第3話

「私だって、小説書きたいよ。でも、そこまで読まれてないし

ウェブで書いてる人なんてゴマンといるの。その中でおもしろい作品を書く人なんて限られてる。もう来年には受験があるからそろそろ勉強しないと」


「言い訳よ。そんなの真由美まゆみじゃない、真由美はずっと小説書いていてよ。変わらないで」

「小説読まないのに、好き勝手言わないでよ! 体の関係なんだから、そこまで言われる筋合いはないって」

 私が大声を出して、続けて話そうとしたら、また伊織いおりは泣きだした。

「ごめん」


「わたしは」

 嗚咽交おえつまじりに伊織は話し続ける。

「真由美の書く小説が好きだから。初めて真由美の小説を読んで、救われたから」

 正直、私は今の伊織の発言を聞いて嬉しかった。自分の作品に、自信を持てた。でも、≪下手くそ≫、と書かれたコメントが脳裏のうりに浮かんだ。


「ありがとう。でも、やっぱり私はつまらない作品しか作れないから」

「じゃあ、わたしが≪下手くそ≫ってコメントしなければ、続けてくれるの?」


**************************************


 私が伊織を好きになったきっかけは、図書室で話した時からだけど、さらに好きになっていた。

「真由美はなんで小説を書くの?」


 放課後の私が図書当番の日に、伊織とよく話す。話すのは、ここだけしかなかった。

 カウンターで、一緒に話すのがお決まりだった。


「小説読むようになったのは、最近なんだ。村上春樹の『羊男のクリスマス』をさ、中学の朝の読書タイムに、たまたま読んで、それから小説にはまって」

「わたしに、おすすめしてくれたやつだ」

「うん。それを読んでから、色々な小説を読んで、私もこんなおもしろい小説作りたいって思ったからかな」

「じゃあ、おもしろい小説作るためなんだ」

「結論を言うと、そうだね」


 私は、暇さえあればスマホに顔を向けている伊織の横顔を見ていた。

 元々彼女の見た目や雰囲気ふんいきが好きだった。きめ細かい肌。髪の毛のツヤ。鼻にかかる低い声が特に好きだ。私に話しかける時に、柔らかくなる雰囲気も含めて好きになっていた。


「なに? ずっと見て」

綺麗きれいだなって思って。嫌だったらごめん」

「告白?」

 伊織は、ニタっと笑った。くちびる隙間すきまから、綺麗に並んだ歯が見えた。


 私には、告白する勇気がなかった。気持ち悪がられるのが、目に見えていた。

「ただの率直な感想だよ」

「もしかしてさ、真由美ってLGBTのどれか?」

 この発言を聞いて固まった。夏場だとしても、奇妙きみょうな汗が全身からき出た。


 レズビアンだと自覚したのは、中学2年生の時に仲良かった女の子がいた。

 その子とは、いつも一緒に行動してたし、学校以外でもよく遊んでいた。その子がある日、好きな子ができたと聞いた時には、胸が苦しかった。

 その子が、好きになった男の子のことは、たまに話す程度で別段気にしていなかった。それでも、嫉妬みたいな胸のざらついたザワつきが、収まらなくて、私は普通とは違うんだとそこで理解した。

 理解した日には、たくさん泣いた。その日から、好きだった子とは遊ばなくなった。


 今思えばそれが、きっかけで本の虫になったと思う。

「ごめん。失礼な質問したよね」

 伊織が謝ると、私達は黙った。

 でも、すぐに伊織が口を開いた。


「わたし、バイセクシャルなんだ」

「え」

「バイだけど、女の子の方が好きかもしれない。男子もたくましくて好きだよ」

「なんで、告白したの」

「なんか、アンフェアだと思って。人の内面にずかずか入って、わたしだけ隠すなんてさ」

「普通に男子が好きだったら、どうするの」


 伊織は、口元に手を当てて

「それじゃあ、まるで女の子が好きみたい」

「確かに。うん、レズビアンだよ」

「そっか」

 後ろにかけられている時計の秒針が、動く音がする。


「良かったら、付き合わない?」

 勇気を出して、伊織に告白をした。

 私は、伊織と関わり始めた時から好きだった。1学期の中間テストの時から、5月の半ばあたりだっただろうか。

 今日まで、ずっと図書室で当番がある週に3日は伊織と放課後を過ごしていた。だから、彼女が打ち明けてくれた時は嬉しかったし、もしかしたらと思った。


「ごめん。わたし、好きな子がいるの」

 申し訳なさそうに、伊織は言った。

「真由美とは、友達として関係を続けたいな。私は、ここまで自分のことさらけ出せた友達はいなかったからさ」

 なら、付き合って、と言おうとしたがそれは無粋ぶすいだと思って胸の内にしまった。

「どっちなの?」

香澄かすみだよ。よく私とつるんでるショートの子」

 同じクラスの女の子だ。よく伊織と話している元気な明るい子だ。私とは、真逆な子。

「良い子だよね」

「うん」


 それから、伊織は好きな子の話をした。

 話の内容が頭の中に入ってこない。ちゃんと、顔を見て、相槌あいづちをうっているはずなのに何もわからない。なんで、私じゃないのかがわからなかった。


「真由美…?」

 ほおに何かが通る感覚がして、手でぬぐうとれていた。

 伊織は、後ろめたそうな表情をした後に、ため息をついた。

「ごめん。人の気持ち考えてなかった」

「大丈夫」

「ごめんね」


 伊織は私のことを抱きしめてくれた。彼女のいつもつけているバニラみたいな香水の香りが、うなじから強く香った。

 ワイシャツしに、温もりを感じる。


──なんで。

 ここまで、私のことを思ってくれているのに、なんで好きな人が私じゃないのだろう。女の子を好きになったなら、私でもいいじゃないか、と思った。


「謝るなら、私と付き合ってよ」

「それはできない」

 伊織の腕をはがして、彼女の目を見つめた。


 歯の音を鳴らしながらも、伊織の唇に唇を重ねた。

「こういう関係でも、いいから」

 驚いた表情をしていた。伊織はその後、笑って

「下手くそ」

 と、唇を優しく重ねてくれた。


**************************************


 私は何のために、小説を書くのかたまにわからなかった。

 ただ。──あんなおもしろい作品を書けたらと思う程度だった。

≪下手くそ≫

 コメント欄に書かれたコメントが、伊織の声で脳内再生された。


 写真たてに入れられた、伊織と行ったよこはまコスモワールドの、ツーショット写真を眺める。

 私と伊織は、制服を着て、歯を見せて笑っている。

──若いな。

 率直そっちょくな感想が出てきた。


 この頃の伊織には、首元に傷痕きずあとはない。

「なんで、あんなことをしたの」

 写真の中にいる伊織の首を、指でなぞって問いかける。

 問いかけたところで、今は返答がない。

 高校を卒業した今でも、彼女の苦しみを真に理解してあげられたわけではない。それでも、伊織は笑ってくれた。おろかだった私の発言を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る