魔法のホースで生まれ変わった男

ちーしゅん(なかむら圭)

第1話

それにしてもとんだクリスマスプレゼントである。

また余談ながら、それは個人的にはバースデープレゼントでもあった。

「もし何なら今日、管入れときますか?」

2年に亘るコロナ禍で明け暮れた2021年、令和3年の年の瀬のことだった。

「一回、管入れちゃった方が、オナカの張りとかもスッキリしますよ」

ところは船橋総合病院の泌尿器科の診察室である。

簡易ベッドに横たわっていた何も分からない知識もない私には「そうなんですか」と答えるしかなかった。

管と言っても点滴ではない。

かといって、バイパスのような大掛かりなものでもないようだ。

とはいえ、何も知らない私にとっては得体の知れないものを入れられるわけなので、

「やっぱり入れた方が良いんですかね…」

と恐る恐る先生に聞いてみた。

「他に方法がないわけではないですが」

と、先生は違う方法を説明してくれた。

ただ、そちらの方が少し訓練が必要だし負担が掛かるという言い方をした。

「少し様子を見るというわけにはいかないですか?」

尚も逃げようとする私にいよいよ先生はこう言った。

「ほっといたら腎不全を起こして最悪なら透析になりますよ」

まさに青天の霹靂である。いやいやそれ以上の唐突感というか重大事であった。

依然、ベッドに横たわって逡巡する私は、実はちょうどその日に56回目の誕生日を迎えたところなのだった。

そんないい歳になってと人は思うかも知れないが、管を入れる決心はなかなか簡単ではなかった。


若い頃、もう少し具体的に言えば高校生の頃からトイレが人よりも近い方だった。

しかし近い割にはオシッコの出が悪く、さらにはキレも悪かった。

今でもそれを忘れさせない思い出は、学生時代によく行ったバスツアーのスキーだった。

猫も杓子もこぞってスキーに出掛けた1980年代には、金曜日の夜ともなれば⚫⚫号と書かれた色とりどりのスキーバスがモータープールに収まりきらず、集合場所の道路を埋め尽くしていた。

バスと宿がセットになったツアーが安くて便利で楽だったので、とても人気があったのだった。

多聞にもれない私も、バイトで稼いだ金の大半をせっせとスキーに費やすほどだった。

当時のスキーバスには今のようなトイレ付きなど気の利いたものはなく、しかもとりわけ格安ツアーを選んでいた私の心配事はなんと言ってもオシッコだった。

それでも大体は2時間おきくらいにトイレ休憩があったので有事はさすがになかったが、その休憩時には確実にトイレに並んだ。


いつの頃からかフォーク並びとか銀行並びとか言われる並び方が一般的になったが、その当時はそれぞれの例に並ぶのが主流だった。

スキーバス銀座と化す週末のサービスエリアのトイレには、それこそ長蛇の列が出来ることもしばしばで、これがまた私のプレッシャーになったのだった。

先述のように用を足すのに時間を要する私が小便器の前に佇んでいる間に、他の列では2~3名が次々と回転していた。

しかも、背中に向けられる視線を感じれば感じるほど尚更のこと焦る。

するとオシッコの出がますます悪くなるという、魔のスパイラルに陥るのだった。


素人の自己分析ほどアテにならず浅はかなものはないと思うが、私のご都合診断によると同じく高校生時分から悩まされていた腰痛がその原因だと決めつけられていた。

二十歳を過ぎて(本当はもう少し前から?)お酒を飲むようになるとトイレの近さは更に顕著になった。

そのくせ好んでビールばかりを飲むものだから、その『お手洗い詣で』ぶりは他人から見たらさぞ滑稽だったと思われた。

ただ振り返って考えてみたら、もう随分と前に鬼籍に入った父親も、そう言えばビールを飲みながら「ホース付けてくれー」と言っていた記憶がある。

やはり、血は争えないということである。

とはいえ、トイレの近さに多少の不都合は感じながらも日常生活に支障をきたすほどではなかったのでそのまま付き合ってきたのだった。

しかしそれが、55を超えた去年あたりから激しくなってきた。

他方、十数年前から痛風の治療を受ける身分になってしまっていた私は、皮肉なことに排尿を促すべく頻繁に水を飲むようになっていた。

それが頻尿を助長することは無論承知していたが、痛風発作の痛みには敵わず、背に腹が変えられなかったのだった。

加えて、年齢と共にトイレは近くなるものだと素人考えでやり過ごしてきたが、それにしてもトイレが近い。


電車の移動では1時間を超えると心配だし、社内会議はともかく、客先の商談になると必ず直前にトイレに行く必要があった。

そして、十年ちょっと前から始めたランニングでも、10㌔走るのにもトイレが必須となっていた。

でも何と言っても難儀なのは夜の就寝時だった。

その頃には少ない日でも3回、多いときは5~6回もトイレに立たなくてはならなくなっていたのだった。

こう頻繁になるとさすがに眠った気がしないので、昼間に睡魔に襲われるのも当然のことで、ちょっと仕事や生活への影響も心配になっていた。

さらに、恥ずかしいことに夜中に目を覚ましたとき、ちょこっとオシッコが漏れるようになってしまった。

尿意を感じて起きるわけだが、間に合わないのか毎晩ではないもののちょこっと漏れてしまうのだった。

やむなく大人用のおむつパンツをはいて寝るようにしたのだが、根本的な解決につながるわけではなく、さすがにこのまま放置するのはヤバいなと思い出したのだった。

そうしていよいよ病院に行くことを決意し、痛風で長くお世話になっている船橋総合病院の泌尿器科の門を叩いた。


泌尿器科の受付ではまずは問診票を書いた。

そしてそれと合わせて、

“オシッコが出にくい“

“痛みがある”

”残尿感がある”

