第39話 リタの休日3

 木曜日の朝——。

 オリビアとリアムのデートから少し時間を戻す。


 今日は毎週恒例のリタの休日だった。侍女控え棟にある自室からこっそり主人の登校を見守り、出かける準備をする。


 いつもと違うのは、この時点でまだ寝巻きに身を包んでいることだった。


「うーん……。何を着ていくべきか……」


 リタは唇を一文字に結び、クローゼットに並んでいる洋服を睨みつけた。中にはクリスタル家支給のメイド服が三着と休日に着る私服が三着ある。全て長身のリタに合わせて仕立てられ品質も良い物だが、自分の趣味の問題でほぼ飾り気がない。


 ジュエリトスに住む娘たちは貴族はもちろんのこと、平民でもフリルやレースを使った明るい色の服が人気だった。確かにそれを着ている娘たちは皆華やかでかわいらしい。 


 しかし、大半のジュエリトス人とは違う褐色の肌や黒い巻き毛、どちらかというと男性のような涼しげな顔立ちの自分には全く似合わない物だ、とリタは昔から思っていた。


「どうしよう……」


 いつもなら、迷わず手を伸ばして一番に触れた私服を着て出かける。気分で選ぶということもない。服を着ることに一切のエネルギーは使わない。


 けれど、今日は違う。


「あ、今日は夜にオリビア様に会うのだった」


 悩みすぎて両眉がくっついてしまいそうなくらいに眉間に皺を寄せていたリタ。ふと今夜の予定を思い出し、左端にあった紺色のメイド服を手に取り着替えた。


「よし! 行こう」


 リタは鏡の前で深呼吸をして頷き、部屋を後にした。



 その後リタは侍女控え棟を出て街にやってきた。広場の銅像の近くにあるベンチに座り、時計を眺める。


「まだ九時半か……」


 まだ時間があることを確認し、持参した本を読んで時間を潰すことにする。さっきまで着る服を選んで悩んでいたのは、ひとりでの外出ではなく待ち合わせをしていたからだった。


「まだ九時三十五分か……」


 リタは顔を見上げ時計を眺める。これを数回繰り返した。開いた本のページは変わっていない。そうこうしているうちに約束の時間の五分前になって、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「リタ様〜!!」


 顔を上げると、待ち合わせに相手がこちらに向かって手を振りながら走ってくる。リタは少し抜けている彼が転んだりしないか心配になった。急いで本をしまい、彼に駆け寄る。


「エルっ!」


「り、リタ様……。お待たせしてすみませんっ」


「まだ約束の時間前です、私が早すぎただけですから」


 息を乱しながら謝るエルに、リタは軽く首を横に振って返事をした。そして彼の息が整うのを数分待つ。一体どこから走ってきたのだろう?


「す、すみませんでした……。もう大丈夫です、行きましょう!」


「本当に?」


「はい! さあ、まずは買い出しです! 行きましょう!」


 リタが心配してエルの顔を覗くと、彼は両手で拳を握り力強く頷き、歩き出した。リタも並んで市場の方へ歩いていった。



 広場から繁華街とは反対方向へ歩いていくと、ガヤガヤと密集した人の話し声が聞こえてきた。通路には店が並び、客たちが商品を手に取ったり指差して買い物をしている。


「ここが市場……」


「活気があるでしょう?」


 リタが圧倒されてポツリと呟くと、エルがその顔を覗き込んでにっこりと笑った。クリスタル領にも市場はあるが、やはり王都は人口が多く活気が違う。


「はい、なんだか圧倒されますね」


「さあ、僕たちもこの中に混ざります! リタ様、行きますよっ」


「は、はい!」


 エルが市場の人の波に向けて歩きだしたので、はぐれないようについていこうと一歩踏み出す。すると、市場に入る直前にリタの右手はぎゅっと何かにつかまれた。手元を見ると、真っ白な手が自分の手を握っている。


「リタ様! はぐれないようにしっかり握っててくださいね!」


「は、はひっ!」


(どどどど、どうしよう、何これ!!)


