第2話

「小説を書くのやめるなんて言わないでよ」

 伊織いおりは、制服のそでで涙を拭き取った。彼女の鼻をすする音だけが、聞こえる。

 私は答えに戸惑った。本音を打ち明けることを、図書室の書物が許さない気がした。だけど、正直に言おう。言うことで彼女は理解してくれるかもしれない。


「だって、私の書く小説つまらないから」

「そんなこと言わないでよ、なんでやめるの」

「別に伊織にはそんなの関係ないでしょ」

「書かないなら、もう関わらない」

「え」


 伊織は、かばんあさりながら言った。私とおそろいの遊園地で買ったキーホルダーが、チラチラと、彼女の体しから見える。

「小説書かない真由美なんて、嫌。嫌い」

「そんなに小説書かせることに固着する意味がわからない」

「もういい」

「どうして、小説書かせたいの」

「黙って!」


 私に向かって、本を投げた。本は床に叩きつけられ、それを拾うと私が貸した本だった。


 伊織がここまで、淡泊たんぱくに返答するのは、いつぶりだろう。

 まだ私はケンカした原因となったできごとがわからない。小説を書かない、と言ったのが原因だろう。でも、根本的なものではないと思う。


**************************************


 私が最初に彼女に抱いた印象は、凍ったアイスの一口目みたいな女の子と思った。

 高校1年の時、伊織と同じクラスになった。クラスメイトは、新生活で友達や恋人を作ろうと、躍起やっきになって声をかけて関わりを広げていたが、彼女は淡泊にそれをこばんだ。


上月かみつき、一緒にご飯食べない?」、とクラスメイトが言ったのに対して彼女は、「嫌」、というだけだった。

 遠足やら、クラスにグループができたころには伊織は、グループだけではなく、クラスと学校の中心人物になっていた。


「教科書忘れたなら、貸すよ」

「あ、ありがとう」

 伊織は、誰に対しても同じ対応をした。クラスで浮いている男の子にも、陰で叩かれている女子にも。だから、彼女は最初みんなに冷たい対応をした。

「伊織、目大き。メイクどうしてんの」

「わたし普段リップだけだよ」

「はらたつぅ」

 伊織の容姿ようしや根の人格の良さが、彼女の周りに人が集まっただけだと思う。何もしなくて人は彼女を注目する。甘いものに群がる蟻みたいに。

「伊織ちゃん、授業終わったらスタバ行こ」

「いいねぇ。カラオケも行こーよ」

「カラオケ行くの? 俺達も行きたい」

「いいね、一緒に行こ!」


 最初にマイナスの評価をもった人は、上月伊織はただ人見知りだっただけ、と評価を変えて、楽しく関わりにいくのが目に見えた。


 私と伊織が、ちゃんと面識があったのは、1年の1学期末だった。

 図書室で、委員会の当番で私がカウンターで、スマホに小説を書いていると

「なにかおすすめの本ありませんか?」

 と、伊織は聞いた。


「本読むのが好きでしたら、これで。初めてだったら、これですね」

「ありがとうございます」

 カウンターに乗せた私が本棚から持ってきたいくつかの本の中から、伊織は『羊男のクリスマス』を手にとってテーブルに着いた。


 伊織は、鞄からプリントと筆箱を取り出し、何かを書いている。すぐに、現代文の課題で、小説を借りにきたというのがわかった。

 私は小説を書きながら、時間がすぎるのを待った。


「何書いてるんですか?」

「え!?」

 私は、スマホを伏せて横に立っていた伊織を見た。

 小説を書くのに夢中になっていると、時折周りが見えなくなることがある。何度も声をかけても、反応しなかったからカウンターの中に入ったのだろう。


「小説ですね」

「へぇ。どんな小説なんですか」

「女の子同士の恋愛の小説です」

 伊織が内容を聞いて、キョトンとした表情をした。

──引かれたかも。

「なんで女の子どうしの、恋愛書いてるんですか? 恋愛なら男女で良くないですか?」

 おっしゃる通りです、と私は苦笑いをした。


「いや。女の子同士って良くないですか? 綺麗な関係があったり、ギトギトした関係があったりして、小説としておもしろそうじゃないですか」

 伊織が私のこの発言を聞いて、キョトンとした顔を今でも覚えている。そして、その後に、大きな声で笑って

「そんな適当な理由なんですね」

──私としては、真剣だったわけだけど。


「先輩。名前聞いてもいいですか?」

「私、上月さんと同じクラスです」

「え。ごめんなさい、大人びてたから先輩だと思ってた」

「全然関わったことなかったですし、私が人と関わらないので」

「それじゃあ」伊織は、私に手をさしだして「これからよろしくね」、と微笑ほほえんだ。


「よろしくお願いします。吹田真由美ふきたまゆみです」

 手を握ると、伊織の手はひんやりしていて、5月にしては珍しく気温が20度を超えた日には、心地よかった。

「敬語じゃなくていいよ」、と伊織は笑って言った。

「うん」


「小説今度読ませてよ」

「いいよ。つまらないかもだけど」

 伊織は「あまり小説読まないから、違いなんてわからないよ」、と手を小さく顔の前で振った。

「その小説の名前はなに?」

「バナナフィッシュは助けてくれない」

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