第7話

 ノブレス帝国。それは、ゴーヌ山脈を挟んだ東側に存在する、エトランゼ王国の隣国にして敵国だ。ゴーヌ山脈を超えるルートは限られており、そこのルートは両国とも厳重な警戒態勢を敷いている。一方、他のルートでは山を超える間に力尽きることが予想されるため、あまり警戒されていない。


 ウィリアムが魔法の練習をしていた地帯は最も山越えに適さない地帯であり、エトランゼ王国の警備も殆ど無かった地帯だ。


 そこに、敵国の王女が単独でやってきた。ギルフォードの話によれば、最短ルートでも片道30日間は掛かるはずの山脈を超えて。ウィリアムは日没までに帰る必要があるため、ほぼ山脈の麓と言っても良いほどエトランゼ王国側の地帯にいた。つまり、ノブレス帝国から来るには、通常の山越えよりも日数を必要にするはずだ。


 しかし、アイリスは特別汚れてもいない。先ほどの攻防で多少は汚れたものの、とても30日以上険しい山脈で魔物と対峙しながらサバイバルしてきたとは思えないほど綺麗な身なりをしている。

 それに、年齢もウィリアムとそう変わらないような見た目をしている。そんな幼い少女が、あのアラクネのような魔物も出てくる山脈で生きていけるはずが無い。魔法を使えるウィリアムでさえ、単身でこの山脈を抜けるのは厳しいと言わざるを得ないほどだ。


 考えられるとすれば偽物か。何はともあれ、アイリスに握ってもらった手を離すと、残り少ないオドを使って小さな石製のナイフを生成する。それを見えないように隠し持ちながら、ウィリアムは口を開いた。


「失礼ですが、アイリス殿下はなぜエトランゼ王国領内である、ここに居るのでしょうか?」


「⋯⋯信じていただけるかはお任せしますが⋯⋯私も何も分からないのです。ゴーヌ山脈へ赴く用事があったため、数名の騎士を護衛につけて山入り致しました。アラクネから逃げる時に使用した煙幕のも、私に万が一何かがあった時を想われた皇帝陛下から下賜された物です」


「魔道具⋯⋯?いや、申し訳ありません。続けてください」


 魔道具という名前を初めて聞いたウィリアムは、その名前に疑問符を浮べる。しかし話の腰を折りそうだったため、その疑問を一度思考の隅に追いやった。

 逆に、アイリスはウィリアムの態度に対して疑問の感情を持ったが、話の邪魔になりそうなので無視することにした。


「ありがとうございます。騎士と共にゴーヌ山脈に入り、暫く山脈の調査をしていたところまでは記憶があるのですが、ふと気がつくとウィリアム殿下とアラクネが戦闘している現場に立っていたのです。あのアラクネは、ノブレス帝国でも御伽噺として語り継がれている、特別危険なアラクネと同じ特徴を持っていました。

 このままではウィリアム殿下が危ないと思い、急いで護身用の煙幕の魔道具を使い、共に逃げる選択を取ったのです」


「もしや、山の道を的確に案内出来たのも魔道具の力なのですか?」


「はい。この魔道具であるペンダントは、今自分が求めている場所への道を常に示してくれる力を持っています。初めて来る場所で、煙幕の効果もあったので上手く行くか分かりませんでしたが⋯⋯ウィリアム殿下が力持ちで助かりました」


「そ、それは⋯⋯ははは⋯⋯」


(身体強化魔法で成人男性よりも強くなってました、なんて言えないしな)


 アイリスの言葉に色々と聞きたい部分はあったものの、話が長くなりそうなので今は聞くことを抑えた。


 アイリスの話は荒唐無稽だが、ウィリアムにはその現象に一つだけ心当たりがある。


「転移魔法、でしょうね。誰か⋯⋯と言っても魔物でしょうが。魔法を使える何者かが、ノブレス帝国側のゴーヌ山脈に転移魔法の罠を仕掛けたのだと推察できます」


「転移魔法!?そんな、御伽噺のような⋯⋯あっ」


「そうです。恐らく、あのアラクネが仕掛けた罠だと思います。その転移魔法の範囲に入った者を、自身の近くに転移させて餌にしているのでしょう」


 あのアラクネなら可能だと、ウィリアムは確信した。あれは普通の人間よりも頭の良い魔物だった。そして魔法に対する知識も膨大であった故に、常に自分の元へ生物を転移させる魔法陣くらい作ってもおかしくないと感じる。


 つまり、このアイリスはアラクネの被害者である。まだ確証は無いが、エトランゼ王国でウィリアムを殺すことが目的だった場合、わざわざ敵国の王女を名乗り警戒させる利点が無い。それならば、この真っ直ぐで美しいアイリスの瞳を信じた方が良いと判断した。


 最終的には勘だが、ウィリアムはアイリスが嘘をついているようには思えなかった。


「原因は分かりました。⋯⋯その、今度は私から質問してもよろしいでしょうか?」


「⋯⋯はい」


 ウィリアムがアイリスを信じたのは良いが、アイリスに自分を信用させなければならない事を忘れていたウィリアムは、急に全身から冷や汗が噴き出す。気取られないよう、生まれてから一番のキメ顔でアイリスに視線を向けて誤魔化しを計った。

 やたらキリッとした顔で見てくるウィリアムに対して、不思議に思いながらアイリスは口を開く。


「ウィリアム殿下は、なぜあのような場所でアラクネに襲われていたのですか?確かに、エトランゼ王城は近くに見えますが⋯⋯護衛の方などは?」


「⋯⋯その、あれですね。王城を抜け出して来たのです。王城は安全ですが、退屈なので」


「なるほど。では、ゴーヌ山脈へ遊びに来たところを、あのアラクネに襲われてしまったのですね?」


「はい!ちょっとした出来心から来たピクニックでしたが、危うく命を落とすところでした!アイリス殿下に助けていただき、感謝の念に尽きません!」


(我ながら苦しい言い訳だが⋯⋯魔法の練習をしに来ました!なんて言える訳無いしな。⋯⋯って、凄い顔でこっち見てないか?)


 ウィリアムは咄嗟に嘘をついた。王城を抜け出して遊んでる、という部分は傍から見ればその通りである。真実を混ぜる事により、嘘を見抜きにくくした。

 しかし、王城を抜け出した辺りでは真剣な顔で聞いていたアイリスは、ピクニックしに来たと告げた辺りで険しい表情を浮かべている。


 何事かと慌てていると、アイリスが口を開いた。


「申し訳ありませんが、ウィリアム殿下。ピクニックというのは嘘ですね?あなたがエトランゼ王国第二王子のウィリアム殿下であること、王城を抜け出して来たことまでは真実ですが⋯⋯何か別の事情があって王城を抜け出したのですよね?」


「なっ!?ま、まさか⋯⋯」


「はい。失礼ながら、私は真実を見抜く魔道具を持っています。どこにあるかはお教え出来ませんが。ですのでウィリアム殿下、どうか私に真実をお伝えください」


(そんなのナシだろ⋯⋯嘘を見抜く魔法とか、前世だって誰も開発できなかったぞ!)


 アイリスが使用している魔道具の性能に怒りを覚えるウィリアム。しかし、嘘をついていることがバレている状態で黙っていては、余計に怪しまれてしまう。

 どうにかしてこの事を黙らせなければならない。その方法を考えながら、ここは一旦真実を話して時間を稼ぐことにした。

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