第25話 感動の再会

 この展開を、入り口に釘付けになっているリアムを見たかった。

 従者が来るのを伝え忘れたが、はじめから誰なのかは伝えずにいようと思っていた。全てはこの時のためだった。


 オリビアは予想通りの展開に、満足げに笑みを浮かべた。


 そして、入り口に立っている従者もリアムからの視線を感じて静かに微笑んだ。

 その目はわずかに潤んでいて、彼にとっては感動の再会となったのだろう。

 従者は溢れる感情を抑えるようにそっと息を吸って吐き、口を開いた。


「お久しぶりです。隊長……」


「セオ! セオじゃないか!」


「さあ、セオ。こちらへ来てご挨拶を」


「はい!」


 セオは以前、クリスタル家で骨折の治療をしたリアムの部下だった。

 当時は両足が折れ立つこともままならなかったが、今は片手に杖を持ちつつ、自分の足でしっかりと立っている。オリビアが入室を促すと、彼は頷いてからゆっくりとオリビアの隣まで歩いてきた。

 そして、リアムに向かって一礼し、姿勢を正す。


「退団後、お会いするのは初めてですね。私は現在オリビア様付きの従者としてクリスタル領で働いております」


「そ、そうだったのか……。ちなみに足は……」


 リアムがセオの持つ杖に視線を移しつつ様子をうかがう。

 オリビアは今後どの程度まで回復できるのか気がかりだったのだろうと察した。

 同じく察したのか、セオも一瞬自身の持つ杖を一瞥いちべつしてから、目尻を下げ、柔らかな笑みを浮かべリアムに返事をした。


「はい。だいぶ良くなりました。あとひと月ほどでこの杖も必要なくなるでしょう。これも全て隊長と、オリビア様のおかげです」


「いや、私は何もしていない。全てはこのオリビア嬢のおかげだ」


 リアムが謙遜し首を振ってオリビアを見つめた。その視線に、オリビアもゆっくりと静かに首を横に振る。


「いいえ、リアム様。あなたが必死にクリスタル領へ来てくれたから、セオもジャックも無事だったのですよ」


「オリビア嬢……」


 リアムと視線を絡めながら、オリビアは当時のことを思い出していた。


 あの日、領地での魔獣騒ぎに自分が遭遇していなかったら。


 リアムの魔力切れのタイミングが遅れていたら。


 自分がタブレットを使うことができなかったら。


 そもそも、リアムに敵を撃退し、領地まで歩いてやってくるだけの能力がなかったら……。


 あげたらキリがないが、何かが違うだけできっと今日この場で笑顔を交わすことはできなかっただろう。きっと運命とも奇跡とも呼べる出来事。それらを必死になって掴み取った結果を目の当たりにして、オリビアは口角と目尻をグッと寄せた。


◇◆◇◆


 セオとのあいさつがひと段落すると、入り口に立っていたアンドレが一礼し静かに部屋を去った。


「それでは皆様、私は一旦失礼いたします。また後ほど呼びに参ります」


 その後、室内に控えていたリタは近くにあったティーセットでお茶の準備を始める。


「昼食までまだ時間が空いておりますね。ただいま、お茶の準備をいたします」


「ありがとうリタ。あ、四人分用意してちょうだい。みんなで少し休みましょう。リアム様、よろしいでしょうか?」


 リタに指示すると、オリビアがすぐにリアムに上目遣いでお伺いを立てた。

 もちろん彼女は心優しい彼が快諾するのはわかっていて聞いているはずだ。

 可愛らしい想い人のお願いに頬を染めるリアムを見て、リタは他のみんなには気づかれないようにそっと笑みを浮かべた。


「ああ、もちろんだ。セオ、こっちに来て座るといい。リタも準備ができたら休んでくれ」


「ありがとうございます、リアム様! さあセオ、こちらへ」


 リアムが笑顔で頷いたので、リタの主人はソファに座ってからセオを向かいのソファへ招き寄せた。

 貴族の中には従者と一緒にくつろぐなどもってのほかという者も少なくない。

 しかし、リアムは身分の差別をせず人と接する人間だった。自分の側近は家族同然のオリビアにとっては、彼の分け隔てない性格はとても好ましいものだろう。

 彼女の笑顔がそれを物語っている。


「それではお言葉に甘えて、失礼いたします」


「では私も。オリビア嬢、隣に座っても?」


「も、もちろんかまいませんわ! どうぞ!」


セオが促されるままにオリビアの向かいのソファにゆっくりと腰掛けた。そしてリアムがオリビアの隣をしっかりと確保する。自宅だからか積極的な主人の婚約者と、まだそれに慣れない彼女を見て、リタは微笑ましく思った。


