第28話 マルズワルト王国


 ——マルズワルト王国。ジュエリトス王国の東隣にある友好国。


 一般的に知られている情報として、マルズワルトは決して敵対国ではなかった。

 国土はジュエリトスの二倍ほど、やや寒冷の候なので厚手の生地などが輸入品として流通してくる。

 それらは高級品として扱われ、平民には到底手に入れられるようなものではなかった。


 国境を越えるには唯一隣接しているペリドット領からとなるが、深い谷と険しい山、さらには結界がある。

 入国許可証を持ち案内人を伴ったものでないと生きて辿り着くことは困難だ。

 また、入国許可証は一部の上級貴族と王族のみが持っており、ジュエリトス王国の国民のほとんどが隣国のことを新聞や本でしか知り得ることはなかった。


 古い文献には、現在の国王陛下の父にあたる、チャールズ・ダイヤモンド=ジュエリトスが王太子時代に、留学してきていたマルズワルトの第二王子、ミハイルと親友になり、彼らが即位した際に両国は友好国となった。と書かれている。


 ジュエリトスに存在する文献や書物に、戦争についての文字は一言も記載されていない。


「……というのが、私の知っているマルズワルト王国についてです」


「私は、騎士団に入るまで名前すら知りませんでした。貴族の警護に当たった際に「取引先の隣国」とだけ……」


「そうね。うちは国境が近いから少し詳しく教えているけど、ほとんどの国民は名前以上のことは知らないわ。しかも、事実とは異なる情報」


 依然、戸惑いの表情を隠せないリタとセオに向かって、オリビアは必要な情報を淡々と話した。


「まず、王太子二人の話は本当よ。彼らが親友だったから戦争にはならなかった。けれど、本当は八十年前にマルズワルトはジュエリトスを侵略しようと当時アンバー領と呼ばれた地域を襲ったの。今のペリドット領とクリスタル領のことよ。ミハイル殿下の協力でジュエリトスはマルズワルトの軍勢を撃退し、結界を張って今も国を守り続けている。そして、リチャード殿下とミハイル殿下は即位後、友好国として関係を築いた」


「オリビア様、不思議なのですが……マルズワルトでは第二王子のミハイル殿下が王となったのですか?」


 そう言ってリアが首を捻り、セオもその質問に同調するように頷いた。オリビアはお茶を一口飲んで再び口を開いた。


「マルズワルト軍撃退後、あって王と第一王子、それから大臣の半数が亡くなったそうよ。それで急遽きゅうきょ第二王子だったミハイル殿下が即位した。さすがにについては私も知らないし……知りたくないわ。まあ、そういうことだから結界を通り抜けるには通行許可証が必須よ。越境するときは両国の人間の立ち会いが必要だし」 


「ということは……」


 先の言葉を察した様子のリタが呟く。セオは言葉が出ないようだ。オリビアは静かに息を吐き、頷いた。


「そう、ジュエリトス国内に協力者がいるはずなの。あとは、マルズワルトでは魔法を使えるのは王族と神官や聖女などの聖職者のみなの。大勢の魔道士がいるのもおかしい。さっきも言った通り、マルズワルトとの繋がりがあるのは上級貴族や王族……調査には細心の注意を払わないといけないわ。それに、レオン殿下は私の魔法や領地のことについて嗅ぎ回っている。これを撒きつつだから、慎重に進めないとね」


「確かにその通りですね。私も日頃、一層気をつけて過ごします」


「私も、領地で不審者や異常がないか常に目を光らせますよ」


 オリビアはリタとセオが自分のやるべきことを自覚し、使命として受け止める言葉を発したことが心強かった。ふたりの瞳はしっかりと強い意志を宿しており、それに安堵して微笑する。


「ありがとう、ふたりとも。頼りにしてるわね。さて、もうひとり頼りになるはずの彼に連絡しましょうか」


「アイツですか……」


 オリビアの笑顔とは裏腹に、リタが顔をしかめた。その顔を尻目に苦笑しながらオリビアは耳飾りに触れる。

 そこへほんの少し魔力を流すと、耳飾りについたクリスタルが淡く光った。

 すると、数秒後に耳飾りからは頼りになるはずの護衛、ジョージの声が聞こえる。


『お疲れっす〜』


「ジョージ、お疲れ様。休みなのに悪いわね。デートかしら?」


『はい。そろそろ出ようかってところですね。そっちはどうですか?』


「こっちは問題なしよ。顔合わせも済んだし、今後正式にリアム様と婚約となるわ」


『そうっすか。筆頭公爵家なんて玉の輿じゃないですか。給料アップ楽しみにしてますね』


「もう! その話はいいわ。大事な話があるのよ。周囲を確認してちょうだい」


 耳飾りの奥から聞こえるジョージの声が少し高めに語尾を伸ばしていた。からかわれていると判断したオリビアは、眉を寄せて唇を結び、鼻から息を吐いた。そのタイミングで、ジョージの笑い声が聞こえる。


