第36話 恋人はマッチョ騎士(前編)

「おはよう、ジョージ。いいお天気ね」


「おはようございます、お嬢様。ていうかまた髪変ですよ? 今日くらいリタの奴に頼んどけばいいのに」


 木曜日の朝、侍女のリタが休日のためオリビアはひとりで身支度を済ませ、女子寮の前で待つジョージの元へ駆け寄った。髪の毛だけはうまくまとめることができずに出てきたので、それを見たジョージにたしなめられる。


「せっかくの休みに悪いじゃない。それに髪ならジョージに結ってもらえばいいし」


「護衛の仕事じゃないっすけど」


「いいじゃない、私のヘアスタイルを守るのも護衛の仕事よ」


「あんたねえ……」


「んんっ!!」


 得意げに軽口を叩いたところで、両頬にぎゅっと圧力を感じ呻き声を上げるオリビア。

 ジョージが大きな手で頬を潰していたのだ。十二分に手加減されているだろうが、それでもなかなかの握力だ。

 オリビアは昔、ジョージがならず者の頭を片手で掴んで持ち上げていたのを思い出した。少しの寒気がしたところで頬からジョージの手が離れた。すかさず文句を言う。


「ジョージ! 何するのよ、痛いじゃない!」


「減らず口なんか叩かないで、素直に可愛く「お願い♡」って言えばいいんですよ。ハートマークは忘れちゃダメですよ」


「何それ、なんか嫌だわ」


「そんなこと言わずに。放課後のデートにそんな頭で行くんですか? ほら」


「うっ……仕方ないわね」


 そう、今日の放課後はリアムとデートの日なのだ。半休で仕事が終わる彼と先日の婚約保留の進捗報告と夕食を兼ねた、まさしくデートだ。

 こんな髪で待ち合わせに行けばだらしないと嫌われるかもしれない。不本意ながらもオリビアはジョージを見上げ笑みを浮かべる。


「ジョージ、お願い」


「ハートマーク」


「お願い♡」


 ジョージのダメ出しに、オリビアは笑顔と同時に軽く首を傾げてみた。すると彼はニヤニヤと口元を緩ませ、下品な笑みを浮かべた。


「やればできるじゃないですか。きっとあのムッツリ騎士様も喜びますよ。あ〜おもしろかった」


「ちょっと、ムッツリ騎士様って……まさかリアム様のこと?」


「それ以外に誰がいるんすか? だってプロポーズして抱っこしてくるくるしてキスのひとつもしないんでしょ? きっと想像まではしてたんじゃないですかね〜」


「失礼よ! もう、そんなあなたの爛れた恋愛感覚と一緒にしないで!」


「へいへい」


 オリビアはジョージの脇腹をポカポカと数発叩き、逃げる彼を追いかけるかたちで教室に入った。授業が始まる前にクラスメイトの女子(ジョージの取り巻き)たちに見守られながら髪を結い直してもらう。


(そういえば、レオン殿下は公務でいないのよね……。からかわれなくてよかった。安息日最高!)


 ふと隣の席に視線を移すとそこは空席だった。レオンはほぼ週に一回のペースで公務による不在日がある。その日はオリビアも心を乱されることなく平和に過ごせるので、心の中で安息日と呼んでいた。

 こうしてオリビアは憧れの教師シルベスタの授業やクラスメイトたちとの昼食など楽しく一日を過ごした。


 そして放課後、待ちに待ったリアムとのデートの時間。今日最後の授業はデートのことで頭がいっぱいで何をしたかも覚えていない。終業のベルが鳴った瞬間にオリビアは勢いよく席を立った。


「ジョージ! 帰りましょう!」


「早っ。わかりましたよ……。じゃあね、かわい子ちゃんたち。また明日」


「「ジョージくん、また明日ね〜」」


 オリビアは自分の後を追いつつ、しっかりクラスメイトの女子たちに愛想を振りまく護衛の声を聞きながら、このマメさは神が与えたスキルなのではと思っていた。そのまま足早に寮に戻り、着替えをして寮を出る。寮の前にはすでに着替えを済ませたジョージが立っていた。


