第45話 エルという名の虚像(前編)


 朝、眠気と戦いながらベッドから抜け出し、カーテンを開ける。

 差し込む光に目が眩み顔を背け、もう一度ゆっくりと窓に顔を向ける。朝日で体を眠りから覚ました。

 窓を開け、新鮮な空気を取り込み、小鳥たちのさえずりに耳を傾ける。両手を天井に向け、体全体を伸ばした。


「う〜ん。いい天気だなあ……」


 着替えなどの身支度を済ませ、髪の毛を手櫛で後ろにまとめ、エルは自室を出ていった。


「おはよう。みんな、朝ご飯できてるよ!」


「「いただきま〜す!」」


 エルが食卓に朝食を並べていると、母や弟、妹がやってきた。父は仕事で不在だ。彼女たちは各々自分の席につくと、並んだパンやスープ、サラダを食べて目を細めた。


「「おいし〜い!」」


「おいしいわ」


「よかった、たくさん食べてね」


 自分も席につき、まずはスープに手を伸ばした。店や自分の用事もあり毎日とはいかないが、週に数回家族に食事を振る舞うようにしている。エルは自分の料理を頬張る家族の満足げな笑顔が大好きだった。


「お兄様、今日は髪が違うのですね」


「うん、今日は店に出るから」


「いいなあ、僕も行ってみたいです」


「う〜ん。もっと大きくなったらね」


 弟や妹にとって、憧れの兄であるエル。一緒に街に連れていってあげたい気持ちは山々だが、店の場所は治安が悪い。こうして苦笑してごまかすしかなかった。


「さあ、ごちそうさま! 僕はお祖父様のところに行くね」


「「いってらっしゃ〜い!」」


 病の床にいる祖父には、基本的にエルが会いに行く。幼いきょうだいには弱っている祖父の姿を見せられないからだ。

 母がエルを見て眉を下げ、少し寂しそうに微笑んだ。


「お祖父様を……よろしくね」


「はい。いってきます!」


 エルは祖父様に用意した朝食や薬を持って、彼の寝室へ向かった。


「お祖父様、おはようございます」


「おお、おはよう。はて……今日はいつもと雰囲気が違うな」


「はい。今日はお店に出る日で……」


「そうか、そうか。賑わうといいな」


「ええ、そうですね」


 部屋に入ると、祖父がすぐに体を起こしてエルに挨拶した。介助なしで起きられるのは、いつもより調子がいい証拠だ。エルは祖父に用意した朝食を振る舞い、薬を飲む手伝いをしてから彼の部屋を出た。


 そして、食器を台所に下げ、洗い物を済ませてから母に祖父の容態を報告し出発した。


「ああ、もうこんな時間か……。早くいかないと」


 いつもは午後から食材の買い物に出るエルだが、ここ最近は毎週木曜日だけ午前中から外出している。待ち合わせの相手がいるのだ。銀でできた懐中時計を見るとすでに時刻は九時三十分。ここからだと待ち合わせの十時に間に合うかどうかの瀬戸際だった。


 エルは慌てて駆け出し、広場を目指した。


「リタさーん!!」


「エル!」


 走り続け息も絶え絶えに広場を見渡すと、待ち合わせの相手はいつものようにベンチに腰掛け本を読んでいた。


 リタが立ち上がり、走ってこちらに向かってきた。彼女は眉を寄せ心配そうにエルの顔を覗き込んだ。


「リタさん……はあ……お待たせしましたっ……」


「エル、大丈夫ですか? 私は遅れても気になりませんから、慌てないでくださいね」


 肩で息をしながら、エルは一生懸命リタに大丈夫と伝えるが、彼女の表情は変わらなかった。目の前に白いハンカチが差し出される。


「リタさん、これ……」


「使ってください。汗が流れています……ふふっ」


「す、すみません……」


 エルはリタからハンカチを受け取り、額からこめかみにかけて押し当てた。これは次回、ハンカチを買って返さねばと心に刻む。リタがその様子を静かに笑って見ている。エルはそれを見ると、最近いつも胸の辺りがソワソワしてしまっていた。


「さて、お待たせしました。まずは買い出しに行きましょう!」


「はい」


 先日、リタの主人が恋人と来店するので料理を作りたいと相談を受けてから、エルは彼女と料理をするのが習慣となっていた。いつも木曜日、彼女の休日にこうして待ち合わせて買い出しやランチに出る。

