第三章 アレキサンドライト領にて
第23話 馬車は続くよどこまでも
貴族学院に入学後、初めての休日。よく晴れた日の午前だった。
ジョージは同僚のリタと並んで学院の正門の前に立っていた。
今日は学院のクラスメイトでもあり、仕えるべき主人でもあるオリビアが、婚約者(予定)の領地へ招待されている日だった。彼女は先ほどからずっと緊張の面持ちで迎えの馬車を待っている。
「お嬢様、親元を離れた途端にお泊まりデートですか?
こういうときは、からかうのが一番。そうするとオリビアが怒りで緊張を解くのをジョージは知っていた。
わざとニヤリと笑ってみせると、彼女は不愉快そうに眉を寄せ、こちらを見上げる。いつもそうだった。その度に手入れの行き届いた美しい銀髪がふわりと揺れる。
「人聞きが悪いわね! それにあちらのご家族がいるじゃない、何も破廉恥なことはありません!」
「朝からオリビア様に下品な言葉をかけるな、クソジョージ」
予想通りのオリビアの返事と、セットで同僚の
侍女のリタはおそらく異国の出身で女性にしては背が高く、褐色の肌にウェーブのかかった艶やかな黒髪が特徴だ。
彼女はジョージがいない時でもオリビアを守れるようにと、格闘技も心得ている。なので言い返す時のさじ加減に注意が必要だ。
「朝から小言はやめろよなあ。そんなんだと、後でエルの店に顔出してお前のガサツさを愚痴っちゃいそうだな〜」
「なんだと! そんなことしたら絶対に許さないからな!」
「こら! ふたりとも、朝から揉めないでちょうだい!」
どうやら少しさじ加減を間違えたようだ。ジョージは自分めがけて拳を打ち込んできそうになっているリタの腕を軽く
ちょうどそのとき、門の前に馬車が停まった。華美になりすぎない程度の装飾と身なりのきちんとした御者から、馬車が貴族のものなのは一目瞭然だった。
「パーティー以来だね、オリビア嬢。元気そうでよかった……リタとジョージも」
馬車のドアが開き出てきたのは、主人の待ち人、リアム・アレキサンドライトだった。彼はまず自分の婚約者でもあるオリビアを見つめ、目を細めた。そして、その従者たちにも気遣い挨拶をした。
途端にオリビアが顔を真っ赤にして頭を下げたため、ジョージもリタと共にしっかりと頭を下げる。
「お、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません!」
「みんな、頭を上げてくれ。私に気を使うことはないよ」
「で、ですが……」
ジョージは頭を下げたまま横目でオリビアの様子を
すると、リアムの声が頭上で響いた。その声色はとても優しく、彼がにっこりと微笑んでいるのが容易に想像できた。
「兄弟のようにじゃれあっている君たちを見るのは楽しい。いつか私も混ざりたいくらいだ」
「まあ、リアム様ったら」
「本心だ。さあ行こうか」
「はい!」
オリビアとリアムが一通りいちゃつき終えたところで、ジョージはそっと頭を上げた。隣に立っていたリタも同じタイミングで頭を上げており、無表情なジョージとは対照的に彼女は主人に温かい眼差しを送っていた。
その後、オリビアとリタが馬車に乗り込んだ。オリビアにはリアムのエスコート付きだ。
「さあ、気をつけて。オリビア嬢」
「ありがとうございます、リアム様」
リアムが乗り込む前に、馬車の前に立つジョージの正面に立った。
こうして近い距離で彼と対峙するのは初めてだった。子供の頃より身長は伸び、細かった体躯が今では自分よりもずっと逞しい。
きっとそれは日々の
そして、リアムの笑顔はこれから初恋が叶う者の自信で輝きを増している。ジョージはその
「君は今日から休みだね、オリビア嬢のことは私が全力で守る。ゆっくり過ごしてくれ」
「アレキサンドライト公、ありがとうございます。お嬢様のこと、よろしくお願いいたします」
「ああ、任せてくれ」
リアムが馬車に乗り込む。ジョージは一歩前に出てオリビアやリタに視線を移した。
「皆さん、お気をつけて」
