第6話 カフェ『バルク』
翌日、オリビアが朝食をとりに食堂に行くと、予告通りリアムは日常生活に戻っていた。彼はクリスタル家に混ざって、オリビアやその家族と朝食をともにしている。
「クリスタル伯爵家の皆様には部下ともども世話になり、本当に感謝しています。婚約のご挨拶のつもりでしたのに、ご迷惑をおかけしました。後日改めて、アレキサンドライト公爵家からも公式にお礼をさせてください」
リアムがオリビアの両親に今回のことについて感謝の挨拶をした。
体型に少年の頃の面影はないものの、顔は変わらず美しいのだろう。オリビアの母キャサリンは、首から下に視線は移さないよう徹底して、彼の顔面に釘付けだった。心なしか彼女の頬はほんのりと赤く染まっていた。
使用人たちも男女問わずうっとりとした表情で彼の顔を眺めていたが、オリビアは昨日のこともあり恥ずかしさで直視することができなかった。
「いやいや、お力になれて本当に良かった。こちらこそ娘のオリビアに婚約を申し込んでいただき、感謝いたします」
父は心からの感謝の言葉を、感情たっぷりに述べた。もみ手でもしているんじゃないかという媚びへつらいっぷりに、オリビアは少し恥ずかしくなったくらいである。
ちらりと横目でエリオットを見ると、彼もまた恥ずかしそうに困り顔で
しかし、父ジョセフにも事情があった。クリスタル家は八十年ほど前、オリビアからだと曽祖父の代に王家とのトラブルがあったそうだ。そして、公爵から伯爵への降格と、辺境の地への移住を余儀なくされた。
田舎である領地周辺ではなんてことはない話だが、王都へ出向き他の貴族と集まる際などは本当に肩身が狭かったようだ。気の小さい彼には耐えられない環境だったのだろう。
そのため王家とも繋がりのあるアレキサンドライト公爵家との縁談は、これ以上ない良縁だった。
「先程、家に手紙を書いて出しました。三日ほどで迎えが来るはずです。それまでの滞在をお許しいただけますか?」
「も、もちろんですとも! むしろ一生居ていただいてもかまいませんぞ! ハハハ」
オリビアは全く笑えなかった。エリオットを見ると彼もこちらを見ていて、父の権力好きには困ったものだと視線だけで語っていた。オリビアも呆れて顔の筋肉が静止する。
「そういえばオリビア嬢は領内でカフェを経営していると聞いたが、後で顔を出しても構わないだろうか?」
リアムが若干寒々しくなった室内の雰囲気を察知したのか、話題を変えた。
「え! 私のカフェへですか?」
急に話を振られ、声が裏返るオリビア。今日初めて、リアムと目が合った。
それほどに昨日の自分の痴女的行動が恥ずかしかった。昔はあんなに自然体で接することができたのに。
あの隆々と盛り上がる筋肉に心奪われ、話すのも緊張してしまう。
「ああ。領民にはもちろんのこと、他の領地からも客が来るくらいの人気だとエリオットに聞いたよ。せっかくの休日に領民には迷惑もかけたし……せめて売上に貢献したい。案内してくれないか?」
「は、はい。お気遣いいただきありがとうございます。それでは午後にご案内いたしますわ」
「楽しみにしているよ」
リアムがオリビアを見つめ微笑んだ。
その表情を視界に入れた瞬間、オリビアは胸がキュッと締め付けられるような感覚に陥った。耐えられず、慌てて視線を逸らしてみるが、回復の気配はない。動悸が激しく、頬と耳が熱くなる。
「ご馳走様でした! それでは私は失礼いたします。ごきげんよう」
これ以上この場に居るのは危険だと判断したオリビアは、食後のお茶も飲まずに急いで席を立ち、食堂を後にした。
「オリビア様! お待ちください!」
「お嬢様。いい加減勝手に行動しないでくださいよ」
リタとジョージが早足でオリビアを追いかけた。
「あ、ごめんなさい。またあなたたちのことを忘れていたわ」
廊下で立ち止まり、オリビアは一旦呼吸を整えて二人と共に自室へ戻る。
「いくら貴族の令嬢でも、あんまりウブすぎるのは面倒ですよ? お嬢様」
部屋に入った途端、ジョージがニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、オリビアに視線を送っていた。