 自分より少し体温の低いエルの手に引かれ、リタは状況に混乱しながら気を抜くと遠ざかりそうな意識を必死に繋ぎ止めながら彼の半歩後ろを歩いていた。なにか話しているエルの声もあまり耳に入らない。


 全神経が、右手に集中してしまう。


「鶏肉を買いたいんです〜。あとは……リタ様?」


「鶏肉ですか! し、仕留めてきましょうか?」


「リタ様、鶏肉なら仕留めなくてもそこの店で手に入りますよ」


 緊張のあまり突拍子もないことを口走ってしまったが、エルはふふっと笑って肉屋を指差した。救われたのか、それとも無かったことにされたのかはわからないし確認はできない。


 リタはエルと肉や野菜、果物などを買い込んで市場を後にした。


「目的のものが買えてよかったです! さて、少し準備したいので一旦店に戻りましょう」


「はい」


 繁華街の奥にあるエルの店。今日はリタの主人アリビアが恋人のリアムとデートする日だった。彼女たちは最後にエルの店に来店するので、リタはエルと共にオリビアに料理を振る舞うつもりだったのだ。先日の来店の際に彼に相談したところ快諾されたので、手伝いのために待ち合わせた。


 まずは仕込みのため、リタは荷物を半分持ちながら歩いてここまでやってきた。店が近づくにつれ、エルの呼吸が乱れていたのが心配だったものの、なんとかたどり着いてほっと胸を撫で下ろした。


「到着! リタ様、荷物持ちありがとうございました」


「いいえ、お役に立ててよかったです」


「それじゃあ、これから夕食のメインを仕込みますね! でもリタ様、リビー様に聞かないで作ってしまって本当に大丈夫なんですか?」


「ええ。リビー様はきっと「おまかせで」と言うはずです。大丈夫ですよ」


 買ってきた食材を仕分けるエルに、リタはにっこりと笑顔を向けた。きっと主人は恋人とのデートで胸いっぱいの状態で来店する。食事を何にしようかと考える余裕はないはずだ。


「すごいなあ、やっぱりリビー様のことをよく理解しているんですね!」


「もう何年も仕えていますから。それに、リビー様はわかりやすいタイプですし」


「確かにそうかもしれませんね。でも、きっとリタ様やジョージ様を信頼しているからだと思うんですよ」


「そうだと嬉しいです」


 そう言ってリタが目尻を下げると、カウンター内にいるエルが灰色の瞳を細めていた。目の保養となり嬉しいものの、いつもと何かが違うと違和感を覚える。なぜだろう、何が違うのだろうと、いつのまにか彼を凝視していたようだ。エルが不安げに眉を寄せ首を傾げた。


「……リタ様?」


「あ、いえ! 何だかいつもと違う気がして……すみません」


 慌てて小刻みに頭を下げていると、エルが「ああ」と言って一度頷き、口角を上げ口を開いた。


「きっと前髪を上げているからですね」


「ああ、そうか!」


 リタは思ったよりも大きな声が出てしまい、恥ずかしくなり口を手で塞いだ。それくらいの衝撃だった。


 いつもは目や鼻などの各パーツが、前髪が揺れた隙間から覗く程度なのだ。それでも十分彼が美しい顔立ちなのはわかっている。


 しかし今日は形が良い唇に加え、筋が通っていて高い鼻も、くっきりとした二重に長いまつ毛が特徴の目も、髪の毛と同じ灰色の眉も全て見えている。


 やはり彼は美形で有名なジュエリトスの王族も裸足で逃げ出すレベルの美しさを携えている。


「料理をするときは髪の毛はまとめるんです。ドジ防止も兼ねています」


「そうでしたか……。外ではそうしないのですか?」


 彼の場合、外でもドジ防止策が必要ではないかと思った、純粋な疑問だった。リタの言葉に対し、エルは眉を下げてわずかに苦笑した。


「僕のこの容姿は、珍しいみたいで……特にこの瞳の色は。この国にはおそらく一人もいないでしょう。買い物のときなんてお店の人が驚いてしまうから、外では前髪を下ろすようにしているんです」


