第26話 アレキサンドライト公爵家の人々

 深い森を思わせる濃いグリーンの絨毯じゅうたんを踏みしめながら、オリビアは一歩進むごとに緊張感が増すのを感じていた。


 リタとセオとは別れ、リアム、アンドレと共に食堂に向かって廊下を歩いていた。そこにはリアムの家族であるアレキサンドライト公爵家の皆さんが待っている。

 覚悟はしてきたが、それでも自分の神経の糸がピンと張る。


 伯爵家の人間として、粗相は許されない。


「オリビア嬢、緊張している?」


「え! あ、はい。やはり、筆頭公爵家の皆様でリアム様のご家族ですから、少し緊張しますわ」


 表に出してはいないつもりだったが、リアムが自分の顔を覗き込む。実は表情がこわばっていたのかと、苦笑いで返事をしながらオリビアは恥ずかしく思った。


 すると、リアムがそれに気づいた様子で目を細めふっと軽く息を漏らした。


「なぜ気づかれたのかと不思議そうにしているね」


「は、はい……」


「表情にはあまり出ていなかったが、気配がまるでこれから入団試験を受ける騎士見習いのようだったから。自分が今から試されるんだと意気込んでいる姿は見習いたちでも微笑ましいものだが、それがあなただと尚のこと可愛らしいな」


「リアム様……」


 オリビアは自身の虚勢きょせいを見破られ、羞恥心しゅうちしんから顔や耳が熱くなった。

 この姿をなるべく見られないようにと、リアムから顔を背けた。直後に頭上から、小さな笑いの混じった、優しい声が聞こえる。


「すまない、からかいすぎたな。うちの家族はきっとオリビア嬢を気に入るよ。だからそんなに緊張しなくていい。それより馬車でも少し話したが、うちの家族の方が嫌われないか心配だ……。少し変わってはいるが、みんないい人たちなんだ。どうか寛大な心で受け止めてほしい」


「き、嫌うだなんて……。リアム様のご家族ですもの、きっと素敵な方たちだとわかっています」


「ありがとう。そう言ってくれると安心だ」


 慌てて顔を見上げると、そこにはリアムの優しい笑顔があった。

 オリビアは緊張の糸がほんの少し緩み、こわばっていた肩から余分な力が抜け、突っ張っていた背中が楽になった。


 それから間もなくして、アンドレとリアムの足が止まったので、オリビアも一緒に足を止める。

 目の前には両開きの大きな木の扉があり、アンドレがノックをしてドアを開けた。オリビアは息を吸い、背筋を伸ばした。


「リアム様とオリビア・クリスタル様をお連れいたしました」


「入りなさい」


 中から張りのある男性の声が聞こえた。

 オリビアの背筋に緊張が走る。しかし、リアムが笑顔でそっと手を差し出したので、その手を取って笑顔を返す。


「オリビア嬢、さあ行こう」


「はい!」


 オリビアはリアムと一緒に一歩前へ踏み出した。そして、リアムがすでに着席している家族たちに挨拶する。


「皆さん、お待たせしました」


「リアム! 久しぶりだな! 元気にしていたか?」


「はい。父上もお元気そうですね」


 リアムの視線の先には彼と同じ赤い髪に髭を生やした男性がいた。

 リアムの父でアレキサンドライト公爵家の現当主、リチャードだ。オリビアの父親より少し年上と思われる彼は、リアムと同様に端正な顔立ちをしていた。

 彼は席を立ち、入り口にいるリアムとオリビアの方に向かって歩いてきた。


 オリビアは慌ててリチャードの前に頭を下げ、ドレスの端を持ちあげ挨拶をする。


「アレキサンドライト公爵様。初めまして、オリビア・クリスタルと申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。以後、お見知りおきを」


