第30話 思い出の庭で

 オリビアはリアムに連れられ、屋敷内の廊下を歩いていた。おそらく前庭や正門とは反対側へ向かっている……初めて通るところだ。


「オリビア嬢、着いたよ」


「ここは……」


 廊下をしばらく歩いた先に、装飾のない鉄製のドアがあった。

 リアムが開けるとその先は外に繋がっていて、暗くておぼろげだが庭木や花壇、オーナメント、さらには中心に噴水のようなものが見える。


 初めて来たはずなのに、オリビアにはその光景に見覚えがあったことが不思議だった。


「見覚えがある?」


「はい。初めて来たと思うのですが……」


「暗いからわかりにくいか。これならどうだろう?」


 そう言ってリアムが手に持っていたランプを石でできた台のようなところに置いた。

 すると、飾ってあった鳥のモチーフのオーナメントがそれぞれに灯りをともし庭を柔らかに照らした。

 そして、庭の中心にあった噴水の水が流れ、こちらは色とりどりの光を放っている。


「きれい……」


 見たこともない幻想的な空間に、オリビアはうっとりとため息混じりに呟いた。

 よく見渡すと、雰囲気は異なるが庭木や噴水などの位置関係でここに来るのが初めてではないことに気づく。


「もしかしてここは、昔お邪魔させていただいたお庭ですか?」


「そう。秘密の裏庭だ。ここのことは家族と使用人数名、そしてエリオットとあなたしか知らない」


 ここは兄エリオットが学生だった頃、何度か訪れリアムと会話を楽しんだ思い出の庭だった。昼間と雰囲気は違うが、音はあの頃と同じだ。静寂の中にさらさらと噴水の水音が心地よい。


「オリビア嬢、少し足元が悪いから私の手を取って」


「ありがとうございます」


 オリビアは差し出されたリアムの手を取り、庭の中へ歩き出した。触れた指先から彼の体温を感じて胸が高鳴る。

 そして、リアムが噴水を眺められる位置のベンチの前で足を止めたので、一緒に立ち止まった。


「さあ、どうぞ。座って」


「はい。失礼いたします」


「寒いからこれをかけて」


「ありがとうございます」


 ベンチに腰掛けたオリビアに、リアムが薄手のカシミアでできた膝掛けをそっとかけた。そして隣に腰掛け彼は優しく微笑んだ。


「ここは、私の一番のお気に入りの場所なんだ。子供の頃からここに来ると心が落ち着いて、優しい気持ちになれる」


「そうなのですね。たしかに落ち着きますわね。それにとってもきれいです。こんな仕掛けは初めて見ました」


「ああ、これはアレキサンドライト家の人間が魔力を流すと、それを動力源にして動き出すんだ。ここは私の叔母が作った特別な庭らしい」


「リアム様の……叔母様ですか?」


 リアムの叔母については、アレキサンドライト家の下調べから今までで初めて聞いたことだった。

 軽く首を傾げると、リアムが噴水を眺めながら静かに話し始めた。


「叔母は父の妹にあたる人で、私が生まれる前に留学先で事故にあい亡くなったそうだ。生きていたらこんなに素敵な庭を作ってくれた礼を言いたかったよ」


「リアム様……」


 リアムがわずかに眉を下げ、寂しそうな笑みを浮かべた。オリビアはなんと声をかけていいかと考えあぐねていたところ、その様子を見た彼が小さく息を漏らし肩の力を軽く抜いた。