とか、オシッコの回数などを答えるアンケートがあった。

アンケートを上から順にチェックしていくとほとんど満点だ。

生まれてこの方、満点など取ったことの無い私が、である。

などと吞気なことを考えながら

「お願いします」

と受付の看護師さんにアンケートを渡した。

間髪を入れず、

「10番の前でお待ちください」

と言われたが、内科で長い間お世話になっているので勝手はよく分かっていた。

しかし、私のこれまでの内科での認識とは違い、ほとんど待たされることなく呼び出しを受けた。


ノックして横スライドのドアを右から左に開く。

「失礼します、宜しくお願いします」

中に入ってみると、歳の頃は四十代後半か、温厚そうな男の先生である。

考えてみたら産婦人科とまではいかないまでも、場合によってはかなりデリケートな診察を伴うと思われるので、患者が女性ならば女の先生なのかな?などとふと思ったりした。

「結構大変みたいですね」

と先生は言った。

さっき予め書いたアンケートを見てのことだろうと思った。

「スミマセン…若いときから近い方だったんですが、ここ数ヶ月とくにひどくなりまして…」

先生は黙って聞いてくれているので次の句を継いだ。

「実は内科の方でずっとお世話になっていて、⚫⚫先生に話をしてみたら一度泌尿器科で診てもらったらとアドバイスを受けまして…」

「そうですか、分かりました。で、どのくらいでトイレに行きます?」

「はい、まず2時間は持たない感じで、夜寝てるときも」

「何回くらいいきますか?」

「2~3回から多いときは4~5回ですが、ひどいと1時間経たないうちに起きてしまうんです」

「それはちょっとしんどいですね。」

事務的でもなく、かといって軽すぎることも重すぎることもないトーンで先生は言う。

「じゃあちょっとベッドに横になってもらえますか?こっちが頭ね」

と言われて診察用の簡易ベッドに横になった。

ベッドの枕元側にはエコー検査の機械があり先生はそれを使うようだ。

それは人間ドックなどの検診で使うものとほとんど同じに見えた。

「ベルト外してお腹出してもらえますか?」

さらに先生は、

「ちょっとだけパンツ下ろしますね」

と言って、モノが見えてしまわない程度の位置まで私のパンツを下げた。

そして、慣れた手つきでエコー検査の超音波プローブ(というらしい)を膀胱の辺りなのか下腹部に当て滑らせながら触診していった。

すると極めて便利なことに、そのままその場で画像を見ながらの問診となった。

先生の説明は、高さ30センチ位の模型も一緒に使いながら行われた。

「ここが膀胱でこれが前立腺ですね」

とまずは模型を見せてくれる。

そのあと、

「そしてこれが膀胱と前立腺」

と、今度は画像と比較しながら教えてくれる。分かりやすい。

「うーん、これは立派な前立腺肥大ですね」またここからは模型である。

「ここからオシッコが通って流れるんですが、前立腺が腫れると邪魔するんで出にくくなるんですよ」

「そうなんですか」

としか答えられず、先生の次の言葉を待つ。

「手術をするのが一番早いんですが入院しないといけないですし、ま、1週間位かな」

「えっ、そうなんですか?」

と驚く私に、

「まぁ、最近は良い薬が出てますからそれでちょっと様子見ますか?」

先生も人が悪い。

「はい、ありがとうございます」

と、ようやく”そうなんですか“以外の言葉が出たが当然である。

手術なんか怖いし、しかもそもそもそんな大袈裟なことになるなんて思ってもみないわけだから当たり前のことであった。

「ちなみに前立腺ガンの検査は受けたことある?」

「いえ、無いんですけど、実はこの12月に人間ドックがあるので血液検査しようかなと思ってました」

と私。

まあ、一応は疑っておいた方が良いと思いますよ、と説明しながら、

「一回MRI撮っときますか?」

と言われたら答えはやはり「そうですね」しかなかった。

「MRIはよく分かりますからオススメですよ。痛みも無いし最近はだいぶ安くなりましたから」

「そうですか、じゃあお願いします」

先生は手際良くパソコンでスケジュールを確認しながら、

「では2週間分のお薬を出しておきますから、次はMRIを撮ってもらった上で診察しましょう」

「はい、分かりました」

「その時に薬の効き具合も見れますしね」

こうして色々なことが次々と決まったが、それでも診察時間は20分も掛かっていないのではないかと思われた。

しかし思いの外、事は簡単ではないようにも思われた。

(これは本人の勝手な事前認識とのギャップもあるが…)

大方は、巷でよく聞く、ちょっと薬でオシッコを抑えるいわゆる過活動膀胱みたいなものだろうと高をくくっていた私は、MRIを撮るという行為に緊張した。

MRI自体は腰ヘルニアで過去に何度も経験していたのだが、それを殊更に勧める先生の挙動に少なからず不安を感じたのだった。

さて、2週間分の薬を出してもらったのだが、次の診察日は5日後の11/17(水)だった。

それはMRIの予約をうまく取ってもらえたからだった。


当日は先にMRIを撮り、その画像を見ながら診察という流れだった。

撮影自体は20~30分。特段に閉所が苦手というわけではないのでいつの間にか終わった。

かなり大きな音を伴うのでヘッドホーンを装着するのだが、それこそ夜間頻尿による?寝不足でうたた寝している間だった。

だから、ストレスよりむしろありがたいお昼寝タイムになったくらいだった。


撮影後、20分程して診察室に入った。

この1週間、不安がないかと言えばさすがにそうではなかった。

年齢的なものはもとより、頻尿を含めた過去からのオシッコの悩みなどを顧みると不安はあった。

また、遺伝という面からしても同様だった。

なぜなら、ビールを飲んで酔っ払っては「ホースつけてくれ」と言っていた父親も前立腺、膀胱で鬼籍に入ったからだった。

とはいえ、まさかそれを望む人はいないだろうし、無論のこと私もそうだった。

しかし一方で、あくまでも素人の知識だが、前立腺ガンほど生存率の高いガンはないと聞いていたので楽観的に考えるところもあり、確たる覚悟があるわけでもなかった。

診察室に入ると先生はPCに映し出されている画像、つまりさっき撮ったMRI画像をじっと見ていた。

一見ぶっきらぼうに聞こえるが、過剰も不足もなくきちんと論理的かつ現実的に伝えてくれる先生の言い方には、個人的には好感を持っていた。

その上、人情や情緒的な部分がないわけではないのが更に信頼を高めた。

「見る限りワルさしてるヤツはいないようですね。ガンは無いです」

枕詞も時候の挨拶もなく単刀直入というのもまた、この先生の特長である。

「ありがとうございます、助かりました!」

素直に良かったと思った。


実は、竹馬の友がちょうど1年前に前立腺ガンの診断を受け闘っている最中で、まるで他人事ではなかった。

だから、かなりの確率でガンの診断が出ても何ら不思議ではないと思っていたので、ホッとしたというのが本心だった。

この吉報に加え、先日処方された排尿障害改善薬が心無しか効いているように感じていたのも(オシッコの間隔が少し長くなった?)、ホッとする気持ちに輪をかけたのだった。


かくして、次の診察は約1ヶ月後の12/24(金)つまりクリスマスイブでの経過観察ということになった。

但しそれは、その間の12/17(金)に毎年一回の人間ドックがあることも含んでのスケジュールだった。

「とりあえずガンは無い」

「薬もまずまず順調に効いている」

という事実は、小心者の私を安心させるには十分なものだった。

到底ウキウキという年格好では無いが、自転車のペダルをこぐ脚は心無しか軽かった。


しかし、問屋はそう簡単には卸さなかった。


師走を目の前にして季節は本格的な冬に向かっていた。

特に忙しいというわけではない私は、コロナの一時休息によるたまの飲み会以外は普段と変わらない毎日を過ごしていた。

ライフワークと位置付けたランニングも、ほぼいつものように続けていたが心無しか調子が良くなかった。

人から見れば他愛ないことだが、

①自分の感覚よりもタイムが遅い

②疲れがいつも以上、しかも抜けにくい

③トイレがさらに近い

(走ってる間中ずっと尿意が気になる)

自分の中では、自分の体に対する自信が損なわれるような不安を持つようになっていた。

先月処方された排尿障害改善薬も、当初の1週間くらいはトイレの間隔が長くなったような気がして効果を感じたはずが、その後は逆戻りどころか薬局で言われた副作用の方が気になり出した。

