第18話 リタの休日とシルベスタクッキングスタジオ(後編)

「さて、では一人ずつ確認するぞ。各自着席し待つように」


 シルべスタが生徒たちの調理台を周り、出来上がった料理を試食しに行く。


 多くの生徒が偶然の産物でスクランブルエッグを用意していた。中には卵以外の何かになってしまっている生徒もおり、シルベスタはその度に青ざめている。


 そして、残りはオリビアとジョージのみとなった。


「ヘマタイト君、これは?」


 ジョージがシルベスタに差し出した皿には、クリスタル領名物のあるものが並んでいた。甘い香りに近くの生徒たちはうっとりと皿を見つめているが、オリビアの顔は険しくなる。


(ずるいわジョージ! まさかアレを作るなんて!!)


 オリビアの心の声を表情から感じ取ったのか、ジョージが勝ち誇ったような笑みを向けてくる。


「これは『カロリー・ソウルメイト』という菓子です。卵とバター、ミルク、ナッツやドライフルーツを小麦と混ぜて練り、焼き上げています。長期保存に向いていますし栄養価も高いので、演習や潜伏時にもぴったりですよ」


 この『カロリー・ソウルメイト』は、国境も近いクリスタル領で万が一の事態に備えオリビアが考案した製品だ。領内の護衛たちの訓練にも重宝する、マッチョに大人気の菓子だった。


 ちなみに考案した本人でもあるオリビアには残念ながら作ることができない。


 シルべスタが皿から『カロリー・ソウルメイト』を一つ取り、口へ運ぶ。

 そして「これはうまい!」と今日一番の笑顔を見せた。輝く白い歯が眩しくて、オリビアは目眩を起こしそうになった。


「ありがとうございます。もしかして俺が最優秀かな〜?」


(わ、私だって……)


 正直勝つ自信はなかったが、オリビアはなるべくこの意地悪な護衛に気取られないよう、表情を落ち着かせる。


「さて、最後はクリスタルさん。君はどんな料理を用意したかな?」


「は、はい。私の用意した料理は……こちらです!」


 オリビアの差し出した料理に、シルベスタやジョージ、他の生徒たちも言葉を失った。その場にいた全員が、目を見開き、釘付けになっている。


 それは、大衆酒場にある麦酒用の大きなジョッキグラスに入っていた。透明な液体のところどころに、黄色い球体が浮いている。


「ク、クリスタルさん、これは一体……」


 ジョッキから目を離さないまま問いかけてくるシルベスタに、オリビアが意を決して答える。


「これは、名付けて『エッグ・ノックアウト』でございます! 今日はジョッキに入れましたが、普段なら卵を割って即食べられる、混ぜ物なしの卵本来の味わいを感じられる逸品ですわ!」


 つまり、ただの生卵だ。


 なんとか形にしたくて、即席で名前まで付けた。

 周りの生徒たちからは「おお!」と声があがったことがかえって恥ずかしかった。


 それでもオリビアは憧れのシルベスタに、何もできなかった生徒と思われたくなかった。ジョージに勝てなくとも、せめて爪痕は残したかった。


「では……いただこうか……」


 オリビアの真剣な眼差しとジョッキいっぱいの生卵に圧倒された様子のシルべスタが、小さく頷いてからジョッキを持ち口に当て、中身を一気に流し込んだ。


 飲み込むたびにわずかに「うっ」と唸り声が漏れているが、オリビアと気の毒そうに彼を見つめているジョージ以外は気づいていないようだった。生徒たちはジョッキの中身がどんどんなくなっていくのを、固唾を飲んで見守った。


 そして、シルべスタが空になったジョッキを調理台の上に置いた。彼は俯き、体は小刻みに震えている。


「シルベスタ先生?」


 心配したオリビアがシルベスタの顔を覗き込もうとすると、彼はその顔を上げ、大きく息を吸ってから、言葉と共にその息を吐いた。


「エイドリアーン!!」


 教室中の外まで響くその大きな声と意図のわからない言葉に、生徒たちは軒並み口をぽかんと開け、時が止まったように固まっている。それを見たシルべスタが、頬を赤らめ照れたように笑い白い歯を覗かせた。