「気を遣わせてすまない。会ったことのない人だからそこまで悲観しているわけではないんだ。そうだ、オリビア嬢にも礼を言いたかったんだ」


「私に、ですか?」


「そうだ。今日はセオを呼んで、私と引き合わせてくれただろう? ありがとう」


「そのことですか。喜んでいただけて私も嬉しいです」


「彼のことは気にかけていたから、今日オリビア嬢に聞いてみようと思っていたんだ。まさか会えるなんて思っていなかった。驚かされたよ」


 オリビアは虹のように色とりどりの光を反射し輝く噴水を眺めながら、そっと笑みを溢した。

 セオが来たのは重要な用事も兼ねてだったが、ここまでリアムに喜んでもらったことが嬉しかった。


「……遠いどこか、遥か彼方の異国では「サプライズ」というそうです」


「サプライズ?」


「はい。驚かせるという意味ですが、不意打ちで相手を喜ばせるときにも使われる言葉なんですよ。「サプライズ」成功ですわ」


 少しイタズラに白い歯を見せ、オリビアは貴族の娘にしてははしたない笑顔を隣のリアムに向けた。彼は静かにこちらを見ている。


「オリビア嬢、あなたは一体……」


「今はまだ……ご容赦くださいませ。時期が来たら、必ずお話しいたしますわ」


 自分の知り得ない不思議な魔法を使い不思議なことを言うのに、自分が何者なのか話そうとしないおかしな娘。控えめに言っても怪しい女。リアムからそう思われていても仕方がないなと、オリビアは顔を伏せた。


「顔を上げて、オリビア嬢」


「リアム様、申し訳ございません……」


「待つよ。あなたが話せる日が来るまで。だから申し訳ないだなんて思う必要ないんだ」


 そっと降り注ぐような優しいテノールの声。オリビアは恐る恐る顔を上げてみる。そこには、リアムが声色と同じ優しい笑みでこちらを見つめていた。


 まだ話すことはできない。しかし、彼は信じるに値する人間に間違いはない。自分を見つめる深緑の眼差しに、オリビアはそう確信した。


「リアム様、ありがとうございます。もうひとつ……お話ししても?」


「ああ、もちろんだ」


「…………」


 どう切り出そうか、オリビアは頭を悩ませていた。

 セオからの情報により、今後国を巻き込んだ大きな問題に発展しそうな騎士団襲撃事件。隣国や国内の要人が関わっている可能性が高い。

 もう、辺境伯の娘としてだけでは対応しきれないかもしれなかった。

 ここでさらに仲間を増やしたい。オリビアは息を大きく吸うと、一呼吸おいてゆっくり吐き出した。


「詳しく話せませんが、今後少し困ったことになるかもしれないのです」


「……困ったこと?」


「はい。ぼんやりとした話でピンとこないですよね。申し訳ありません。けれど、解決するためにリアム様にもご協力いただけないかと思いまして……」


 首を傾げ問いかけるリアムに、オリビアはたどたどしい口調で言葉を紡いだ。気がつけば彼を見上げていた顔は再び伏せてしまっていた。そして、頭上から聞こえるリアムの低い声。


「それは……私個人として? それとも、騎士団の私? 公爵家の私として?」


 少し戸惑いの混じった、先ほどより低い声だった。きっと生まれてからずっと立場上、肩書きを頼りにされたことも多かったのだろう。

 オリビアはこれから自分がする返事を思うと、チクチクと胸のあたりに針を軽く刺されるような痛みを覚えた。


「全てです。公爵家の人間として、騎士団の小隊長として、リアム様個人として……必要であれば未来の王太子妃の弟としても。失礼を申し上げているのは承知しております。リアム・アレキサンドライト様、どうかこの私、オリビア・クリスタルに力を貸していただけませんでしょうか?」


「……私が承諾したとして、あなたは私に何をしてくれる?」


 リアムの声が、静かに呟くように頭上で響く。それを真正面から受け止めるべく、オリビアは顔を上げ彼を見つめた。


「リアム様への、誠実を誓います」


「誠実?」


「はい。私はまだ何の肩書きもない伯爵家の娘です。差し上げられるものはほとんど持ち合わせておりません。それに、富や名声はあなたの望むものではないでしょう。いつか……妻になる者として、私はリアム様に一生正直に、真心を持ち続けます。それが私の誓う誠実でございます」


 話を聞いている間、リアムの表情はとても厳しかった。眉と目を寄せ、まるで無実を訴えかける罪人の是非を見極めるような眼差し。彼の視線から、オリビアは決して目を逸らさなかった。秘密の多い自分には、今、誠実を伝える術は他になかったからだった。


 すると、リアムがオリビアの手を取り、静かに立ち上がった。そして、数歩前へ進み立ち止まったあとオリビアに向かい合う。


「オリビア嬢、あなたの誠実……確かに受け取った。アレキサンドライト公爵家の人間として、王立騎士団小隊長として、未来の王太子妃の弟として、そしてもちろんリアム・アレキサンドライト個人として、あなたに困難が訪れ私の力が必要な時は、何をおいても馳せ参じ共に困難に立ち向かうことを誓いましょう」