それはめまいや立ちくらみがたまに起こるというものだった。


そもそも、薬局の説明など右から左。

そんな副作用など全く意に介していなかった

不謹慎な私だったが、今までなかったような、頭がフラフラする感覚に見舞われちょっと不安がよぎった。

さらに片頭痛と、冬にもかかわらずコーラが欲しくなるほどにやたらと渇く喉。

そして極めつけは、いくら飲んでも顔には出ないはずがちょっとの酒で赤くなるほっぺただった。

それにはさすがのアホな私も「なんかヤバいな」と思う状況になっていることを自覚せざるを得なかったが、そんなタイミングで年一回の人間ドックに臨んだ。

忘れないように付け加えると、その頃には夜の尿モレがほぼ頻繁になっていた。


人間ドックでは、そんな異常をさらに認識せざるを得ないことが続けざまに起こった。

若い頃からの低血圧で、上が100-110位だったはずの血圧だが「150」という見たことも聞いたこともない数字を看護師さんが言う。思わず、

「それウソや、おかしい、おかしい!」

と叫んでしまい

「おかしいことはないです!」

と看護師さんに怒られてしまう始末。

素直に謝ってもう一度計り直してもらったものの、聞こえてきたのは

「やっぱり140はあるよ」

という憐れみを含んだ看護師さんの声だった。

「オレの体はどないなってんねやろ」

と、ちょっと不安が膨らんできた。

しかし(これは薬の副作用で一時的なもんや)と、思い込ませるようにして次の検査に向かった。

次のエコー撮影では、これまでもたびたび脂肪肝などの判定は受けていたものの、いずれも軽微で特に気にしたことはなかった。

この時は珍しく若い女性技師の先生だったので

「これ以上血圧が上がらないように」

などとアホなことを考えながらベッドに横たわっていた。

「吸ってー、吐いてー、はいそこで止めて!はい楽にして下さい」

というお決まりのフレーズに従い、息を吸ったり吐いたり、はたまたお腹を膨らませたりしていた。

もうかれこれ20年も受け続けている人間ドックなので大凡の段取りは分かるようになるものだ。

だが、それにしてはこの日のエコーはとても長く感じた。

「まさか女先生がオレの体に…」

などとアホなことを考えている場合ではないが、ホンマになかなか終わらない。

すると薮から棒に

「通ってらっしゃるんですよね?」

と、女先生がさも当たり前のように聞いてきた。

「えっ?」

と、だから瞬間的に理解出来なかった私に、

「病院、通ってらっしゃるんですよね?」

と改めて聞く。

「あ、少し前から泌尿器科に通ってます」

と、ようやく意味が飲み込めた私はそのまま返答した。

しかし、(なんでそんなこと聞くんやろ?)と気になるのは当然で

「なんか具合悪いところあるんですか?」

と聞いてみた…が、

「私の方からは申し上げられないんです。先生にお聞きになってもらえますか」やて。


(それやったらハナから意味深なこと言わんといて欲しいわ!)

と言いたかったが、この人間ドックの最後には簡単な問診があるので、そこで何か話があるのだろうと思い大人しく服を直して検査を終えた。

待合イスで問診の順番を待っている間も、やはりエコー検査のことを考えていた。

にもかかわらず拍子抜け。

問診担当の女医先生は

「結果は後日お知らせしますので」

と、聴診器で胸と背中をポンポンするだけで問診は終わってしまったのだった。

(かかりつけ病院の定期検診が1週間後やからまあええか)

とは思ったが、なんやねん、その思わせぶりは…?


とはいえ、依然芳しくない体調はさらに冴えず、えも言われぬ不安を感じていた。

だから、何とか楽観的に考えようと

(薬の副作用で薬を変えてもらえば大丈夫)

と自分に言い聞かせたりしていた。

それでもなかなか不安は拭えず、1週間後のクリスマスイブに予約された定期検診に向けて、主治医のI岡先生への質問や相談をスマホのメモアプリに書き込んでいた。

『一時期は改善してきたと思われたトイレの間隔がまた前のような頻度になっている』

『なんか頭が痛い、フラフラする』

『やたらと喉が渇く』とか

『顔だけほてっている』

『血圧が上がっていると言われた』

など、伝え漏れや聞き漏れが無いようにあらかじめメモしていたのだった。


12/24(金)の通院を翌日に控えた、それは12/23(木)午後のことだった。

都内での仕事を終え帰途の電車でうつらうつらしていた私は、一本の電話で目を覚ました。

それは電話帳登録もなく見覚えのない番号からの着信で、さらに電車の中でもあったので取らずにいたら、留守番電話が入ったようだった。

だがここ最近、再び顕著になった夜間頻尿のお陰で昼下がりは特に眠気に襲われることが往々だった。

この時も、程良い電車の揺れとお尻からくる暖かさに誘われ、またうたた寝状態に入ってしまった。

そして数十分後、船橋駅に着いてからすぐに留守番電話を聞いてみた。

『こちら⚫⚫検診センターの△△と申しますが、先日の人間ドックの件でお伝えしたいことがございますので、折り返しのご連絡を頂けますでしょうか?宜しくお願い致します』

恐らく事務員の人であろう女性の声だった。

先述の通り多少予想していたとはいえ、実際に電話での連絡がきたことは意外だった。

というのも、大体は『検診結果報告』みたいな書類が2週間後くらいに送られてくるものなので、直接電話がかかってきたというのは正直、心穏やかではなかった。

少し歩いて座れる場所を探し、早速折り返しの電話をかけた。

クリスマスイブイブなので1年でいちばん日の短い頃だが、まさに夕暮れ間近の時間帯だった。

検診センターもそろそろ終業の時刻と思われたが、すぐに電話はつながった。

「お忙しいところ恐れ入ります。先ほどお電話を頂きました中村と申しますが△△さんいらっしゃいますでしょうか?」 

「はい、お世話になります、少々お待ち頂けますか」

程なく、△△さんという方が電話口に出た。

一通りの本人確認の後、

「先週の検査結果が出たんですが、先生からの所見をお伝えしたいと思いまして。今、少しお時間宜しいですか?」

さすがに良い話ではないとは思いながら

「はい、お願いします」

と私は返事をした。

「実は先日のエコー検査で異常が認められたんですが、病院にかかられてるんでしたっけ?」

という話から始まったのだが、結局の内容はこうだった。

『病院の主治医先生宛に所見が書かれているのでご自宅に送りたい』

『それを次回の通院の時に主治医先生に見せて欲しい』


しかし、タイミングが悪いことに次の通院がなんと明日の予定だったのでそれを伝えると、それならばやむを得ないが今からこの電話で伝えるので、メモを取って明日主治医先生に伝えてもらいたい、ということになった。

「では、今から申し上げますから書き留めてもらえますか?」

「はい、お願いします」

「両方にスイジンショウが出ている…」

「あ、スミマセン、スイジンショウって膵臓のことですか?」

何も分からない私はトンチンカンに口を挟んだ。

「いえいえ、腎臓のジンですよ」

水に腎臓のジンで水腎症というものらしい。

「私も先生からの伝言をお伝えしているもので、内容までは分かりかねるんですが…」

と、たちまち事務員然となったがそれは置いておくとして、それでも、つまりは両方に水腎症が出て腎臓機能が落ちているみたいですよ、と教えてくれた。

さらに、行き掛けの駄賃ではあるまいが、

「あ、あと貧血が出てるらしいです」

と事務員の女性はそう付け加えた。

確かに先日の人間ドックでは急に高くなった血圧に我が目と耳を疑ったが、生まれてこのかた全く無縁だった、この“貧血”という信じられないワードには再び我が耳を疑った。

そしてこの事態が少し尋常ではないということを、いよいよ自ら認めざるを得ないと感じた。

(オレの体は一体どうなってんねん…)

