第7話 空気が読める男、ジョージ


「いらっしゃいマッスルー!」


 オリビアはこの異国の言葉の挨拶が大好きだった。思わず笑顔が溢れる。


 横目でリアムを覗くと、ジュエリトスでは聞いたこともない挨拶で出迎えられ、彼は若干圧倒されているようだった。


 店内はアーノルド同様、体格が良い男の給仕が数名おり、客も男性のみである。リタに言われて美しい顔の男を採用したが、女性客は筋肉の圧力に耐えきれず来店することはまずなかった。

 四人はオリビア専用席へ案内され、腰掛ける。


「まさか筆頭公爵家のアレキサンドライト公にご来店いただけるとは光栄です。お嬢様もそういうお年頃になったのですね」


 アーノルドがメニューをリアムに差し出し、嬉しそうに口角を上げ、白い歯を覗かせた。彼はオリビアが十歳の頃からクリスタル家で護衛をしていたが、昨年怪我で配置換えを余儀なくされた時、『バルク』のオープニングスタッフにスカウトした。


「リアム様はお兄様のご友人なの。今日はお兄様が来客で相手できないから私がご一緒しているのよ」


「そうでしたか。邪推じゃすいしてしまい申し訳ございません。後ほどご注文を伺いに参ります」


 軽く会釈し、アーノルドは他の客の席へ向かう。注文を聞いているようだった。


「リアム様、何か気になるメニューはありますでしょうか?」


「あ、ああ、この『プロテインドリンク』というのは聞いたことがないのだが……」


「こちらは、他国から取り寄せた素材で、肉や魚、豆などに含まれる筋肉を作るための栄養素、プロテインが豊富に含まれている飲み物です。味は甘味があって、ミルクティー味、バニラ味、ココア味から選べます。ご一緒にプロテインパンケーキもおすすめですよ」


「なるほど。ではココア味のドリンクとパンケーキをいただこう」


「ジョージはいつものパフェとバニラのドリンク?」


「はい」


「リタは?」


「コーヒーとサラダチキンサンドをいただきます」


「私はワッフルと紅茶にするわ」


 オリビアがそう言ってメニューを閉じた瞬間、アーノルドが注文を聞きにやってきた。店内の空気には敏感なようだ。彼は優秀な店員である。


「君たちはよく、一緒にこの店に来ているのか?」


 注文の品を待つ間、リアムが三人に問いかける。この店に来てから、彼は少し元気がなさそうだ。街に着いた直後のようなワクワクと胸躍らせている様子が見る影もない。


「ええ。最低でも二週に一度は来ています。街の店に入るときは、三人とも同じ客という立場で楽しむことにしていますの」


 やはり性癖丸出しのこの店内の様子に気を悪くしたのだろうか。オリビアは冷静に返事をしつつも心配で目が泳いだ。


 一方、オリビアの護衛ジョージは、この会話を聞きながら別な方向に考えを巡らせていた。そして、リアムの言葉に、その考えが間違っていないことを確信する。


「……それで彼の注文も熟知しているんだ」


「はい。ジョージは特に大の甘党ですの。それに気に入ったらそればかりなので。リタは甘いものは得意ではないので軽食が多いですね」


「そういえば昔から、随分と仲が良かったな。君たちは」


「ええ、そうなんです。私たちずっと……」


「お待たせいたしました!」


 オリビアが話しかけたところに、アーノルドが注文の飲み物やデザートを持って現れた。


 おそらく最悪のタイミングだと、ジョージだけが気づく。


「アレキサンドライト公! 私とお嬢様は……」


「ジョージ! どうしたの? 温かいうちにいただきましょう。さあ、リアム様、召し上がってください」


「ああ、いただきます……」


 リアムの視線は、パンケーキではなく自分に向けられているとジョージは感じた。先ほどよりも目が据わっている。自分も最悪のタイミングで話が途切れてしまった。全てはこの鈍感な主人のせいだと、ジョージはオリビアを一瞥いちべつした。


