第二章 王都にお引越し! クラスメイトは王子様

第9話 王都の夜

「さてと。これでいいかしら」


「ああ、疲れた! 美女に癒されたい! 娼館とかあるんすかね?」


「黙れ、クソジョージ」


 オリビアはリタが壁に掛けてくれた姿見に手をかざした。姿見が光り、横にスライドしたのち何の変哲もない姿見に戻る。


 それは、クリスタル家のオリビアの部屋では時折見られる普通の光景だったが、これからしばらくは王都での出来事となる。


 貴族学院入学まで一週間。寮のオリビアの部屋では荷解きが完了したところだった。


「引越し完了! 二人とも、お疲れ様。今日は王都の店で夕食にしましょうか」


「いいねえ! かわいい看板娘のいる店探しましょう」


「料理が美味しく、見目麗みめうるわしいどこかはかなげなマスターがいる店を探しましょう」


「あら、それだったらまずは逞しい肉体を持つ……例えば騎士団の皆さんが行きつけのお店なんてどうかしら?」


 オリビアは全く意見の合わない部下二人と顔を見合わせ、小さく頷いた。店選びにおいて、三人の間では身分の違いはなくなる。


「オリビア様。本日は王都引越し後初の食事となりますが、よろしいのでしょうか?」


「もちろん。いつも通りにしましょう」


「そうこなくっちゃ。さすがお嬢様」


 利き手を握り、拳を作った。一度軽く反動をつけ、一気に目の前に突き出す。


「「最初はグー! ジャンケンポン!!」」


 一人の拳が歓喜に震えている。そして敗者となった四本の指は力無く崩れ落ちていった。


「ええ〜絶対勝てると思ったのに!」


「看板娘のかわい子ちゃんが……」


「決まりですね」


 リタががっくりと肩を落とすオリビアとジョージを交互に見て、にっこりと微笑んだ。





「ねえ、リタ。さすがにそろそろ決めましょうよ」


「申し訳ございません。どうかあと一軒だけお付き合いいただけないでしょうか?」


「いつまで選んでんだよ、もうさっきの店で良くない? そこそこイケてる兄ちゃんだったじゃん。俺には劣るけど?」


「うるさい、クソジョージ」


「わ、わかったわ、リタ。今日はあなたに従うわよ」


「ありがとうございます!」


 街へ出て店を探し始め、すでに五軒の店を見たがリタのお眼鏡には敵わない状況だった。そろそろ王都の中心部からも離れてきている。


 日中の引越しで体力を使っていたオリビアは、そろそろ限界だったが、リタの「見目麗しいどこか儚げなマスターがいる店」探しにとことん付き合うことを決めた。ジョージも観念したのかため息をつきつつ、二人についてきている。


「あら、今からオープンのお店もあるのね」


「本当ですね。飲み屋でしょうか?」


「キャバクラ行きたいっすね〜」


 オリビアはリタと共にジョージのことを完全に無視し、前方で誰かが店の看板に明かりを灯そうとする様子を眺めながら会話していた。

 距離が遠く、男性か女性かもわからない。少しくすんだ、おそらく灰色の髪が明かりを灯した照らされ鈍い光を放つ。

 その人物が店内に戻ろうとした時、店の前まで歩みを進めていたオリビアと目が合った。


「ここは飲み屋なのかしら?」


「いえ、お酒も出しますが一応食堂です」


「あなたの店? もうオープンしているの?」


「はい。私の店です。良かったら寄って行かれませんか?」


 彼は首を少し傾け、美しい顔を崩さない程度に微笑んだ。身長はリタと同じくらいで男性にしては少し低い。

 華奢きゃしゃで透き通るような白い肌はどこか儚げだった。さらに髪の毛と同じ灰色の瞳は鮮やかさはないが、何色にも染まらずミステリアスな印象だ。

 リタに至っては先程からうっとりと彼を見つめながら言葉が出ない状態だった。その様子を見て、オリビアが口角を上げる。


「リタ、ジョージ。ここに決まりね」


「へいへい」


「は、はいっ!」


「ありがとうございます! どうぞこちらへ」


 オリビアは「見目麗しいどこか儚げなマスター」に案内され、リタとジョージと共に店内へ入っていった。


 店内はカウンター四席、テーブル席が二つの小さな店だった。王都にしては内装に派手さがなく、田舎出身のオリビアには心地が良かった。


「お好きな席へどうぞ。あ、もし嫌でなければカウンターはいかがでしょう? 故郷のお話など、聞かせていただけたら嬉しいです」


「あら、私たち、王都の人間には見えなかったかしら?」


 オリビアは眉を上げ、目を丸くして見せた。一応、都会的な装いをしたつもりだったので簡単に気づかれたことが不思議だったのだ。


「あ、どうかお気を悪くされないでください。王都にはいろんな人間がいますが、こんなに目立つ美男美女の三人組は見たことがなかったものですから。王都の方なら、とっくに噂になっているはずです」