「リアム様、ありがとうございます!」


 オリビアは静かに微笑むリアムに満面の笑みを向けた。あまりにも自分に都合のいい発言だったので、最悪婚約を白紙に戻されることも覚悟した。しかし、それでも彼に話すべき時は今だ、と勘のようなものが働いていた。安堵して胸に片手を置き、胸を撫で下ろす。


 すると、今度はリアムが目の前で跪く。それから、ゆっくりとオリビアを見上げた。


「オリビア・クリスタル伯爵家令嬢、この私リアム・アレキサンドライトをいつか生涯の伴侶にして欲しい。まずは婚約者として、恋人として、互いを知り、心を通わせ、真に愛し合えるふたりを目指したい……」


 リアムが懐から手の平に収まるほどの箱を取り出した。そして蓋を開けると、そこには入っていたのは大きな一粒石をあしらった指輪だった。


「受け取ってくれますか?」


 指輪の箱は一瞬、小刻みに揺れぴたりと止まった。自分を見ているリアムの唇が一文字に結ばれ、瞳が庭の照明を反射し揺れていた。

 彼もまた緊張しているのだとオリビアは気づいた。

 すぐに返事をしたいが、オリビア自身も先ほどから胸が激しく高鳴り、苦しくて言葉が出ない。呼吸を繰り返し、何とか落ち着かせてからやっとのことで言葉を絞り出す。


「はい……喜んで」


 外気で少し冷え始めたオリビアの左手に温かい何かが触れた。

 それはリアムの左手だった。彼はそのままオリビアの手を引き寄せ、左手の薬指に差し出していた指輪を右手でゆっくりと滑らせた。


「よかった。サイズは合っているようだ」


「素敵……。これはルビー……いいえ、アレキサンドライト?」


 指輪はオリビアの指にピッタリとはまった。華奢な指に大きな深い赤い色の石が輝いている。

 オリビアは左手の薬指をうっとりと眺めながら呟いた。リアムがそれに頷いて柔らかに微笑んだ。


「気に入ってもらえて嬉しい。祖母から叔母に引き継がれものらしい。婚約指輪はダイヤモンドが一般的だが、叔母が作った庭で出会った私たちだから、これが一番ふさわしいのではと思ってね」


「ありがとうございます、リアム様。大切にしますわ」


 オリビアは礼をしてから精いっぱいの喜びを表現すべく満面の笑みでリアムを見上げた。絹糸のような銀髪と白く滑らかな肌、薄紫の瞳が照明を反射してきらきらと輝いている。


 そして、リアムと目が合った瞬間、オリビアの体はふわりと宙に浮いた。

 急なことに驚き、目を丸く見開く。リアムの顔が先ほどより随分と近くにあることにさらに驚いた。自分との距離はわずか顔ひとつ分というところだ。

 柔らかに目を細める彼を見て、今オリビアはリアムに抱きかかえられていることを自覚する。


「オリビア嬢、嬉しいよ!」


「リ、リアム様!」


「今日からあなたは、私のかわいい恋人で婚約者だ!」


 恥ずかしさに降りようと体を揺らすオリビア。しかし、鍛え上げられたリアムのがっしりとした腕からは逃れられなかった。

 彼はにこにこと、今ままでとはまた違う緩み切った笑顔で心から嬉しいそうにしている。

 そして、オリビアを抱えたままくるくるとその場で一回転した。

 こんなに嬉しそうな、浮かれているリアムを見るのは初めてだ。思わずオリビアにも自然な笑顔が溢れる。


「私も嬉しいです、リアム様。これから……よろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしく、オリビア嬢」


 優しく光る鳥たち、虹色に煌めく噴水の水飛沫、それらの祝福を受けて輝く恋人の笑顔と自分の指に光る誓いの指輪。

 出会いの庭に刻まれた新たな思い出を、オリビアはきっと一生忘れないだろうと強く思った。



>>続く


一旦、ひと段落です!

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