第44話 僕は剣術が得意じゃない
週末の夜、王宮の一室。第三王子でオリビアのクラスメイトでもあるレオンが部下ふたりを呼び寄せていた。
「さて、今週オリビア嬢の侍女とヘマタイト君の様子はどうだった? まずはオリバーから」
「はっ。侍女のリタはいつも通り仕事をしておりました。特に目立った行動も、魔法を使う気配もありませんでした。週末はオリビア・クリスタルと朝から馬車でクリスタル領に向かいました」
レオンはふたりに聞こえるようにため息をついた。いい報告ができなかったオリバーは顔を伏せて肩を小さく丸めている。
「特に進捗はないってことだね。次はハリー、君はどうだ?」
「はっ……」
ハリーに紫色の瞳を向けると、彼は一瞬体を硬直させたが、すぐに口を開いた。どうやら報告できるようなことがあったらしい。
レオンは葡萄酒を飲みながら目を閉じてじっくりと話を聞いた。
「ジョージ・ヘマタイトは木曜日と土曜日に同じ宿屋を訪問しています。その宿というのが、その……密会などで有名でして……あとはその……」
「はいはい。買春宿ね」
「左様でございます」
「いいよ、続けて」
レオンは顔を赤らめもじもじとしているハリーに話を促した。彼も自分の護衛として勤めているがパール侯爵家の三男で貴族の箱入り息子だ。
それにしても成人した男がこんなことで動揺している姿は若干不気味だと思いながら、話の続きを待った。
「ヘマタイトは土曜日にめかしこんで女とその宿から出て来ました。それから、ラピスラズリ家が経営しているブティックでドレスなどを購入しています。女へのプレゼントのようです」
「ふうん。ヘマタイト君が女性にプレゼントねえ……。微妙にピンとこないなあ」
「はあ。その後は女性と宿に戻り、荷造りした女とすぐに馬車に乗って王都を出ました。行き先はクリスタル領です」
「ん? ヘマタイト君もクリスタル領に?」
両眉を吊り上げ、レオンは部下たちに問いかけた。あの辺境の、移動に半日近くかかるクリスタル領にわざわざ集まった理由は?
「はい、昨日の夜に到着し、先ほど三人で学院に戻っています」
「へえ、そう。ハリー、悪いがクリスタル領に行ってくれ。ヘマタイト君と会っていた女性を探すんだ。王都に戻らなかったということは、彼女はクリスタル領の人間に違いない。ヘマタイト君との関係も調べて」
「はっ。かしこまりました」
「オリバーは引き続き侍女の調査と、ハリーがいない間は学院で僕の護衛を」
「かしこまりました!」
「それじゃあもう休んで。また明日」
レオンはオリバーとハリーを下がらせて、ひとり葡萄酒を片手に考え込んでいた。グラスに映る自分の顔と目を合わせる。
「彼らは無駄な行動に時間も労力も金も割かない……。きっと何かあるぞ」
夜が明け、早朝からクリスタル領に向かったハリーと交代で護衛についたオリバーを引き連れ、王宮を出る。レオンはいつもどおり生徒たちの視線を感じながら学院に登校した。
「おはよう、オリビア嬢」
「おはようございます、レオン殿下」
教室にはすでにオリビアがおり、いつもなら挨拶ひとつにも警戒するのだが、今日はさらりと挨拶を返して他のクラスメイトとの会話に戻った。
あまりにもさっぱりした対応に、彼女の周りにいた生徒たちが狼狽の表情を浮かべていたくらいだ。
「オリビア嬢、一緒に昼食でも……」
「申し訳ございません、レオン殿下。実家の用事がありますので」
昼休み。また王族専用エリアでオリビアと過ごし、既成事実を積み重ねようと目論んでいたレオンは見事に一蹴され、ひとりその場に取り残されてしまう。
彼女とは先日和解ができているはずだし、身分や立場を軽んじるような人間ではない。やはり何かあったのだ。
レオンは仕方がないのでオリバーをつれ食堂へ行き、昼食をとりながら考え込んでいた。
「うーん。やはりカギはヘマタイト君と一緒にいた女、それからオリビア嬢と侍女の魔法だ」
午後の授業は二コマ連続で選択授業だった。
今日は救護か剣術の日だ。各授業、道具の使い方や年間日程の確認などオリエンテーションは済んでおり、すでに本格的に始まっている教科も多い。
剣術はトーナメント形式の試合をして実力をはかり、グループ分けをすることになっていた。
「オリビア嬢、ここは剣術だよ?」
「もちろん知っています。自分で選択しましたから」
レオンはクラスメイトの男子に混ざって数名女子がいることに気づいた。その中のひとりがオリビアだったことには驚きを隠せない。
少し筋肉がつきすぎているが色男だ、と女子に騒がれている教師クリスが目当てというわけでもなさそうだ。
「君に剣術の心得があるの?」
「自分の身は自分で守れるよう、嗜んでいますわ」
オリビアがまんざらでもない様子で返事をした。おそらく腕に覚えがあるのだろう。しかし、女性の細腕で持てる剣にも限りがある。
