第42話 緊急帰省、クリスタル家にて


 朝、早い時間に学院から馬車に乗ったオリビア。


 八時間の長旅を終えクリスタル領に着いたのは十五時近くだった。王都の天気はどんよりとした曇り空だったが、こちらは快晴で流れる空気も気持ちがよかった。


「オリビア、リタ! おかえり」


「おかえりなさいませ。長旅、お疲れ様でございます」


 馬車が屋敷の前に到着すると、兄エリオットと従者セオが出迎えてくれた。

 一週間ぶりとあまり日は空いていなかったが、ふたりとも嬉しそうに笑顔を見せてくれるのでオリビアもつられて自然と笑顔になった。


「お兄様、セオ。ただいま戻りました」


「疲れただろう? まずはふたりともおやつの時間にしなさい」


「ありがとうございます。行きましょう、リタ」


「はい」


 オリビアはリタらとともに屋敷に入り、テラスに用意されたお茶と軽食を片手に長旅の疲れを癒した。


「そういえば、今日は急にどうしたんだ? リアム様となにかあったか?」


「お兄様! そういう話はちょっと……」


「ああ、すまんすまん」


 デリカシーのない兄の発言を嗜めながら、オリビアはスコーンを頬張った。少しはしたないが紅茶をすすり、大きく息を吐く。


「詳しい話は夜に私の部屋でさせていただきます。セオ、留守中に私宛の連絡はあったかしら?」


「はい。各店舗からの売り上げ報告がありました。そちらは私が対応しております。あとは街の工房から連絡がありまして……」


「もしかして、モアメッド工房かしら?」


「はい、そうです。「注文の品が完成した」とのことです」


「まあ! すぐに行きたいわ!」


 オリビアは急いで紅茶が入ったカップを空にして席を立った。その横でリタも慌てて立ちあがろうとしたので、手のひらを前に出して静止する。


「リタはゆっくりしていて。セオと行ってくるわ」


「ですがオリビア様……」


「リタさん、ご安心ください。オリビア様には私ともう一人護衛を同行させますから」


「そうだぞリタ、君もたまにはゆっくりしなさい」


 不安げに眉を下げるリタだったが、セオとエリオットの言葉を聞いて肩の力を抜いた。


「お気遣いいただきありがとうございます。それではオリビア様、気をつけていってらっしゃいませ」


「ありがとう! いってきます!」


 オリビアはリタとエリオットに見送られ、セオとテラスをあとにした。その後、護衛を一人連れて街に出て、広場を通り石造りの建物の前で立ち止まる。


「着いたわ。悪いけどふたりは店の前で待っていてちょうだい」


「「かしこまりました」」


 建物には「モアメッド工房」と書かれた看板がかかっていた。オリビアはセオと護衛を残し、ひとりで店の中に入っていく。


「ごめんください」


「ちょっと待ってな……お嬢様!」


「こんにちは、モアメッド」


 カウンターの奥の机に向かって作業していた茶髪の男性が、オリビアの声に反応し入り口に顔を向けた。そして声の主を見て明るい緑色の瞳を輝かせたのち、目尻をとろりと下げて口元を緩ませている。


