第11話

(折れた骨が痛くて思考が定まらない⋯⋯呼吸する度に胸が痛む⋯⋯くそっ)


 急がなければアイリスが殺される。イビルボア一匹で得たオドを使って確実にホブゴブリンを倒す術を考えなければならないが、状況が状況なだけにゆっくり考えることが出来ない。何せホブゴブリンは話を聞くだけで、実際に戦ったことが無いからだ。

 本来なら安全策を取りつつ、ホブゴブリンを研究してから魔法を調整したい所だが、そうする訳にもいかない。なるべく迅速に、かつ確実に倒す必要がある。


「ゴッガガガッガッガ!」


 ホブゴブリンは愉快そうに笑う。ウィリアムが憎々しげに睨んでくるのが堪らなく心地いいからだ。このホブゴブリンは、人間を苦しめて殺すのが大好きだった。

 これまでも人里に降りては、女子供を人質に取り苦痛に顔を歪める人間の姿を見てきた。その光景を思い出しながら、親子仲良く食べては大笑いをする。その姿を見たゴブリンはホブゴブリンを恐れ、次第にホブゴブリンは孤立して行った。

 それでもホブゴブリンは気にしない。彼の悦びは人の苦痛と悲鳴だ。人間の肉は味としてはイマイチだが、そういった光景は最高のスパイスとなった。


 今もそうだ。この豪華そうな服を着た女は、目の前で睨んでくる男にとって大事な存在なのだろう。己の無力さを嘆きながら、自分に対して唯ならぬ殺意と敵意を向けてくる。

 なんと素晴らしい光景なのだろうか。この光景で暫くは甘美な肉を食べられる。ホブゴブリンは、捕まえている少女を掴む手の力を強めた。


「きゃあああっ!」


「っ!!」


「ゴガッガッガッガ!!」


 ウィリアムはナイフを持って駆け出した。うだうだ迷っていても仕方ない。痛みを無理やり誤魔化してでもホブゴブリンと戦わなければ、アイリスが死んでしまう。

 ウィリアムが習った剣術通りにナイフを振るが、長剣用の剣術では中々効果を発揮できず、ナイフは宙を裂きホブゴブリンは余裕の表情を崩さない。


「ゴガガガ!!」


「ぐはっ!」


 アイリスを掴んでいない方の腕を使い、ホブゴブリンはウィリアムを殴り飛ばした。ウィリアムは折れていない方の腕で咄嗟に守ったが、その重たい一撃を受け止めた腕の骨は砕け散る。

 両腕が使い物にならなくなり、ウィリアムはナイフを落とした。痛みに耐えかね足を止めれば、すぐに自分の頭を殴り飛ばされるだろう。目の前に迫るホブゴブリンの拳を避けるため、全力で後ろに飛び退く。折れた肋に痛みが走った。


 痛い。痛くて仕方ない。それでも逃げるわけにはいかない。このままアイリスを見殺しにしては、今後の人生において永遠に後悔として残るだろう。


「うらあああああああっ!!」


「ゴッ!?」


「きゃっ!?」


 痛みを我慢し歯を食いしばって、ウィリアムはホブゴブリンに体当たりする。ほんの僅かに魔法で脚力を強化した体当たりは、ホブゴブリンの腕からアイリスを解放することに成功した。

 しかし、ホブゴブリンは空いた手ですぐウィリアムを捕らえる。頭部を掴んだホブゴブリンは、沸き立つ怒りを腕に込めた。


「あ、がぁぁぁっ——!!」


「ゴッガッガッガ!!」


「ウィリアム殿下ぁーっ!」


 みしみしと頭蓋骨が軋む音が鳴る。ホブゴブリンがその気になれば、まだ子供であるウィリアムの頭部を一瞬で握り潰すなど造作も無い。それをしないのは、ウィリアムが脅威でなくいつでも簡単に殺せるからだ。わざわざいつでも殺せる獲物をすぐに殺してしまうのは勿体無いと感じており、なるべく痛み苦しむ表情を眺めながら頭を握り潰してやりたい。


「ゴッガッガッガ!!」


「あぁっ⋯⋯あっ⋯⋯があああっ⋯⋯!!」


 アイリスは焦った。もう魔物避けの魔道具は存在しない。魔物を殺す魔道具は元から持っておらず、この状況を打破する術を持っていないアイリスは、目の前で死にそうになっているウィリアムを助けられないか急いで考える。


