第33話 オリビア、怒りの咆哮(後編)

「それって……リアム様とは婚約できないということでしょうか?」


 リアムの言葉が聞こえはしたが、頭の中で状況を理解するのに時間がかかった。しばらく黙ったあと、自分で解釈し言葉にして彼に問いかける。

 俯いていた深緑の瞳がオリビアを見つめた。いつもと違いその瞳は落ち着きなく揺れているように見えた。オリビアの心もそれに誘発されたようにざわつく。


「正式には……婚約保留なんだ」


「保留……ですか?」


 オリビアは首を傾げた。数年に一度、複数の令嬢と婚約しようという不埒ふらちやからがおり却下される場合はある。

 しかし、オリビアとリアムのように双方合意の上での申し出に対し許可が降りないという事案は聞いたことがない。それに保留というのは過去一度も聞いたことがなかった。一体どういうことなのか。


 その疑問についてはリアムの弟、サイラスが答えてくれた。彼は自分が今回の件の原因になったと思っているようで、俯いて鼻をすすっている。


「きっと僕のせいなんだ……ごめんなさい」


「サイラス様、どういうことでしょうか?」


「うん、僕、先週みんなと別れた後、友達の家に行ったでしょう?」


「そうでしたわね」


「それね、王宮なんだ。僕の友達って……レオン殿下なんだ。シャーロット姉さんがレオンのお兄さんのアイザック殿下と婚約してるし、歳も近いから昔から仲がいいんだ。オリビアお義姉様は学院で同じクラスなんでしょう?」


「はい……」


 まさか、ここでレオン殿下の名前が出てくるとは。その上サイラスが彼を名前で呼んでいるのを聞いて、ふたりの仲の良さがうかがえた。頷きながら、オリビアは話の続きを静かに聞いていた。


「それで、兄様が婚約するのが嬉しくて話しちゃったんだ。実は兄様が裏庭でプロポーズするのは予想していたから、あの日僕もこっそり裏庭にいて……覗いてて……」


「え! あれをですか?」


「うん。プロポーズするところも、兄様がお義姉様を抱き上げて……」


 ゴホン! とサイラスの言葉を遮るようにリアムが咳払いをした。オリビアもそのシーンについては思い返せば恥ずかしいので触れないで欲しかった。


「サイラス様、とにかくあのとき裏庭にいたのはわかりました。それと今回の件がどう関わるのでしょうか?」


「そうだ、サイラス。本題を話してくれ」


 オリビアはうまく余計なシーンは省いて本題へ誘導しようと促す。同じ気持ちであろうリアムも同調している。サイラスが頷いて話を続けた。


「それでね、僕もプロポーズのシーンとかいろいろ感動して……ついレオンにも話しちゃったんだ。そうしたら、レオンがある言葉に反応して……」


「ある言葉?」


「うん。何か外国の話をしていなかった?「遠いどこか、遥か彼方の異国」って。その話をしたら、レオンはそのことを詳しく知りたがったんだ。けど僕も遠くから見ていたから全部聞こえたわけじゃないし、答えられなくて……。その後も話はしたけど、レオンはなんだか上の空って感じだった。本当はその日は王宮に泊まって遊ぶはずだったのに、「用事ができた」って言われてレオンはどこかに行ってしまった。僕はそのまま姉さんに会ってタウンハウスに帰ったんだけど……どうやら、そのときレオンは陛下に会っていたみたいなんだ」


 しまった。これは自分のせいだとオリビアは思った。

 きっと自分のことを調べているレオンにとって異国を思わせる言葉は興味深かったのだろう。彼の中でなんらかの仮説を肯定する証拠にもなったのかもしれない。

 そして、陛下にうまく話して婚約を保留するよう進言したのだろう。


「そうだったのですね……」


「後で聞いて知ったよ、お義姉様はレオンに気に入られてたんだね。一緒にダンスまでしたって……。僕がレオンに話さなければ、こんなことにならなかったんだ。兄様、お義姉様、本当にごめんなさい!」


 そう言ってサイラスは顔を伏せ泣きじゃくっていた。隣に座るエリオットがそっと彼にハンカチを差し出している。オリビアも肩を震わせるサイラスに静かに、優しく話しかけた。


「サイラス様のせいではありませんよ。何かの間違いかもしれませんし、お気になさらないでください」


「でも……」


「大丈夫です。私も休み明けにレオン殿下と話してみますわ。だから安心してください」


「お義姉様……」


 顔を上げ、すがるような上目遣いで自分を見つめるサイラスに、オリビアはにっこりと微笑んでみせた。

 実際にきっかけではあるが、原因を作ったのはサイラスではなく自分自身の不用意な発言だ。せめて周囲に誰もいないかくらい確認すべきだったのだ。


「レオン殿下もきちんと話せばきっとわかってくれますわ」


「うん、レオンは確かにちょっとわがままなところもあるけど、こんなに自分勝手ではないんだ……ゴホッ」


「サイラス様? どうされたのですか?」


 突然サイラスが咳込み、オリビアは慌てて身を乗り出した。同時にリアムも立ち上がり、苦しそうに呼吸をする彼に駆け寄っている。


「サイラス! もういい、今日は休みなさい」


「う、うん……。そうするよ。お義姉様、ごめんなさい、失礼します」


「サイラス様、お大事になさってください」


 サイラスはリアムが呼んだ使用人に支えられながら部屋を出ていった。オリビアはリアムと共に部屋の前で彼の小さな背中を見送り、ソファに戻った。リアムの淹れた紅茶を飲んで小さく息を吐いた。


