第38話 恋人はマッチョ騎士(後編)

 夕方、陽は傾き空は茜色に染まっていた。

 オリビアはデートの最後、夕食とリタとの待ち合わせも兼ねてリアムをエルの店に案内することにした。


 先日、店主のエルに自分がリアムやレオンと繋がりのある人間ということは知られているため、込み入った話もしやすいはずだ。


「それでは、夕食は私の行きつけのお店にご案内いたしますわ。ちなみに、店で私のことはリビーと呼んでください。一応お忍びということで……」


「君の行きつけならきっと素敵なところなんだろうな。楽しみだよ、リビー」


「ふふっ。一番の常連はリタなのですが……。さあ、こちらです」


 オリビアはまた繁華街を目指してリアムと腕を組み歩いた。奥に進んでいくにつれ立ち並んでいた店の数が減り、脇にある小道は薄暗い。リアムの腕がピクリと動いた。彼は治安の悪さに若干警戒してるようだった。


「ずいぶん奥まで来るんだな……。君はいつもこの道を歩いて通っているのか?」


「徒歩ですが、リタとジョージが必ずついています。心配しないでください」


 数分歩いていると、エルの店の看板に明かりが灯っているのが見えた。オリビアは指をさして組んだ腕を引っ張り、歩くスピードを早めた。


「あそこです! あの看板がついているところ!」


「わかったわかった。急ぐと危ないよ」


「すみません、つい……」


「とっても可愛らしいけど、怪我はさせたくないからね」


 リアムが眉を下げ苦笑している。オリビアは彼の口から自然に飛び出した「可愛らしい」という言葉に照れ、すぐに店の入り口の方に視線を移した。


 そして、店の前についたオリビアは、リアムを引き連れて店の中に入った。


「いらっしゃいませ、あ、リビー様! リタさん、リビー様がきましたよ!」


「こんばんは、エル」


「お好きな席へどうぞ!」


 見目麗しくどこか儚げなマスターエルに迎えられ、オリビアは奥のテーブル席を選んでリアムを案内した。


「いらっしゃいませ! リビー様、もしかしてこの方が……」


「そう、リアム・アレキサンドライト卿。私の恋人よ」


「うわあ、どうりでリビー様がご機嫌だと思いました。初めまして、僕はエル。この店の店主をしております。以後お見知り置きを」


「リアムだ。よろしく。いつもリビーが世話になっているようだな」


「いえいえ! 僕の方がいつも贔屓にしてもらって助かっています。あ、夕食をここでと聞いておりますがいかがいたしましょうか?」


「そうね、先ほどデザートをいただいてきたから、まずは飲み物を……」


「かしこまりました。がおいしいと言ってくれたハーブティーなんていかがでしょう?」


「いいわね。リアム様はいかがいたしますか?」


「私も同じものを頼む」


「はい! かしこまりました!」


 エルは勢いよく頭を振って頷くと、カウンターの奥へ消えて行った。入れ違いでカウンター席に座っていたリタがやってくる。オリビアたちの席につくと体をしっかり折って挨拶をした。


「アレキサンドライト公、本日はリビー様の護衛も兼ねていただきありがとうございます。おかげでジョージも私もゆっくり休むことができました。リビー様も学校お疲れ様でした」


「リタ、私こそ彼女と二人きりになれて楽しい時間を過ごせた。私を信じて大事な主人を預けてくれたこと、礼を言うよ」


「もったいないお言葉でございます」


「あなたは楽しい一日だったのかしら? 


「っ……リビー様! からかわないでください!」


「ごめんなさい。からかうつもりはないのよ。これでお兄様の花嫁候補がいなくなってしまったわね?」


「最初から違います! デートのお邪魔でしょうから、私はカウンターに戻りますね」


 オリビアは顔を真っ赤にしてカウンターに戻っていくリタを眺めながら、クスクスと笑う。

 先日は呼び方がいつも通りリタ様だった気がするので、今日、自分たちが来る前にふたりには何か進展があったのだろう。

 あの様子では小さな一歩と言ったところだろうが、姉妹同然のリタに恋人ができる兆しはオリビアにとっても嬉しいものだった。


「リタはあの店主と?」


「あの様子ですともうしばらくかかりそうですが……」


「そうか、それは楽しみだな」


「ええ、とっても」


 その後、エルがハーブティーを用意してオリビアとリアムの前に差し出した。カップから花のようなふわりと甘い香りが立ち上る。


「いただきます……おいしい!」


「本当ですか?」


「花の香りと、柑橘の爽やかな風味が絶妙だな。おいしい」


「嬉しいなあ〜。気を落ち着かせる効果のある花ですから、きっと夜もぐっすり眠れますよ。おふたりとも明日も学校やお仕事があるでしょう?」


 オリビアとリアムがハーブティーを飲んで感想を伝えると、エルは口元を緩ませ微笑んだ。首を傾げた拍子に彼の灰色の髪が揺れ、長い前髪の隙間から灰色の瞳が弧を描いているのがわかる。