と思うと恥ずかしながら明日の通院が怖くなった。


当日の診察予約は16時からだった。

診察の前にはMRIの撮影をすることになっていたので、受付のあと先に撮影室に回った。

ところで、今日はクリスマスイブである。

繰り返してもしょうがないが、クリスマスイブである。

と同時に私の56回目の誕生日なのだった。

亡母の享年を上回ったと思ったら、わずか1年で何の因果なのか…


さて、病院には予約時間より少し早めに入ったので、MRIの撮影までには20~30分くらい待った。

そもそも待つことには昔から慣れている方だが、やはり問題はオシッコである。

当然、病院に出掛ける直前にトイレを済ませてきたので、つまりまだ30分ほどしか経っていないのだが、尿意ばかり気になるのだ。

それでも、MRI撮影の所要時間が30分程度らしいので、都合1時間なら何とか持つかとそのまま撮影に入った。

と思ったら、夜間頻尿のせいで寝不足気味の私はあっという間に睡魔に誘われた。

そして撮影が終わるまで爆睡したので、それは無用な取り越し苦労に終わって救われた。

それからまた30分ほど待って先生から呼び出しを受けた。

実は撮影したときにMRI画像が仕上がるタイミングを聞いていたので、ギリギリを見計らってトイレを済ませていた。

私が診察室のドアをノックして開けると

「どうもお待たせしました」

と先生が迎えてくれた。

時候の挨拶や余計なご機嫌伺いの少ない先生には珍しくそんな言葉が出たのは、私がその日の最終患者だったからかも知れなかった。

ただすぐに、

「この間のMRIでガンが無くて良かったですね」

と話は本題に入った。

「薬の効きの方はどう?」

と尋ねられ、出来れば色良い返事をしたかった私だが、正直なところを話した。

「お陰様でたしかに最初の頃はトイレの間隔が短くなったんですが、また最初はちょっと…」

そして、

「先生、実は…」

と、人間ドックで指摘された内容を伝えた。

「じゃあ、ちょっと診てみましょう」

と診療ベッドで横になった私の、まずは横腹あたりをエコー検査した。と見るやいなや、

「ホントだね、随分と腫れてるね」

と、驚嘆まではいかないがやや驚きの声を上げた。

そしてさらに、

「この短期間で急激に悪くなったね」

良くも悪くもストレートな物言いが先生の特長なのだが、その声色には深刻さが聞いて取れた。

出し切れない尿が逆流し腎臓にまで達することで、腎臓が腫れてしまっている状態だ、というのが先生の説明である。

頭痛やふらつきもこれが原因である可能性が高いとの診断だった。


それは私自身が想像していた薬の副作用というような簡単な話ではないことが先生の言葉やその表現から十分に窺い知れた。

(オレどうなんねやろ?)

まな板のコイとはまさにこのことだと思いながら、少し早まる鼓動を感じた。

「これは放っとくと腎不全を起こして透析になる可能性があるね」

それって簡単な話ではないどころか、人生に関わるレベルちゃうんか。

「そんなにひどいんですか?」

辛うじて聞いた私に

「オシッコがかなり溜まっているから、これを出さないと逆流して腫れが引かないんだけど」

と言ったあと

「しかし何故ここまでオシッコが出せないのかがよく分からない」

「前立腺肥大もあるけどそんな大きなものでもないし泌尿器だけではないかも知れない」

先生が原因を外に求めようとするほどの深刻さが、尚のこと私の鼓動をさらに速くした。


《実は前回の診察の時に、泌尿器科以外の原因として思い当たるところを改めて先生に話していた。

それは当初から相談していた腰痛による排尿障害についてであった。

高校生の時分から付き合いも長い腰椎ヘルニアは、少し緊張を緩めるとちょこちょこ発作を起こした。

そのため、普段から腰に出来るだけ負担が掛からないようにお腹に力を入れるクセがつき、『オシッコの時にも力を緩められないからオシッコの出が悪くなった』

という素人の自己診断につながっていたのだった。

しかし、それを聞いて先生は即座に

「じゃあ、ちょっと整形外科の先生を紹介するから診てもらおう」

と言い、パソコンの画面に映るカルテに何かを入力し出した。

そして、こう言った。

「あらゆる可能性を調べることで原因を特定する必要がありますから」

心強く感じた。


そしてMRIを撮り、すぐに整形外科の先生に診てもらえたのだった。

だが、その診察の結果はシロだった。

たしかにヘルニアの症状は見られるものの、排尿障害を引き起こすほどの状態ではないとの診断だった。

仮にヘルニアが排尿障害を引き起こすとすれば、多くの場合は痛みで歩いたり、ひどければ立つことさえもままならないレベルだということだった。


つまり、前述の先生の言葉が出たのは、それも踏まえてのものだった。

「しかし何故ここまでオシッコが出せないのかがよく分からない」

「前立腺肥大もあるけどそんな大きなものでもないし泌尿器だけではないかも知れない」》


そして先生はこう言った。

「いずれにせよ、まずはオシッコを出すことが先決なんだけど…」

先生、それは分かる分かるよう分かる。

しかし!

そのあと先生の口から出た言葉は耳を疑うものだった。

「それにはね、オチンチンから管をね、膀胱まで通して出すのが一番手っ取り早いんだよね」

ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!

オチンチンに管って、そんな簡単に言わんとってよー。

少し当たっても「痛っっ!!」ってなるデリケートなところに管ってそれなんなん?

そんなん絶対ムリぃー!

と、あがいてもまな板の鯉である。

しかも、“このまま放っておくと人工透析”とまで宣告され完全に逃げ場を失ってしまった私に…さらなる最後通告?が。

「もう今日入れちゃおうか」

って、もう頭の中は真っ白である。

しかし、まな板の上の私は…

「はい、分かりました」

って言うしかないやんかー。


無論、人生で初めての経験である。

ちゅうか、そんな話聞くのも初めてである。

にもかかわらず、何の覚悟も準備も無いままに事は進んだ。

先生の立場からしたら機械的に進めざるを得ないのだろうが、ほとんど説明もなく(というか、説明がいるほど複雑なものではない?)それは進んだのだった。

寝ている私のオチンチンに何かしているのは分かるが、それは見えないようにカバーしているので詳細は分からない。

ただ、違和感の塊が尿道をかき分けていく。

当然痛みもあるが、それをかき消すほどの違和感で気分が悪くなりそうだ。

隣で若い女性の看護師さんが手伝ってくれているが、そんな羞恥心など全く感じないほどの違和感が下半身を攻め立てるようだ。

「肩の力を抜いてー」

「ほら、もうすぐ入るよー」

って、そりゃあ肩どころか拳はキツく全身は固くなり腰も浮くやろーっ!!

ただそれでも、“肩の力を抜いて”と言われただけでもやっぱり力を抜くもんで、少し肩の力が抜けると止めていた息も何とか吹き返したようだった。


「はい、入りましたよ」

と、言うやいなや先生は、

「じゃ、早速一度出してみよう」

と、看護師さんに何やら声を掛けた。

どうやらその管を通して私の膀胱から直接残尿を流しているようだ。

しかし、相変わらずガードが掛かっているので自分ではその様子を見ることが出来ない。

「どのくらい前にオシッコした?」

と先生に聞かれ、茫然自失の中だが

「20分くらい前と思います」

と何とか声を絞り出した。

管を伝って出るオシッコには全く感覚がなく、出ているのか出ていないのかさえも伺い知れない。すると、

「あー、結構出るねー」

と先生の実況中継が聞こえてきた。

(あーそうなんや)と思うと同時に、その時間はとても長く感じた。

どうも伝え出るオシッコの量が300ccを超えたらしいが、それが多いのか少ないのか素人の私には知る由もない。

しかし直後の、

「おーっ、500cc超えたねー」

と言った先生の声色でその500ccが尋常でないことが、もはや私にもはっきりと分かった。


そうして、とりあえず一応の処置は終わったようだ。

先生に促されて恐る恐る上半身を起こしてみた。

するとオチンチンのところにタオルが掛けてあったので、未だ自らそれを確認出来ないが、さっきよりも違和感が増したようだった。

さらに診察ベッドに横座りになった私に、先生が事実と現実を的確に、でも優しく話してくれた。

「これは人が見ても全然分からないし、パンツに挟んだらいいから」

そして、

「これはとても柔らかいシリコンだけど、1ヶ月はゆうに持つからね」

と管のことを説明しながらタオルを少しめくった。


その時!

