第29話 デートがはじまる
オリビアとの連絡を終えたジョージは王都の繁華街にあるバーに来ていた。今夜のデート相手が指定してきた店で、ジョージにとっては初めての店だった。
「いらっしゃいませ! お客さん、ひとりかい?」
「いや、待ち合わせ」
長い金髪を後ろに束ねた、ジュエリトス向きなルックスの男性店員が声をかけてくる。店内は程よく賑わっており、ジョージは待ち合わせの相手がいないかぐるりと辺りを見渡した。
すると、奥のテーブル席から自分を呼び、手を上げる女性が目に入った。
「ジョージ! こっちよ!」
「ああ、いたいた……。あ、その麦酒もらうわ」
「まいど! ごゆっくり!」
店員から紙幣一枚と引き換えに麦酒の瓶を受け取り、ジョージは女性の待つテーブルへ向かう。
「遅かったね。先に始めてたわよ」
「お待たせ、オリーブ姐さん」
ジョージは着席と共に女性、オリーブの持つグラスに麦酒の瓶を軽く当ててから、一気に半分ほどを飲んで息を吐いた。
「会うのは一ヶ月ぶりくらい? なんか荒んでるねえ」
「いや……ちょっとややこしい仕事が入ってね」
「そ! あたしに見栄はってもしょうがないと思うけど」
「姐さんみたいなイイ女の前ではカッコつけたくなっちゃうもんだよ」
オリーブが艶のある長い髪をかきあげ、緑色の瞳を細めた。
その仕草に目を奪われた周囲の客が視線を集中させている。
八歳年上の彼女は、ジョージがオーナーを務めるクリスタル領にある娼館の女将だった。ジョージが酒を飲める年齢になってからは飲み仲間でもある。
「ふうん。ガキの口説き文句には乗らないよ」
「手厳しいなあ。ガキだと思ってるんならもう少しかわいがってよ」
ジョージは麦酒を今度は一口だけ飲んで、上目遣いでオリーブを見つめた。彼女はジョージにふっと小さく息を吹きかけ、口角を上げた。
「アンタ、かわいげがないのよね。で、わざわざ王都まで私を呼んだわけを話してくれる?」
「へいへい……。実は、今のうちに冬物のコートを仕立ててくれる店を探してて」
オリーブが一度眉を吊り上げて戻した。さらに小さく頷くのを見て、ジョージは彼女に用件が通じたことを感じ取った。
「へえ……。まだ春なのに今からってことは、きっと高級で希少な生地を使いたいんだろねえ」
「さすがは姐さん、その通り。生地は厚手で軽い高級生地がいいんだ。色は……黒で」
「なるほど。高級生地って言ってもいろいろあるからねえ。例えばエアウールにファイアカシミア、それから……」
「ハイランドシープ?」
ジョージは上目遣いで今度は首を軽く傾げてみた。可愛げを表現したつもりだ。
しかし、オリーブがそこに触れることはなかった。彼女はわずかに鼻で笑うと、ジョージの仕草ではなく言葉に食いついたようで、目を見開き顔を近づけてきた。
「それは超高級品だよ、ジョージ。あたしが
「ほとんどってことは、見たことはあるんだ?」
オリーブが「はあ」と声に出すようにはっきりとため息をつくのを見て、ジョージはニヤリと白い歯を覗かせた。
やっぱり彼女に聞いてよかった。
女将になる前は街にいくつかあった娼館の娼婦たちの頂点に立っていた元高級娼婦オリーブ。王都に住む高位な貴族や王族の縁者などが、あの辺境の領地に彼女に会うためにわざわざ会いにきていたのは噂ではなく事実だ。
「アンタって子は……。言っておくけど、今も取り扱いがあるかはわからないし、一見じゃ売ってもらえないよ」
「充分だ。お嬢様からドレスや小物を仕立てていいって言われてる。姐さんにプレゼントさせてよ」
「遠慮しないよ。それだけの価値があるからねえ。ところで、小娘ちゃんと黒豹ちゃんは元気かい?」
「ああ、相変わらずだよ」
小娘はオリビア、黒豹はリタのことだ。領主の娘とその侍女をそう呼べるのは領地内ではオリーブだけだろう。ジョージはビールを一口飲みながら頷いた。
「へえ、小娘ちゃんだけど……二股疑惑があるんだって?」
「おおっと。人聞き悪いなあ。一体どこで?」
「情報源を明かすなんてバカやるわけないだろ? けど恋愛の「れ」の字も知らないような小娘ちゃんには無理な話だよねえ」
「おっしゃる通り。まあ最近「れ」の字くらいは知ったみたいだけど」
ジョージはそう言ってビールを煽り、瓶から琥珀色の液体を飲み干す。
オリーブが「ふうん」と言って赤い唇を開いた。
少ない情報を瞬時に繋ぎ合わせる頭の回転の速さ。彼女には一生頭があがらないなとジョージは思った。
「じゃあ本命は領地で見かけた厳つい美丈夫だね。あの赤い髪は……ルビー公爵家かアレキサンドライト公爵家よね。玉の輿じゃないか」
「その辺はまだ内緒ね。さて、もうひとつお願いがあるんだけどいい?」
「新しいレースの手袋」