「エル、申し訳ありません。無神経なことを聞いてしまいました」


 リタは自分がクリスタル領という寛容な場所で生きてきたので、全く気がついていなかったと反省した。王都では異国人に厳しい人間も少なくない。


 俯くリタに、エルが優しい口調で返事をした。


「いいえ、気にしないでください。そんなつもりで話したわけじゃありませんよ。肉の下拵えをしたらランチに行きましょう。美味しいサンドイッチのお店があるんです」


「はい。ありがとうございます、エル」


 リタが顔を上げると、エルはカウンターから笑顔でこちらを見ていた。それはもう優しく、まるで労わるかのような視線だった。その笑顔を自分の黒い瞳に焼きつけながら、リタはいつか彼が人目を気にすることなく、自由に外を歩けるようになることを心から願った。


 そしてエルが肉を仕込み終えたあと、リタは彼のすすめるサンドイッチ店にやってきた。


「わあ、すごい品揃え。軽食からデザートまで、全てサンドイッチなのですね」


「でしょう? 今のところメニュー全部制覇が僕の目標です」


「いらっしゃい! エル、今日はひとりじゃないんだね」


「アルマさん!」


 リタとエルがメニューと睨み合っていると、恰幅の良い中年の女性がやってきてハリのある声で話しかけてきた。エルが顔を上げ彼女の名を呼んで笑いかける。すると、アルマはエルの背中を叩いてにっこりと微笑んだ。


「女の子を連れてランチなんて、やるじゃないエル!」


「ふふふ。いいでしょう? リタ様、彼女はこの店のオーナーでアルマさん。ご主人が焼いたパンをおいしいサンドイッチにしているんですよ」


「へえ、あんたリタって言うの! 美人だけど細っいねえ、たくさん食べていきなよっ。注文は決まったかい?」


「美人だなんてそんな……あ、ありがとうございます。では、このチキンと卵のサンドイッチと紅茶をください」


「はいよ! エルは?」


「僕はこっちのペッパーハムサンドと紅茶をください」


「はいよ! ごゆっくり!」


 アルマが頷いてキッチンの方へと歩いていった。リタは彼女の勢いに圧倒され呆けていた。ひとまず水を一口飲んだところで、正面に座っているエルが顔を近づけ小声で話し始める。


「すみません、リタ様。アルマさんは僕のような容姿が変わった人間にも分け隔てない良い人なんですが、貴族や貴族家にお勤めの身分の高い人にもあんな感じで……」


「いいえ、私は気にしませんよ。むしろ様づけでかしこまられた方が恐縮してしまいます。エルもよかったらもっと気安く呼んでくださいね」


 リタは申し訳なさそうに細い声を出すエルに笑いかけた。彼の肩がその拍子にピクリと上下する。


「え、いいんですか? じゃあ、リタさん、リタさんって呼んでいいですか?」


「はい、もちろんです」


 エルが白い歯を見せてニコニコと笑っている。リタは彼との間にあった壁のようなものが一枚取り払われ、心の距離が詰まったように感じ嬉しかった。


 それからふたりで出てきたサンドイッチを頬張り、紅茶を飲んで一息ついてアルマに見送られながら店を出た。


「う〜ん、大満足。リタさんはどうでした?」


「はい、私も大満足です。もっといろいろ食べたいメニューがあって迷いましたけど」


「じゃあ、また一緒に来ましょう!」


「はい、ぜひ」


 いつ、と決めたわけではない口約束だが、リタは「また」が来ることが楽しみだった。口元と目元を緩ませながら、今日はずいぶん笑っているなと心が弾む。


「よし、じゃあまた店に戻ってリビー様のために美味しいパンを焼きましょう!」


「はい!」


 エルが両手に拳を握り力強く頷いたので、リタもそれに合わせて頷いた。エルの前髪が揺れ、美しい灰色の瞳には自分の笑顔が映っている。そのことがたまらなく恥ずかしくて喜ばしい。


 今この胸に湧き起こる感情は、彼が美男子だからというだけではないことにリタは気づき始めていた。



>>続く


ここまで読んでいただきありがとうございます😊

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次回は一方その頃ジョージは……です!

引き続きよろしくお願いします♪

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