見てはいけないものを見るかのように、変わり果てた姿の自分のオチンチンとついに対面した。

その姿を想像する余裕もなかったので唐突に対面したそれは、にわかには信じられない、いや信じたくないものだった。

なんということか、割り箸の太さもありそうな管がオチンチンの先に刺さっているではないか!

そして管は先から20cmくらい飛び出して延びていた。

これが膀胱まで達していると思うと、痛みや違和感を通り越して気持ちが悪くなった。


それはそうと…

おいおいちょっと待てよ?

さっき先生「1ヶ月はゆうに持つ」とか言わんかったか?

今、膀胱から出したから終わりちゃうん?

そんな私の混乱振りを知ってか知らずか、先生は努めて平静に話してくれたが、その内容は深刻なものだった。

「だいたい普通は膀胱に300cc溜まるとオシッコいきたいレベルなんだけど」

さらに淡々と続けた。

「さっき管を入れたら500cc以上出たんだよね」

単純に計算しても尋常でないのが分かった。

だって、つい20分前に一生懸命出し切ったはずが、通常の満杯を大きく超えているのである。

「なんでここまでオシッコが出せないのか…」

ちょっと原因が分からないレベルだと先生が言った。

そして、排尿方法には今の管を使うのと、もう一つはちょっと細めのストローみたいなのを使う方法があると言った。

それはオシッコの都度、自分で突っ込む必要があるので、やり方を練習しないとならない上、一回一回が大変で負担が大きいらしい。

てか、話が勝手に進んでるんちゃうん?

黙って聞いてたら、「つける」「つけない」ではなくいつの間にやら「どっちにする?」の選択になってるやん! 

それなのに、先生から放たれたダメ押しはこうだった。

「この年末年始はこれで何とか乗り切りましょう」

って、選択肢ないやん!

とはいえしかし、このまま放っておくと腎不全で人工透析になると言われ、尚、尋常でない残尿があることが分かった今、私に選択肢が与えられるはずがないのは当然のことだった。

「分かりました」

観念するも、何も考える余地無く私は言った。


自らのオチンチンから20cmにも及ぶホースが出ているさまは直視したくないものだった。

当然痛い。そして違和感は半端ではなかった。

「じゃあ、使い方とかはあとで看護師さんに教えてもらうとして」

と、言いながら先生はこの後のスケジュールと治療方法について話をし始めた。

全く勝手が分からず混乱している頭ではあるが、自分でやるしかないようなのでとりあえずソロリとパンツをはいた。

ホースの向きによってチクッという鋭い痛みや、ズキンという鈍い痛みがあった。

パンツのままでいるわけにもいかないので何とかズボンもはいて体裁を整えた。

「年末年始はこれでいきましょう」

と先生はさっきと同じ言葉をもう一度繰り返した。


「これを使ったらすごくスッキリすると思うし楽になると思いますよ」

次の診察日の予定を探しながら先生は言う。

が、その時の私にとってそのホースはとんだクリスマスプレゼントとしか思えなかった。 

そのホースが長いしんどい2週間の始まりであって、今まででいちばん辛い年末年始を過ごさねばならぬことは、どう考えても疑いようのない、そして逃げようもない現実と思われた。


その後、隣の処置室で看護師さんから管の使い方の説明を受けた。

30歳前後であろうか、看護師さんが若い女性ということには恥ずかしい気持ちもあった。

しかし、むしろ現実感がなく意識する余裕さえなかったのが、かえって気持ちを楽にしたような気もした。

「大丈夫ですか?痛くないですか?」

と優しく言われたら子供みたいになって泣きそうになったが、大人なので我慢した。

すると自然に、

「すみません、ありがとうございます」

という言葉が口をついたがそう言ったあと

「なんせ気持ちの方が…」

と、結局子供みたいなことを私は言った。

「今日来ていきなりこんなことになるなんて全く想像してなかったから気持ちの整理が…」

実際まだ、ほとんど目の前の現実を受け入れられていなかった。

だからその偽らざる本心が脚色なしに口から流れ出たように思われた。

「それはそうですよね」

看護師さんは、尚更に優しかった。


はや暮れなずみ、時折吹く北風に傷心が痛んだ。

(ホンマにオレどうなんのかな…)

と、なかなか受け入れられない現実を必死で理解しようと努めた。

その一方で、(自転車乗って帰れんのかな?)と、目の前の現実のことを考えた。

また、(しかしこんなん誰にも言われへんわ)と思う反面で、誰かに言わないと不安で居ても立ってもいられない心持ちだった。

普通ならば、まずは家人に話すのが順序かも知れないが、病院からの帰途で朋友に連絡した。

喜怒哀楽のすべてを共有していると言っても過言でない中学校の同級生は、情けなく落ちている私の話を黙って聞いてくれた。

ちょっとだけ飲みながら。


「何かえらいことになってもうた。チンポにホースつけられてしもたわ」

その日帰ってから、珍しく一緒に犬の散歩に出掛けた家人にも同じことを言った。

「痛いん?」と家人が言ったので、

「痛いのんもあるけど気持ち悪い方が上やな」

と少しガニ股でゆっくり歩きながら答えた。


やはりホースが動くとチクッと痛いので当たらないように自然ガニ股になった。

そんなことなど知る由もない犬は、大好きな散歩が嬉しくてグイグイと引っ張るが、引っ張られる方がうまく歩けない。

「ゴメン。パパちょっと走られへんねん」

と言いながら、かわいそうだがリードをグッと引いた。

すると見かねた家人が替わってくれた。

その家人に対し私は、

「こんなホースつけられて生きててもしゃーないわ」

と投げヤリに言った。

「そんなん大丈夫やて」

根拠の無い楽観が家人の専売特許である。

「少し前から調子悪いとは思ってたけど、でもまさかやわなぁ」

実際、たしかに数ヶ月前から夜中に1時間おきにトイレに行くほどに頻尿は進んでいた。

しかも、最近では結構漏れてしまうこともあり、オムツパンツをはいて寝るようになっていた。

とはいえ、加齢による頻尿や尿モレはテレビCMでも盛んに言われているし、まさかホースを入れないと透析になると宣告されるなんて、誰も想像せえへんわけである。

「でもそれ付けてたらオシッコ漏れへんねやろ?」

「ま、フタしてるから理屈としてわな」

「ほな、結構寝れるんちゃうん?」

あくまでも根拠なき楽観である。

(そんな簡単に無責任なこと言うてくれんなよ)