「抜かりないねえ。わかったよ」
「素直でいい子だねえ、ジョージ。で、願い事ってのはなんだい?」
オリーブが口角を上げグラスに口をつけ、空にした。彼女からグラスを受け取り、自分の瓶を一緒に持って一旦席を立つ。
「待ってて。姐さん、同じのでいい?」
「ああ、気がきくねえ」
「それほどでもあります。なんたって姐さん仕込みだからね」
ジョージはカウンターへ向かい、店員から酒のおかわりをもらってオリーブの元へ戻った。彼女にカクテルの入ったグラスを渡し着席する。
「実は領地が観光地としてどの程度知名度が上がったのか知りたい。お店の子たちに、なるべく「どこから来たか」と「なぜこの領地と店を選んだのか」を聞くように伝えてほしい。姐さんはそれを集計しといてくれない?」
「なるほど……。ちなみにどこから来た客がいると知名度が上がったと感じる?」
またもオリーブがお願い事の真の目的に気づいたとジョージは判断し、小さく笑みを浮かべた。そして、まっすぐ正面の彼女を見つめた。
「例えば国外の人とか? 近くでいいんだ、例えば……マルズワルトとか」
「……わかった。伝えておくよ」
「さっすが姐さん、頼りになるよ」
ジョージはオリーブと本日二度目の乾杯をするべく、麦酒の瓶をグラスに寄せた。
一方その頃、アレキサンドライト家で夕食を終えたオリビアは、ゲストルームに戻ろうとしていた。
「オリビア嬢、部屋まで送ろう」
「はい。ありがとうございます、リアム様」
「リアム兄様、オリビア義姉様! ちょっと待って〜」
オリビアがリアムに挨拶し、食堂前まで迎えに来ていたリタと歩き出そうとしたとき、背後から自分を引き止める声が聞こえた。振り向くとそこにいたのはリアムの弟、サイラスだった。
「サイラス、どうした?」
「明日なんだけど、僕も同じ馬車で王都に行っていいかな?」
予想外のサイラスの言葉に、オリビアはリアムと顔を見合わせた。王都に用でもあるのだろうか。
なんにせよこの家に招待されているだけの自分には決定権はないので、オリビアは「お好きにどうぞ」の意思を伝えるべく控えめに笑みを浮かべた。
「お願い! 王都にある友達の家に遊びにいきたいんだ。ね、いいでしょ兄様?」
「しかたないな……。オリビア嬢、いいだろうか?」
「もちろんですわ。ご一緒しましょう、サイラス様」
大きく息を吐いたあと、リアムが申し訳なさそうにオリビアに問いかけた。もちろんそれには優しい笑顔で答える。
すると、サイラスは「やった!」と肩を弾ませ、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! それじゃあみんな、また明日。おやすみなさい!」
「おやすみなさい、サイラス様」
サイラスが手を振りながら小走りで去っていく。彼の無邪気な笑顔を見ていると自然とこちらも笑顔になる。
歳はほぼ変わらないが、オリビアはサイラスをまるで幼子を見かけたときに近い感情で「かわいい」と思った。
「……全く遠慮を知らないヤツだ。オリビア嬢、ありがとう」
「いいえ。お気になさらないでください。帰りは賑やかになりますね」
「少しうるさいくらいかもしれないな。サイラスはオリビア嬢のことを気に入ったようだ」
「まあ、嬉しいですわ」
「初日でここまで打ち解けるなんて、妬けてしまうな」
「リアム様……」
オリビアは慌ててリアムを見上げる。拗ねた言葉とは裏腹に、彼は優しい笑みを浮かべていた。わずかに下がった眉がほんの少しの寂しさを表現している。が、それもすぐに明るさを取り戻した。
「……冗談だ。安心してくれ。それじゃ一旦外出の準備をして迎えに来るよ。外に出るから暖かい格好で待っていて」
「はい。楽しみにしています」
リアムと笑顔を交わし、オリビアは部屋に戻った。リタが大急ぎでオリビアの髪を結い直し、ショールと帽子を用意した。
間も無くして、ドアをノックする音が聞こえた。
「オリビア様、きっとリアム様ですわ。どうぞ楽しんできてくださいませ」
「ありがとう、リタ」
リタが仕上げにオリビアと同じ薄紫の宝石でできたブローチでショールをとめ、笑顔でドアを開けに早歩きをした。
開いたドアの先には、ランプを持ったリアムが立っていた。
「オリビア嬢、行こうか」
「はい」
返事をする声が若干上擦った。アレキサンドライト家との初対面とはまた違う緊張感だ。
オリビアは胸の高鳴りを携えて、リアムの立つ部屋の入り口に歩いていった。
続く
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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