「ありがとう、エル。助かるわ」


「喜んでもらえて嬉しいです! あ、僕食事の準備しますね!」


 エルはほんのりはにかんでパタパタとカウンターへ戻っていった。


「いい店だな」


「気に入っていただけて嬉しいです」


 リアムがハーブティーを飲んで笑顔を漏らした。そして、カウンターで食事の準備をしているエルに視線を移していた。その隣にはリタもいる。手伝いをしているようだ。


「彼、瞳も灰色なんだな。珍しい、初めて見た」


「リタの話ではどうやらお母様が異国の出身だとか……あ!」


 オリビアは言い切る直前でハッと目を見開き慌てて自分の手で口を塞いだ。ジュエリトスの貴族の中には他国との混血を良しとしない者がいるからだ。目の前のリアムが静かに微笑む。


「そうか……。ああ、私は人の出自に興味はないから心配しないで。貿易などで他国との交流はあるのだから、異国の民と結ばれる者も当然いるだろう。ジュエリトスは国王陛下がそうなのだから」


「それを聞いて安心しました。私は辺境の出身なので他国からの移民や混血は珍しくありませんでしたので……」


「アレキサンドライト家は全員私と同じ意見だから安心していいよ」


「はい」


 リアムからの優しい言葉にオリビアはホッと安堵の息を漏らした。


 しばらくして、リタとエルがふたりで合作したという料理を何品か運んできた。

 どちらが調理に貢献したかを褒め合うふたりを見て、オリビアは内心自分をダシにして共同作業とは大胆だなと思っていた。


「ジュエリトスでは味わったことのない味付けだったが、おいしかった」


「お口にあってよかったですわ」


(アレは完全にタンドリーチキンだったわ。エル……スパイスを消費したかったのね)


 満足げに目を細めるリアムを見て、料理が口に合って本当によかったと安心した。そして、食後のお茶を飲みながら、本題に入る。


「リアム様、私レオン殿下とお話しいたしました」


「そうか。殿下はなんと?」


「陛下が勘違いをしてレオン殿下を気遣ったため、私たちの婚約は保留となったそうです。期限は二ヶ月。二ヶ月経っても私たちの気持ちが変わらなければ、陛下は婚約を許可すると……」


「なるほど。二ヶ月というのはそういうことだったのか……」


 オリビアの話を聞いてリアムが頷き呟いた。話のそぶりだと彼もまた保留の期限について知っていたようだ。今度はオリビアが質問を投げかける。


「リアム様、ご存知だったのですか?」


「実は先日、姉のシャーロットに会ったんだ。婚約者のアイザック殿下から又聞きというかたちだから経緯はわからなかったが、「レオン殿下のために二ヶ月間保留にした」と聞いてね」


「そうでしたか……。では、レオン殿下の話は本当のようですね」


「そうみたいだ。ただ、本当にレオン殿下の君への気持ちは陛下の勘違いなのだろうか?」


 リアムが今度は不安げに深緑の瞳を伏せる。先日のサイラスの話や入学時のパーティーの件が後を引いてるのだろう。オリビアはテーブルの上にあったリアムの手に、自分の両手を重ねた。


「大丈夫ですわ、リアム様。レオン殿下は「自分も止めたが聞き入れてもらえなかった」と謝ってくださいました。私のことは友人だと思ってくれているようです。私はリアム様の恋人です。安心してください」


「そうだったな。婚約がお預けになったのは寂しいが、私たちが恋人であることは変わらなかったな……。ありがとう、オリビア嬢」


 リアムが手を返して軽く握る。彼の手は大きく先ほどまで重なっていたオリビアの両手はその中にすっぽりとおさまった。そしてとても温かい。

 愛おしいという感情を惜しげもなく込めた優しい笑顔に応えながら、オリビアは心の中までポカポカと温まるのを感じた。


>>続く


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