 二週間前には彼女専用にエプロンを購入した。白くて清潔でシンプルなエプロンを選んだリタがはにかむ姿は、ずいぶんと可愛らしく見えたものだ。


 それから買い物を済ませたエルはリタと店に戻り、料理の下ごしらえを教えながらゆっくりとすすめた。


「あ、もうこんな時間。お腹空きましたね、リタさん!」


「そうですね、すみません、すっかり遅くなりましたね」


 気がつけば十三時でランチタイムは過ぎていた。いつもはおすすめの店をエルが紹介して一緒に行くことが多い。この時間であればアルマのサンドイッチ店がいいだろうか。リタに問いかけてみる。すると、彼女は口角を軽く上げて微笑みかけてきた。


「どうしましょう、アルマさんのところなら空いているはずですが……」


「エル、今日は私のおすすめでもいいですか?」


「え、リタさんの?」


「はい、週末にリビー様とも行く店ですが、とても美味しいんです」


「ぜひ! そこにしましょう!」


 エルはリタに連れられ、広場の近くの二階建ての店にやってきた。レンガ造りで趣がある。


「いらっしゃいませ。リタ様、ようこそおいでくださいました」


「ポールさん、こんにちは。今日、オーナーは……」


「今日は用事があり不在です。ご安心を。さあ、天気がいいので二階のテラスへどうぞ」


「ありがとうございます」


 ポールと呼ばれた男性店員がリタと話したあとエルに丁寧にお辞儀をして、二階のテラス席に案内した。

 ランチタイムから時間がずれていたためか、テラスには他の客は一組しかいなかった。女性二人だったが、彼女たちは会話に夢中なようでこちらを見ることはなかった。


「お決まりの頃、おうかがいいたします」


「はい」


 ポールがメニューを置いてテラスを去った。エルは彼がリタにばかり目配せをしていたことがなんとなく気になった。しかし、気にしないそぶりでメニューを眺める。


「リタさん、素敵なお店ですね。おすすめはなんでしょう?」


「そうですね、全部美味しいですが……キッシュとサラダですね。色鮮やかで盛り付けが綺麗なんです。野菜は先ほどのポールさんのご実家で育てているものでこだわりがあるんですって」


「へえ……。じゃあ、僕はそのおすすめをいただきます! あとはハーブティーで」


「いいですね。私も今日はそうします」


 その後、ポールがちょうどいいタイミングでやってきて注文を取り、少し待つとお茶、次に料理を運んでやってきた。


「うわあ、本当にきれい……。色鮮やかな野菜ですね」


「ありがとうございます。」


「ポールさん、いただきます」


「リタ様も素敵なお連れ様も、ごゆっくりお過ごしください」


「え! ポールさん!」


「失礼いたします」


 ポールは笑顔で一礼し、階下へ降りていった。


「なんかこの野菜、味がとても濃いですね。キッシュもすごくおいしい」


「エルの口にも合ってよかったです。私もリビー様もこのキッシュが大好きなんですよ」


「素敵なお店に連れてきてくれて、ありがとうございます!」


「いいえ、いつものお礼です。野菜を使ったデザートも美味しいので、あとで頼みましょう」


「はい!」


 リタが嬉しそうに目を細める。よほど気に入った店なのだろうとエルは思った。そして、ほんの少し胸がチリチリと痛むように感じる。原因に心当たりはある。


 エルは食後にデザートを頼み、待っている間のんびりとお茶を飲みながらリタとの会話を楽しんでいた。彼女が急に姿勢を正し、かしこまったので不思議に思い首を傾げた。


「エル、あの……」


「リタさん、どうしましたか?」


「前に、外では髪を下ろしている理由をお聞きしましたよね」


「はい、そうですね」


 リタがわずかに顔を伏せ、申し訳なさそうに話を始めた。エルは急かすことなくゆっくり次の言葉を待ち彼女に微笑みかける。


「ずっと考えていたのです。エルがいつか、人目を気にすることなく、自由に外を歩けるようになればいいと。せめてそんな場所はないかと……」


「リタさん……」


 前髪でリタからは見えないだろうが、エルは驚いて目を見開いていた。あの日、なんの気なしに言ったことを彼女はずっと気に留め、理解し、共感し、必死になって考えていたのだ。


「エル、あったのです。そんな場所が」


「え?」


 少し顔を前に出し語るリタに、エルは眉を上げ少し間抜けとも言える高い声で返事をした。


>>続く


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次回もエル!

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