 この工房の主、モアメッドだ。


 彼はオリビアより十歳年上で以前はクリスタル家の職人の見習いをしていた、街で話題の美青年アクセサリー職人だった。


「手紙を見てくれたんですね?」


「ええ、それでいても立ってもいられなくて来ちゃったの」


「早く見て欲しかったから嬉しいなあ〜。すぐに用意しますね!」


「ありがとう」


 モアメッドはカウンター奥の階段を駆け上がると、すぐに戻ってきた。その手には小さな箱を持っている。彼はカウンターに箱を乗せ、開封してオリビアに中身を見せた。


「お待たせいたしました。いかがでしょう?」


「……素晴らしい出来だわ。ありがとう、モアメッド」


 オリビアは箱の中身を見て満足し微笑んだ。あわせてモアメッドも白い歯を見せ目を細めた。


「やった! ご満足いただけて嬉しいです。またぜひご利用くださいね!」


「そうね。早速なのだけれど、この材料でこういったデザインのものは作れるかしら?」


「ちょっと見せてくださいね……」


 モアメッドに金属と石、そして一枚の絵を渡すオリビア。彼は受け取り、材料と絵を見比べて力強く頷いた。


「はい。材料も十分ですし作れますよ! 素敵なデザインですね、王都のデザイナーかなんかに頼んだのですか?」


「ありがとう。私が描いたのよ」


「なんと! そういえばお嬢様、絵はお上手でしたもんね」


 オリビアは絵を褒められ上機嫌になったが、「絵は」という言葉に何やら含みを感じモアメッドを追求しようか考えた。が、自分が虚しくなるだけだと考えるだけに留まった。


「……どうも。ちなみに、二ヶ月以内に完成させたいのだけれどできるかしら?」


「はい! 材料も揃っていますし、三週間もあれば完成するかと思います」


「助かるわ。完成したら屋敷のセオ宛に連絡をしてちょうだい」


「かしこまりました!」


 オリビアはモアメッドに見送られながら店を出て、セオたちと屋敷への帰路についた。



 一方、オリビアが出ていった直後のテラスではリタがエリオットとティータイムを続けていた。


「ふう。帰って来たばかりだというのに元気だなあ。あ、リタ、お茶のおかわりはいるか?」


「エリオット様、私がっ」


「いいから座っていなさい。俺だってカップにお茶を注ぐくらいはできる」


 エリオットがテーブルの上にあったポットを手にとり、リタのカップにお茶を注いだ。それを恐縮しながら小さく頭を下げて口に運ぶ。


「あ、ありがとうございます……」


 一口お茶を飲んで向かいに視線を移す。エリオットがその白く細長い指でカップを持ち、お茶を飲んでいるところだった。


 緩くウエーブのかかった輝く金髪を後ろで束ね、やや伏せた青い瞳には髪と同じく金色の長いまつ毛がよく似合っている。


 彼は自分の主人とは顔立ちが違うが、線が細くやや長身で目鼻立ちははっきりとしており、肌は絹のように滑らかで典型的なジュエリトスの美形だった。


「リタ、どうした? 俺の顔に何かついているか?」


「い、いいえ! 申し訳ございません、何でもないです」


「そうか」


 リタは首を傾げるエリオットにぺこぺこと小刻みに頭を下げた。見惚れていたなんて言えるわけがない。


 リタの人格形成において、オリビアとの出会いは絶大なものだった。そしてその兄である彼も、美形好きという趣味においてはきっかけであり絶対的な基準という意味でやはり絶大な影響を与えていた。


 彼はそんなことに気づきもせず、お茶を飲んでいる。


「そういえばリタ、何か悩み事でもあるのか?」


「悩み事……でございますか?」


「ああ。長旅で疲れているのかと思ったが、そうではなくて考え込んでいるようだから気になった。他言はしない。話してみなさい」


 カップを置いて柔らかな笑みを浮かべるエリオットを見て、リタは驚いていた。あまり鋭い方ではないと思っていたが、主人も気づかなかったここ数日のリタの悩みを、彼はいとも簡単に見抜いたのだ。


「その、たいした話ではないのですが、よろしいでしょうか?」


「もちろんだ。今夜食べたいものの相談でもいいぞ」


「ふふっ。エリオット様ったら。実は……」


 リタは先日エルと一緒にいるときにあったことをエリオットに説明した。彼は終始優しく話を聞き、時折うんうんと頷いていた。


「というわけで、私はなんとか彼が人目を気にせず自由に外を歩けるようになる方法はないか、せめてそんな場所はないかと考えておりまして……」


「なるほど、リタはその青年エルのことを大切に思っているのだな」


「いや、あの、彼にはお世話になっておりますので何か力になれないかと」


「ほう。俺の知っているリタは、多少世話になったからといって他人のことでそこまで悩まないはずだったがなあ」


「エリオット様……」


 リタは恥ずかしくなり、真っ赤になった顔を伏せた。頬と耳が熱い。向かいからエリオットがふっと息を漏らす声が聞こえた。


「リタ、いい傾向だと思うぞ。あと俺はその彼が髪を上げ、自由に歩ける場所を知っている」


「そ、それは一体」


「よく考えてみなさい。夜までにわからなかったら、オリビアにも聞いてみるといい。きっと喜ぶぞ」


「オリビア様が喜ぶのですか?」


「ああ、きっとな」


 リタは思わぬ回答に顔を上げた。エリオットの青い瞳が弧を描いている。午後の日差しが彼を照らし、その金色の髪の毛や白い肌をより美しく輝かせていた。


「それにしても、リタにもそういう相手ができて嬉しいものだな。一度会ってみたい。彼は平民なのか?」


「はい、貴族ではないと聞いております」


「そうか。だがジョージのように後からわかることもあるからな……。そのときはウチの子としてお嫁に行くんだぞ。俺にとってはオリビアもリタも同じかわいい妹だ。何かあったらすぐに頼りなさい」


「エリオット様……。ありがとうございます」


 以前の自分なら、きっとここで恐縮してお礼ではなく謝罪をしただろう。

 人の厚意を受け入れ感謝できるようになったきっかけをくれたエルを想い、そして血の繋がらない優しい兄に感謝して、そっとエプロンの裾で目元を押さえた。


>>続く


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