と内心ちょっと思ったが、それでも逆に過剰に不安がられたり、ましてや泣かれたりすることを考えたら、その根拠なき楽観の方が余程ありがたい気がした。

実は家人の“それ”に救われてきたのは一度や二度ではなかったので、今回も信じてみたいと思った。


そうして予期せぬ「ホース生活」が始まった。

下品な話で恐縮だがホースの口にはフタがある。

だから漏れることはない。

それでも、オシッコが膀胱に溜まれば尿意は催す。

しかし、慣れるまで加減が分からないので、おおよそ2時間を目安にトイレに行くようにした。

仕組みは至って簡単でありホースのフタを取れば自動的にオシッコが出た。

ちなみに、そのフタはマグネットで開閉するようになっていた。

看護師さんには、マグネットの表面が汚れてバイ菌などが入るのを気をつけなければならないと教わった。

なぜなら、もしホースを伝って膀胱や、さらには腎臓にバイ菌が入ったりすると炎症を起こしたり厄介なことになるということで、マグネットの部分をオシッコの都度拭かなければならなかった。

また、それにはアルコール除菌が必須であり、アルコール入りウェットシートの携行がその日からの日常になった。


起きている日中はだいたい2時間置きにトイレに行ったが、就寝中も結果としてほぼ同じくらいの間隔で、尿意が私の目を覚まさせた。

次に汚い話で恐縮だが、オチンチンの痛みとは別に膀胱のあたりなのか下腹部が定期的に痛んだ。

その発作のように強く差し込む痛みは私の生きる意欲をそぐようだった。

寝ているときは不思議とあまり起こらなかったが、日中は1~2時間置きに発作に見舞われた。

それに加えて血尿のような赤い尿が出た。

膀胱に溜まった悪いものを出すかのような赤い尿が出るときには尿道も痛んだ。

そうなると、トイレに行くことが恐怖とまでは言わないまでも気の重い作業になっていったのだった。


とんだプレゼントをもらったクリスマスが終われば世は年の瀬、一気に新年への準備に慌ただしくなってくる。

よもや、せっかくの年末年始をこんな形で過ごすことになろうとは夢にも思っていなかったので能天気な私もさすがに落ち込んだ。

しかし何とか前向きに考えようと、仕事も休みの年末年始で逆に救われたと思うようにした。


さて、いよいよ暮れも押し迫った12月30日だが、用事があって朋友とちょっと近所まで出掛けた。

朋友の車に乗せてもらうので普段なら楽チンのはずなのに、車の乗り降りさえも億劫に感じた。

やはりホースの違和感と痛みが気になった。

用事のあと昼飯にも付き合ってもらうことになり、朝市の終わった船橋市場に向かった。

船橋市場では、関係者以外の一般客も仕入れたてのネタを食することが出来る店があり、まさか築地場外とまでは言わないが結構人気があった。

しかし、私たちは敢えて市場の関係者が多い定食屋さんを選んで中に入った。

昼飯時のピークを少し過ぎていたからか、幸いすんなりと席に着くことが出来た。

痛みと不安で冴えない私に、過剰にならない程度に気を使ってくれる朋友がありがたく、味噌ラーメンの味がやけに胸に沁みた。


ランニングは出来なかったが散歩には出掛けた。

朝晩の犬の散歩に加え、いつもランニングしていた時間を使って散歩した。

そんなこと言うてる状況ではないかも知れなかったが、脚が衰えるのが嫌だった。

まがりなりにも10年間続けてきたランニングで作った脚が衰えるのが嫌だった。

だから、気休めとは思いながらもじっとしていることが出来ず散歩に出掛けるのだった。


2022年の元旦は良い天気に恵まれた。

恒例にしている初日の出は犬と一緒に拝んだ。

それでも1週間くらいが経つと、ホース生活にも少しは慣れてきた。

人間の順応性というか適応力というのはありがたいもので、オシッコの手順も案外スムーズになっていた。

それにも増して私を喜ばせたのは、発作が少しずつ和らいできたことだった。

あくまでも素人の推測の域を出ない話だが、積年の悪いモノがホースを伝って排出されたのではないかと思われた。

そして、それによって症状が改善してくれているのではないか、との淡い期待を私に抱かせた。

その証拠に尿に血が混じる回数や程度が減り、心無しか尿の出もよくなったような気がした。

とはいえ一日も、いや一刻も早くこのホースが取れるときが来ることを願っていた。

いや、そのことばかり考えていたと言っても過言ではなかろう。


自分の感覚というものではあるにせよ、この変化はほんの少しだけ私の気持ちを前向きにしてくれた。

そんな中でも意外と面倒だったのが入浴だった。

元来、私の場合はほぼ年中シャワーだけなので、湯船に入れない(やはり入ることを憚る)のに不都合がなかったのは幸いだったが、それでさえも結構に苦労した。

優れもののシリコンとはいえ、ホースにはそれなりの重さがあった。

然るにどちらかの手で持って補助しなければならなかった。

そのままぶら下げたり、意図しない方向に向いたときなどはやっぱり痛い。

こうしてみると片手で頭や体を洗うのは結構面倒だとつくづく感じた。


年末年始の休みが終わり、仕事の日常に戻った。

もうこの頃は、モバイルワーク(テレワーク)が中心だったので、幸いなことに通勤の慌ただしさや混雑にはほとんど無縁でそれは救われた。

それでも会議や商談などリアルの時には、違和感と共にトイレの心配が頭から離れなかった。

フタはしていても自分で尿意がコントロールしにくいことで常に気になったのだった。

クリスマスイブから始まったホース生活だが、わずか2週間先の検診が何よりも待ち遠しかった。

痛みは当初から比べたらずいぶんと和らいでいた。

トイレの間隔も2時間くらいで安定してきたように感じていた。

でも、1月7日の検診日にはさらに改善をアピールしようと考えていた。

無論、それがホースを外してもらいたいという一心に尽きたのは言うまでもなかった。


さて、1月7日の検診当日は先生の問診の前に採尿があった。

これは当然、尿の中身を調べる目的もあるが、本当の目的は別にあった。

それは採尿で尿を出しきった直後の残尿を検査しようというものだった。

自覚的には相当に改善している感覚はあったものの、それでも不安の方が上回っていたので緊張して待合に座っていた。

採尿結果が出るまでには時間がかかると思われたが、だがそれを待つことなく診察室に

呼ばれた。

「調子はどうですか?」

先生には珍しくご機嫌伺いから入った。

「当初は痛みが結構出てかなり落ちてましたが…でもお陰様で痛みもずいぶんとマシになり…」

と私は本音を言ったあと、だいぶ慣れてきました、と言いかけて慌てて止めた。

おいおい、そんなこと言ったらホース生活を許容どころか自ら肯定することになってまうやんか!