「ジョージ、よい休日を。また週明けに学院で会いましょう!」
「ハメを外しすぎるなよ」
「次回は君もぜひ我が領に来てくれ。よい休日を」
「アレキサンドライト公、ありがとうございます。皆さん、よい休日を」
馬車の戸が閉まり、ゆっくりと御者が馬に合図をして出発した。
貴族でありながら
遠のき、小さくなっていく馬車を見送りながら、ジョージはそんなことを考えていた。
「さーてと、夜のデートの前にひと眠りしますか」
ジョージはゆっくりと両手を高く上げ、背筋を伸ばし、馬車が完全に見えなくなったのを確認して寮へと戻っていった。
◇◆◇◆
一方、出発した馬車の中で、オリビアは緊張から無言を貫いていた。
先ほどから正面に座っているリアムが自分に熱い視線を送っているのには気づいている。たまに目が合うと、彼は嬉しそうにニコニコと笑っていた。
困り果てたオリビアは、隣に座っているリタに顔で訴えかける。すると、彼女から小さな声で返事があった。
「オリビア様、何かお話ししないと……」
「そ、そんな、どうしたらいいの? 今日も素敵な上腕三頭筋ですねとか?」
「本気ですか?」
オリビアもリアムには聞こえないよう小声で返すが、内容があまりにも不適切だったせいか、リタからは思い切り眉間に皺を刻んだ上での鋭い視線が返ってきた。
顔を上げては言葉が浮かばず俯く。オリビアがそれを数回繰り返したところで、ついにリアムから声がかかった。
「すまない。何か気の利いたことが言えたらいいのだが……。緊張しているようだ」
「え、リアム様もですか?」
リアムの言葉にオリビアが顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。深緑色の瞳が弧を描き、窓から差す光が反射し静かに輝いている。
オリビアは胸の奥がじんわりと温まる感覚に緊張が和らぎ、同時に胸の音が少し大きく自分の中に響き、改めて小さな緊張が全身に広がっていく感覚を覚えた。
「ああ。君に会えるのを楽しみにしていたから余計にね」
「あ、ありがとうございます」
オリビアは頬を染めながら、リアムに微笑み返した。すると、彼は少し視線を窓の外に逸らし顎に手を添えて小さく唸る。心なしかその頬は血色が良くなっているように見えた。
「あとは……君がうちの家族を気に入ってくれるかも気になっている。少し個性が強いんだ、うちの家族は」
「まぁ、それは楽しみですわ」
田舎のクリスタル伯爵家でさえ、なかなか個性的な面々なのだから、筆頭公爵家の人間はもっと個性が強いはず。と、オリビアはすでにリアムの家族に関しては覚悟を決めていた。
特に長女のシャーロットが、幼馴染で婚約者の王太子殿下を完全に尻に敷いている話は貴族たちの間では有名だった。
リアムに合わせて外を眺めていたオリビアは、景色の雰囲気が変わったと感じた。王都より建物と建物の間が少し広くなって、さらに高さも抑えられている。タイミングよくリアムがオリビアに声をかけた。
「ここからはアレキサンドライト領だ。まだ端の方だけど、王都に面しているからそれなりに栄えているよ」
「素敵ですね。この辺りのお店は王都には無い珍しいものも売っていると聞きます」
路面店を覗いている人々は都会の雰囲気も残しながら、どこか伸び伸びと穏やかな印象だ。はっきりとは見えないが王都でもクリスタル領でも見たことのない青果や雑貨が並んでいるようだった。
一商売人として、ぜひ見て回りたいとオリビアは食い入るように通り過ぎる店を目に焼き付けていた。
その様子を見かねてなのかリアムがオリビアを呼んだ。
「オリビア嬢、今日は時間がなくて立ち寄れないが、次回はぜひ見て回ろう」
彼の気遣いに感謝しつつ、オリビアは声を弾ませ「はい!」と返事をした。
馬車は顔を見合わせはにかみあうふたりを乗せ、アレキサンドライト家の屋敷を目指し休まず進んでいく。
>>>続く
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