第30話 「動物の世界では普通なこと」と彼女は言った

「鈴木くんの匂い嗅ぐと落ち着く」

「い、癒し効果でもあるのかな? 自分でも知らなかったなぁ……ははは……」


 夏だから汗もかくし、当然寝起きにシャワーなんて浴びていない。

 そんなに芳しいものだとはとても思えなかった。


 変な緊張で強張ってしまう。


「へ、変態だって思ってる?」

「ソ、ソンナコトナイヨ」


 目が据わっていたので全力で首を横に振った。


「よかった。嫌われるんじゃないかって心配だったの」

「そんなことで嫌いはしないけど……いやな臭いしない?」

「ううん。全然。男の子だなぁって香りだよ」

「そ、そっか」

「他のところも、嗅いでいい?」

「他のとこ?」


 心晴さんは鼻先をゆっくりと僕の腋の方へと近付けてくる。


「ちょっ!? そこはさすがに恥ずかしいから!」

「ちょっとだけ……」


 恥ずかしさに耐えきれず、ギュッと目を閉じる。

 スンスンという鼻を鳴らす音が妙に生々しく響いて聞こえた。


「ごめんね、鈴木くん。ごめん。恥ずかしいよね?」


 謝りながら心晴さんは嗅いでくる。

 なんか変な性癖に目覚めてしまいそうだ。


「も、もういいよね」

「あっ……」


 限界に達してサッと身を引くと、心晴さんは残念そうな顔をしていた。


「心晴さんって匂いフェチなんだね」

「誰でもいい訳じゃないよ。鈴木くんの匂いが好きなの」

「そ、そうなんだ」


 ありがとう、と言うべきなのだろうか?

 どう反応していいか分からず、曖昧な笑みで誤魔化す。


「よ、よかったら」と言って心晴さんは背中を見せ、髪を手で束ねてうなじを見せてくる。


「よかったら、鈴木くんも嗅いでいいよ」

「ええー!?」

「お互いの匂いを知るというのは動物でもするでしょ? 大切なことだと思うの」

「そ、そうかな?」


 あまり人間のコミュニケーション方法としては聞かないけれど、変に拒むと気分を害してしまうかもしれない。

 仕方なく心晴さんのうなじに鼻を寄せる。


 石鹸のような清々しさの中に甘さを感じる香りだった。

 匂いを大切にするだけあって、デオドラントには気を遣っているのかもしれない。


「いい匂いだよ」

「ほんと? よかった。私たち、相性いいのかも。恋人や夫婦ってお互いの匂いを好ましく思うらしいよ」

「ふ、ふぅん。そうなんだ」


 どんな方法で相性を占っているんだよ。

 心の中でツッこむ。

 でも愛の言葉を交わしあったような顔で微笑む心晴さんを見ていると、匂いくらい嗅がせてもいいかという気持ちにもなる。



「犬ってね、相手と仲良くなりたいときは匂いを嗅ぐんだって」


 コーヒーを飲みながらも心晴さんの匂いについての講釈は続いた。

 変わった性癖の人はすぐに『自然界では』とか『動物の本能として』とか言い訳をしたがるものだ。


 もし僕が「でもちょっと変態っぽいよね」なんて言おうものなら羞恥心で逆上して刺し殺されるんじゃないかと危惧するほど熱を帯びて語っていた。


「その優れた嗅覚が料理にも役立ってるんじゃない?」

「そうかな? そうだと嬉しいな」

「パティシエになるための鍛練を続けてるんでしょ? 偉いよね」

「まだまだ全然だけどね」


 話を無理矢理夢の方へとねじ曲げる。


「夢があるって素晴らしいことだよ」

「勝手に夢見てるだけ。実際製菓の資格を取ったり、自分のお店を出すなんて夢のまた夢だもん」

「心晴さんなら大丈夫だよ」

「うん。ありがとう」


 昼からはクッキー作りをし、夕方になってようやく心晴さんは帰っていった。

 どっと疲れてソファーでぐったりする。

 恋人お試しトライアルはいきなりヘビーな一日だった。

 心晴さんの変わった性癖まで知ってしまい、また更に泥沼に足を踏み入れた気がする。


 こんなことを陰山やアーヤともしなければならなく、しかも誰も好きになってはいけないなんて拷問に近い。

 いっそ誰かと付き合って思う存分いちゃいちゃしてしまいたい。

 海の上で喉が渇いた人が海水をがぶ飲みしたくなるトーンで呟いた。


「ダメだ、ダメ! そんなこと絶対にダメだ!」


 もしそんなことをしようものなら絶対に『負けヒロイン』に殺される。

 どうせ生き返るとはいえ、刃物で刺されれば文字通り死ぬほど痛いし、毒は苦しい。

 なんとしてでも一人も闇落ちさせずに一年を遣り過ごす。

 改めて心に誓った。



 水曜日は陰山のターンの日だ。

『家に来て欲しい』

 陰山にそう言われ、送られてきた住所を頼りにやって来たのだが──


「でかっ!?」


 陰山の実家は一軒家とは思えない立派さだった。

 広くて高い門の向こうに車が四台ほど停められそうなガレージがある。

 その奥には西洋の屋敷みたいな邸宅が建てられていた。


「陰山って実はすごいお嬢様だったのか……」


 緊張しながら到着した旨をスマホのメッセージアプリで伝える。

 その直後に玄関の扉が開き、中から陰山が飛び出してきた。

 ヒラヒラのレースをたくさんあしらった白いワンピース姿だ。


 いつも中二病的なアレでロリータ服を着てると思っていたが、この屋敷を背景に見るとお嬢様ならではの服装に見えてくるから不思議だ。


「鈴木くん! いらっしゃい!」

「そんなに走るな。転ぶぞ」

「わぷっ!?」


 そう注意した瞬間にこけた。

 まったく困った奴だ。


「はぁ……大丈夫かー?」


 ため息を漏らしながら転んだ陰山のもとへと駆け寄った。




 ────────────────────



 一難去ってまた一難。

 心晴さんの誘惑から逃れた鈴木くんですが次は陰山。

 いきなり予想外のお嬢様設定に嫌な予感しかしませんね!


 ダメだぞ、鈴木くん。

 その『上げ膳』、毒入りだから食べてはいけません。



 さて本作品も盛り上がっておりますが、週末から新作もアップする予定です!


 そちらは同時多発的ヒロインではなく、一対一のじれじれで甘々な愛おしいラブコメなのでご安心を!


 本作品を書きながらもう一作品書いていたらかなりの量になったので我慢できずに放流です。

 作家の世界ではよくあることですね!



 もちろん本作もラストまで一日も休まず更新していきますのでご安心を!


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