第32話 オリビア、怒りの咆哮(中編)
「お兄様!」
「「エリオット様!」」
馬車はクリスタル家のものだった。ドアが開いて顔を出したのはオリビアの兄エリオットだ。奥には彼の護衛兼補佐のディランの姿もあった。
「ディランも、お久しぶりね」
「お久しぶりでございます、オリビアお嬢様」
ディランのいつも通り控えめな表情の挨拶を受け取ると、オリビアは彼の視線が自分の二人の従者に移ったのを確認した。
そして、ジョージを一瞥し眉をしかめ、その黒い瞳が濁るのを見てしまった。相変わらず相性が悪い。なぜこういう日に限ってジョージもだらしないのか。
リアムではなくエリオットが来た理由も気になるので、こうなったらジョージはさっさと寮に戻そうと、一度は引き止めた背中に両手を押し当てた。
「ジョージ、休みのところ悪かったわ。もう帰っていいわよ」
「へいへい。それじゃエリオット様、俺はこれで」
「待つんだジョージ、休みのところ悪いが君にも一緒に来てほしい」
一礼し寮へ戻ろうとしたジョージを、エリオットが引き止めた。オリビアはどうやら大きな問題が起きているのだと予感し、リタとジョージと目を見合わせた。彼らの表情も引き締まる。
「お兄様、何かあったのでしょうか?」
「詳しくは後で話す。ジョージ、さすがにその格好はよろしくないな。着替えてきなさい」
「かしこまりました。五分で戻ります」
エリオットに指摘されジョージが走り出し、すぐにその背中は見えなくなった。
彼は本当に五分で身支度を済ませて戻ってきた。
息を乱すことなく馬車に乗ってくる姿に、先に馬車に乗っていたオリビアはジョージが優秀な護衛だったことを思い出す。
「お兄様、なぜリアム様は来なかったのですか?」
「これから会いに行くんだ。大事な話だからアレキサンドライト家のタウンハウスでということになってな……」
「大切な話?」
「ああ、あとは着いたら話す」
「わかりました」
いつになく真剣なエリオットの表情にオリビアは静かに頷いた。
間も無く馬車は動き出し、リアムの待つアレキサンドライト家のタウンハウスへ向かう。
オリビアは何も言わずに窓から移りゆく街並みを眺めていた。
「さあ、着いたぞ」
「ここがアレキサンドライト家のタウンハウス……」
王都の中心部から程近く、繁華街とは反対方向の奥にアレキサンドライト家のタウンハウスはあった。
貴族が議会などで長期滞在する時のためにタウンハウスを持っているのは珍しくはないが、基本的には集合住宅だ。しかし、筆頭公爵家ともなれば立派な一戸建てで敷地も十分な広さがある。
タウンハウスを持たず王都に来るときは宿屋を使うオリビアはそれだけで圧倒されていた。周りを見渡すと兄や従者たちも顔が硬直しており、同じように感じているのだと一目でわかった。
「オリビア嬢!」
「リアム様!」
馬車のドアが開くと、そこにはリアムが立っていた。オリビアは差し出された彼の手に自分の手を重ね馬車から降りる。
いつもはここで出入り口を塞いでしまうので、すぐに一歩横に移動した。エリオットや従者たちもぞろぞろと降りてくる。
「会いたかったよ……オリビア嬢」
「私もですわ、リアム様」
「エリオットも、わざわざ来てくれてありがとう」
「いいえ、本日はお世話になります」
オリビアはリアムに案内され室内に入る。ゲストルームにはお茶の準備がしており、そこにはリアムの弟サイラスが待っていた。心なしか俯き加減で表情は暗く、先週会ったときとは別人のようだと思った。オリビアは彼に歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
「お邪魔します。サイラス様、一週間ぶりですわね。お元気でしたか?」
「オリビアお義姉様……。ごめんなさあい! 僕のせいで……うわーん!」
「サイラス様? 一体どうしたのですか?」
サイラスはオリビアが声をかけた途端にうるうると涙ぐみ、みるみるうちに大泣きをして抱きついてきた。
状況がわからず焦るが、まずは彼を落ち着かせなければと背中に手を回し、とんとんと優しく叩く。
「サイラス様、落ち着いてください。深呼吸して……」
「うう……お義姉様……」
「ゆっくり、お話しできそうですか?」
「うん……」
「サイラス、座ってゆっくり話すといい。こっちに座りなさい」
少し落ち着きを取り戻したサイラスがリアムによってオリビアから引き剥がされる。彼はそのままソファに座らせられていた。
リアムの表情は終始にこやかで一見弟を気遣う兄の姿ではあるが、なぜかその笑顔に圧力を感じる。
「さあ、オリビア嬢はこちらへ。みんなも座ってくれ」
「はい、失礼いたします」
オリビアはリアムに促されサイラスの向かいにあるソファに座った。兄のエリオットはサイラスの隣に座る。クリスタル家の使用人たちは近くのテーブルを囲む椅子に腰掛けた。
全員が席についたのを確認したリアムがティーポットに手を伸ばし別な入れ物から茶葉を匙ですくい入れる。それを見たリタとディランが慌てて席を立った。
「「アレキサンドライト卿! 私が……」」
「いいんだ、ふたりとも座っていなさい。騎士団では自分のことは自分でだから、お茶の準備も慣れているぞ」
「ですが……」
「ディラン、座りなさい。リタもだ。リアム様にお任せしよう」
「「はい……」」
エリオットの言葉にディランとリタが申し訳なさそうにしながら席についた。そんなふたりを見て、リアムは手際よくポットに湯を注ぎ茶葉を蒸らしながら静かに微笑んでいる。その姿はオリビアにとってはとても眩しかった。よくあの節張った大きな手でカップやポットの細い取手を折らずに持てるものだと、思わず見入ってしまう。
「お待たせ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
数分後、全員にお茶を配ったリアムが最後にオリビアと自分のティーカップを並べてテーブルに置き、オリビアの隣に座った。「口にあえばいいんだが」と言う彼の前でカップを手に取り、そのお茶を一口飲んでみせた。
「おいしいですわ、とっても!」
オリビアはにっこりと笑顔で隣に座るリアムを見上げた。
なんとなく重苦しい室内の空気を好転させたいという気持ちもあった。
けれど、それは叶わないと、彼の苦しそうな、寂しそうな瞳がそう語っていた。
「よかった。それではオリビア嬢、そろそろ本題に入るよ」
「……はい」
向かいに座るサイラスとエリオットがそれぞれ悲しそうに目を伏せ、悔しそうに歯を食いしばっている。
事前に話の内容を知っているのだろう。それはきっと残念な知らせなのだろう。オリビアは息をゆっくり吸って吐いた。
「オリビア嬢、国王陛下からアレキサンドライト家とクリスタル家に婚約についての返事が来た……」
「はい……」
ゆっくりと静かに話すリアムの言葉を、オリビアは彼をまっすぐに見つめながら聞いていた。しかし、斜め下を向いている彼とは一度も目が合わなかった。
「陛下から、婚約の許可は降りなかったんだ」
>>続く
ここまで読んでいただきありがとうございます!
すみません、後編ではなく中編になってしまいました💦
続きもよろしくお願いします😊
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