第29話 心晴さんの性癖

 無人島は嵐に見舞われ、帰りの船がやって来ない。

 なんて、そんなミステリー的な展開もなく、僕たちは別荘を後にした。

 帰りの道中は三人が互いに牽制しつつも、過度にグイグイ迫ってくる人はいなかった。


 そして翌日の月曜日──


「おはよう、鈴木くん」


 心晴さんは朝一番で僕の家にやってきた。


「え、もう来たの?」

「だって私が彼女の日だもん。時間がもったいないでしょ」


 照れくさそうに笑う顔が朝から眩しい。


「ちょっと待ってて。すぐ着替えて用意するから」

「ううん。出掛けなくていいから」

「出掛けなくていいって、うちで過ごすってこと?」

「ダメ?」

「駄目ではないけど……」

「朝御飯まだでしょ? 作らせて」

「あ、うん……じゃあ」


 心晴さんが朝御飯を作っている間に慌てて着替えて寝癖を直す。

 キッチンに行くと既にオムレツとトースト、サラダという朝食が完成していた。


「え? もう出来たの?」

「うん。簡単なものでごめんね」

「全然。美味しそうだね」


 焦げ目のひとつもない美しいオムレツ。

 配色も鮮やかなみずみずしいサラダ。

 急いで作ったとは思えない出来映えだ。


「そんなにジーッと見詰められてたら食べづらいんだけど」

「あ、ごめん。つい」


 謝るわりにしばらくするとまたジーッと見詰めてくる。

 目が合うと逃げるように視線をそらす。

 なんとも照れくさい空気だ。


「それにしても心晴さんの日替わりで彼女になるっていう提案は驚いたよ」

「みんなのことをよく知れるし、名案だったでしょ?」


 心晴さんはおどけて舌をチラッと見せる。


「確かにあの場で誰かに決めろと言われても困るけど、お試しで三人と付き合うなんて、もっと気まずいよ」


 今に思えばあの場で三人とも断っていた方がましだったかもしれないと後悔している。

 ことなかれ主義で問題の先送りが得意な優柔不断の僕らしいミスだ。


「変な展開にしてごめんね。でも私も焦ってて必死だったの」

「そうなの?」


 あの場で一番冷静だったのは心晴さんに見えたので意外だった。


「アーヤは美人でおっぱいも大きいし、陰山さんは守って上げたくなっちゃう可愛さだし。あのままだったら絶対私が真っ先に負けちゃうって確信してた」

「そんなこと思ってたの?」

「ほら私って地味だし、あの二人に比べたら魅力もないし。でも内面を知ってもらえたらまだ勝ち目はあるかもって」


 心晴さんの家庭的で優しく明るい素敵な内面はもう知ってる。

 もちろんそんなことは口には出せないけれど。


「答えを迫れば優しい鈴木くんはあの場で一人を選べないって分かってた。鈴木くんが言い淀めばあの二人も強くは出られないだろうって考えて。なんかズルくていやな子だよね、私って」

「そんなことないって。自分を卑下しすぎだから」


 しゅんとするのを見て、思わずフォローする。

 こういう中途半端な優しさを見せるから泥沼化していくのだろう。


「私のことよく知ってもらえたら、きっと気に入ってもらえると思う。だから頑張るね」

「頑張らなくていい。恋愛って頑張ってするものじゃなくない? 楽に自然のままでいいよ」


 心晴さんは一瞬キョトンとした顔になり、笑いながら頷いた。


「だよねー。なんか重くなりすぎちゃった。ごめんね」


 いつも通りの柔らかな笑顔に戻ってくれる。

 やはり心晴さんはそんな顔がよく似合う。


 落ち着いたところで合宿の写真を見たり、思い出話に花を咲かせる。

 心晴さんは気を遣わなくていいところがいい。

 可愛いし、ドキッとさせられることもあるけれど、基本的に一緒にいて安らぐ。


「あ、コーヒー淹れてくるね」

「僕の家だし僕がするから。心晴さんは座ってて」

「ダメ。ちょっとでも点数稼ぎたいの」

「点数って……別にそんな採点意識で見てないよ」


 どうしても淹れると譲らないので二人でキッチンに立つ。


「コーヒーっていってもインスタントだよ」

「いいよー。これ美味しいもん」


 粉を掬う心晴さんの手が異常に震えていた。


「ちょ、大丈夫?」

「ごめん。緊張しちゃって」

「インスタントコーヒー掬うのに緊張するの?」

「そうじゃなくて」


 彼女は困ったように笑う。


「鈴木くんと二人きりだから緊張してるの」

「さっきまで普通にしてたでしょ?」

「あれは取り繕ってたの。でも隣に立つと緊張しちゃって」

「そうなんだ。ごめん」

「別に離れなくていいってば」


 距離を取ろうとするとシャツの裾を引っ張られて呼び戻されてしまう。


「彼女が常にキョドってたら引くよね。慣れないと」


 不安げにうつむく姿が健気すぎた。


「無理することないよ。僕もちょっと意識しちゃってたし」

「そうなの? 嬉しい」

「隠し事なしで気楽にしよう」

「うん。あ、じゃああとひとつ隠してたこと言うね」

「なに?」


 心晴さんは顔をぽふっと僕の胸元に押し付ける。


「え? な、なになに!?」

「匂い……鈴木くんの匂い好きなんだ……」


 心晴さんはスンスンと鼻を鳴らして僕のシャツの匂いを嗅ぐ。


「へ、へぇ……」

「前から嗅ぎたかったけど変態っぽいかなぁって我慢してたの」


 それは隠し事のままの方がよかったんじゃない?

 抱きつかれた姿勢で硬直しながらそんなことを思った。



 ────────────────────



 知らなくていいことを知ってしまい、また一歩泥沼に足を踏み入れた鈴木くん。

 こんな恥ずかしいことを知ってフッたら闇落ち間違いなしですね!





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