「だって緊張するでしょう。すごく好み、いいえ、もう完璧理想の筋肉なのよ? 昨日のこともあるし……目を合わせるのも、同じ空間も恥ずかしくて仕方ないわ!」
「ですがオリビア様、街へ行く馬車でまた同じ空間です。あのような態度ですと誤解されるかもしれません」
確かに、あからさまに視線を逸らすことや、ぎこちない会話は失礼にあたる。何とかならないかと、オリビアは俯き加減で顎に拳をあて、思案する。
「わかった! 馬車を分けましょう。お兄様も誘って、二台で行けばいいのよ!」
「そう、うまくいくでしょうか?」
閃いたと言わんばかりに、オリビアは眉間のしわを伸ばし目を見開くが、リタの反応はイマイチだった。ジョージに至っては失笑している。
◇◆◇◆
「
妹からの外出の誘いを、エリオットは申し訳なさそうに断った。
オリビアは断られることは想定しておらず、驚きで口を開いたまま顔が固まった。リタとジョージの生温い視線を感じる。
エリオットは書類に目を通しながらの対応で、三人の様子に全く気づいていないようだ。護衛も兼任する彼の従者ディランだけが冷ややかな視線を送ってきた。彼はオリビアたちの母方の紹介でやってきた、オニキス領出身の仕事ができる青年だ。しかし、クリスタル伯爵家で働くにはややお堅い性格だった。
特に軟派の極みのような男、ジョージとは相性が最悪だ。
「ま、諦めるしかないっすね。お嬢様」
「オリビア、リアム様を頼んだぞ。失礼のないようにな」
「……はい」
あてが外れたオリビアは兄の執務室を出て、トボトボと自室へ戻り、外出の準備を進めた。
「困ったわね。何とか密室は避けたいのだけれど」
オリビアは本当に困っていた。なぜかその頭の中には、リアムを避けるか触るかの極端な選択肢しかなかった。
直視するには眩しすぎて、近づけばその筋肉に触れないでいる自信がない。
「とりあえず、リタだけじゃなくて俺も馬車に乗りますよ。雑談でもして乗り切ればいいんじゃないですか? あとは本人じゃなくて、その奥の方を見るとか」
「いいわね! ナイスジョージ! もしうまくいかなければジョージがリアム様のお相手をしたらいいのだわ」
「俺は女の子の相手しかしたくないんですが」
「今日ぐらい二つ返事で首を縦に振ってちょうだい! 私、一応雇用主なんですけど?」
「はいはい」
リタとジョージは、オリビアが事業を始めた時からクリスタル家ではなく、オリビアの直接雇用となっている。待遇もいい。
「さあ、オリビア様、準備ができましたよ」
リタが外出用に髪を結い直し、主人へ手鏡を差し出した。受け取ったオリビアは、合わせ鏡で後頭部を確認する。そこには滑らかな銀髪が美しく編み込まれている様が映った。
「うん。素敵。ありがとうリタ」
椅子から立ち上がり、オリビアは大きく息を吸い、吐き出す。気合は十分だ。
「さあ、行きましょう!」
◇◆◇◆
——ガタ、ガタンと馬車は道の凹凸に合わせ、リズミカルに揺れる。
舗装はされているものの、田舎の領地なので王都周辺の道には及ばない。この揺れの問題はクリスタル領の今後の課題だった。
「オリビア嬢。今日は付き合ってくれてありがとう。君が経営するのはどんな店なのか、楽しみで仕方ないよ」
リアムが外の平凡な田舎道を眺めた後、少年時代を彷彿とさせる王子様スマイルでオリビアを見つめた。
「まあ。あまり期待されてしまうと、応えられるか心配になりますわ」
オリビアも微笑み返し、車内の雰囲気は良好だ。ジョージのアドバイス通り、リアムの顔ではなく、さらに奥の壁に視線を送るのがうまくいっている。
「少しだけ、店のことを教えてくれないか? 例えばおすすめのメニューとか」
「うふふ。もうすぐですので、着いてからのお楽しみということにしてください」
「そう言われると、さらに期待してしまうな」
「あら、それは困りますわ」
(——本当に困ったわ)
オリビアはにこやかな表情とは裏腹に、心の中では焦っていた。リタとジョージも一瞬顔がこわばっている。
馬車の件で夢中になっていて、すっかり忘れていた。どの店に案内しよう?
