第24話 到着! アレキサンドライト公爵邸
オリビアは一定のリズムで揺れながら走る馬車に乗りながら、時折リアムやリタと談笑しつつ外の様子を眺めていた。
領の中心部を越え、建物の間隔はさらに広がり、自然豊かな農業地区を越え、なだらかな坂を登っていく。そして、登り切ったところで馬車が停止した。
「着いたな」
正面に座っていたリアムが呟き席を立った。
「さあ、オリビア嬢、手を。気をつけて降りて」
「はい、ありがとうございます」
オリビアも続いて席を立つと、先に馬車を降りたリアムが手を差し出していた。
その手を取り微笑みかけると、同じように彼から微笑み返され、触れた手が包み込まれる。
先ほど馬車に乗るときにも同じように触れた手なはずなのに、妙に意識してしまう。そして、自分を優しい眼差しで見つめるリアムから目が離せなかった。
オリビアは気恥ずかしくなって居た堪れなくなり、やっと視線を斜め後ろに逸らすと、今度はリタと目があった。心なしか彼女の表情はニヤニヤと緩んでいるようだった。
どうやらオリビアが馬車の降り口にいて降りられず、見つめあうふたりの気が済むのを待っていたようだ。
程なくしてリアムも状況に気づいたのか、オリビアを馬車から下ろして場所をあけた。
「あ、リタ。すまない、今避ける。オリビア嬢、こちらへ」
「いいえ、ゆっくりで構いません」
「あら、ごめんなさい、リタ」
リタも馬車を降り、オリビアは彼女と並び目の前に広がる光景に息を呑んだ。
アレキサンドライト家の屋敷は、筆頭公爵家に相応しい大豪邸だった。門を通って庭に着いたはずだが、前方にはさらにもうひとつの門が見える。きっとジュエリトスで王宮の次に立派な建物だろう。
馬車を降りた前庭は緩やかな坂になっており、真ん中に手すりのついた白い通路がある。それに分けられ左右には通路に並ぶように花壇があり、色とりどりのチューリップや百合が咲いていた。
その奥には刈り込まれた芝が広がり、まるで緑の絨毯だった。さらに奥には手入れの行き届いた樹木が植えられている。
「すごい……」
「オリビア嬢、通路を少し歩くが大丈夫か?」
オリビアが前提に圧倒されていると、隣に立つリアムに声をかけられた。確かに門まではそれなりに距離がありそうだったが、田舎育ちでお店巡りも基本徒歩のオリビアには全く問題はない。
彼に自信たっぷりの笑顔で「平気ですわ!」と返事をした。
通路を歩いて門の前に立つ。すると、左右に立っていた門番ふたりがゆっくりと大きな門を開いた。門の先には男性が一人立っていて、リアムに視線を送る。
「リアム様。おかえりなさいませ」
「ただいま、アンドレ」
アンドレは次にオリビアの方を向き、深々とお辞儀をした。
「オリビア・クリスタル様、ようこそおいでくださいました。私はアレキサンド公爵家執事頭のアンドレと申します。」
「オリビア・クリスタルです。こちらは私の侍女のリタ。本日はお世話になります」
オリビアも軽く頭を下げ挨拶をする。後ろではリタもお辞儀をして挨拶していた。
アンドレはオリビアの父よりは少し年上と思われる初老の男性だった。
白髪の混じったグレーヘアーはしっかりとセットされ、長身にピンと伸びた背筋。さらにズボンやベスト、ジャケット、そしてシャツの襟までシワがなく全く隙のない格好だった。
さすが筆頭公爵家の執事頭だと、オリビアは感心した。
さらに言うならば、涼しげな目元と黒い瞳にめがねがよく似合っており、彼の知的さや冷静さを強調しているようだった。
おじ様は守備範囲外なはずのリタがほんのり頬を染めていることをオリビアは見逃さなかった。
「アンドレは代々我が家に支えている一族の人間なんだ。忙しい親に代わって随分世話になった」
門を通過し美しい噴水がある中庭を歩きながら、リアムがアンドレを紹介する。彼は幼少の頃を思い出しているのか、少し遠くを見つめて微笑んでいた。アンドレも同様に目を細め、柔らかく微笑んでいる。
「リアム様がお嬢様方に追われているときも逃走経路の確保などに奔走したものです。それがこんなに素晴らしいお嬢様と……うれしい限りです。初恋が実ってよかったですね」
「お、おい! アンドレ! 何を言うんだ」
つい今まで穏やかだったリアムの声と表情が、焦りと狼狽に変わる。それを見たアンドレがふっと息を漏らして笑い、彼はそのまま何も言わずに屋敷までオリビアたちを誘導し、ゲストルームへ案内した。
歩いてついていきながら、オリビアもまた先ほどのアンドレの言葉を頭の中で反すうしていて、その度に疑問が浮かび、直後に気恥ずかしくなるのを繰り返していた。
(は、初恋って、初恋って……)
ゲストルームに案内され、オリビアがリアム、リタと一緒に入室すると、アンドレは入り口で深々と一礼した。
「それでは私はこれで失礼いたします。皆様、ごゆっくりお過ごしください。昼食の用意が整いましたら呼びに参ります」
「ありがとう、アンドレ」
オリビアはアンドレに礼をすると、彼は優しく微笑みもう一度礼をしてその場を後にした。
「オリビア嬢」
「はい!」