「お待たせ!」


「いえいえ、じゃあ行きましょうか」


 オリビアはジョージと並んで校門へ向かった。

 学院には入寮せずに王都のタウンハウスから通う生徒もいるため、放課後は中心部やタウンハウスまで相乗りできる大型の馬車が用意されている。

 ちょうど門の前に辿り着いたときに馬車がやってきたので乗り込んで、リアムの待つ中心部に向かった。


「お嬢様、降りましょう。さ、お手をどうぞ」


「ありがとう」


「ジョージくん、降りちゃうの〜? うちまでご一緒したかったわ」


「もしかしてデート?」


「いやいや、今日はお嬢様の買い物のお供なんだ。また明日ね」


 馬車の中にいた何名かの女子生徒に別れを告げ、ジョージが彼女たちに手を振っていた。その姿と遠くに消えていく馬車を眺めながらオリビアは冷めた目でぽつりと呟いた。


「……嘘つき。あなたこの後は別行動じゃない」


「みんなの夢を壊したくないだけっす」


「まあいいわ。明日も授業はあるんだから、遅刻しないようにね」


「へいへい。待ち合わせ場所ってどこですか?」


「ええと、広場の銅像の前よ」


「定番ですね、じゃあ行きますか」


 ジョージに冷ややかな視線を送りつつ、オリビアは待ち合わせ場所の広場を目指した。初代国王の銅像がある、王都では定番の待ち合わせ場所だ。数分でたどり着く距離だが、一歩、また一歩と目的地が近づくにつれワクワクが緊張にすり替わっていく。


「そろそろ着きますよ」


「え、もう?」


「近いですからね。あ、あの人じゃないですか?」


 広場に出たところでジョージが指差す方向に視線を向けると、銅像の前に長身で大柄な赤い髪の男性が立っていた。


 他にも数名待ち合わせと思われる男女がいたが、圧倒的に彼は目立っていた。少年時代からの美しい顔立ちはほぼ変わっていない。

 しかし、その土台となる体躯があまりにも筋肉隆々なせいか、彼を認識した人間は皆、銅像から距離をとって人待ちをしている。


「す、素敵……」


「趣味は人それぞれですもんね」


 ジョージからの冷ややかな視線を受け取り、オリビアは足を止めリアムに見惚れていた。騎士団の制服に押し込められた筋肉を想像し、目がとろけそうだった。


「うそ! こっち見た!」


「気づいたんですね。来たきた」


 リアムがオリビアとジョージを見つけ駆け足で向かってきた。きっとその筋肉も彼の動きにあわせて躍動している。

 オリビアは婚約保留騒動がひと段落して気が落ち着いたせいか、脳内が本来の筋肉フェチ変態モードに切り替わっていた。


「オリビア嬢、来てくれてありがとう。ジョージも付き添いご苦労だったな」


「リアム様! お待たせいたしました」


「アレキサンドライト公、お嬢様をよろしくお願いいたします」


「ああ、任せてくれ」


「それじゃあジョージ、明日学校でね」


「はい。失礼いたします」


 ジョージはオリビアとリアムに一礼して繁華街の方へと吸い込まれていった。その後ろ姿を見送りながら、オリビアは横目でちらりとリアムに視線を移した。


 制服姿を見るのは初めてだ。濃い緑色のジャケットに白いシャツと赤いタイ。ボタンや刺繍、肩の飾りは金色。胸元に階級を示す金のバッジをつけ、腰には黒いベルトを巻き、家紋の入った剣を帯刀している。ズボンはジャケットと同じ濃い緑色だ。


 体型が分かりにくい厚手の服装にも関わらず、太い首と繋がっている広い肩幅や、オリビアの足よりは確実に太い二の腕、ウエストより太いであろう脚は生地が少し張っていて、筋肉の輪郭を覗かせている。


 これらを一瞬で脳内処理した変態令嬢は、心の中で「素敵」と呟いた。

 もちろん隣に立つリアムがそれに気づいている気配はない。


「オリビア嬢、私たちも行こうか」


「は、はい!」


 優しく声をかけながら微笑むリアムに、オリビアは急いで煩悩をかき消し笑顔を返した。


「今日は授業もあったし疲れているだろう? まずは甘いものを食べに行こうと思うんだが……」


「はい、ぜひ!」


「よし、じゃあこっちだ」


 リアムに案内され、並んで先ほどジョージが消えていった繁華街方面へ歩き出す。まだ夕食どきには早い時間なせいか、人通りはまばらで歩きやすい。

 長身のリアムがオリビアの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれているのもその理由の一つだろう。

