第26話 もし時間を巻き戻せるなら

 恵にとって父はスーパーマンだった。

 仕事ができて、人当たりが良くて、何でも知っていた。

 料理だって得意だし、自転車のパンクも修理してくれた。

 父はたくさんの人から尊敬されていた。


 反面、プレッシャーの大きい仕事を任されることも多かった。

 そのせいでストレスが溜まっていたのだろう。


 恵の母は良い理解者ではなかった。

 気にするのは夫の給料と娘の成績くらい。


 家族はインテリアと一緒。

『〇〇さんの旦那より自分の夫は給料が高い』

『〇〇さんの息子より自分の娘は頭がいい』


 臆面おくめんもなく口にできる時点でデリカシーに欠ける側の人だろう。


 恵は父が好きだった。

 そして母が苦手だった。


「もし一度だけタイムマシンが使えるのなら……」


 私はお父さんと一緒に暮らす!

 その一言を伝えたかった。


「私が許せないのは、弱かった自分なんだよね」

「ちょっと……会長?」


 恵の目から涙が落ちてくる。

 最初は一粒だけ。

 そして次から次へと。


 ここはバーチャルな空間。

 服に当たった涙はガラスのように砕けて消える。


 女の子を泣かせてしまった。

 久しぶりの経験に愛理は戸惑う。


「いや、ごめん! 俺が変な話をしちゃったせいで!」

「いいの! 今は泣かせて!」


 信じられないことが起こった。

 恵の方から甘えてきたのである。

 恋人みたいに体重をかけてくる。


「今だけは一条くんの側で泣きたい」

「それ、本気で言ってます?」

「もちろん。……ダメ?」

「まあ……ご要望とあらば……」


 心臓がペースを上げる。


 愛理だって男だ。

 女子のギャップには弱い。

 恵のような堅物キャラが一変したら特に。


 会長みたいな人でも泣くんだな〜。

 そんなことを考えつつ背中をトントンしてあげる。


 やばっ⁉︎

 少しムラムラしてきたかも。


 性欲のコントロールには自信がある。

 スマホでエッチな動画を再生しつつ勉強に集中することも可能だ。


 でも無敵の仙人じゃない。

 小さな隙は存在する。


 それが今回は恵の涙であり『一条くんの側で泣きたい』の一言だった。


「そろそろ部屋に行きましょうか。俺が案内しますから」

「はい、お願いします」

「こっちです」


 恵は中々立ち上がらない。


「あの……」

「ん?」

「初めてだから……その……優しくしてくれると嬉しいです」


 従順な表情を見せられたせいでペースが狂ってしまう愛理であった。

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