「いやあ、お恥ずかしい。なぜか飲んだ後、妻の名前を叫びたくなってね。驚かせて申し訳ない。しかし、これはずいぶん思い切った料理だ。しかも飲み切った後の達成感がたまらない! 身体中に力がみなぎるようだよ。素晴らしい! 優秀作はクリスタルさんの『エッグ・ノックアウト』に決定!」


「ありがとうございます! シルベスタ先生!」


 シルべスタが右手を差し出したのでオリビアも右手を差し出すと、その手はぎゅっと握られ握手されるかたちとなった。

 その大きく節ばった感触に、オリビアは感動していた。他の生徒たちも拍手喝采でオリビアを称えている。


「え、マジっすか? 生卵に負けた……」


 オリビアが視線を隣に移すと、ジョージが『カロリー・ソウルメイト』の入った皿を片手に、呆然と立ち尽くしていた。


「さて、褒美については私の個人レッスンだ。楽しみにしていてくれ」


「はい! ありがとうございます!」


 昨日とは打って変わって、なんて素敵な一日だろうとオリビアは喜びに浸り、目を細めた。


◇◆◇◆


 一方、休日を堪能するべく街に出たリタは、オリビアへの土産品や何か商売に役立ちそうなものはないかと、雑貨店や食品店、薬店など様々な店をまわっていた。

 そして、侍女仲間に教えてもらった見目麗しい店員がいるカフェで昼食をとり、英気を養い、店を後にした。


(店員の見目麗しさはまあまあだったな。また来よう。さて、今度はあちらの店をまわるか……)


 昼食前にまわっていた方角とは反対方向へ歩き出す。すると、つま先に軽く何かが当たる感覚したのでリタは足元に目を向けた。


「リンゴ? どうして……」


 つま先に当たっているリンゴを手に取り首を傾げていると、前方から「すみませーん!」と茶色い紙袋を持った人物が駆けてくるのが見えた。


 そして、その人物は石畳につまずいて転倒し、一緒に地面に投げ出された紙袋からはリンゴが転がった。


 リタは自分の元に転がってきたリンゴを全て拾い、持ち主の元へ駆け寄った。

 落ちた紙袋を拾い、手に持っているリンゴをしまいながら座り込んでいる持ち主に声をかける。


「大丈夫ですか?」


「はい……。あ、あなたは……」


 リタを見上げた持ち主は目を見開きハッとした表情を浮かべている。

 リタも彼の顔を見て同じ表情になった。


 灰色の髪に同じ灰色の瞳の美青年。いや、まだ少年かもしれない。王都で小さな食堂を経営している、どこか儚げで見目麗しいマスター、エルだった。


 彼は助けてくれたのが顔見知りだということに、心なしか嬉しそうな安心したような柔和な笑みでリタに礼を述べた。


「リタ様ですよね? リビー様の侍女の……。助けていただきありがとうございます!」


「エル。先日はご馳走様でした。ケガはないですか?」


 リタの気遣いに、エルはゆっくりと立ち上がり膝や腕についた砂や埃を払ってからにっこりと微笑んだ。

 その人懐っこくて、まるで天使のような愛らしい笑顔に興奮して思わず叫び出してしまいたい気持ちを必死に抑え、平静を装う。


「はい! 擦り傷程度なので平気です! 今日はお買い物ですか?」


「はい。リビー様にお休みをいただきましたので、せっかくだからと王都の店を見てまわっています。エルは買い出しですか?」


「はい! アップルパイを作ろうと思ってて……。あ、リタ様、夕方少しお時間はありますか?」


「ええ、夜までに戻っていれば問題ないですから……」


「それじゃあ、後で僕の店に来てください! お礼と言ってはなんですが、アップルパイを作っておきますから!」


 リタの右手はエルの両手に包まれた。


 彼の体温が伝わり、緊張から左手に抱えていたリンゴの入った紙袋を落としそうになるが、なんとか堪えることができた。顔や耳が熱くなって、胸の鼓動がどんどん大きく聞こえ、うるさいほどだ。


 エルが上目遣いで「ね?」と言うと、もうそれに抗うことなどできるわけがなかった。リタは真っ赤な顔で「はい」と言って頷いた。


「それじゃあ、後ほど。待ってますねー!」


 リタから紙袋を受け取ったエルは笑顔で手を振り、自分の店の方へと歩いていった。リタは彼の姿が見えなくなるまで、うっとりとした表情で手を振り続けた。

 


>>続く


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