 三人が座って一息ついたところでお茶が入ったので、リタは四人分のティーセットをトレイに乗せ、ソファの前のテーブルまで運ぶ。そして、リアムから順にそれを配った。


「お待たせいたしました」


「ありがとう、リタ」


「では、私はこちらに失礼いたします」


 リタは全員分のお茶を配り終え一礼し、自分もソファに座った。以前の自分では主人と同じテーブルにつくなど、領地の視察のとき以外は恐れ多くてできなかっただろう。


 ましてや主人の婚約者で身分の高い人間がいたらなおさらだ。申し訳なくて恐縮してしまっていただろう。


 こうして自然に彼らの厚意を受け止めることができるのは、数日前の休日にエルと話したからだった。彼の「自分を卑下することは、自分を大切に思ってくれている人間のことも卑下するのと同じこと」という言葉があったからだ。


 彼の言葉を思い出し、リタはお茶を一口飲んでわずかに口角を上げた。カップをソーサーの上に下ろすと、リアムがお茶を飲んで一番に口を開いた。


「セオ、退団の書類が届いていたから、てっきり実家に戻ったものだと思っていたよ」


「はい。私もそのつもりだったのですが……。オリビア様、これまでのことを隊長にお話ししてもよろしいでしょうか?」


 リアムの疑問に答えるべく、セオがオリビアを伺った。

 リタ自身をはじめ、オリビアの従者たちは経営についてや主人の魔法など、許可なく他人に話してはいけない決まりだからだ。


「もちろん、かまわないわ」


「ありがとうございます」


 オリビアが笑顔で頷いて快諾すると、セオがこれまでの経緯をゆっくりと話しはじめた。

 その表情はうっとりとしていて、当時を思い出しているのだとリタにもよくわかった。彼は足の怪我の治療時からオリビアに心酔していた。


「足の怪我の治療のため、私はあのままクリスタル家に残ることになりました。その間、オリビア様は王都への引っ越しまで毎日、私の様子を見にきてくださいました。そして、私の今後についても相談に乗ってくださいまして……」


「ふふ。辺境の我が家ではお客様の長期滞在なんてめったにありませんから、セオには話相手になって貰っていたのです。実家がパン屋だと聞いて、いろいろ質問をしていました」


 小さく笑いお茶を一口飲むオリビア。リタはそれが主人の照れ隠しだと知っている。

 セオがひとり領地に残ると決まったとき、彼が不安にならないようにと彼女は毎日時間を作っては話しに通っていた。


「はい。どの道騎士団は退団しなくてはいけないので、実家の手伝いをしつつ仕事を探そうかと考えていたのです。すでに実家は兄が継いでいて人手は足りていましたから……。さらに兄の子供たちの中に病弱な者がおり、治療費も必要でした。焦る私を見て、オリビア様は素晴らしい提案をしてくださったのです」


「素晴らしい提案?」


 リアムの問いかけに、セオが嬉しそうに目を細め頷いた。


「はい。治療後、クリスタル家で従者として働かないかと声をかけていただきました」


「たまたま、人員を補充する予定だったのです。他の者と一緒に試験も受けてもらいました。合格したのはセオの実力ですわ」


「それでも、この身体ですから体術の試験は免除していただきましたし、ずいぶん優遇してくださったと感謝しています。それに、家族のことも……」


「家族?」


「はい。甥っ子の病気は空気の澄んだ場所だと良くなると教えていただき、家族全員をクリスタル領に呼び寄せてはどうかと。しかもパン屋をまかせてくださるとのことで……。静養のため一足先に甥っ子を呼び寄せたのですが、体調を崩すことなく過ごしています」


