第6話

(危なかった⋯⋯。瞬時に風魔法で自分の体を吹っ飛ばし、身体強化魔法で木の上に移動。アイツには幻覚魔法で私の死体を見せつけたことで、なんとか逃げる事が出来たが⋯⋯。チッ、オドがもう3割は失われている)


 まさに危機一髪。転生してからなんだかんだと緩々過ごしていたウィリアムにとって、初めて訪れた死の危機だった。こんな化け物相手に、魔法も無しで現代人は立ち向かうというのだから気が知れない。


(こいつ、前世の下位竜⋯⋯いや、下手すると中位竜と同じくらいの強さだ⋯⋯!)


 とりあえず今は存在に気付かれていない。それならば、不意の一撃で今度は確実に息の根を止める。むしろ、反撃の隙を与えてしまえば間違いなくこちらが負けてしまうため、一撃で屠らなければならない。その為に、有効な魔法を考える。


 まず、アラクネは耐久力が高い。爆光を受けても傷一つ無かった辺りから、貧弱な魔法ではダメージを与えることは難しいだろうと予想出来る。次に遅い魔法は避けられてしまう。避けられないように追尾機能を付与したとしても、対抗術式を完成させて無効化されてしまう。


 つまり、魔法構築完了から着弾までのスピードが早く、一撃の威力に優れた魔法が有効的なはずだ。ウィリアムは、自分の記憶にある幾千の魔法から、今のオド量で発動可能な最速最強の魔法を選ぶ。


『我、あまねく魔を統べる者なり。轟雷よ、今こそ神に代わりし我の命令にかしずけ。邪悪なる敵を、その雷電によって塵芥へ変えよ!————』


 ウィリアムが残りのオドを殆ど使用して構築したのは、『神の審判』と呼ばれる雷撃魔法だ。数多ある攻撃魔法の中でもトップクラスの攻撃力を誇り、巨人をも一撃で仕留めるほどの威力を持つ。

 この魔法はとにかくエーテルを消費する代わりに、術式は簡単でトリガーとなる詠唱も比較的短くて済む。そして、発動すれば相手に当たる速度はまさに雷の速さだ。


 急激に周囲のマナがエーテルに変換されれば、オドを持ちマナを感知できる者ならすぐに気が付く。案の定アラクネもウィリアムが生きていて、大きな魔法を発動しようとしていることに気が付いた。


「ギヤアアアアアアア!!」


 慌てて魔法陣を展開し、魔法を使われる前にウィリアムを殺そうとする。しかし、ウィリアムの魔法は既に完成していた。


『——神の審判!!』


 魔法が発動した瞬間、アラクネの頭上に轟雷が落ちる。これはただ落雷を当てる魔法ではなく、その雷の威力は通常の100倍以上の威力を誇る。また、相手に感電と麻痺の状態異常を付与することも出来る。しかし、そちらはオマケ程度の効果であり、殆どの場合は雷だけで相手が死ぬ。


 目も開けられないほどの光と、耳を塞ぎたくなるほどの轟音の中、強い衝撃と熱に身を焼かれるアラクネ。いくら伝説級の魔物といえども跡形も無いだろう。


 そう、それがアラクネでなければ。


「なっ!?嘘だろ⋯⋯!?」


「ギイギイ⋯⋯ギイヤアアアア!!アアアアアアアアアア!!ギイイイイイイイ!!!!」


 アラクネは早々に上半身を切り捨てて身を守った。アラクネは特殊な機能を持っており、人型の頭部と蜘蛛型の頭部を同時に倒さなければ、片方が核となり生き返る事が出来る。


 獄炎のような一気に全てを焼き尽くすタイプの魔法なら倒せただろうが、上から雷を当て殺すまでに若干の時間を要する魔法では相性が悪い。


 ただしこれは、アラクネの思考が特別一枚上手だったと言えるだろう。頭上からの攻撃だと分かった瞬間、魔法を受ける前に上半身と下半身を自分の魔法で切り落としていたのだ。ウィリアムへの攻撃魔法はブラフだった。

 のアラクネなら魔法を受けてから、上半身と下半身を切り離すだろうが、その時には感電と麻痺の状態異常で上手く切り離せず、死んでしまうだろう。わずかな時間で最適解を見つけ、痛覚の無い蜘蛛型の部分を切ることで免れたこのアラクネは、伝説級の魔物であるアラクネの中でも、更に上位の存在であった。なお、初めてアラクネを見たウィリアムに、その事を知る由はない。


 人型の部分が全ての魔法を肩代わりしたため、蜘蛛型の部分は状態異常も無くダメージも無い。アラクネは早々に人型の上半身を再生させ、何百年ぶりに体の半身を消し飛ばされただろうか思い出す。

