第5話 恋の始まり


 セオの治療後、みんなと解散し昼食を済ませ、オリビアは再びリアムの見舞いに訪れていた。

 ベッド脇の椅子に座り、治療の内容や様子について彼に報告する。


「本当に治療を成功させるとは……。あなたはなんと聡明なんだ」


「いいえ。みんなの協力があってこそですわ」


 オリビアは謙遜けんそんし首を横に振ったあと、同席していたリタとジョージに視線を送った。リアムも同じく二人に視線を移した。


「ふたりも、重要な役割を果たしてくれたのだな。感謝する」


「もったいないお言葉でございます」

「光栄です」


 リアムの言葉に、リタとジョージが一礼する。


「オリビア嬢も、本当にありがとう」


 オリビアは視線を自分に戻し、穏やかな表情で感謝の言葉を述べるリアムの姿に安心し、目を細めた。


「私の方こそ、突然の申し出を信じていただき、感謝いたしますわ」


 オリビアはさらに目を細め優しく微笑んだ。リアムからも合わせて微笑みが返ってきた。ただ、その視線が自分からさらに奥のを見ているような気がして首を傾げた。



 一方、リアムはオリビアの笑顔に、かつての淡い初恋の少女の面影を見ていた。


 視線と意識は彼女からそのまま遠く、学生時代の長期休暇までさかのぼっていく——。


 友人の妹の、恋を知らない少し生意気な可愛らしい少女。長期休暇の度に心休まるお茶会で、他愛もない話をした。

 家族以外で異性を気にかけたのは、たった一人、オリビアだけだったことをリアムは思い返していた。

 そして、初恋の少女は、美しく聡明な女性に成長し、自分の仮の婚約者となった。


 ——意識と視線が、現在のオリビアに戻っていく。



「はじめはあなたを疑ってしまった……。許してくれるだろうか」


 そんなオリビアのことを、リアムは一瞬でも疑ったことを後悔していた。その深い緑の瞳は不安で曇った。


「許すなんて、とんでもないことでございますわ。私がリアム様の立場でしたら、決断することも難しかったでしょう」


 そう言ってオリビアが口角を上げ、優しく微笑んだ。少し首を傾げた拍子に、銀色の美しい髪の毛が揺れる。その姿にリアムは見惚れていた。


「あなたは聡明なだけではなく優しいんだな。ちなみに、治療法についてはどこで知ったものか聞かせてほしいんだが……」


 リアムは布団の上に置いていた自分の手を、オリビアの手にそっと重ねた。途端に、白く細い指がピクリと反応するのを感じる。


「い、いいえ! もったいないお言葉ですわ! 治療法については私の魔法で知り得た知識ですの。当家の事情で詳しくは説明できませんが、私は少し変わった魔法を使えるのです。リアム様も広場でお会いした時、変わったお姿をしておりましたが、あれは魔法でしょうか?」


 オリビアが頬と耳を赤らめながら答えた。口調も随分と早口で、彼女の緊張が伝わった。自分のことを意識してくれているのだろうか。リアムの心の中に、少しだけ自分に都合のいい考えが頭をもたげていた。彼女に気取られないように話を続ける。


「ああ、一応、肉体強化の魔法になる。どうやら私は魔力量が多いのもあって、自分の体を倍以上の大きさにできるんだ」


「なるほど、そうでしたの。素敵な能力ですね。リアム様は他にも上位の回復魔法も使えるそうですね。私は魔力量が少ないので羨ましいですわ」


「回復も強化もありがたいことに騎士団で役に立っているよ。今回はさすがに魔力切れでこの有様だが……」


「魔力が戻るまでには、まだお時間がかかりそうですか?」


 オリビアが心配そうにリアムの顔を覗き込んだ。魔力持ちが魔力切れを起こすと、回復するまで体が怠くなったり、熱を出して寝込むこともあるからだろう。


 リアムは自分の身を案じ覗き込む薄紫の瞳が、ほんの少し潤み、上目遣いになっていることに動揺し、視線を逸らす。


(か、かわいいっ……!)


 オリビアに自分を意識して欲しくて、手を握ってみたりしているが、リアムの方が緊張でどうにかなりそうだった。自分の胸の鼓動が、早まっているのを感じる。


「もう、だいぶ魔力は戻ってきているんだ。明日には日常生活に戻れそうだよ。多少なら魔法も使える。こんなふうに」


 胸の鼓動を気取られないよう、ごまかすように、リアムはちょっとした魔法を使ってみせる。

 リアムは腕のみの肉体強化をした。筋肉が隆々と盛り上がり、元々逞しかった腕はさらに太く、女性のウエスト程度の太さになっている。


「——まあ、すごくたくましい。まるで……」


 オリビアが強化したリアムの腕を、肩の方から、一つ一つの筋肉を確かめるように見つめながらゆっくりと撫で下ろす。


「……っ! オリビア嬢?」


 急に積極的なオリビアにリアムは驚いた。その拍子に魔法が解け、腕も元のサイズに戻る。オリビアもはっとした様子で腕から顔へ視線を戻した。リアムはオリビアと視線が交わり、真っ赤になっていた顔がさらに赤く、熱く感じて恥ずかしくなった。


「リ、リアム様」


 自分がずいぶん大胆な行動をしていることを自覚したようで、オリビアの顔も赤くなった。そして、直後に顔女の顔が青ざめた。リアムはどうしたのか尋ねようと口を開くが、先にオリビアが慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません! 無礼をお許しください! 私そろそろ失礼いたしますわ! ゆっくりおやすみくださいませ!」


