第35話 レオンの策略(後編)

 数分後、父である国王陛下の書斎の前についたレオンは、ドアの前で息を整えノックする準備をしていた。

 先ほど夕食後は書斎にいると言っていたので在室しているのは間違い無い。

 すると、内側からドアが開き、中から兄で第一王子のアイザックが出てきた。


「レオンか。父上に用か?」


「はい……」


「私の用事は済んだ。入りなさい」


「ありがとうございます。失礼します」


 アイザックが笑顔でドアを全開してくれたので、レオンは一礼して室内に進んだ。

 そこには机に向かう父、ジョンソン・ダイヤモンド=ジュエリトスの姿があった。

 彼は書類に目を通そうとしていたが、愛息子の姿を見て快晴のような水色の瞳を細めた。


「レオンか。どうした? サイラスが遊びにきているのだろう?」


「サイラスは急用ができたと言って帰りました。陛下……いいえ、お父様。お話ししたいことがあるのです」


「そうかそうか、ではそこに座りなさい」


「はい、失礼します」


 レオンは言われるまま近くのソファに腰掛けた。父からの優しい視線を感じる。

 六人いる子供のうち、彼がとりわけ自分を可愛がってくれているのはわかっていた。

 今日はそれを最大限に利用させてもらおうと、レオンは軽く息を吸って話を始めた。


「お話というのは……オリビア・クリスタルとリアム・アレキサンドライトのことです。婚約についての書簡はもう届いていますでしょう?」


「おお、そうか。確かに昨日アレキサンドライト公爵から直接受け取っておる。このオリビアという娘は、お前のクラスメイトだろう? 入学式後のパーティーでダンスをしていたと聞いたが、仲が良いのか?」


「はい。彼女は自身で領地に複数の店を経営し、辺境の地を観光地として盛り上げている聡明な女性です。現在は校内でのクラブ活動も一緒にしています」


「そうか……。けれど、彼女は他の男と婚約すると?」


 父は自分の相手の候補として、オリビアを認識していたようだ。この話の意図にも気づいている。話が早くすみそうだと、レオンは言葉を続けた。


「はい……。彼女は、学院に入学する直前に父親経由でアレキサンドライト家との縁談を持ちかけられ承諾したようです。クリスタルは伯爵家、アレキサンドライトは公爵家ですから……」


「なるほど、よっぽどの理由がない限りは断れない、か。相手のリアムも誠実で優秀な男だしなあ……」


「お父様……無理を承知ですが、僕にもチャンスをいただけないでしょうか? 僕は、できれば彼女を妻に迎えたい。伯爵家の娘なら立場としても問題ないでしょう?」


「それはそうだが……。しかし、双方合意の婚約を却下して捻じ曲げるなどこの国の秩序を崩壊させるような行為だ。国王が率先してそんなことできないだろう。お前の望みは叶えてやりたいがこればっかりはなあ……」


 確かにそうだ。国王が国のルールを破っては国民の反感を買い、小さな綻びから国が崩壊することはあり得る。しかし、レオンもここで引くつもりはなかった。


「でしたら、却下ではなかったら?」


「どういうことだ?」


「却下ではなく、保留していただけませんか? その期間に僕はオリビア嬢に振り向いてもらう努力をします。それでダメなら潔く諦めます」


「保留か……。しかし……」


 レオンは可愛い息子の懇願に、父が若干揺らいでいるのを感じとった。あと一息だ。一度ぎゅっと目を閉じ、瞳を潤ませて父を見つめる。


「お願いします! 出会うのが遅かっただけで諦めるなんて、どうしても納得できないんです。僕ができるだけのことをして、それでも彼女の気持ちがはっきりとリアム・アレキサンドライトに向いているとわかればちゃんと諦めますから……」


「うーん……」


「お願いします、お父様」


「…………」


 額に手を当て眉を寄せ悩む姿は、国王陛下ではなくひとりの父親のものだった。保留という道筋も提案した。あとは彼が決断してくれるのを待つしかない。


「……二ヶ月だ。王宮の夜会の一ヶ月前。それまでに彼女の気持ちがお前に向かなければ、オリビア・クリスタルとリアム・アレキサンドライトの婚約を認める」


「お、お父様……」


「短い期間だががんばりなさい。だが、彼女に無理強いをしないように。わかったか?」


「はいっ! ありがとうございます、お父様!」


 レオンはにっこりと目を細め満面の笑みを浮かべ、嬉々として席を立ち、父に抱きついた。これで下準備は完了だ。あとは書簡の返事を知ったオリビアと話をつければいいだけだ。


「二ヶ月か……。まずは彼女の警戒心を解かないとなあ」


 父の言葉を思い出しながら今後の展開について考えを巡らせる。すると、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、レオンはドアに向かって「どうぞ」と声をかけた。


「失礼いたします」


「やあ、オリビア嬢。待っていたよ。空いている席に座って」


「はい……」


 レオンはオリビアに笑顔を向ける。彼女は苛立ちを表に出すまいと唇を固く結び、一番遠くの席についた。


「早速ですがレオン殿下、お話ししたいことがございます」


「ああ、君の婚約の件だね?」


 自分を必死に睨みつけながら、いつもより低い声で話を切り出すオリビアを、レオンは余裕の笑みで受け止めた。彼女の苛立ちがまた募ったのを感じる。

 しかし今回は彼女を怒らせることが目的ではない。立ち上がり、オリビアに向かって歩き出す。


「わかっているということは、やはり……! レオン殿下?」


 レオンはオリビアの席まで歩くと深々と直角に体を折り、頭を下げた。王族が軽々しく頭を下げるなど、公の場では許されない行為だ。頭上から自分の名を呼ぶオリビアの声も狼狽え、わずかに震えていた。


