第14話
ウィリアムとアイリスが空を飛び始めて、約1時間が経過した。直線距離で70キロほど移動したが、見下ろした先に聳えるゴーヌ山脈は、まだまだ先が長いようだ。
ゴーヌ山脈を見下ろしていたウィリアムは、自分たちの真下をとある魔物が飛んでいる光景を目にした。
「アイリス殿下、下を見てください。あれは良く本などに出てくるドラゴンではありませんか?」
「わぁ⋯⋯!大きな体に、蜥蜴のような出で立ち。それでいて蝙蝠のような羽⋯⋯!まさに、英雄譚で出てくるドラゴンそっくりです!初めて見ました!」
「私も初めて見ました⋯⋯実在していたのですね」
ドラゴン。様々な英雄譚で敵の花形として登場する、魔物たちの頂点。ドラゴンとは竜を指す言葉だが、ウィリアムは前世で存在していた竜族とは異なる種族だと考えていた。物語に登場する魔物としてのドラゴンは、手が翼となっている蜥蜴のような姿をしていると言う。
それに対して竜族は、基本的に燃費の良い人型の時が一番長い。物語では人型のドラゴンが登場していないので、そこに違和感を覚えた。
仮に個体数が激減し、ドラゴンに似た形態を常とする個体が残っていたとしても、竜族が怪物の見た目になった際には腕が残っていた。魔物のドラゴンは腕の代わりに翼が生えているが、竜族は翼に加え腕が二本に足が二本付いた贅沢仕様生物なのだ。
実際、竜族の末裔にあたる者たちは人の姿で魔道具を作っている。その竜族に会っているはずのアイリスが、ドラゴンを『初めて見た』と言っているのだ。現代でも、竜族とドラゴンは別の存在として扱われているのだろう。もしくは、現代の竜族は怪物態に変身できない故に知らないのかもしれない。
ウィリアムは、魔物のドラゴンと現代の竜族。どちらにも興味が湧いてきた。
(しかし、オドに余裕は無い⋯⋯。対話が可能なら対話を、不可能なら戦って強さを見てみたいが⋯⋯。またオドが溜まったら、ゴーヌ山脈の空でドラゴンを探してみよう)
わざわざドラゴンに近付き、アイリス含め危険に晒すメリットが全く無い。ウィリアムは湧き上がる好奇心を抑えると、ドラゴンに見つからないよう更に高度を上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ドラゴンを見つけてから、さらに1時間が経過した。ゴーヌ山脈は、まだまだ途切れそうにない。
ここまでの間で、色々と雑談を交えたウィリアムとアイリスは、すっかり緊張が解けて仲良くなっていた。
「エトランゼの北に位置する寒村で食べられるシチューは、それはそれは絶品でした⋯⋯」
「それは美味しそうですね⋯⋯!ノブレス南部のフルーツも、とても美味しいんですよ!ねっとりした果肉に、甘い味がたっくさん詰まっているんです!」
「おぉ!エトランゼでは、あまりフルーツが採れないので羨ましい限りです!今度、ぜひ食べてみたい!」
「ええ、ええ!ウィリアム殿下にも食べていただきたいです!あの甘く蕩ける味わい⋯⋯」
今は、それぞれの国が誇るグルメの話で盛り上がっていた。精神年齢が幾つであろうが、美食に対する欲求はなかなかとどまるところを知らない。ウィリアムも、王城に謁見に来る様々な貴族たちの出すご馳走は、毎日の密かな楽しみとなっている。
アイリスも、広大なノブレス帝国全ての食文化に触れた訳では無いが、食材が特産の村などでは食材を納めている所もある。そういった村から貰うフルーツなどは、アイリスの密かな楽しみとなっていた。
老若男女美味い食べ物が好きということだ。
なお、ウィリアムが言っているシチューとは、寒い地域にしか生息できない、上品な脂が沢山乗った特別な鶏を使うシチューだ。
シチューソースに使う生クリームやバターも、寒い地域にしか生息できない乳の栄養が高い牛の乳を使っている。寒い地域は種を増やすのに苦労するため、子供がすぐ大きくなるよう栄養素の高い乳が出るように進化した牛を、さらに長い家畜化で品種改良した一級品だ。鶏も同じく、少ない餌で脂肪を溜め込む鶏を品種改良した一級品である。
そんな素材を使うシチューの作り方は、まず肉を焼く。焼くことで旨味と脂を閉じ込め、クリーミーなシチューソースと合わせる。脂のまろやかさとシチューのまろやかさが相まり、食感と味ともにとても美味しくなるのだ。そのあまりの美味しさから、その鶏の肉と牛の乳は非常に高値で王家直々に買い取っている。
アイリスが言っているフルーツは、メロンのことを指している。グラン大陸の南部は、まだそこまで文明が発展していない国が多く、彼らを支援する見返りとしてメロンの栽培方法と種を手に入れたノブレス帝国は、同じく南側に位置する温暖なベイリー村でメロン栽培を始めた。
ノブレス帝国の技術力により改良されたベイリー村のメロン、ベイリーメロンは糖度が高く、果肉がねっとりして非常に美味である。アイリスは、ベイリー村への視察に同行した時に食べたが、それから忘れることが出来ず気を見計らって買おうとしているくらいだ。
