとう、エル……」
「あ、リタさん。泣いちゃダメですっ。目が腫れてしまいますよ」
今度は笑顔を見せながら泣くリタに、エルは冷やし直したタオルを用意して渡す。そのまま話を切り替え、彼女が落ち着くまでクリスタル領やリビー、ジョージの話を聞いていた。
「リタさん、これを」
「これは、クッキーですか?」
辺りが暗くなり始め主人の元に帰るというリタに、エルはクッキーの入った紙袋を手渡した。リタと話しているときに、大急ぎで作ったものだった。
「はい。チーズクッキーだから甘くないですよ。七枚入っていますから、今日から一枚ずつどうぞ。これはリビー様とジョージ様の分はなしです。あなただけのために作りました」
「嬉しいです、エル」
「これがなくなったら来週のお休みですね。また同じ時間に、同じ場所で会いましょう。約束です!」
エルは目尻と口角を寄せにっこりとリタに笑いかけた。彼女は眉を少し上げ、驚いたというような表情を浮かべている。
「いいんですか?」
「もう、リタさん! いいに決まってるじゃないですか。さっきの僕の話、聞いていましたか?」
わざと頬を膨らませ鼻から息を吐いてみる。それを見たリタが吹き出しながら笑みを溢した。
「もちろん聞いていました。すみません……」
「じゃあ、約束ですよ! また来週の木曜に」
「はい。また来週」
エルは何度も振り返っては頭を下げを繰り返すリタに大きく手を振り続け、彼女が主人の元へと帰るため歩いて行く姿を見送った。
>>続く
ここまで読んでいただきありがとうございます😊
得意の三編ですみません💦
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