 ふと、ウィリアムが落とした石のナイフが目に入った。アイリスは震える手と足を気合いで抑えると、そのナイフを拾い上げ構えた。


「うわあああああっ!!」


 アイリスは、恐怖を忘れるために大きな声で叫びながら走る。そのままナイフをホブゴブリンに突き立てようとするが、ホブゴブリンはウィリアムをアイリスに向けて投げた。

 投げられたウィリアムの胸に、アイリスが突き立てたナイフが深く突き刺さる。生まれて始めて肉を裂く感覚を味わったアイリスは、一瞬自分が何をしているのか分からなかった。しかし、投げられたウィリアムごと自分も倒れ、その手に握ったナイフがウィリアムの心臓を刺していることに気が付いた瞬間、自分を助けようと命を懸けてくれているウィリアムを刺してしまったことを自覚する。


「あ⋯⋯あぁ⋯⋯あっ⋯⋯いや⋯⋯いやあああああああああっ!!」


「ゴガッガッガッガ!!ガーッガッガ!!」


 子供を助けるために槍を突き立てる親に対して子供を投げ、親に子供を殺させることはホブゴブリンの得意な技だった。人間は、大切なものを傷つけられている時は敵意や殺意が勝り絶望する度合いは少ない。しかし、自らの手で大切なものを傷つけた時、とても素晴らしい絶望の表情を浮かべるのだ。

 ホブゴブリンは歓喜した。面倒な男を殺すことに成功したため、あとは絶望している目の前の女をなるべく苦しむよう甚振ってから殺して食べるだけだ。


 アイリスは絶望し、ホブゴブリンは愉快に笑う。そんな空気を壊したのは、ウィリアムの『詠唱』であった。


『種よ、敵の肉体を苗床とし、命の花を咲かせろ!』


「ゴガッ!!?」


 ウィリアムの詠唱と共に構築が完了した魔法は、ホブゴブリンの体から大量の根を生やし大きな花を咲かせた。


 先ほどホブゴブリンに体当たりした際、ウィリアムは魔法を構築してホブゴブリンの体内に植え込んだのだ。強さが分からず、オドを節約して確実に殺すなら、相手のオドを利用し体内から攻撃する魔法が最も効果的だと判断したウィリアムは、ホブゴブリンのオドと肉体を糧として、その存在を食い尽くしながら花を咲かせる植物魔法を使用したのだ。

 残すは詠唱だけだったのだが、頭蓋骨を掴まれて詠唱が出来ず危うく死ぬところだった。アイリスがホブゴブリンの気を引き、それに対してホブゴブリンも趣味全開の攻撃をしてくれたからこそ詠唱することが出来た。


 生やした植物を操り、殺したホブゴブリンの魔石を急ぎオドに変換する。色々とオドの使い道は考えられるが、まずはこの傷を治さなければウィリアムは死んでしまう。幸い、ホブゴブリンの魔石による収穫量はゴブリン20匹分を超えていた。


『肉体よ、再生せよ』


 前世で最も使用した魔法、『自己再生』。超簡易術式でも完全に自分の体を再生させることが可能な魔法であり、腕が切り落とされてもくっつける事が可能だ。燃やされるなどの手段で完全に存在しなかったとしても、それなりのオドとマナを使うことで再生が可能である。

 アイリスが誤って刺してしまった胸の傷も、みるみるうちに治っていく。その光景を目の当たりにしたアイリスは、自分が殺してしまったと思ったウィリアムが治り笑顔を向けてくれた事に深く安堵した。そして、そのまま勢いでウィリアムに抱きつく。


「ウィリアム殿下ぁっ!良かったぁ!良かったです!!生きててくれて、ありがとうございます!!」


「うおっ!?⋯⋯アイリス殿下が、ホブゴブリンに立ち向かってくれたおかげですよ。私こそ、ありがとうございます」


「元はと言えば私が⋯⋯!それに私、殿下を⋯⋯殿下を刺して⋯⋯!」


「ははは⋯⋯アイリス殿下に貸してるこの胸は、傷一つない綺麗なままですよ?」


「うっ⋯⋯うわあああああああ!!」


 大粒の涙を流しながら抱きつくアイリスに対し、ウィリアムは胸を貸した。マーリンの教えがウィリアムの頭をよぎる。


『良い?もし涙を流している女の子が居たら、その胸を貸してあげなさい。男の胸はね、女の子が泣いた時に受け止める為に存在するのよ』


 それからも暫く泣き続けるアイリスに、ウィリアムはいつまでも優しい言葉をかけながら優しく受け止めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る