『ははっ。伯爵令嬢がそんな鼻息荒げちゃダメっすよ〜。周りの確認完了です、どうぞ?』


「ジョージ。あなた週明け覚えておきなさいよ。……本題に入るわ。セオからの報告で、騎士団襲撃事件にマルズワルトが関わっている可能性が出てきた。襲撃者が着ていたローブはマルズワルト製、それもハイランドシープの毛を使った高級品よ。デートなら高級生地を扱う店へ行って、黒いコートに使える厚手の生地を探して欲しいの」


『なるほど……。わかりました』


 オリビアは耳飾りから聞こえるジョージの声が落ち着いたのを確認し、王都にいる彼を思い浮かべ、一度瞬きをしてしっかりと目を見開いた。


一見いちげんでは相手にしてもらえないかもしれない。そのときはドレスや小物を買うといいわ。無理はせず、慎重にね」


『了解です』


「それじゃあ、また休み明けにね」


『はい。帰るときは気をつけて。王都で待ってますよ』


「ありがとう」


 オリビアは自分では見えない耳飾りに視線を送り微笑んだ。淡い光が消え、それは元のアクセサリーに戻る。


「ああ、これがオリビア様の……!」


「セオ……」


 オリビアはうっとりと瞳を輝かせて話し始めたセオの前で、人差し指を唇の前に立ててみせた。彼は慌てて口を閉じ、息を吐いてから頭を下げた。


「も、申し訳ありません。軽率でした」


「一応、クリスタル領ではないから気をつけてね。異国の言葉では「壁に耳あり、ジョージにメアリー」というのよ」


「オリビア様? それは一体……」


 セオが首を傾げぽかんと口を開けている。オリビアは頭の中でもう一度同じ言葉を思い浮かべる。そして、それが正しいのかわからなくなり、今度は口に出してみた。


「ええと、壁に耳ありは合っているはず。ショージにメアリーだったかしら? とにかく、どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないっていう言葉なの。」


「……もしかすると「メアリー」ではなく「目あり」かもしれませんね。見ているという意味で……」


「ああ! 確かに、それなら意味がわかる。ありがとうセオ、スッキリしたわ」


 オリビアは肩の力を抜き、大きく息を吐いて向かいに座るセオに笑顔を向けた。彼は申し訳なさそうに苦笑しながら肩を丸めている。


「いいえ……。出過ぎたことを言ってしまい申し訳ありません」


「あら、そんなことないわ。私は主人の言いなりより、ときには間違いを正せる人間に仕えて欲しいと思っているもの。やっぱりセオに来てもらってよかった」


「オリビア様……。お許しいただける限り、ずっとお仕えしたく存じます」


 まるで崇拝するように再び瞳を輝かせるセオに、気恥ずかしくなったオリビア。お茶を飲んでその場をごまかそうとすると、リタが苦笑して助け舟を出した。


「私もセオと同じ気持ちです。さあ、そろそろ夕食の時間が近づいてきたので準備いたしましょう」


「もうこんな時間ですか。明日は『バルク』に顔を出す予定なので私はクリスタル領に戻ります」


「そう。忙しいのに呼び立ててしまったわね。お兄様や領地のみんなによろしく言っておいてちょうだい」


「はい。また何かありましたらご報告に参ります」


「ええ、気をつけて帰ってね」



 その後、オリビアはリアムと共にセオを見送るため、前庭の前にやってきた。


「隊長、オリビア様のことをよろしくお願いいたします」


「ああ、任せてくれ。また会おう、セオ」


「はい! それでは失礼いたします」


 何度も深々と頭を下げるセオに苦笑しながら、オリビアは遠くなる馬車の背中を眺めていた。

 すっかり馬車が見えなくなった頃、隣に立つリアムを見上げる。彼もまたオリビアを見つめており、視線が合うと目を細めた。

 そして、ふたりで並んで歩きゆっくりと屋敷へ戻った。


「オリビア嬢、夕食の準備ができたら部屋に迎えに行くよ」


「はい。お待ちしております」


「あと、夕食の後……よかったら庭の散歩に付き合ってくれないか?」


 ゲストルームの前に着くと、部屋に戻ろうとするオリビアにリアムからデートの誘いがかかった。彼は気恥ずかしそうに言葉を詰まらせ、よく見ると肩につくほどの赤い髪からは、真っ赤に染まった耳が覗いていた。


「はい。ご一緒させていただきます」


 一度小さく頭を下げ、滑らかなで艶のある銀糸のような髪の毛を揺らしながら、オリビアは顔を上げる。彼から伝染したようにその頬もまた赤く染まっていた。


>>続く



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