 幼き日々、人間に獲物として追い回されていた忌々しい過去。そしてそれらの記憶を呼び戻し、あまつさえ自分を酷く傷付けた目の前の少年。それらに対して湧き上がってきた怒りを、アラクネは叫び声に乗せてウィリアムにぶつけた。


「ギイイイイイヤアアアアアアアアアア!!!!ギヤアアアアアアアアアア!!!!」


 相変わらず耳を塞ぎたくなるような不快な音だと、ウィリアムは苦笑をこぼす。


 ウィリアムは負けを認め、同時に死を悟っていた。決死の魔法で仕留めきれず、もはやオドは無いに等しい。転生魔法もオド不足で使用できないため、二度目にして最後の死が迫っている。


 ウィリアムが諦めかけたその時、独特の刺激臭を放つ煙がウィリアムとアラクネの間に発生した。突然の出来事に呆然としていると、木の下から女性の声が聞こえる。


「あなた!死にたくなかったら、降りてこっちへ来なさい!」


「なっ!?⋯⋯ええい!」


 一瞬迷ったが、どのみち死ぬのならと木から飛び降り、少女の声がする方へひた走る。その後すぐ、先ほどまで立っていた木を、溶岩が焼き尽くす光景が広がっていたが、もう振り返る余裕も無いウィリアムは全く見ること無く逃げた。


「ギヤアアアアアアアアアアアアア!!!!」


「こっちよ!走って!!」


「あぁ!!」


 見失ったウィリアムを確実に仕留めるため、ありとあらゆる方向に魔法を撃ち込むアラクネ。魔法を使って防御や回避をすれば、マナの揺らぎから場所を特定される可能性がある。ウィリアムは我が身一つで避け続けた。

 幸いにも事前に発動していた身体強化魔法の効果が切れていなかったため、辛うじて魔法や木々を避けて移動することが出来る。既に発動している魔法ではマナに揺らぎが起きることはなく、バレる心配もない。


 避けることに夢中で気が付かなかったが、いつの間にか刺激臭のする煙が辺り一面を覆っている。視界はほぼほぼ存在しないため、声のする方へ己の聴覚を頼りに、山の中で足を躓かないよう細心の注意を払いながら走る。


「きゃあっ!」


「っ!大丈夫だ!捕まっててくれ!」


 突如、自分を導く声の主が悲鳴をあげた。恐らく、視界が悪い中で山を走ったから転んだのだろう。煙でよく見えないものの、人の気配と声を頼りに声の主を見つけた。一瞬で腕に抱えると、再度走る。

 ここまで近付くと、相手が少女であることが分かった。とても軽いその体を抱え、アラクネの恐ろしい叫びを無視してただただ走った。


「そこの木々を抜けたら左に走って!」


「分かった!」


 抱えている少女の指示を耳元で聞きながら、その通りに山脈を駆け回る。だんだんとアラクネの叫び声が遠くなっていくのを感じた。


 それから約20分経ち身体強化の魔法も切れた辺りで、ウィリアムは抱えていた少女を丁寧に下ろした。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」


「どうやら⋯⋯はぁ⋯⋯逃げきれたみたいね⋯⋯」


 息を切らしながら、やっと落ち着ける状況になったことに安堵するウィリアム。それと同時に、命の恩人である少女の姿を初めてしっかりと捉えた。


 透き通るような銀の髪、空よりも海よりも青く美しい瞳、雪のように白い肌、人形よりも美しい顔立ち。そこに居たのは、まさに『天使』と呼びたくなるほどの美少女だ。

 歳は同じくらいに見える。山の中に似つかわしくない華美な服装に、豪華なティアラも付けているようだ。よく落ちずに済んだと感心してしまう。


 詳細は分からないが、この少女が自分を助けてくれたのだと理解したウィリアムは、先程までの粗野な喋り方を反省しつつ、片膝をつき恭しく頭を下げる。


「はじめまして。私はエトランゼ王国第三王子、ウィリアム・ラ・エトランゼです。この度は、命をお救いいただき感謝の念に尽きません⋯⋯」


 そんなウィリアムの言葉に、目の前の少女は驚愕の表情を浮かべた。しかしすぐに思考を切り替えると、ウィリアムから差し出された手を取り立たせる。


「いいえ、お気になさらず。私は当然のことをしたまでです。私の名前はアイリス・ジ・キャレット。ノブレス帝国第二王女です」


「っ!?」


 今度はウィリアムが、アイリスと名乗った少女の言葉に共学の表情を浮かべた。


 自分の命を助けてくれた目の前の美少女。彼女の正体は、エトランゼ王国から見て、ゴーヌ山脈の向こう側に城を構える『ノブレス帝国』の王女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る