「本当に申し訳ない! 父が君たちの婚約をすぐに許可しなかったのは僕のせいだ!」


「レオン殿下、頭を上げてください!」


「こうする以外、君に誠意を伝える方法が思いつかない……。殴っても罵っても構わない、本当に申し訳ない……。」


 ガタガタと椅子の揺れる音がする。オリビアが慌てて立ち上がったのだろうとレオンは予想した。つかみは上々だ。しっかり頭を下げながら、レオンは状況を冷静に分析していた。


「レオン殿下……。まずは頭を上げて、事情をご説明いただけませんか?」


「ああ、ありがとう、オリビア嬢。僕の話を聞いてくれるんだね?」


「はい。一体どういうことなのでしょうか?」


 レオンは目に涙を浮かべながら、オリビアの隣の席に座った。オリビアも席についたタイミングで、自分の用意した話を展開し始める。


「実は、先日君とリアム・アレキサンドライトの婚約申し込みの書簡が父の元に届いた。それで僕は父に呼び出しされたんだ……ちょうど、リアムの弟サイラスが遊びにきていた日だ。彼とは昔からの友人でね」


「はい、サイラス様からもそう聞いております」


「そう……。あの日、僕はサイラスと別れ父の書斎へ行った。そこで君のことを聞かれたんだ。父は僕が君とダンスしたことを知っていた。誤解がないように年頃の令嬢とは踊らないことにしているのも知っている。どうやらそれで僕が君を想っていると勘違いしたみたいで……。君のことをどう思っているのか聞かれたよ」


「そうですか……」


「それで、僕も「素敵な女性で興味深いですが、彼女はすでに婚約予定だから手が届かない」と言ってしまったんだ。そうしたら父が「それなら一旦婚約を保留にするから君にチャンスをもらえ」と……。本当にすまない! 父にもそんなことしなくていいと言ったが聞き入れてもらえなかったんだ」


「そんな……」


 レオンは目の前でやや俯き瞳を曇らせているオリビアを見て、自分の話を信じてもらえたことに安堵する。第一段階はうまくいきそうだ。引き続き昨夜から考えていたセリフを口にする。


「二ヶ月……。二ヶ月、待ってくれないか」


「二ヶ月……?」


「そう。父は二ヶ月経っても君の気持ちが僕に向かなければ婚約許可を出すと言っていた。君たちは双方合意での婚約だ。それを無理矢理破棄させることは、王であっても許されない。だから、二ヶ月経って僕が君に振られたと話せば、君とリアムは晴れて婚約できるんだ」


「本当ですか? 二ヶ月待てば、リアム様と婚約できるのですね?」


「ああ、それは僕が保証する」


 オリビアの希望を暗闇の中に光を見出したような視線を受け、レオンは力強く頷いた。嘘は言っていない。

 二ヶ月の間に彼女がリアム・アレキサンドライトとの婚約を諦めなければという条件付きではあるが。


「……わかりました。二ヶ月、ですね」


「そう、二ヶ月だ」


 第一段階は完了した。レオンは緩みそうな口元に力を入れて引き締めた。


「それでは二ヶ月待つことにしますわ」


「ありがとう、オリビア嬢。父は僕の母が隣国から嫁いだせいか気を遣って僕に甘いんだ。近いうちに兄とリアムの姉が結婚するし、僕は君といい友人になりたかっただけなんだけどね。家族の問題に巻き込んでしまってすまない。あと少しだけ辛抱してほしい」


「はい。それにしても国王陛下は意外にも親バカなのですね」


「そうなんだ。僕が王位継承権から少し遠いのもあるのかもしれないけど、幼い頃から甘やかされてしまってね。オリビア嬢、ゆくゆくは僕たちも親戚付き合いがあるかもしれないし、クラスメイトとして友人として今まで通り仲良くしてくれると嬉しい」


 控えめだが笑みを浮かべたオリビアを見て、面白いくらいに計画通りことが運んだとレオンは大満足だった。少し俯いていた彼女が顔を上げる。このあとの言葉も想像がついた。


「もちろんですわ。あまり周りに誤解されるようなのはなしにしていただきたいですが」


「わかったよ。善処しよう」


「ありがとうございます」


 こうして最後にはすっかり笑顔になったオリビアを見送り、レオンも護衛と共に王宮へ戻った。


◇◆◇◆


 帰宅したレオンは夕食や寝支度をすませ人払いをして、自室の書斎でくつろいでいた。その手には古びた茶色い背表紙の本が開かれている。


「この物語を遠いどこか、遥か彼方の異国にいる親友に捧ぐ……ジュエリトス王国初代王妃リリー・ダイヤモンド=ジュエリトスが書いた「幻想建国記げんそうけんこくき」の一説だ。この物語自体、王族のごくわずかな人間しか知らないのに、オリビア嬢はこの言葉を知っていた。やはり彼女はリリーやステファニーと同じく時空の巫女に違いない。つまり、ステファニー・クリスタルの生まれ変わりだ」


 本を閉じ、ふうと息を吐き「幻想建国記」と書かれた本の表紙を眺める。


「ステファニー・クリスタルは、今度こそ王族に嫁がなくてはいけないんだ。そのためなら……なんだってするよ」


 その言葉を口にしたレオンの表情はいつもの余裕の笑みではなく真剣そのものだった。誰もいない部屋の中、室内を映す鏡に視線を送り、レオンは自分自身に誓いを立てた。



>>続く

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