「オリビア嬢!」


 どうやら貴族の令嬢としてははしたなく、格上の貴族相手に無礼であると思ったようだった。リアムはフォローのため急いでオリビアを引き留めようとするが、彼女は素早く椅子から立ち上がり、足早に部屋を後にしてしまった。


 リアムはすぐに動けない自分を情けなく思い、大きなため息をついた。


◇◆◇◆


 リアムの部屋を出てから、オリビアは早足で自室へ戻った。


「オリビア様!」


 部屋に入る直前で、リタとジョージもオリビアに追いつき、一緒に彼女の部屋へ入る。


「俺らまで置いていかないでくださいよ」


「……ごめんなさい。あなたたちのこと、すっかり忘れていたわ」


 オリビアは、早足で乱れた呼吸を整えながら答える。顔はリアムの部屋にいた時と同じく頬や耳が真っ赤に染まったままだった。

その様子にリタは呆れてため息をつき、ジョージはにやにやと薄ら笑いを浮かべている。


「それにしてもお嬢様。さっきのアレ、完全に痴女ちじょですよね? ずいぶん大胆だったなあ」


「ち、痴女ですって? 私が……痴女!」


 改めて自分のしたことを思い返す。ジョージの言葉があまりにも的確で反論すらできず、オリビアはがっくりと項垂うなだれた。


 仮の婚約者で、しかもつい昨日、数年ぶりに再会したばかり。手に触れるのも緊張していたはずなのに、腕だけとはいえ撫で回した。


 痴女とは言い得て妙だ。とは言えオリビアにとってあの腕は、触らずにはいられないくらい魅力的だった。


「だって、仕方ないじゃない。あんなにすごい筋肉、触らずにいられないわ!」


「オリビア様の趣味について、理解はしていますが……やはり共感はできかねます」


 リタが困惑を一切隠すことなく、眉間に皺を寄せて返事をした。

 ジュエリトス王国では、すらりとした長身で、どちらかというと細身の男が女性たちに人気だった。

 それは労働の必要がなく、それでいて栄養状態は適切であることを物語っており富裕層や貴族の家系の象徴だからだ。さらに顔が中性的で美しいと至高とされている。リタもそういった価値観を持った女性のひとりだった。


 そんな中オリビアは、幼い頃から他人の顔面の美醜びしゅうには興味がなく、さらに筋肉隆々の男性が好みだった。


 ちなみに好きな筋肉は肩の三角筋だ。


 彼女の趣味でクリスタル伯爵家の護衛はほぼ全員筋肉ダルマである。


「まあ、リタは風が吹けば飛んでいきそうなくらい軟弱な男が好みだものね。——例えばうちのお兄様みたいな」


「な、何をおっしゃっているのですか! オリビア様!」


 リタが顔を赤くして反論する。その声は裏返り、明らかに図星だった。


 クリスタス伯爵家の嫡男ちゃくなんエリオットは、長身ではないものの、背が低いわけでもなく、中性的な顔立ちに輝く金髪、透けるような白い肌をしている。


 学生時代はそこそこにモテていた。


 ただ、彼は見た目の通り細く軟弱で、何もないところで転ぶくらいにドジだった。

 さらには話してみると少しバカっぽいなどの理由により、結婚相手としては頼りなく、大人になるにつれ女性たちからのお声はかからなくなっていた。


 そんなところもリタにはたまらなく魅力的だった。オリビアには全く理解ができない趣向である。


「まあいいわ。一緒にいられないのは寂しくなるけど、私はリタが姉になってもいいと思っているのよ」


「そ、そんな、孤児院出身で平民の私がエリオット様に嫁ぐなど……滅相めっそうもございません!」


 リタが胸元で両手を小刻みに振りながら狼狽うろたえている。いつもは冷静な彼女の慌てる様子に、オリビアはジョージと顔を見合わせクスクスと笑う。三人の時に定期的にある定番の会話だった。


「身分が気になるなら、俺ん家に養子に来てもいいんだぜ? 俺の妹ってことで」


 ジョージは婚外子ではあるものの、男爵家の三男だった。オリビアには物足りないが、程よく鍛えた体に長身と整った顔立ちは、街娘たちに絶大な人気を誇る。


「誰がお前の妹になんかなるか!」


 リタが真っ赤な顔で反論し、オリビアはジョージと再び顔を見合わせて笑った。


◇◆◇◆


 その日の夜。

 身支度を済ませベッドに入ったオリビアは、今日の出来事を振り返っていた。


 いつもなら領地の運営や自身が経営しているカフェのことを考えているが、今日は日中リアムの部屋で過ごした時間の事ばかりが思い浮かんだ。


 彼の太く逞しい腕。筋肉のひとつひとつの感触。強化していなくても、クリスタル家の護衛並みに鍛えられていた。


(ああ、なんて素敵なのかしら! まさかリアム様があんなに逞しくなっているだなんて、反則だわ! そりゃ触るわよ。モロ好みなんだから!)


 子供の頃は全く興味がなかったリアムが、自分の理想の男性に成長しているのは、オリビアにとって嬉しい誤算だった。


「それにしてもリアム様、素晴らしい筋肉だった……。まるで、シュワちゃん様みたい」


 シュワちゃん様は、オリビアが魔法で見た異世界の住人で、まるでよろいのような筋肉をまとっている役者だ。一目惚れしてから何度魔力切れで倒れるまで彼の姿を追った事か。


 そんな一目惚れの相手にも劣らないリアムの素晴らしい筋肉を思い浮かべながら、オリビアは幸せな気持ちで眠りについた。



>>続く


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