「やあ、リアムの父のリチャードだ。顔を上げてくれないか?」


「は、はい……」


 恐る恐る、オリビアが顔を上げると、そこにはリチャードが柔らかな笑みを浮かべていた。オリビアと目が合うと、彼はその茶色い瞳の目をさらに細める。


「オリビア・クリスタル伯爵令嬢。ようこそ、アレキサンドライト家へ。どうかここを我が家だと思ってくつろいでくれたまえ。いつか本当にそうなるのだから。こんなに可愛らしいお嬢さんがお嫁に来てくれるなんて楽しみだよ」


「え! お嫁に……」


 オリビアは改めて婚約の先に結婚があることを意識して、顔が熱くなった。言い淀んでいたのが気になったのか、リチャードが不安そうにオリビアとリアムに視線を送る。


「あれ? 婚約を了承したと君のお父上から返事がきていたんだが……。リアム、もしかしてまだ交渉中か?」


「ちゃんとオリビア嬢から承諾は得ています。父上が初対面でいきなりいろいろ話すから、彼女は圧倒されてしまったんです。皆さんも、興味津々なのはわかりますが、ほどほどにしてくださいね」


 リアムが父や遠くから身を乗り出してこちらの様子を見ている他の家族たちに向かって言い放つと、彼らは各々席に行儀よく座り直した。リチャードも肩をすくめ苦笑している。


「いやあ、私たちが勧めた見合いを毎回ダメにしていたリアムが自分から婚約したいと言ったお嬢さんだからね。私たちも嬉しいし、どんなお嬢さんなのか興味津々なんだ。驚かせてすまないね」


「い、いいえ。お気になさらないでください。こちらこそ緊張してしまいうまくお返事もできずに申し訳ございません」


「いいんだ。さあ、食事をしながらゆっくり話そう」


「はい!」


 リチャードに促され、オリビアは用意された席についた。

 隣にはリアムが座って優しい笑顔を向けている。そして反対側の隣には先ほどゲストルームで会ったサイラスが座っていた。


「さっきぶり、オリビアお義姉様」


「サイラス様、改めてよろしくお願いします」


 オリビアはサイラスに笑顔で挨拶を返すと、それを見ていたリチャードが眉を上げこちらに注目した。


「おや、サイラスはもう彼女に会っていたのか?」


「はい。先ほど待ちきれずにゲストルームに会いに行きました」


「いつの間に。お前は本当にせっかちだな。よし、全員揃ったから料理をいただこう。まずはようこそオリビア嬢ということで、乾杯!」


 リチャードが葡萄酒の入ったグラスを上げると、他の家族たちもグラスを上げ声を合わせた。オリビアも一緒にグラスを上げる。


「「乾杯!」」


 大きなシャンデリアに白いクロスのかかったリフェクトリーテーブル。銀でできた食器や燭台。そして煌びやかな公爵家の面々に囲まれながら、オリビアのランチタイムが始まった。


◇◆◇◆


 一方、リタとセオはメイドに案内されアレキサンドライト家の厨房で昼食を摂っていた。リタはスープを一口飲んで満足げに息を吐いた。


「このスープ、とてもおいしいです」


「本当だ。リタさん、こっちの肉料理もおいしいですよ」


 シェフがテーブルの上に籠に入ったパンを置く。


「嬉しいねえ。こっちのパンも自信作だよ!」


「いただきます。あ、本当だ、おいしいです」


「ふわふわで小麦の香りもいいですね。みなさんいつもこんなに豪華な昼食なんですか?」


 一緒に食卓を囲んでいたメイドが、にっこりと笑顔でセオに答える。


「今日はお客様がいらっしゃったから特別メニューです。でも、アレキサンドライト家では使用人たちも公爵様やご家族とほぼ同じものを食べます。クリスタル伯爵家ではやはり別メニューでしょうか?」


 やはりというメイドの言葉にもあるように、一般的には使用人と主人では同じものを口にすることは、多くの貴族家ではあり得ないことだった。中には主人の食べ残しを食事としているひどい貴族がいるという噂もある。