だから私は、

「かなりスッキリするようになりました」

と言った。

「ちょっと診てみようか」

と、いつものように診察台でエコー検査を受けた。

いつもストレートな物言いの先生だが、良いとも悪いともなかなか言葉を発しない。

ただ、それがどういう意味なのかはすぐに分かった。

なぜなら、先生はホース外しを哀願する私の眼差しなどは全く意に介さず、

「じぁあ、また2週間後くらいですけど」

と言いながら次の診察スケジュールを確認し出したからだった。

ホース外しに大きな期待を持って今日に臨んだ私だったが考えてみれば当たり前である。


私にしたら長い2週間だったが先生からすればホースを入れてからまだ、たかだか2週間なのだった。

2週間前のクリスマスイブの日、治療方法はホースかもう少し細い管(ストローと名付けよう)のどちらかだと言われた。

そして、その生活がずっと続くようにもほのめかされたのである。

だからたったの2週間でホースを外す外さないの判断を下すなど、先生の頭の片隅の片隅にもチラッとも持ち合わせていなかったのは当然だった。

それでも、それとなく

「やっぱりまだつけといた方が…」

と言ってはみたものの、

「この管は4週間は十分持つから大丈夫」

と敢え無く霧散したのだった。

しかし、次の検診の事前説明をしてくれる先生の言葉は、私に少し希望を与えるものだった。

「次は管を外して自力でオシッコが出せるかをみてみましょう」

これはつまり、(上手くオシッコが出せるようならばホース生活から解放される可能性があるということや…)と勝手に解釈した私なのだった。


次の2週間は痛みの和らぎと慣れも手伝ってか、最初の2週間よりもかなり早く感じた。

薬は朝晩忘れないように飲んだ。

その効果なのかは素人の私には分からないが、ただオシッコの間隔は安定してきていた。

また希望的観測も含めてだが、残尿感も着実に改善しているように自覚出来た。


待ちに待った検診日当日1/19(水)は天気も良さそうな朝だった。

9時の予約なので念のため犬の朝散歩も家人に任せ、トイレのサイクルも考え万全を期した。

そして毎朝いつも「ありがとう」と手を合わせる仏さんの両親にも、今日だけは「何とか力を貸してくれ」とお願いした。


朝イチ9時の予約時刻よりも少し早めに病院に入ったが、殆ど待たずに診察室に通された。

“ここが勝負や!”と気合い十分に

「おはようございます、宜しくお願いします!」

と挨拶した私とは対照的に、先生は相変わらず沈着冷静に話し始めた。

「じゃあ今日は管を抜いて自力排尿が出来るかを調べますね」

患者が上から目線では失礼極まりないが、この先生は本当に手際が良く無駄が少ない。

かといって単なる合理派ではなく人情も兼ね備えていると感じていたので、私は十分に信頼していた。

さて、その検査は隣の処置室で行われた。

隣といっても中では診察室とつながっているので、診察室に荷物を置いたまま身一つで部屋を移動した。

一刻も早くホースを抜いて欲しい一心のはずの私だが、一方で「抜くのは痛いんちゃうか」という恐れにも襲われていた。

先生からは「管を抜いて自力で排尿出来るか調べましょう」と言われていたものの、どんな手順でやるかなどは全く知らされていなかった。

なんぼ私のオチンチンが短いとはいえ、膀胱までやからそれなりの長さのものが入っているわけである。

しかもそれは割り箸程度の太さがあるのである。

「一気に引っ張るのだろうか?」

「はたまたジワジワと抜くのだろうか?」

実のところお恥ずかしいことに数日前からとても不安なのだった。

しかし処置室に入っても先生の手際の良さは変わらなかった。


ズボンとパンツを脱いで「ここに座って」と言われた。

ここに座ってと言われたそのイスは、比べるのにはいささか憚るが、いわゆる分娩台のようなものだった。

私はそのイスの上で言われるがままに大きく開脚した。

すでにあらゆる羞恥心を捨て去っているはずの私だが、両足首をベルトで固定されたときには少しだけ恥ずかしかった。

「ではこれから管を抜いて生理水を…これは全く害のないものですが入れていきますので、オシッコしたいなぁと感じたら教えて下さいね」


少し前に書いたかも知れないが、一般的には膀胱に300ccくらいオシッコが溜まると尿意を感じるらしい。

この検査ではその状態を人工的、作為的に作り、満タンから一気に排尿させようというものらしかった。

私はそのとき、下半身丸出しの大股開きだった。

でも、ちょうどオヘソのあたりに仕切りを立ててくれているので、自分でその格好を見ることはなく救われた。

もし見えてしまったら、それこそ気持ち悪くなってヤバかったのではないかと思われた。

「じゃ、やりますよ」

と今まさに言ったかと思った先生が、

「じゃ、生理水入れますんでオシッコしたくなったら言って下さいね」

と続けざまに言ったのだ。

えっ?!つまりホースは、あれほどまでに憂慮していたホースは、ほとんど何の痛みも違和感も感じることなく抜けていたのだった。

改めて名医である。

それからほんの十数秒も経たないうちに先生の言うように尿意を催してきた。

「あ、ちょっと出そうな感じです」

私が言うと、

「もうちょっとだけ我慢して」

と先生。

でももうちょっとは、ほんのちょっとだった。

程なく、結構イイ感じでオシッコがしたくなってきたので、

「結構きました」

すると、先生が右前方にある“オマル”のような小さな便器を指差しこう言った。

「あそこでオシッコして下さい。そうしたら自動的にオシッコの量とかチェック出来るから」

“オマル”みたいなものでどうやって測定するのかなど、無知な私に分かるべくもないが、言われる通りにやってみるだけだ。

そうして先生と話しているうちに、看護師さんがバスタオルを下半身に掛けてくれた。

そして私一人を残し、先生と看護師さんは隣の診察室に戻って行った。

「頑張って出来るだけ出して下さいね」

と、言い残して。

一人になった私はすぐさまバスタオルを腰に巻いてオマルへ向かった。


なんという久々の感動か。

ホースのない生身でオシッコをするのはまさに1ヶ月振りである。

とはいえ、その嬉しさを上回ったのは、えもいわれぬ不安だった。

つまり、もし残尿の検査で良い結果が得られなければ、たちまちホースに逆戻りなのだからである。

しかも、もし色よい改善が見られないとしたら、半永久的にホースになるかも知れないという、えもいわれぬ不安に襲われたのだった。

いずれにせよ、ことごとく初めての体験ばかりである。

無論、私自身の力が及ぶものでもないのだが、ここはともかくと、必死でオシッコを出し切ることに集中した。


無事かどうかはともかく、その作業を終えた私は、身仕度を整えて待合のイスに座り呼ばれるのを待っていた。

すると僅か5分するかしないかで診察室に呼ばれた。

まずはイスに座って先生と差し向かい説明を受けた。

すでにさっきの排尿のデータがプリントアウトされており、それを見ながら

「注入200で残尿が80くらいあるね」

と先生が言った。

200で80?それを聞いた瞬間『またホースか…』と直感的に想像した。

そして、絶望とまではいかないまでも落胆し、半ば諦めかけていた私に先生が言った。

「一般的に管をつけなさいという目安は残尿200なので…」

それでも状況をにわかに飲み込めない私に、先生の天使のような一言が。

「一旦、これで管は卒業しましょう」

えっ?それって、ホンマでっか?

『残尿80って確実にホースやろ』とさっき瞬時に落胆した私である。

もう嬉しいなんてものではないくらい嬉しい!

これぞまさに“地獄に仏”。

“蜘蛛の糸”は切れずに私を救ってくれたのだった。

ただ、それでも尚、心配が消えたわけではなかった。

今、幸運にも辛うじて残尿が改善したことは大きな光明であることに間違いはない。

しかし、これが一時的なものであれば元の木阿弥である。

すると、そんな私の心を見透かしたように先生が言った。

「この間、強めにした薬をもうちょっと増やしましょうかね」

これは勿論、基本的には先生任せなわけであるが、その薬が奏功したというのならば、さらにそれを増やしてもらうことに私が異存があるわけがない。

「はい」と私が返事するのと間髪を入れず

「じゃあ、ダメ押しに膀胱の働きを良くする薬を追加しよう」

とは、地獄の仏に後光が射しとるやんけ!

