バナナフィッシュは助けてくれない

川上アオイ

第1話

「小説を書かないなら、死ね」

 目の前で、涙をこぼしながら伊織いおりは、私に言った。


「なんで…」

 小説を書いているのに、こんな情けないセリフしかでない自分を嘲笑あざわらう私がいる。

「私が小説やめるくらいで、なんでそこまで言うの」

真由美まゆみの小説が好きだから。あなたが小説書かないなら、わたしは一緒にいられない」

「伊織と一緒にいたいよ」


 ──でも、私には才能がない。

「なんでなの、私の作品全然読んでいなかったのに。続きを求めるって」

「そんなの自分で考えてよ」

 伊織がそう言う意味がわからなかった。私が小説を書くのをやめると切り出した時には、彼女は怒っていた。すぐに、激情げきじょうするタイプではないから何か理由があるのかもしれない。

 彼女との日々を思い返せば、その原因がわかるかもしれない。


**************************************


「ねぇ。真由美」

「なに?」

 私がパソコンに、小説を書いていると伊織は甘ったるい声を出して聞いてきた。


 パソコンが急に、閉じられて指が画面とキーボードの間でうずくまっていると、彼女は私の顔を見て微笑えんだ。

「私にもかまってよ」

「休憩中なんだから今のうちに、書かないと」

「真由美は、中間テストは余裕なの?」

「余裕じゃないけどさ、小説書きたいの」

「できたら、読ませてよ。わたし小説読むの苦手だけど読みたいな」

「なにそれ」


 私が、パソコンを立ち上げようとした時に伊織が手の先に触れた。

「ふふ」、と何かをたくらんでいるのか、笑いながら上目遣うわめづかいで見つめてきた。


「どうしたの」

「今日、真由美ママパパは何時に帰ってくるの?」

 ベッド横の窓台に置かれたデジタル目覚まし時計を見ると≪14:50≫、と表示されている。

「8時にお父さんが帰ってくるかな」

 お母さんは夜勤だから帰って来るのは朝だよ、と付け足す。


 伊織は、私の人差し指をなぞった。骨格、肉づき、爪の縁を確かめるみたいに。

「そっちは、何時に帰ってくるの?」

「何時かなぁ。あの人達どうせ遅いよ」

 横目にそらして、言った。そして、上目遣いで話題を避けるみたいに続ける。

「今日いいよね?」

「もう?」

「我慢できない。学校であんな生殺しされてたんだから」

 伊織は私の顔に近づいて言った。



吹田ふきた

「なんですか?」

 授業の合間の休み時間に、クラスメイトに話かけられて、私は本を読むのをやめて顔を見る。

上月かみつきが呼んでるよ」


 指をさした方向を見ると、教室の入り口で立っている伊織がいた。スッと伸びた長い脚が、校則違反ギリギリまで捲り上げられたスカートからでている。

 伊織は、私の視線に気づいたのか長い黒髪をいじるのをやめて、手を振った。

 私は、クラスメイトにお礼を言って、彼女の元へと向かう。


「あいつと上月ってなんで仲良いの?」

 私が移動していると、そんな話声が聞こえた。

「図書委員会一緒だからじゃない?」、と曖昧あいまいに答える声も聞えた。

 その通りだ。でも、それは違う。


「ねぇ、真由美」

 教室付近の外の非常階段に出ると、伊織は普段学校では出さない甘ったるい声で言った。

「なに? 学校ではあまり」

「学校ではあまり?」

 私の手の先を握って、私の顔を見ながら聞いてきた。

「目立つし、話しかけないで。話すなら放課後にしてよ」

 ふふ、と笑って彼女は私の顔に近づいて、ささやいた。

「話しかけなきゃいいんでしょ」

 私のくちびるに優しく唇を合わせた。



 伊織は、私の家で歯何度もぶつかりあう音を出しながら、何度もむさぼるみたいに私の唇を重ねてきた。

「真由美」

「ん」

 キスをやめて、彼女は私の顔を見ながら言った。

「気持ちいい?」

「うん」

 私は、伊織の目を見て

「好きだよ」

「ありがとう」

 と、キスをして伊織は笑った。

 彼女──。私と上月伊織は、セックスフレンドだ。



 体を離して、伊織がショーツに脚を通している姿を、見ていると彼女は見られていることに気づいたのか、振り返っていつもみたいに微笑えんだ。


「なに読んでるの?」

「サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』だよ」

「なにそれ。おもしろいの?」

「うん。おもしろい。題名の通り9つの短編があるんだけど、どれもこれも好きなんだ」


「どれが好きなの?」

 伊織は布団に戻って、私の顔を見ながら尋ねた。

「『バナナフィッシュにうってつけの日』っていう作品が好き」

「バナナフィッシュって聞いたことある」

「有名だからね」

 伊織は、興味なさそうに「へぇ」、と言った。


「ちなみになんで好きなの?」

「主人公シーモアのある1日の物語なんだけど、何とも言えない暗い世界観とサリンジャーの言葉選び、遊びがおもしろいんだ」

「それのどこが?」

「ネタバレになっちゃうからなぁ」

 本を閉じて、彼女に渡す。


「貸すよ。もう何度も読んだしね」

「わたし、文字がバァってあると読めないんだよね」

「国語の勉強だと思って読んでよ」

「どうしよっかなぁ。真由美の小説なら、またがんばって読むよ」

「私のよりおもしろいよ」

「そんなの関係なーい」

 伊織は、私の眼鏡を上にあげて、おでこにかけた。定位置に戻すと、彼女は「シャワー浴びてくる」、と言って部屋から出ていった。



 伊織がシャワーを浴びている間に、私は小説投稿とうこうサイトに小説を投稿した。

──また、こいつ。


 このサイトでは、投稿された作品にコメントできる。

 め言葉や続きを楽しみにしているコメントの中に、私が一番気にしたコメントがあった。

≪下手くそ≫

 一歩ゆずって、下手くそなのは認めるけど、こいつはなんなんだ。ルナティック。


 3ヶ月ほど前から、小説を更新すると彼(彼女かもしれない)が、コメントで毎回下手くそ、とだけ書き残していた。

「お先でした~」

 伊織が、バスルームのドアを開けた音と声が聞こえて、咄嗟にサイトを閉じて小説をまた書き始める。

「真由美入らないの?」

「入るよ」

「一緒に入る?」

「さっき入ったばっかでしょ」


 砕けた笑い方をして、伊織はパソコンをのぞいてきた。彼女の長い髪から、私が普段愛用しているコンディショナーの匂いがする。

「今は何書いてるの?」

「恋愛小説書いてるよ。高校生と大学生の男女の恋愛で、2人とも付き合っている人がいるんだけど、アルバイトとかで価値観だったり雰囲気に惹かれていくの」

「へぇ。恋愛小説なんだぁ。前の小説もそうだったよね」

 伊織は私の顔を確かめるみたいに見た。

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