「なるほど。それはお世辞でも嬉しいわ」


「いえいえ! お世辞なんてとんでもないです! あっ!」


 慌てて返事をした拍子に、店主が段差につまずく。転ぶ前にジョージが体を片腕で支え、彼はすっぽりとその腕に収まった。


「兄ちゃん、気をつけな。ドジだねえ」


「あ、す、すみません!」


 その様子を見て、オリビアは兄エリオットを思い出していた。これはいよいよリタのストライクゾーンのど真ん中だ。


「リタ。これでお兄様と離れても寂しくないわね?」


「なななな! 何をおっしゃいますか!」


 完全に否定しないところがリタらしいと、オリビアとジョージは目を合わせ意地悪な笑みを浮かべた。



「おいしい! エル、これはあなたが作ったの?」


「はい。お口に合って良かったです」


「料理上手なのね。やっぱり王都のお店はレベルが高いわ」


「ありがとうございます、リビー様。あ、今メインの用意をしますね」


「楽しみ! ねえ、リタ」


「は、はい……」


 エルと名乗った店主は、前菜にと、ハムやピクルスなどの盛り合わせを出した。食感や塩加減が程良く、メインが待ち遠しくなる。


 オリビアはクリスタル領以外の場所では自分の本名は明かさないよう、リビーと名乗ることにしている。


 エルには国境近くの領地の子爵家の人間で、店舗経営のための勉強をしにたまに王都に来ていると話した。


 幼い頃の誘拐の件もあり、警戒は怠らないようにしている。リタとジョージも緊張を解くことはない。


 リタが内心、この素敵な店主がどうか疑わしい人物ではありませんようにと切に願っているのは、オリビアにはお見通しだ。


「お待たせいたしました。お口に合えばいいんですが……」


 エルが三人にそれぞれ料理の入った皿を差し出す。少し深めのオーバル型の陶器の中からは、料理の最中から香っていた香辛料の香りが、食欲を刺激していた。


「カレーっぽいわね」


「確かに」


「カレーっすね」


「え? カレー? 何でしょう、そういう名の料理があるのですか?」


 エルが首を傾げる。どうやら異世界ではこの料理がそう呼ばれていることを知らないようだ。オリビアは軽く首を横に振り笑顔で取り繕った。


「あ、いえいえ、私たちの故郷にある創作料理に似ているの。さあ、いただきましょう」


「「いただいます」」


 オリビアは、一口食べて目を丸くしてリタとジョージに視線を送った。二人も同じ表情で、全く同じように同じことを考えていることがわかる。


((……カレーだ!))


「や、やっぱり、斬新すぎましたか?」


 エルが不安げにこちらの様子を伺っている。ハッと我にかえり、オリビアが首を横に振った。


「いいえ! 美味しいわ、とても。ただ……ジュエリトスでは馴染みのない味付けなはずだから驚いたの。ねえふたりとも」


「はい! とっても美味しいです」


「うまいうまい。まあ俺はもう少し甘口でもいいね」


「良かった! 実は材料は行商人から断りきれずに買った遠い国の香辛料でして。これでダメだったらどうしようかと思ってたんです」


 エルが心の底から安堵した表情で息を漏らす。相当高値で売りつけられたようだ。


「本当に美味しいわ。好き嫌いは分かれるけど、固定ファンがつく味よ。自信持って!」


「ありがとうございます!」


 彼の目は細く弧を描き、口角は上がり、口元から歯を覗かせている。間違いなく今日一番の笑顔だった。リタが今にもとろけそうな緩み切った表情をしている。



 三人はデザートまでしっかりいただき、エルに王都の美味しい店をいくつか聞いて彼の店を後にする。


「エル、今日はご馳走様」


「こちらこそ、ありがとうございました。家族の手伝いもあって不定期オープンですが、またぜひいらしてください」


「ええ、また来るわね」


「あ、リビー様。この店のさらに奥の通りには入らないように気をつけてください。治安が悪いので護衛がいても危険です」


「ありがとう、気をつけるわ」


「はい! それではリタ様、ジョージ様もお気をつけて」


「ありがとな」


「まままま、また来ます!」



 エルは深々とお辞儀をして、三人の後ろ姿をいつまでも、姿が完全に見えなくなるまで見送った。

 その後、すぐに店の看板の明かりを消し、店内にしまいこんだ。外はまだ食堂や飲み屋を梯子する客たちで賑わっているが、彼は出入り口の鍵を内側から閉める。


 そして……。


「オリビア・クリスタル……。いきなり当たりを見つけたな」


 少し野暮ったい前髪をかき上げ、グラスに葡萄酒を注ぐ。深い赤紫色のグラスには先程までエルと呼ばれていた男が、怪しくも美しい笑顔で映りこんでいた。




>>続く


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