 メイドが気まずそうに顔色をうかがってきたので、リタは彼女に笑顔で返事をした。


「私たちも伯爵様たちとほぼ同じものをただいています。たまにシェフがアレンジしてみたりもするのですが……オリビア様やエリオット様は「そっちの方がおいしい」なんて言ってつまみに来たりするくらいです」


「まあ、クリスタル家の皆様は使用人たちにも親しみを持ってくださるのですね。それを聞いて安心しました。いつか、オリビア様が嫁いで来られるのが楽しみです」


 安堵の笑顔で話すメイドに、リタは優しく微笑みかけた。


「私も、安心しました。オリビア様の嫁ぎ先には皆さんのような素晴らしい方達がいるとわかったのですから。これからも顔を出す機会があると思いますので、どうかよろしくお願いします」


「はい! よろしくお願いします!」


◇◆◇◆


 アレキサンドライト家の従者とリタやセオが昼食と会話を楽しんでいた頃、オリビアもまたリアムの家族たちとの交流の時間となっていた。


「本来なら夕食に誘いたかったのが、私と妻は用事でどうしても出なくてはならなくてね。休日だというのに朝から行動させてすまなかったよ」


「いいえ。お気になさらないでください。皆様に早くお会いできて嬉しいです」


 オリビアは申し訳なさそうに苦笑するリチャードや周りに向けてキュッと口の端を上げ、よく声が届くよう背筋を伸ばして腹に力を入れ返事をした。


 すると、リチャードの隣に座る女性が葡萄酒を一口飲んでから話し始めた。


「まあ、可愛らしい上に優しいのね! あ、私はアリス。リアムの母です。よろしくね、オリビアさん」


「アレキサンドライト公爵夫人、オリビア・クリスタルです。どうかお見知りおきを」


「そんなに堅苦しくしなくていいのよ。私のことはアリスと呼んで。あ、お義母様でもいいわ。でも気が早いかしら?」


 アリスは茶色い髪の毛を綺麗にまとめ上げ、赤い瞳とよく通るアルトの声からは意志の強さを感じさせる、四人の子持ちとは思えない若々しい女性だった。

 彼女がオリビアに視線を送ると、さらにその隣から男性が話に入ってきた。


「母上、食いつきすぎると恐がらせてしまいますよ。初めまして、私はオスカー。リアムとサイラスの兄だ。よろしく。こちらは妻のエマ」


「オスカー様、エマ様。オリビア・クリスタルです。よろしくお願いいたします」


 オスカーは父譲りの赤い髪に母譲りの赤い瞳をしていた。

 リアムと似た顔立ちをしているが、弟のサイラスとはさらによく似ていた。オリビアよりおそらく十歳ほど年上だろう。

 サイラスも十年後はこんなふうに落ち着くのだろうかと思いながら挨拶を返した。


 次に、彼の妻であるエマがオリビアに視線を送り、目を細めにっこりと微笑んでいた。彼女は明るい茶髪の巻き毛を簡単にまとめた、貴族の女性にしては珍しい格好をしていた。アクセサリーなども華美なものはつけておらず、まるで町娘のようだ。


「オリビア様、オスカー様の妻のエマです。よろしくお願いいたします。あ、そうだ飲み物のおかわりはいかがですか? おつぎします」


「え! エマ様? そんなことなさらないでください」


 エマが席を立とうとしたので、オリビアは慌てて遠慮しようと両手の平を胸の前に出した。続いてリアムも彼女を制止した。


「義姉上、おやめください! オリビア嬢が恐縮してしまいます!」


「あ、あら私ったら! もう、ごめんなさいね。貴族はお客様に突然お酌したりしないものね」


「オリビアさん、驚かせて申し訳ない。エマは元々、パール侯爵家のメイドだったんだ。まだ結婚して間もないからたまに当時の癖が出てしまうんだ。その仕事熱心で健気なところに惹かれたから、あまり強くは言えなくてね……」


「オスカー様ったら……。私は結婚する時にパール侯爵家の養女にしていただいたのですが、まだメイド気分が抜けなくて。いたらないこともあるかと思いますが、よろしくお願いします」