レオンはあまり剣術が得意な方ではなかったが、あることを思いついて彼女に話を持ちかけた。
「なるほど。ねえオリビア嬢」
「はい、いかがいたしましたか?」
「僕と賭けをしないか?」
「賭け……でございますか?」
やや目を細め訝しげな表情でオリビアが首を傾げる。彼女が警戒するのは予想通りなのでレオンは全く気にしなかった。にっこりと微笑んで話を続ける。
「そう。このトーナメント、勝ち上がれば二回戦は僕と君が対戦することになる。勝った方が負けた方の願いを一つ聞き入れるってのはどう?」
「私がずいぶん不利に聞こえます」
「うーん。もちろん、常識の範囲内の願いね。そうだ、お互いに知りたいことに対して一つだけ答えるんだ。僕の願いは……君の魔法を知ること」
「一つだけですか……」
レオンは目の前で小さく唸り悩んでいるオリビアを見守った。
ここですぐに断らないということは、彼女は賭けに乗るだろう。自分の剣術に自信があるのか、それともレオン自身が過小評価されているのかはわからないが、要は勝てばいいのだ。
「どうかな、オリビア嬢? ちなみに僕は剣術が不得手だ」
「……わかりました。賭けに乗りましょう」
「よし、決まりだ」
一回戦はレオンもオリビアも相手がクリス先生目当ての女子だったため圧勝だった。すぐにふたりの二回戦が始まる。
「オリビア嬢、お互いに手加減はなしだよ」
「はい。申し訳ありませんが忖度はしませんわよ」
ふたりは対峙し、それぞれ剣を構える。オリビアの剣はかなり細く、非力さを武器の軽さでカバーしようとしているのが丸わかりだ。
さすがに、勝つな——。
そう思いレオンの表情が緩んだ。
「構えて……はじめっ!!」
クリスが大きな声で開戦を宣言し場外に出た。
向かいに立つオリビアが一歩踏み出したので、レオンも前に踏み出した。
このまま剣をたたいて折るか飛ばすかしてしまおうと、彼女の剣に刃を合わせた。
しかし、オリビアの剣は折れることも飛ぶこともなかった。
「え?」
「殿下、ご覚悟をっ!」
刃が合った瞬間オリビアの体が横に一歩ずれ、レオンの剣を流れるように滑って手元までやってきた。そして、剣でレオンの剣越しに手首を捻り、思わず落としてしまったそれを思い切り蹴飛ばした。レオンの剣は場外に出ていく。
「私の勝ちでございますね」
「……そのようだね」
喉元に剣の先を突きつけられ、レオンは静かに両手を上げた。
「そこまでっ! 勝者、オリビア・クリスタル!」
オリビアが勝ってしまったため周りはざわついたが、彼女が次の試合で自分の護衛に一瞬で完敗し、なんとなくレオンが手加減をしたということで話が落ち着いた。レオンはオリビアと並んで試合を眺めていた。
「オリビア嬢、君は本当に剣術を嗜んでいたんだね」
「レオン殿下は、本当に剣術が不得手だったのですね」
レオンは一瞬、自分の笑顔が歪んだのに気づき、慌てて王子様スマイルをオリビアに向けた。だが彼女はまっすぐに試合風景を見ていたので一部始終に気づいてはいなかった。
「……で、君は何が知りたいの?」
「え?」
「賭けは君の勝ちだ。僕について知りたいことはない?」
「そうですわね……。レオン殿下自身のことではないのですが……」
オリビアがレオンの方を向いて、ある言葉を発した。それはレオンにとっては慣れ親しんだものだが、彼女のような失礼ながら田舎貴族が知っているとは思えないものだ。
「ハイランドシープについて教えていただけませんか?」
「なぜ知っている? ハイランドシープは現地でも貴重で生地の流通はほぼない。ジュエリトスでも知っている者が限られている代物だよ」
「なるほど。私のような田舎貴族の娘が知っていること自体がおかしいのですね」
「そこまでは言っていないよ。ただ、本当に貴重なんだ」
レオンは心の中で冷や汗をかいたが、気取られないように言葉を選んだ。目の前のオリビアはそれすらも見透かしているかのように肩を上下させ、息を吐いた。
「お気遣いいただきありがとうございます。ハイランドシープはジョージの知り合いに貴族を顧客にもつ娼館の勤めの女性がおり、聞いたのです」
「そう。オリビア嬢はどうしてハイランドシープのことが知りたいの?」
なるほど、王都の宿屋にいたのはその女性の可能性が高い。レオンは小さな疑問を解消し、オリビアに問いかけた。
「実は、リアム様に何度かプレゼントをいただいたのでそのお返しがしたいと思いまして。冬までにコートを仕立てたいのです」
「そう。それくらいなら僕が生地の仕入れをしてもいいよ。量産するほどの生地は無理だけど、リアム一人分くらいなら平気さ。母に頼んでおこう。近いうちに生地見本を持ってくるよ」
「ありがとうございます、レオン殿下!」