なおノブレス帝国でのメロンの栽培は、気候的にあまり適していないため、ベイリーメロンの生産量は少なく平民には中々行き届かない特別なフルーツでもある。無論、どこかに輸出することもない。
「色々と食べたつもりでしたが、まだまだ世の中には美味しそうなもので溢れていますね⋯⋯。私の中にある1万年前の記憶で食べたものよりも、現代の食べ物は遥かに美味です。魔法はなくなりましたが、人類は料理の味は間違いなく進化しています!」
「そうなのですか?神話では、クルネという不老不死のお酒や、怪魚の肝臓であるリバーなどが描かれていますが⋯⋯」
「あの辺の食べ物は大抵架空ですよ。神々ならもしかすると本当かもしれませんが、我々人間は今の食事を単純にグレードダウンさせたようなものしか食べていません」
「なんだか夢が崩れたような気分です⋯⋯」
ウィリアムが初めて神話を見た時は、脚色された生活を見て思わず笑ってしまった。黄金の果実を朝から食べ、昼は山より大きな牛をみんなで分け、夜は神々から授けられた神酒を飲んで眠る⋯⋯そんな暮らしを人間がしていたように描かれており、そんな訳あるかと心の中で全力のツッコミを入れた事がある。
神話は宗教要素も強いため、黄金の果実も山より大きな牛も神から与えられたことになっていた。孤児で死にそうになってた時も助けてくれなかった神など、ウィリアムはほんの少しも信仰していない。
なお、エトランゼ王国で信仰されているのは『ルクシル』という神を信仰する『ルクシル教』だ。ウィリアムの前世では見た事も聞いた事も無い神だが、神話の中ではこのゴーヌ山脈はルクシルの死体から芽生えた命たちの集まり、という事になっている。
ルクシルは豊穣の神であり、収穫期になるとルクシルヘ祈りの儀式を捧げる決まりになっている。
エトランゼ王国との友好国は殆どがこの『ルクシル教』の信徒であり、ノブレス帝国に並ぶ帝国で友好国⋯⋯『べリエ帝』もルクシル教が国教となっている。
一方、敵国であるノブレス帝国は別の宗教が国教となっている。武神『ナディア』を主とする、『ナディア教』が国教だ。ナディアも、ウィリアムは聞いた事が無い。
ナディア教の教えでは、このグラン大陸そのものがナディアの力で生まれた大陸であったが、神話大戦にてとある悪神に裏切られ打ち滅ぼされたあとに、火事場泥棒のように他の神々や民族がグラン大陸を侵略した、という中々過激な宗教となっている。
その為、ナディア教徒はグラン大陸の全ては自分たちの主に返すべきだと考えており、誰からも支配されずただ他の動物たちと命を分け合え、という教えのルクシル教徒とは相反する考えだ。
一見平和的で素晴らしく思えるルクシル教だが、細部に多民族への差別意識が育つような教えが散りばめられており、エトランゼ王国を初めとしたルクシル教の国家では、不当な差別が国家問題となっている。統治が甘い国家でルクシル教を国教としている国家は、どこも戦争や紛争が絶えない。あくまで生命を分け合うのは人と動物であり、人と人では無いからだ。
それでも神話大戦の流れは、どの宗教でも似たような始まりから終わりが描かれている。故に、異教徒であるウィリアムとアイリスの話が通じる。ウィリアムはルクシル教徒ではないが。
「あの⋯⋯ウィリアム殿下の記憶にはナディア様と出会った記憶はあるのでしょうか?」
「⋯⋯いえ、私は所詮ただの人間の記憶しか持っておりません。神々は確かに存在していましたが、記憶にあるのはたった二柱です。ルクシル様も記憶がありませんね」
「そうでしたか⋯⋯。残念です⋯⋯私毎日ナディア様にお祈りを捧げているんです。もし、実際にナディア様が活躍した勇姿をお聞きできないかと思ったのですが」
「ご期待にこたえられず申し訳ありません⋯⋯」
しょんぼりした声を出すアイリスに、ウィリアムは申し訳なさそうに謝る。神は人に会うことはほとんど無く、大国の王くらいにしか基本的に会わない。
それ以外は、ほとんど空の上から偉そうに見ているだけだったりする。ウィリアムが出会ったのは、マーリンと仲の良かった知恵の神と、神話大戦に赴く前に演説していた炎の神だけだ。豊穣の神も武の神も居たらしいが、会ったことはなく名前も『ルクシル』や『ナディア』とは異なる名前だった。
かといって嘘をついてもバレるため、正直に話したのだが⋯⋯。
「アイリス殿下は、ナディア様を深く深く敬愛しているのですね」
「はい!ナディア様は強く戦いを好まれるお方ですが、優れた人間は死んだあとナディア様が新たに治める天界の英雄騎士として導いてくださるのです。それに、大地に住まい迷う私たち人類に、行くべき道などを指し示してくださります。私たちがこうして出会ったのも、ナディア様のお導きかもしれません⋯⋯」
「ソウデスネ」
ウィリアムとアイリスを引き合わせたのはアラクネだ。そもそも、神は人間にほとんど興味は無い。そういった事を考えてしまうウィリアムは、実際に神を見たからこその現実主義者なのであった。
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