第37話 恋人はマッチョ騎士(中編)
オリビアはリアムとスイーツを囲んで甘いひとときを過ごして店を後にする。セドリックが店の前まで見送りに来て、深々と礼をした。
「ありがとうございます。またお越しくださいませ」
「とても素敵なお店でした。あ、セドリックこれは提案なのだけれど……」
「はい、いかがいたしましたでしょうか?」
「二回目の来店のお客様から給仕の担当者を指名制にするといいわ。別料金で負担のない金額……三百エールから五百エールくらいで。指名料は担当者に全額還元するの」
オリビアの提案に、セドリックが顔を上げ小さく頷いた。
「なるほど、それは興味深いです」
「私が領地で経営しているカフェでそうしているのだけれど、店員のやる気も上がるし、お客さまも大満足よ」
「オーナーと相談してみます。貴重なご意見をありがとうございます」
エールとはジュエリトス王国の通貨の名称で、パン一個が百〜二百エール、コーヒー一杯が四百〜五百エールだ。
オリビアの経営する各カフェでは給仕してくれる店員の指名ができる。これで店員も自分の給料に直結するため接客に手を抜かないし、客たちはコーヒー一杯分の金額で自分好みの執事やメイドが給仕してくれるので互いの要求が一気に満たせる素晴らしい制度だった。
オリビアの話を聞いたセドリックはまた深々と礼をしてオリビアとリアムを見送った。
「オリビア嬢の経営手腕は斬新かつ的確だな」
「うちは田舎領地ですから、何か目新しい試みをと必死だったのです」
「昔から聡明な子だとは思っていたが、惚れ直してしまうよ」
「リアム様ったら、恥ずかしいですわ……」
リアムからの賛辞の言葉を聞きながら、オリビアは頬を染めはにかんだ。顔を上げると、彼は上がった口角の端とくっつくくらいに目尻を下げ笑みを浮かべていた。
これが「デレ」というやつか、とオリビアは思った。
「さて、そろそろ混んできたな……」
「そうですわね」
外は夕方が近づいてきて、待ち合わせや帰宅途中の買い物目当ての人で混み始めていた。はぐれないようにと一歩踏み出そうとしたオリビアは、急に左手を引かれ一瞬バランスを崩しかける。それを手を引いた張本人のリアムの体に支えられた。
「オリビア嬢、行こう」
「り、リアム様っ!」
「あ! すまない、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですわ」
「あの、はぐれないように……」
リアムが右腕を軽く「く」の字に曲げ身体との間に隙間を作った。彼の言葉と行動で自分は何をすべきなのかはすぐに理解した。
オリビアはゆっくりとリアムの腕に自分の左でを絡ませた。
衣類越しに、自分の腕とは全く違う鍛え上げられた筋肉を感じ、心臓が爆発しそうだ。それを必死に抑え込んで平静を装う。
「ありがとうございます。では、参りましょうか」
「あ、ああ……」
オリビアはリアムに連れられ、繁華街から広場方面へ戻り雑貨店に入った。ここはオリビアもクラスメイトに聞いていた人気の店で、主に若い女性客が多い。
店は少女向けの花柄やレースの装飾が施されており、窓からオリビアと同じ年頃の娘たちが髪飾りやブローチなどを手に取って楽しそうに笑顔を溢しているのが見えた。
……それも、オリビアたちが入店するまでのことだった。
オリビアがリアムと店の中に入った途端、彼女たちから笑顔が消えた。皆黙って俯き、中には震えている娘もいる。女性客ばかりいるせいか、確かに外で待ち合わせている時よりリアムが大柄に見えると思う。あまり広くはない店の面積も彼の迫力が増す原因になっているようだ。
ひとり、またひとりと少女たちは店を出ていき、気がつくと店内にはオリビアとリアム、店員の女性のみになっていた。
オリビアはこの女性店員が出て行った少女たち同様に怯えていないか心配になった。彼女に視線を移すと、俯き「はあー」と大きな息を吐いている。
「もう、アレキくん! お客さんが恐がっていなくなったじゃない、どうしてくれるの?」
「す、すまん……」
女性店員は顔を上げ、キッと目と眉を寄せてリアムを睨み、叱りつけた。リアムは肩を丸め、小さくなって彼女に詫びている。オリビアは状況が飲み込めず首を傾げた。
「こうなったら今日の売り上げ見込み分の高額商品買ってもらうからね。お嬢さん、何が欲しいの? なるべくそこのガラスケースの中のアンティークから選んでね!」
「え! あ、あの……」
女性店員は今度はオリビアに捲し立てるように言葉を投げ、会計の近くにあるガラスケースを指した。オリビアは彼女の熱量に圧倒され、一歩後ろに下がった。
「アンナ! 彼女が怯えているからやめるんだ」
「何よ! 元はと言えば君のせいでしょ? で、どのアンティーク買うの?」