「オリビア嬢、すまない。サイラスは昔よりはずいぶん元気になったんだが、無理をすると今のように調子を崩してしまうんだ」


「いいえ……。きっと今回のことで心労がたたったのですね。かえって申し訳ないですわ」


「いや、私もうかつだった。サイラスがレオン殿下と友人なのも、彼がオリビア嬢を気にっているのも知っていたのに慎重に対応できなかった。今日だって、あなたをがっかりさせてしまった……」


「リアム様のせいではありませんわ。お気になさらないでください。それよりなんとか陛下に婚約の許可をもらう方法を考えなくては」


「オリビア、それについては一応みんな動いているんだ」


 オリビアがリアムと見つめ合っていると、向かいのソファに座るエリオットがすかさず会話に混ざってきた。彼はお茶を一口飲んで話を続ける。


「まずお父様とアレキサンドライト公爵様は王宮に出向いて陛下に謁見すべく日程を調整中だ。その間に貴族院の仲間たちに今回の件の原因を調べているそうだ。それからお母様と公爵夫人はそれぞれ貴族のご婦人連中相手に調査中だ。俺も領地へ戻ったら自分の店や娼館で何か情報が掴めないか確認してみようと思う」


「あ、エリオット様。娼館に行くならオリーブ姐さんを訪ねてみてください。何か知っているかもしれません」


「そうか、ありがとうジョージ。ではオリーブさんに聞いてみよう」


「皆さん、私たちのために動いてくれているのですね……」


「そうだよ、オリビア嬢。みんなに感謝しよう。保留ということは、きっと陛下もただレオン殿下のわがままを聞いたわけではないはずだ。私も姉やアイザック殿下に話をしてみるよ」


「リアム様……」


 リアムや他のみんなが静かに微笑んでいる。自分には味方がたくさんいるのだと、オリビアは元気を取り戻しグッと口角を上げた。すると、リアムの大きな手がそっと自分の手に重なったので、小さく華奢な手で握る。


「たとえ婚約がすぐに認められなくとも、私たちが恋人であることは変わらない。私の想いは変わらないよ。いつか正式に認められと信じて、堂々としていよう」


「はい、リアム様」


 手元を向いていた顔を見上げると、そこにはリアムが優しい笑顔を携えオリビアを見つめいていた。自分への想いをほんの少しも隠そうともしない彼のまっすぐさが嬉しい。オリビアもそれに応えるべく目一杯の笑顔を返した。


◇◆◇◆


「……というわけよ。リアム様が素敵だったからあの場はいい気分で終われたけど、後から思い出すと結局腹が立つのよね。最悪だわ、あのバカ王子」


 話を終えたオリビアは一週間前から先ほどまでのことを振り返り、ため息を漏らした。

 カウンター越しにエルが口をぽかんと開けているのが目に入る。都合の悪い部分は少し省いたが、大まかな内容は伝わったはずだ。ことの大きさに驚いているのだろうか。

 伸びた前髪で見えないが、彼はおそらく目も見開いているだろうとオリビアは思った。


「そんなことがあったんですね……。って、リビー様、アレキサンドライト家といえば筆頭公爵家じゃないですか! それにレオン殿下ってこの国の王子様ですし! バカ王子だなんてそんなっ」


「まあね。リアム様は兄の学院時代の友人、レオン殿下は私のクラスメイトなのよ。けれど、問題はそこじゃないわ。そしてバカはバカよ」


「せめて王子はつけましょうか。けどたしかに、婚約保留だなんて初めて聞きました。そんな話、なかなか公にはならないでしょうけど……」


 考え込むように呟くエルに言葉に、オリビアも頷くしかなかった。

 そうなのだ、婚約保留だなんて一体どういうことなのか。

 親たちが動いてくれているものの、ここまでしておいて簡単に結果が覆るとは思えず不安だった。


「そうね……。まさかと思ったわ……本当に腹が立つわ。もうこうなったら、直接対決しかないわね」


「リビー様?」


 オリビアが葡萄色の液体が入ったグラスを睨みつける。何やら不穏な空気を感じたのか、エルが顎を引き身を固めていた。直接対決。そう、原因はあの王子に違いないのだから、彼から陛下に進言させればいいのだ。口が達者な上に頭の回転も早いあのレオン相手なので骨は折れそうだが、そうするしかない。


 しかし、なぜここまでしないと自分は婚約ひとつできないのか。考えれば考えるほど腹が立つ。オリビアの中にふつふつと怒りが込み上げ、グラスの飲み物を一気に喉に流し込んだ。


「そうよ、あのわがまま王子……自分が何をしてもいいんだと思って……。明らかなわがままなのに聞き入れる陛下も陛下よ。親バカすぎるわ……腹が立つ」


「り、リビー様?」


「あのバカ親子……」


 ドン! とオリビアは空になったグラスをカウンターに置いた。その拍子に正面に立つエルの肩がビクリと上に跳ねる。

 そんなことはお構いなしに、オリビアは大きく息を吸い、それを店内どころか近隣店舗にも聞こえるほどの大声として吐き出した。


「それがお前らのやり方かー!!」


>>続く


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