「そうか……。それは良かった」


 リアムが小さく息を吐き安堵の表情を浮かべた。

 オリビアはたまたまとは言っているが実は内情は違った。

 クリスタル領では年に一度、屋敷や事業に携わる人間を募集し採用試験を実施する。領地で育った者が優先で、外部からはほとんど採用しない。

 しかも、今年は学院入学のため、オリビア付きは募集しない予定だった。


 リタはオリビアが領主である父親に無理を言って彼女の専属を募集したこと、自分の持っている物件からパン屋の出店に適したところの選定、セオの家族の住まいの確保、彼の甥の治療について医師との相談、それらを全て引越し前に段取っていたことを知っている。


 自分やジョージももちろん協力したが、ほとんどはオリビアが実行したことばかりだ。


 セオもそれを察したのだろう。オリビアが王都へ引っ越す頃にはもう彼は命をも彼女に捧げる覚悟だった。自分も数年前に同じ覚悟したことをリタは懐かしく思った。


「オリビア様には言い尽くせない感謝でいっぱいです。このご恩は一生をかけて返していきたいと思っています」


「セオ、大げさよ。私は学院に通うためにしばらく領地を離れないといけなかった。そんな時に実家で商売の経験があるあなたと出会った。そして、うちの領地がたまたま田舎で静養に適していた。お互いのためなのだから、あなたが一方的に恩を感じる必要はないのよ」


 オリビアが謙遜して眉を下げ、困ったように笑う。するとセオが首を大きく横に振った。


「いいえ、オリビア様は歩くことすら諦めなければと絶望していた私に、希望を与えてくださいました。そして家族のことも救おうとしてくださった。家族全員、このご恩に報いたいと思っています」


「ありがとう、セオ。それではあなたは私の事業をしっかり手伝って、ご家族にはおいしいパンを作ってもらうわよ! これでまた街が活気づくわ」


「はい! 私は一生オリビア様にお仕えいたします!」


 心底嬉しそうに、セオが首を縦に振った。その目にはわずかに涙が浮かんでいた。


「セオ、私からも頼むよ。オリビア嬢とクリスタル領のため、力になってほしい」


「はい! お任せください。こうして今の私があるのは、オリビア様と、あの日私を救いクリスタル領まで連れてっいってくれた隊長のおかげです。本当にありがとうございます」


 リアムの申し出に、セオが力強く返事をした。そして、再起のきっかけを与えてくれた彼に深々と頭を下げた。


 あの日、噴水の広場に現れた彼らを見て、リタはこんな日が来るとは全く予想していなかった。一時はどうなることかと思ったが、こうして主人に素晴らしい婚約者と新たな仲間が増えたことに、何か運命のようなものを感じていた。


 リアムが今度は唇を結び、憂いを含んだ表情で返事をした。


「部下を守るのは当然だ。騎士団を辞めることになったときは心配だったが、充実した日々を送っているようで安心した」


「隊長……。騎士団であなたの部下でいられたことは、私の誇りです」


 セオの言葉に偽りがないのもわかっているはずだが、それでも彼の表情は晴れない。

 それを見たリタがリアムの隣に座るオリビアをに視線を移すと、彼女は心配そうに婚約者を見つめていた。


「そう言ってくれると嬉しいよ。あのときは残念ながら守れなかった者も多かった。今でも自分のことを不甲斐ないやつだと思っている」


「リアム様、それは違いますわ。あなたがいたから、被害が最小限で済んだのです。どうかご自分を責めないでください」


 オリビアが静かに首を横に振り、リアムに優しく微笑みかけた。セオも軽く上半身を乗り出し、彼に力強い視線を送る。


「そうです、隊長! 私はあなたにも感謝しています」


「オリビア嬢、セオ……。ありがとう」


 二人の言葉に安らかな笑顔を見せるリアムを見て、オリビアとセオも優しい笑顔で顔を見合わせていた。そんな三人に、リタはこれから先の彼女たちの幸福を願った。


 話がひと段落してリタがすっかり冷めてしまったお茶を淹れ直そうかと思っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

 リタは席を立ちドアを開ける。そこには執事頭のアンドレが立っていた。


「みなさま、昼食の準備が整いました」



>>>続く

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