「いや、それはその……」
アンナと呼ばれた女性は、間に入ったリアムを言葉で完全に跳ね除けた。リアムどころかオリビアよりも小柄な彼女がなんだか大きく見える。
アンナが腰に手を当て再び息を吐いた。店の雰囲気に合わせているのか金色の綺麗な髪の毛は左右の三つ編みに結われている。肌は白く、大きな栗色の瞳とそばかすがひとりで店番をする年齢には到底思えない。オリビアよりも幼く見える。
「リアム様。私、そのケースの中の首飾りが欲しいですわ」
「お嬢さん、お目が高い! その首飾りはジュエリトス王国初代国王ジョージ・ダイヤモンド=ジュエリトスが王妃のリリーに送ったというなんと千年の時を超えた愛の証なのよ!」
「そんなものがこの店に並んでいるわけないだろう。偽物を売りつけるな」
「じゃあこれが偽物っていう証拠はあるんですか〜?」
「うっ!! それは……」
「証拠もないのに偽物とか言っていいんですか〜?」
「まあまあ、おふたりとも落ち着いてください。」
オリビアは言い合いを始めたアンナとリアムの間に入り、ふたりを宥めた。まずはリアムが我に返り、目元を歪めバツの悪そうな顔をして背中を丸める。先ほどよりさらに小さくなった印象だ。
「すまない、オリビア嬢。ついカッとなって、大人気なかった……」
「おふたりはお知り合いなのですか?」
オリビアの問いかけに、小さくなったままのリアムが頷いた。
「ああ、彼女はアンナ・シトリン。貴族学院で同級生だったんだ」
「まあ、そうでしたの。では私の兄とも同級生ですわね?」
「あなた、お兄さんがいるの? 誰だれ?」
「兄は、エリオット、エリオット・クリスタルと言います。ご存知でしょうか?」
「え! クリスくんの妹なの? うわー懐かしいな、元気にしてる?」
「はい、元気にしております」
アンナは先ほどまでリアムを睨んでいた鋭い目つきを緩ませ、オリビアに笑顔を向けた。場の空気が和み、オリビアはこっそり安堵の息を漏らすと同時に彼女が自分よりも五歳も年上なことに驚いた。
「そっか、よかった〜! 私も一応子爵家の娘で学院出身なんだけど、親が事業失敗して没落しちゃって〜。王都にいない同級生とはほぼ会うことなくってさ〜」
「そ、そうでしたか……」
没落を軽快に語るアンナに、オリビアは気の利いた言葉が浮かばず口元を引きつらせ相槌を打った。彼女はそのまま機嫌よく話を続けた。
「アレキくんとも全く会ってなかったんだけど、何日か前の閉店間際に急にお店に来たんだよね。「恋人とデートするから下見だ」って……」
「アンナ! やめろ!」
「ありゃ、言っちゃった。ごめ〜ん」
アンナは舌の先を唇から出して笑っている。全く悪いとは思っていなさそうだ。オリビアは首を軽く傾げた。
「下見……ですか?」
「その……同僚たちに流行りの店を聞いていたら、この店の名が出てきたんだ。君の趣味に合うかわからなくて、下見をと思って……。聞かなかったことにしてくれないか?」
オリビアがリアムを見上げると、彼は目が合わないよう横に視線を逸らした。頬と耳が真っ赤になっている。
仕事帰りにわざわざこの可愛らしい店にたったひとりで訪れたのか。自分とのデートのために。そう思うと、嬉しくてたまらない。思わず笑い混じりの息が漏れる。
「ふふっ。だめです。だって私のためにそこまでしてくれたなんて、とても嬉しいんですもの。忘れられませんわ」
「オリビア嬢……」
オリビアがリアムと見つめ合っていると、パチンっと手を合わせる音が聞こえた。アンナだ。
「はい! そういうのはお買い物が終わってからにしてね〜」
彼女はそう言ってガラスケースを指し買い物を促したので、オリビアはリアムと同じタイミングでガラスケースに視線を移した。
「オリビア嬢、本当にこの首飾りが気に入ったかい?」
「はい。気に入りました」
「アンナ、その首飾りを売ってくれ」
「やった! ありがとうございま〜す」
リアムの言葉に、間髪入れずに返事をしたアンナは急いでガラスケースから首飾りを取り出し、会計を始めた。口元が緩みっぱなしの彼女を見ながら、きっとそこそこに値が張るものなのだろうとオリビアは思った。
「そ、れ、で、は……アンティークの首飾りがおひとつで……三十万エールです!」
「ひい……! 三十万エール?」
「お、おい! ぼったくりか?」
デザインにもよるが、ジュエリトスでは金の首飾り一本が三万エールほどで買える。
オリビアは通常の十倍という予想外の金額に驚愕した。リアムは一瞬の沈黙の後に勢いよく突っ込んでいるので、きっとまさかの金額に反応が遅れたのだろう。それほどに高額だ。
「いやいや、おふたりさん。これ本当にアンティークなのよ? しかもこの赤みの入ったゴールドなんて手に入らないよ。貴重だから付加価値がつくってわけ」