目を細め、嬉しそうに明るい声で礼を言うオリビアを見て、彼女の言葉に裏はなさそうだと笑顔を返すレオン。
彼女の魔法はわからなかったが、また次の機会に調べてみることにしようと、オリビアの護衛が決勝で勝つまで試合を見ていた。
放課後、王宮に戻ったレオンは母で元マルズワルト王国王女のレイチェルに頼んで、ハイランドシープ生地と生地見本を手配することにした。「友達のために」と言うと母は嬉しそうに母国に手紙を書いていた。
それからレオンは、ひとりで王宮内の一室に向かう。
「レオンです。入ってもよろしいでしょうか?」
王宮内でも一際大きく装飾も豪華なドアをノックすると、ガチャンと解錠する音が廊下に響いた。部屋の主は床に伏せており、入り口に聞こえるほどの大きな声は出ない。解錠の音が入室許可の唯一の合図だ。
「お祖父様、ただいま戻りました」
「……レオン、おかえり。学校はどうだった?」
ここはレオンの祖父の部屋だ。彼は先代の国王でチャールズ・ダイヤモンド=ジュエリトス。齢九十を過ぎており、この国の平均寿命である八十歳を大幅に超え、長生きと呼べるだろう。しかしここ数年はすっかり弱り、床に伏せているばかりだった。
今日は自力で上半身を起こせたので、体調はいいようだ。
レオンはベッドと彼の背中の間にクッションを二つ重ねて挟めた。そして、自分はベッドの傍らの椅子に腰掛ける。
「楽しかったですよ。ただ、剣術の授業で女子と対戦して負けてしまいました」
「それはいかんな。苦手なことほど稽古をしっかりするんだぞ」
「はい、授業もちゃんと受けます」
「そうだ、その意気だ。私が学院に通っていた頃は……」
気分がいいときはよく学院に通っていた頃の話をレオンに話してくれる祖父。幼馴染の女の子、同級生の男の子、留学してきた親友でレオンのもうひとりの祖父のこと……。
そして、床に伏せるようになってからはいつもこの言葉で締めくくる。
「ステファニー、ノア……一体どこに行ってしまったんだ……。君たちに会いたい……話したいことが、たくさんあるというのに……」
「お祖父様……」
数年前、もうひとりの祖父で隣国マルズワルトの元国王だったミハイルが亡くなった頃から、チャールズは一気に心身が弱り、たちまち寝たきりになってしまった。
親友の死が、行方不明になった元婚約者や彼女と一緒に消えた友人への未練の引き金になったようだった。
「お祖父様、大丈夫です。近いうちに必ずステファニーに会わせてあげますから」
レオンは手を伸ばし空色の瞳に涙を浮かべる祖父の手をそっと包み込んだ。
それから二週間ほど、レオンはハイランドシープの生地見本をオリビアに渡したり、たまに昼食をともにしたりと、彼女とあくまで同級生としてだが友好な関係を築いていた。
周りの生徒たちの間でも、夏の夜会ではふたりの婚約のニュースが駆け巡るのではないかと噂されるようになった。
当のオリビア本人は事実無根と気にしていなかったが、小さな既成事実は周囲で静かに積み重なっていったのだ。
「結局、オリビア嬢と侍女の魔法はわからずじまいか……」
「も、申し訳ございませんっ」
王宮のレオンの私室。レオンは大きなため息をつき、大理石でできたテーブルを人差し指でトントンとリズミカルに叩いた。護衛でオリビアの侍女リタを調査しているオリバーが、肩をびくりと吊り上げてから頭を下げた。
もうすでに期限の二ヶ月のうち、半分を消化してしまっていた。
周囲に自分とオリビアの関係を勘繰らせ、いつ婚約を発表してもいいくらいのところまで持ってきてはいる。しかし、ここで婚約に踏み切る材料がないのだ。
オリビアのことを気に入ってはいるが、恋人や伴侶としてというよりは今の気を使わなくていい友人関係が一番望ましいと、最近気がついた。
もし万が一彼女が時空の巫女ステファニー・クリスタルの生まれ変わりではないのなら、わざわざリアムと引き離してまで自分が横槍を入れたくはない。
「正直もう残りの時間も少ない。オリバー、多少強引な手を使っても構わない、金もいくら使っても構わないから、お前の解析魔法で侍女の魔法を探るんだ。」
「はっ、はい。かしこまりました!」
レオンが思案している間、頭を下げたたままだったオリバーが頭を上げ、再び上半身を折って頭を下げた。その隣ではクリスタル領の調査を終え護衛に戻ったハリーも背筋を正し直立している。
「けれどくれぐれも怪我などさせないように。いいね?」
「かしこまりました!」
「じゃあ今日はもう下がっていいよ。また明日」
「「失礼いたします」」
オリバーとハリーがいなくなった部屋で、レオンは純金よりも美しいと称される金髪をかきあげ、大きなため息をついた。
>>続く
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