この言葉は、小心者の私の気持ちをかなり高めてくれたのだった。


そうして『ホース抜き儀式』はお陰様でひとまず無事に終わり、次回の定期検診は二週間後となった。

つまり、この二週間で運命の?経過を観察することになったのだった。


丁重にお礼を言って診察室を出た私に、看護師さんが優しく語りかけてくれた。

「良かったですね。でも何かあったらいつでもすぐ連絡下さいね」

嬉しかった。

本当に白衣の天使はいるのだと思った。


会計と薬局を済ませて自転車で帰途についた私は、往きと帰りの気分の違いを味わった。

あんなにこぎにくかった自転車が、帰りにはこんなにも心地よくなるとは。

そんな嬉しさをやや抑えつつも、やはり朋友にラインを送った。

『無罪放免とはいかないが、オシッコー猶予付きでホース外れた』

そしてその1時間後、その朋友といつものように安酒を共にした。

さしづめ、仮出所祝いの乾杯である。

無論、まだ2週間後に控える定期検診までは全く安心出来ないわけだが、そうせずにはいられなかった。

1ヶ月間に渡るホース生活から解放されたこの気分は、当たり前のことだが、ホースをつけた者にしか分かろうはずがなかった。

でも朋友は、この日もいつものように黙って聞いてくれた。

そして、いつものように小一時間で別れて帰宅し、すぐに夜散歩に出掛けた。


家人にハメられて?同居するハメになった元保護犬のイルとも半年近く暮らせばもはや家族だった。

その晩はパートが休みの家人も一緒に散歩に出掛ける好都合だった。

なぜなら、ホースのことは家人と朋友以外、子供達や同居している義母にも隠していたからだ。

10分程歩くといつものホームコース海老川に差し掛かった。

さすがに静かな夜の海老川の畔に出てから

「今日、病院に行って来た」

と私の方から口を開いた。

「そうやったね、どうやった?」

家人は前と同じように軽く言った。

それは必要以上に話が重く暗くならないように、務めて軽く言ったと思われた。

「うん、まだシッコー猶予付きやけど、お陰様でホース取れた」

まだまだ諸手を挙げて喜べるところまではいかないので、私は務めて平静を装って言った。

…つもりだったが、その声には思いの外、力が込もっていたのだろう。

「良かったやん」

と、今度は明るく家人が言った。

「それでどんな感じやったん?」

何も知らない犬がいつも通り歩くのに任せて、そうして私は今日のことを事細かに話したのだった。


付ける前は当たり前のことだったホースの無い生活は、有難く幸せで快適なものだとしみじみ感じていた。

しかしその晩は、それでも漏れるのが心配でオムツをはいて寝ることにした。

しかし本当に信じられないほどにその心配は杞憂に終わった。

いつもと同じ23時半頃に寝床に就いた私が、次に目を覚ましたのは午前3時。

なんと3時間以上眠ることが出来たのだ。

しかも、おねしょも全く無かったのである。


そんなホースの無い生活を謳歌しながらも、それでもやはり不安は消えなかった。

そして2週間後、いよいよ今日は運命の?定期検診の日であった。

あれ以来、本当に嬉しいことに夜も含めてオシッコの間隔は以前より長くなり、且つ安定していた。

もうプライドなんて言うてられないほどだった夜のおねしょとも無縁になっていた。

つまり、自覚症状という意味ではかなりの改善が感じられていたのだった。

然るに、内心では大丈夫という気持ちはあったのだが、それでも検査が色好くいくとは限らないので、その朝もやはりドキドキしながら準備に取りかかっていた。

検査は単純に採尿した後の残尿を測定するものだと思われた。

ということは、これまた単純に如何に出し切るかに集中すれば良いのだ。

この2週間はそれを想定した特訓?を重ねてきた。

だから、私の中ではそのシミュレーションは出来ているつもりだった。

しかしこのシミュレーションは門外不出の企業秘密なのでここで明らかに出来ないことが残念である。


さて採尿は滞りなく終えたが、待合で呼び出しを待つ間は気が気ではなかった。

なぜなら待ち時間が長くなるほど膀胱にオシッコが溜まるはずだからだった。

つまり、検査に不利になるのではないかと気を揉んだのだった。

でも、そんな心配をよそにスムーズに診察室に入ることが出来た。


あまり無駄な話はしない先生だが、

「その後はどうですか?」

とさすがに聞いた。

ホース逆戻りは絶対に避けたい私は、もちろん事実ではあるものの少し誇張気味に、

「お陰様で全然良くなりました」

とはっきりと言った。

さらに、トイレの間隔や残尿感、夜の尿モレの改善状況などを具体的に説明し強調してみせた。

「尿検査の方はあとで見ておいて下さい」

と、先生は言った。

というのも、採尿の結果は言葉は悪いがどっちでも良いものだった。

そう、本番の検査の前にオシッコを出し切るという主目的の“行きがけの駄賃”なのだ。

そして、いよいよマナ板に載るタイミングがやってきた。

あまり嬉しいことではないが、エコー検査の要領も大体分かってきていたので、自分からパンツを少し下におろした。

「ちょっとヒヤッとしますよ」

先生はそう言いながら、エコー検査で使用する探触子(たんしょくし)を下腹の辺りに当てた。

「ホントだねー、もの凄く良くなってる」

まさに、当てるやいなやそう言った。

そしてさらに、

「残尿がほとんど無いくらいだね」

と言った。

その先生の様子は、なぜこれほど急に良くなったのかが不思議だという驚きを隠さないものだった。

なんせこの僅か1ヶ月半前には、

「急激に悪くなってる」

と、全く逆のことを先生に言わせたのだから、ある意味当然のことであった。

「うん、これだったら間を長くしても大丈夫かな。じゃあ次は2ヶ月後にしましょう」

先生はすぐに冷静な先生に戻りそう言った。

私は、こんな歳でまかさ全快なんてあり得ないとは思いながらも、2ヶ月の墨付きがホンマに嬉しかった。

つまり、少なくとも2ヶ月の『ホース無し生活』が許されたのだから。

まだまだ全く過去ではないが、あの1ヶ月のホース生活は辛かった。

でも何が辛いかって、それは1ヶ月で終わる約束も見込みも皆目分からなかったことだった。

って言うか、先生の言動からは『一生ずっとホース』の可能性の方がむしろ高かったはずだった。

世の中には、もっともっとしんどい病気と闘っている人がゴマンといるだろう。

でも正直に言うと弱虫の私には、もはや理屈ではなくあの時を前向きに生きる気持ちが持てなかったのだった。

それが身に余る天の恵みか、先生をも唸らせる改善。

これには喜びしかなかった。

改めて、ホースの無い生活のありがたさを噛み締め、生きる喜びを感じ感謝するのみであった。


ところで、なぜこんな不肖、私に天の恵みがあったのか?

これは極めて不思議なことであり、同時に誠に信じられない程ありがたい慈悲なのだった。

ゆえにその源が何なのか思い当たらないわけであるが、自意識過剰の愚の骨頂を承知の上で敢えて申し上げるとすれば…

それは、

“晴天の霹靂に逡巡し葛藤しながらも、先生を信じホースを受け入れたことを神様が哀れみ、見逃さなかったから”

としか考えられなかった。


そして…

その2ヶ月後の2022年4月8日、この日と同じ金曜日の朝9時に病院に行った。

そして、やはりこの日と同じように採尿を済ませ診察に臨んだ。

そして、これもまたこの日と同じように先生が私のお腹にエコーを当てた。

そして、先生がこう言ってくれたのである。

『すんごく良くなってる』

『もう普通のおじさんです』


昨年の暮れ、体調を理由に忘年会をドタキャンし不義理した恩師にすぐに連絡しようと思った。


結了








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魔法のホースで生まれ変わった男 ちーしゅん(なかむら圭) @chisyunfumi

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