第五章 交差する陰謀

第40話 ジョージの密会

 一方、オリビアを待ち合わせの広場まで連れていき、彼女を恋人に引き渡したジョージはそのまま繁華街に向かって歩き出した。まだ準備中の札がかかった飲み屋の前を何軒も素通りし、繁華街の端までやってきた。


 そして、一軒の宿屋の前で足を止める。


「ここかあ」


 宿屋の中に入ると、カウンターに立つ無愛想な年配の女性が声をかけてきた。彼女の声は少し掠れていて言い捨てるように言葉を放つので、ジョージは思わず苦笑した。


「あんた、宿泊かい?」


「いや、俺は……」


「ジョージ!」


 言いかけたところで、客室につながる階段から自分の名を呼ぶ声が聞こえ、ジョージは視線をやや上方に移した。


「オリーブ姐さん」


「おばちゃん、この人はあたしのツレなんだ」


 階段を降りてジョージの隣に並んだオリーブがカウンターの女性にそう言って腕を絡めてきた。女性はオリーブに向かって頷くと、今度はジョージを見上げる。


 オリーブに肘で脇腹を小突かれ意味を理解したジョージは、ポケットから紙幣を取り出し女性に渡した。彼女は目にも止まらぬ早さでそれをむしり取ると、黄ばんだ歯を見せニヤリと笑みを浮かべた。


「……ごゆっくり」


 ジョージはそのままオリーブに引っ張られながら階段を登り彼女が宿泊する部屋に入っていった。


「悪いねえジョージ、こんなところで。けどここはこうやって何の詮索もなく後腐れもない都合のいい宿なのさ」


「俺は気にしないさ。なんで姐さんがこんなところを知っているのかは聞かないよ」


「いい心がけだ」


 オリーブが口角を上げ含み笑いをした。外観の怪しさのわりに、客室の中は清潔だったことに驚き、ジョージはしばし室内を見渡す。


「思ったよりキレイですしね」


「ああ、いろんな身分の人間が利用するからね。最低限の品質は必要なのさ」


「なるほど。これ以上は話さない方が良さそうだ」


 オリーブが静かに頷いた。


 それから程なくして彼女が淹れてくれた紅茶を飲むために、ジョージは室内の椅子に腰を下ろした。カップに口をつけ一口飲んだところで、オリーブの視線が真っ直ぐに突き刺さった。


「ジョージ。ハイランドシープの取扱店がわかったよ」


「本当っすか? さすがオリーブ姐さん、仕事が早いや」


「おだてても何も出ないよ。結構な大物が出てきたから、心して聞きな」


「はい……」


 オリーブの顔から笑みが消えた。ジョージは話の深刻さに身構えるかのように一度背筋を伸ばし姿勢を正す。


「ハイランドシープだけど、希少価値が高く現在取り扱っている店はジュエリトスに一店舗しかないんだ。その店を経営しているのが……ラピスラズリ侯爵家だった」


「ラピスラズリ侯爵家?」


「ああ、クリスタル出身の人間はあまり名前は聞かないだろう。領地も離れているし、交流もないからね」


「確かに、ラピスラズリが侯爵家というのは知ってますが……領地がどこにあるのかもいまいちっすね」


 ジョージはそう言って首を捻った。ラピスラズリ家の人間は学院にもいなかったため、知る機会がなかったのだ。オリーブがふうと息を吐き、話を続けた。


「ラピスラズリ家は純血主義だから、異国との交流や混血の多いクリスタル領には近づかないのさ。もちろん議会でもそれなりの地位にいるから、王都では高級ブティックや化粧品店を経営しているよ」


「なーんか、嫌な感じですね。けど、異国との交流は嫌なのにマルズワルトのハイランドシープは扱ってるんですか?」


「そうなんだ、それがおかしいんだよ」


 オリーブがジョージの疑問に目を見開き人差し指を前に出した。よほどいい質問だったようだ。彼女は紅茶を飲んで再び口を開いた。


「実は、ラピスラズリ家は直接マルズワルトと取引しているわけじゃないんだ」


「え、それってどういうことっすか?」


「ラピスラズリ家はジュエリトスの別な貴族からハイランドシープを買っているのさ」


「一体どこから……」


 ジョージはゴクリと喉を鳴らし、オリーブの返事を待った。彼女が頷いて、その名を口にする。


「……ペリドット伯爵家」


「え、ペリドットって、あの?」


 言葉が出なかった。このままだと、ここ最近起きたきな臭い出来事の大半が線で結ばれそうだ。


「そう、クリスタルの隣の領地でマルズワルトとの国境がある、あのペリドット領さ。そういえば、ペリドット領で演習をした騎士団員たちが帰り道で何者かに襲われる事件があったみたいだね」


「そうっすね……」


 ジョージは急に発覚した事態に自身の頭をフル回転させていた。とりあえず騎士団襲撃事件とハイランドシープとペリドットが繋がった。


 マルズワルトはハイランドシープの輸入のみに関わっているのか、それとも?