アンドレが去った後、オリビアは背後から声をかけられた。返事をして振り向くとリアムが立っていた。
人ひとり分くらいのスペースが空いているはずの位置だが、彼の体が大きくずいぶん至近距離に感じる。
そして、彼は頬を赤らめオリビアと視線は合わせず、何か言いたそうに体をわずかに揺らしていた。緊張しているようだ。
「その、先ほどアンドレが言ったことは……」
「は、はい。初恋というのは……」
リアムの緊張が伝わり、オリビアも顔が熱くなった。それでも話の続きが気になり問いかけてみると、彼はゆっくりと口を開いた。
「実は……」
リアムが話し始めたところで、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
部屋の入り口に視線を移すと、そこにはおそらくオリビアと同じ年頃の少年が立っていた。
「失礼します。オリビア・クリスタル伯爵家令嬢?」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれ、オリビアは背筋をピンと伸ばし返事をした。少年は艶のある赤い髪の毛に茶色い瞳をしていた。そして顔立ちが整っており、オリビアの婚約者に似ていた。
「サイラス!」
リアムが少年——サイラスを呼ぶと、彼は口角と右手を上げてから部屋の中に入ってきた。そして、オリビアの前に立ち挨拶をする。
「初めまして。サイラス・アレキサンドライトと申します。兄のリアムがお世話になっています。僕のことは気軽に、サイラスと呼んでください」
「初めまして。オリビア・クリスタルと申します。いつもお兄様にはお世話になっております。どうかよろしくお願いいたします、サイラス様」
オリビアも軽く頭を下げて挨拶をする。頭を上げてサイラスと視線を合わせると、彼はにっこりと微笑んだ。
顔立ちが似ていてリアムの少年時代を思い出すが、サイラスは彼に比べて少し砕けた性格のようだ。
「サイラス、後で挨拶すると言っておいただろう」
「だって、早くリアム兄様の初恋の人に会いたかったんだもの。こんなに美人だとはね」
「こら! サイラス!」
「ははっ。こんなに取り乱す兄様なんてなかなか見られないよ。また後でね、未来のお
「オリビア嬢、すまない。弟が失礼した……。あれで君の一つ年下なのだが、病弱で寝込むことも多かったせいかまだまだ子供のような性格で……」
リアムが肩を落とし、大きな体を小さく丸めなる。申し訳なさを全身で表現しながらオリビアに詫びる。
「私は気にしませんわ。それに美人だと褒めていただきました。正直ご家族にお会いするのに緊張しておりましたが、サイラス様のおかげで少し気が楽になりましたし」
「そう言ってくれるなら私も安心だが……」
依然、申し訳なさそうなリアムに、オリビアは笑顔で俯く彼の顔を覗き込んだ。
「リアム様、本心ですわ。ですからご安心ください」
「ありがとう、オリビア嬢」
安堵したのかわずかに息を漏らし、リアムの表情が和らいだ。
話がひと段落したところで、オリビアはサイラスが来る前まで話を戻した。
「ところでリアム様、先ほどの話なのですが……」
「先程の、というのは?」
リアムが首を傾げる。どうやらサイラスの件で一度記憶が飛んでしまったようだ。恥ずかしかったが、オリビアは補足して話の続きを急かす。
「その、初恋というのは一体……」
「あ! そ、それは……」
リアムが一瞬目を見開き、すぐに俯き加減で頬を染めている。またもや口ごもっている彼にじれったさを感じたオリビアが、さらに急かそうと口を開きかけた瞬間、またもコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
今度は一体誰が邪魔をしにきたのかと部屋の入り口に鋭い視線を向けると、そこには一度退室したアンドレが立っていた。
「失礼いたします。アンドレです」
「どうした?」
リアムが数歩歩いて用件を聞きにいくと、アンドレは落ち着いた口調で用件を話し始めた。
「はい。たった今、オリビア様の従者を名乗る男性が屋敷の前におりまして……」
(あ、初恋の話に気を取られて、お伝えするのを忘れていたわ……)
戸惑いの表情を見せるリアムに、オリビアは先ほどのゴタゴタで伝え忘れていたことを思い出した。
「ええ、実は
「私にも?」
そう言ってリアムが首を傾げた。オリビアは口角を上げ、自信たっぷりの表情で頷いた。彼を、どうしてもリアムに会わせたかったのだ。
「はい。身元は私が保証いたします。通していただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。アンドレ、その者をここへ案内してくれ」
「かしこまりました」
数分後、アンドレがオリビアの従者を連れてゲストルームへ戻ってきた。
「お待たせいたしました。連れて参りました」
アンドレの後ろに立つ人物の姿を見た瞬間、リアムが眉を上げ目を見開き、その深緑の瞳は入り口に立つ彼に釘付けだった。
「き、君は……!」
>>続く
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