確かにそうだ。この赤みの入ったゴールドはジュエリトスでは見たことがない。肌馴染みの良さそうな色合いや凝ったデザインのチェーンが気に入ったが、さすがに初めてのプレゼントには高額すぎる。
三十万エールはオリビアの経営するカフェ「バルク」でマッチョ店員二名の基本給に匹敵する。後ろ髪を引かれつつ、オリビアはリアムに申し出た。
「リアム様、私やっぱり別なものにしますわ」
「いや、気に入っているのだろう? 驚きはしたが払えない額じゃないから遠慮することはない。ぜひプレゼントさせて。アンナ、紙幣が足りないからこっちでいいか?」
リアムがオリビアに優しい笑顔を向けた後、懐のポケットから金色の板を出してアンナに渡した。彼女はそれを見てにんまりと笑い、重さをはかる。
「はいは〜い! 金でのお支払いね。もちろん構わないよ。純金のプレートが二枚……三十二万エールお預かり! な、の、で……二万エールお返しね! あ、これ飾りはついてなくて別売りなんだけどどうする? 何か買う?」
「あ、それはこれを使ってほしくて……」
オリビアは薬指につけていた婚約指輪を外し、差し出した。
「この指輪を?」
「はい。指にはつけられませんが、首飾りに通せばいつでも身につけていられますので」
「なるほど、婚約発表まではお忍びってことね! いいね〜。あ、今つけていく?」
「はい、ぜひ」
「じゃあアレキくん、これどうぞ」
「ああ、ありがとう。オリビア嬢、髪の毛を少し上げてくれないか?」
「はい」
オリビアは首にかからないよう結われた髪の毛先を上げた。
そこに、リアムが指輪を通した首飾りをそっとかける。少し首元がくすぐったい。その後、すぐに首の後ろで金具を留めてもらう。指輪が重みで前に下がり、服の中にちょうど隠れた。学校でも問題なさそうだ。
「さあ、できたよ」
「ありがとうございます、リアム様」
「うんうん、いいね。似合ってる!」
オリビアとリアムはアンナに見送られ店を後にした。
それから、少し歩いて広場へ向かう。一度振り向くとアンナの店には「閉店」と書かれた看板がかかっていた。どうやら今日の売り上げ分に大いに貢献したようだとオリビアは思った。
「リアム様、本当にありがとうございます。知らずとはいえこんなに高額なものを……」
「いいんだ。それに首飾りが欲しかったのは、私が贈った指輪のためだろう? むしろ嬉しいよ」
「大切にします」
今日会ってからリアムは終始優しい笑顔で、一緒にいる時間がこんなに楽しいのかと思う。今まで恋愛には全く興味がなかったオリビアだが、世の男女がのめり込む理由が少し理解できる気がした。
そして、先日の指輪に続き今日も高額なプレゼントをもらったオリビアは、自分も彼に何か返したいという気持ちに駆られる。
「リアム様、先日の指輪も含めてお礼に私も何か贈りたいのですが……」
「オリビア嬢から私に?」
リアムにとっては予想外の申し出だったのか、彼は目を丸くして首を傾げた。オリビアは力強く頷く。
「はい。私も店舗経営などで収入はありますから、なんでも構いません! 何か欲しいものや買い替えを検討しているものはありませんか?」
「うーん……。本当になんでもいいのか?」
「え、ええ。「家」とかになりますとクリスタル領内限定になりますが……」
オリビアは口元を引きつらせて返事をした。さすがになんでもは言い過ぎただろうか。しかし三十万エールが高額という認識がある彼はきっとまともな金銭感覚の持ち主だと信じて返事を待った。
「ではその耳飾りはどうだろう?」
「え? 耳飾り……ですか?」
リアムからの返事は意外なものだった。彼が指差している耳飾りは一見なんの変哲もないクリスタルの耳飾りだ。しかし、実際にはリタやジョージとの連絡手段である。オリビアの問いにリアムが頷き、話を続けた。
「ああ、その石はリタやジョージがつけているものと同じではないか? 私も同じ石を使った耳飾りが欲しいと思ったんだ。……ダメだろうか?」
オリビアは一瞬悩んだ。この耳飾りは自分の魔法を明かさないと渡せない代物だからだ。
「……わかりました。ご用意しますわ。加工などにしばらくお日にちをいただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ! ありがとう、オリビア嬢。嬉しいよ」
いずれそう遠くない未来、彼に魔法を明かすそのときに渡そう——。
オリビアは目を細め口元から白い歯を覗かせ、まるでまだあどけない少年のような笑みを浮かべるリアムを見て自分にそう誓った。そして彼の腕に自分の腕を絡ませ、ゆっくりと歩き出した。
>>続く
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