 ラピスラズリとの関係も見えない。まだ謎は多い。


「今のところハイランドシープの輸入以外に、マルズワルトが関わった証拠はない」


「なるほど」


 ジョージの疑問を察したかのようにオリーブが淡々と話した。彼女はさらに言葉を重ねる。


「ただ、ラピスラズリとペリドットには繋がりがある。それもかなりうさん臭いのがね」


「え……」


「ペリドット伯爵の妻エヴァは、元々ラピスラズリ侯爵の愛人だったんだよ。それを侯爵は十年前に自分の養女にして、彼女をペリドット家に嫁がせた。これで実質、侯爵は伯爵の義父となったのさ」


「イカれてるとしか思えないね」


 貴族の愛人の息子という立場もあり、ジョージはラピスラズリ侯爵のしたことに憤りを覚えた。

 目の前でオリーブが視線をやや下に落とし息を吐いていた。彼女は自分の境遇を知っているから、いたたまれなくなったのだろう。

 気を落ち着かせるため、少しぬるくなりはじめた紅茶を飲む。


「それに、ラピスラズリは侯爵家でありながら王都と隣接する領地を持っているんだ」


「それはおかしいんじゃない? 確か、王都に隣接できるのは公爵家の領地だけだ。そこから扇状に侯爵家、伯爵家が続くはずっすよ」


 ジュエリトス国内での領地の分布は王宮の奥の山に神殿があり、神職者と王族のみ出入りできる聖域となっている。それを守るように王宮があり、さらに王都がある。王都に隣接する土地は公爵家が囲み、万が一公爵家が土地を手放す場合は別な侯爵家に引き継がれるのが暗黙のルールなはずだ。


 なぜここでラピスラズリ侯爵家が?


 ジョージはオリーブに問いかけるような視線を投げかけた。彼女はそっと頷いた。


「その通り。実はその土地、二十五年前まではサファイア公爵家の土地だったのよ……。ラピスラズリ侯爵はサファイア公爵と貴族学院の同級生で友人だったの。公爵は当時国内で事業の失敗と国外で何らかのトラブルにあって金に困った。それを、侯爵が王都付近の領地を買い取ることで助けた。この件が発覚したときにはすでに問題は解決して土地の売買も済んでいたから、周りの貴族も王族も口を挟むことはできなかったの」


「……ずいぶん、計画的っすね」


「ええ、たぶん。ちなみに今は亡き正妃ルイーズ様も、その姉で第二王妃のアデル様もサファイア公爵家の令嬢さ。これでラピスラズリは王族との繋がりもできた。実際に付き合いがあるのかはわからないけど、周りがラピスラズリを見る目は変わったでしょうね。そこから貴族の間でも、彼は力を増していったそうよ」


「なるほどね……」


 いまだにラピスラズリ侯爵の目的はわからないが、彼が何らかの理由でペリドット伯爵との関係を作ったのは間違いなさそうだ。早めに主人に報告が必要だと、ジョージは思案しながら冷め切った紅茶を飲む。


 ひと通り話し終え、オリーブが淹れなおしてくれた紅茶を飲んだあと、ジョージは椅子から立ち上がる。閉め切っていたカーテンを捲り、窓から外を眺めると、通りに見覚えのある男女が目に入った。


「あら、あれは小娘ちゃんと……あの格好と赤毛はアレキサンドライトの次男か。本当に玉の輿だねえ。腕なんて組んじゃって、仲がいいこと」


「そうっすね」


 オリーブが一緒になって窓から外を見てニヤリと笑う。ジョージは遠くからでも笑顔とわかる主人が恋人と腕を組み通り過ぎていく姿をそっと見送った。


「姐さん、週末は例のブティックに付き合ってくれるかい?」


「言うと思ってここは週末まで連泊にしておいたよ」


「さすが。……俺も一緒に泊まっちゃおうかな」


 そう言ってオリーブの手を取るジョージ。しかし、その手は軽く振り払われる。


「だから、ガキの口説き文句には乗らないって言ってるだろう?」


「へいへい。厳しいなあ」


「酒ぐらいなら付き合ってもいいけど。飲みにでも行くかい?」


「……いいや、明日も学校ですしね。今日は帰るよ。姐さん、また週末に」


「はいよ、じゃあねジョージ」


 ジョージはひらひらと手を振るオリーブに手を振りかえし、宿屋を出る。

そして近くにあるエルの店を覗いて主人や同僚が楽しんでいるのを見届け、学院の寮へと戻った。


>>続く


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