「こ、こちらこそ、田舎者で至らないこともあるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします」


 オリビアは目の前で繰り広げられる新婚夫婦ののろけに、先ほど自分が馬車の前でリタに見せてしまっていたやりとりを思い出した。

 そして、心の中で黙って待っていてくれたリタに謝罪した。


「もう、オスカー兄様もエマお義姉様ものろけすぎだよ。今日の主役はリアム兄様とオリビアお義姉様でしょう?」


「そうだった、そうだった。ふたりとも、すまなかった。義弟の婚約者に会うのに緊張するエマがかわいくてつい……」


「オスカー様ったら……」


 見つめ合うオスカーとエマに生暖かい視線を送るオリビア。ちらりと隣を覗くと、リアムが恥ずかしさからか顔を赤らめ兄夫婦から目を背けたので、オリビアと目が合う。彼は顔を赤らめたまま、眉を下げ困り顔でポツリとつぶやいた。


「オリビア嬢、本当にすまない……。こんな家族だが、どうか許して欲しい」


「リアム様、お気になさらないでください。仲が良くて気さくな、素敵なご家族ですわ」


 オリビアが笑顔でそう言うと、リアムは安心したようで肩の力を抜き、息を吐いた。


「ああ、早くあなたを私の家族にしたいよ。愛している……」


「え?」


 突然の告白にオリビアはその声がリアムではなく、反対側の隣から聞こえたことに気付くのが遅れる。

 一呼吸遅れて気づき振り向くと、そこにはサイラスがにんまりといたずらな笑みを浮かべていた。


「サイラス! からかうのはやめなさい!」


「せっかく奥手な兄様のために代弁してあげたのになあ」


「余計なお世話だ!」


 確かにかなり個性の強い家族たちだが、オリビアはこの賑やかさが心地よかった。そして、自分もいつか家族としてこの輪の中に加わることが待ち遠しくなった。


 昼食が終わると、お茶の時間を待たずにアレキサンドライト公爵夫妻は出かけることとなった。リアムと一緒に、オリビアも前庭まで向かい二人を見送る。


「慌ただしくてすまないね、オリビアさん。今度はもっとゆっくりできる時に夕食に招待するよ」


「公爵様、お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。ぜひまたお会いしましょう」


「こちらこそわざわざ来てくれてありがとう。リアムをよろしく頼むよ。これから王都へ行くから、陛下に直接婚約についての書簡を渡しておくよ」


「父上、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


「私も、早くオリビアさんに「お義父様♡」って呼ばれたいからね」


 そう言って、リチャードは馬車に乗り込み手を振った。続いて、妻のアリスがオリビアの手を両手に取り、別れの挨拶をする。


「オリビアさん、私も早くあなたと親子になりたいわ」


「アリス様、ありがとうございます。私もそうなる日を楽しみにしております」


「それに私、以前からあなたのファンなのよ」


「え? 私の……?」


 初対面だったはずのアリスからの言葉に、オリビアは軽く首を傾げた。すると、彼女はそっとオリビアに耳打ちをして話の種明かしをする。


「『ラ・パセス』はあなたが経営しているのでしょう? 私、毎月通っているのよ」


「え! 本当ですか!!」


 ここでまさか自身が経営する執事喫茶の名前が出てくるとはと、オリビアは驚きで目を見開いた。

 その間にアリスが颯爽さっそうと馬車に乗り込んだ。彼女は口角がグッとあがった少しイタズラな笑顔を浮かべている。その表情はゲストルームで見たサイラスによく似ていた。


「ふふふ。もうすぐスタンプカードがたまりそうよ。またお会いしましょう! リアム、オリビアさんに愛想を尽かされないようにね! それじゃあ、さようなら!」


「は、母上!」


 リアムが返事をしきる前に、夫妻の乗った馬車は出発した。

 オリビアは馬車が正門を出て丘を下り、姿が見えなくなるまでリアムと共に見送った。



>>>続く

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