 しかし、その行動もまた、リアムにとっては火に油を注ぐ行為だったようだ。おそらく無意識に彼の目と眉が近寄った。


「リアム様……。お口に合いませんか?」


 オリビアが心配そうにリアムを覗き込んだ。彼女にとってこの店は夢の国だが、リアムに悪趣味な店に料理まで不味いと思われていたらと不安で仕方なかったからだろう。ジョージは冷めた目でその光景を眺めていた。


「すまない、少し考え事をしていて。料理も飲み物もとても美味しい。実は私も結構な甘党なんだ」


「よかった! それを聞いて安心しましたわ。田舎では受け入れられていても、王都の方のお口に合うか心配でしたから……」


 安堵の笑顔を見せるオリビアに、リアムの表情も若干明るくなった。ジョージも内心ほっとして胸を撫で下ろしていた。このままいい雰囲気で自分のことは忘れてほしいと心から願った。


「この味ならきっと王都でも人気店になるさ。騎士団の連中が入り浸りそうだ」


「まあ嬉しい。学院に入学してから、本格的に王都への進出も考えてみようかしら」


 貴族学院の話題で、リアムは完全に広場にいた時の機嫌の良さに戻っていた。ジョージにはそれが不安だった。たぶん、彼は重大な勘違いをしている。


 しかし、それを自分から話すことは立場上難しい。どうしたものかと考えていると、リアムがさらに話を続けた。その声色は明るく、ジョージはさらに複雑な気持ちになった。


「貴族学院入学まで一ヶ月を切っているのか。私も基本的には王都での勤務だから、あちらで会えるのも楽しみだ。その時は私の気に入った店を案内させてほしい」


「はい。楽しみにしていますわ。三人でも話していましたの。王都の人気店を研究しよう、と」


「三人? ……連れて行くのはリタだけでは?」


 リアムの目が点になっていた。おそらく予想外の返答だったのだろう。学院に従者を連れて行けるのは一名のみ。護衛をつけられるのは王族だけだ。ジョージには彼の心情が手に取るようにわかった。


 しかし、ジョージの主人は全く気付く様子はなく頷いている。


「はい。従者としてついてくるのはリタだけです。ジョージは生徒として一緒に入学します」


「に、入学? 彼は一体……」


 困惑の表情を隠せないリアムを見て、ジョージは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。きっと彼の中の古い記憶を遡っても、自分が貴族だった情報は出てこないのだろう。


 何より、ジョージは貴族の証である自家の紋章を、どこにも身につけていない。リアムの視線が自分の服の隅々に突き刺さり、ジョージは気まずくて仕方なかった。


 それでもジョージの主人は、この微妙な空気を読むことなくリアムの質問に答えた。


「ああ、ジョージはヘマタイト男爵家の三男ですの。ヘマタイト家は男爵家の中でも領地はないですし、どちらかというと子爵家寄りですので……ご存じないかと思いますが……」


「そうだったのか。それは失礼なことを言った」


 ジョージはバツの悪そうな顔でリアムに軽く会釈をする。

 せっかく話がうまく逸れたはずなのに、またもや空気が重くなりかけている。もうこの場から一刻も早く去りたい気持ちだった。しかし、ここで諦めたら最悪職を失うと自分を奮い立たせた。


「いいえ。お気になさらず。自分は婚外子ですし、控えめに言っても没落寸前ですから。そんな自分ですが、妹のように思っているお嬢様とリタのために、今さら学生になることにしまして……。お嬢様はアレキサンドライト公の大切な婚約者でもありますので、在学中も全力でお守りいたします」


 よくやった。我ながら誤解を解きつつ、主人の婚約者への忠誠を誓うパーフェクトな解答だと、ジョージは今日一番の笑顔をリアムに向けた。彼もホッと息を漏らし、安堵しているようだった。


 ——恋愛偏差値底辺なジョージの主人が口を開くまでは。


「あら、ジョージが兄なんて嫌だわ。ねえリタ」


「はい。同意します」


「ちょっと、今そういうこと言うとややこしくなるから! 申し訳ありません、アレキサンドライト公」


「いや……気にするな。よくわかった」


 射殺すような視線を受け、ジョージは主人とその従者を少しばかり恨んだ。



>>続く


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