オリビアは街に三軒のカフェを経営していた。全てジュエリトスでは未だかつてない、風変わりなカフェである。
それぞれ店舗名が『ラ・パセス』『ジュ・テーム』『バルク』で、執事、メイド、マッチョが給仕してくれる。遠方からお越しのファンも多い。
公爵家の人間でさらには騎士団の隊長でもあるリアムに、いわゆるイロモノな店を見せていいものか。オリビアは会話こそしなかったが、リタとジョージも同じように悩んでいるのが、眉を寄せ俯くその表情からわかった。
そうこうしているうちに、オリビア自身の予告通り、すぐに街に到着してしまった。
馬車を降り、リアムがあの時は見る余裕がなかった広場を見渡している。
「王都から離れた土地だが、負けないくらい活気がある。素晴らしい街だな」
「ありがとうございます」
「さて、オリビア嬢。カフェに行くにはどちらへ向かえばいい?」
期待に胸をふらませているのか、リアムは深い緑色の瞳を輝かせていた。オリビアはどうしたものかと頭をフル回転させ最適な店舗を探していた。が、答えは出なかった。
マッチョカフェ『バルク』だけは恥ずかしくて案内できない。マッチョ好きという自分の性癖を
そう思ったその時、ジョージが口を開いた。
「お嬢様。本日は急な予定で席が用意できないかもしれません。エリオット様の経営する『ハーベスト』にご案内してはいかがでしょうか?」
オリビアの兄エリオットは、会員制サロン『ハーベスト』を経営していた。自然あふれる隠れ家的な店で、高級食材や他国からの珍しい雑貨を取り扱っている。その他にオリビアが開発した画期的なアイテムも手に入れることができる、新しい物好きにはたまらない店だ。
「そうね! それがいいわ!」
「オリビア嬢の店には行けないのか?」
オリビアはジョージの意見に食いついた。しかし、少し悲しそうに首を傾げるリアムを見て、罪悪感で居た堪れなくなってしまう。答えの言葉につまって困り顔で立ち尽くしていると、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「オリビアお嬢様! いらっしゃっていたんですね!」
「ア、アーノルド……」
アーノルドは『バルク』の店員で、もちろん筋肉隆々の逞しい体をしている。この地域では珍しく日に焼けて肌が浅黒い。同じく肌が黒いリタとは違い、自ら日焼けさせているらしく、以前から天気の良い日は外で見かけることが多い。
「今日はどちらに? うちにも寄っていってくださいよ」
「ええ、そうしたいのだけれど、混んでいそうだから迷惑かと思って『ハーベスト』へ行こうかと思っているの」
「なーに言ってるんですか! 忘れたんですか? お嬢様専用の永久ご予約席の存在を。さあ、行きましょう!」
オリビアはジョージとリタと共にリアムにバレないようそっとため息をついた。残念ながらアーノルドは察することができない男だった。
アーノルドに引率され、四人は広場の東側へ向かった。オリビアの肩ががっくりと落ちている一方、リアムは街並みを眺めながら、それは楽しそうに歩みを進めていた。
>>続く
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