 そんなことを考えていたら、なんだかふわふわと足元が軽くなったように感じた。


「着いた。ここだよ」


「ニュアージュ? なんだか可愛らしいお店ですわね」


 繁華街と呼ばれる区域に入ってすぐのところに店はあった。白い壁に水色の窓枠やドアが清潔かつ鮮やかだ。オリビアはドアを開けてくれたリアムに軽く礼をして店内に進んだ。


「いらっしゃいませ。リアム様、ご無沙汰しております。どうぞこちらへ」


 男性店員がリアムを見て深々と礼をした。どうやら顔見知りのようだ

 。店員は貴族家の執事のような格好をして、艶やかな黒髪を上げ、後ろに流していた。知的な顔立ちに眼鏡がよく似合っている。

 彼とリアムの後をついていきながら、どこかで見たことがある気がする……と、オリビアは首を軽く捻った。


「お嬢様、どうぞお座りください」


「ありがとう」


 店員が店内を見渡しつつ落ち着ける、入り口からほど遠い席へ案内し、まずはオリビアの椅子を引いた。席についてからもオリビアは彼を凝視している。まだ誰なのかが思い出せない。


「いい席だな、ありがとう」


「どうやらリアム様は特別な方をお連れしているようでしたので……」


「ああ。彼女はオリビア・クリスタル。私の恋人だ」


「そうでしたか。それはおめでとうございます」


「オリビア嬢、彼はセドリック。彼の父はうちの執事頭アンドレなんだ」


「セドリックと申します。以後、お見知り置きを」


「オリビア・クリスタルです。よろしくお願いします」


 リアムの「恋人」という紹介に照れつつも、なるほど、どうりで見たことがある気がしたんだとオリビアは思った。セドリックとアンドレの違いといえば白髪の有無くらいだ。メガネまで一緒である。彼はメニューを渡して席から去っていった。


「アンドレにそっくりで驚いただろう?」


「はい、メガネまで一緒で驚きましたわ。ここは彼が経営を?」


「いや、実はここは私の母が経営しているんだ。先日まで普通の喫茶店だったんだが、君に触発されて改装したようだ。君にも店内を見てアドバイスをもらえないかと言っていたよ」


「そうなのですか! アドバイスだなんてそんな……そういえば店員が男性だけで執事の格好をしていますわね。店内も明るく清潔感があるし調度品も可愛らしいものばかりで素敵ですわ」


「ありがとう、母がきっと喜ぶ」


 それからオリビアは注文を聞きにやってきたセドリックにオーダーし、アフタヌーンティーセットを頼んだ。少し待つと彼はティースタンドとティーセットを用意して戻ってきた。その場で用意した紅茶を淹れてオリビアとリアムに給仕する。


「おいしいですわ」


「ありがとうございます。ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 オリビアが紅茶を飲んで笑顔と共に率直な感想を述べると、セドリックは口角を上げ静かに微笑み礼をして席を去った。その直後、正面に座るリアムがオリビアの顔を覗き込んだ。


「ちなみに、先日私が淹れたお茶とどちらがおいしかったかな?」


「リアム様っ? さすがにここでは言えません。勘弁してください」


「すまない。君がセドリックに可愛い笑顔を見せていたから、つい意地悪なことを言ってしまった」


 白い歯を少しだけ覗かせリアムがいたずらな笑顔を見せている。

 昔は学業、今は仕事一筋の真面目人間だと思っていた彼の印象は少しずつ変わっていたが、恋人に昇格した今、ここまで無邪気に砕けるタイプなのかと新たな一面が見られて嬉しい。

 さらに先ほどからオリビアのことを「君」と呼ぶのも、以前より親しくなれた気がした。


「ふふっ。リアム様もそんなふうに冗談を言うのですね」


「まあね。けれど半分は本気だ、少し妬いたよ」


「まあ、リアム様ったら」


 リアムと見つめ合い、店内のどのメニューよりも甘〜い空気を振りまきながら、オリビアは近くの席の客や店員たちの注目を浴びていることに全く気づかず、楽しいひと時を過ごした。


>>続く


ここまで読んでいただきありがとうございます!

息抜きのデート回です😊

前後編ですみません💦

応援、レビュー、フォローなどしていただけたら嬉しいです!

引き続きよろしくお願いします(^^)/

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