第4話

 ギルフォードに剣を教わってから約2ヶ月後。王城から遠く離れた山岳地帯。使用人の目を盗んで王城を抜け出したウィリアムは、人が寄り付かない山奥で魔法の試し打ちをしていた。


 ここはエトランゼ王国の東側に連なる、大陸最大の山脈『ゴーヌ山脈』だ。人類が支配しているこの『グラン大陸』で、最も標高が高く範囲も広いゴーヌ山脈は、大陸北西部に位置するエトランゼ王国の東側を守る天然の防壁である。


 西には『ガルブ海』が、南には『エグザ運河』が広がり壁となっているエトランゼ王国は、最も安全であるゴーヌ山脈とエグザ運河に隣接して守られた、国土の南東部に王都を構えている。つまり王城にも近く、こっそり日帰りで外出しやすい。そしてゴーヌ山脈には人もほとんど寄り付かないため、ウィリアムにとっては魔法の練習に打って付けの場所なのだ。


『炎よ、爆ぜろ』


 ウィリアムが呟いた直後、手から炎の玉が現れた。その炎は赤から青へ色を変え、手元を離れる。馬の全力疾走に並ぶほどの速さで宙を飛ぶと、目の前にある大きな岩にぶつかり、小さく固まっていた炎が一気に広がった。本来燃えないはずの岩は、木材のように良く燃え盛り、青い炎が岩全体を包んだ。


 暫く燃え続けた炎が消えると、大きな岩の一部が溶解していた。こんな炎を受ければ、並の生物であれば消し炭になることは容易に想像出来る。


 ウィリアムは、自分から消費されたオドの量を確認し帳簿に記入した。今回の消費量は、エトランゼ金貨2枚あれば買える量の魔石を必要とする。成人男性の王都民における平均月収が白金貨1枚=金貨10枚である事から、そう安くない出費だと分かる。


(またこっそり働かないとな⋯⋯。それに、やっぱり少しオドのエーテル変換率も悪いか⋯⋯)


 オドとマナを融合させ、エーテルに変換する効率が前世より少し悪い。原因は、元が自分のオドでは無いからだろうか、とウィリアムは考えている。ただでさえ魔石をオドに変換する効率も悪いのに、オドをエーテルに変換する効率まで悪くては話にならない。ウィリアムはため息を吐いた。


 神話の時代では、オドを使った後は食事を摂るか睡眠を取る、または単純に休んで体力を回復する事で、オドが回復する仕組みであった。魔石を消費しなければオドが回復しない現代では、小さなオドの無駄も勿体なく感じてしまう。

 ウィリアムが真剣に剣術を学んでいるのも、オドを節約するためである。オドを消費する魔法でしか魔物を倒せなければ、弱い魔法で倒せない魔物が現れた際、赤字で魔法を使うしかない。魔法無しでもある程度魔物を倒せれば、節約したオドを使った強力な魔法で強大な魔物を倒すことが出来る。


 今回のような魔法の実験は、オドを最小限に抑えた魔法を開発することがメインとなっている。と言ってもオドの変換器制作同様に、こちらも中々うまくいっていないのだが。


(しかし、この時代はマナに満ち溢れているな⋯⋯。恐らく人間が魔法を使えなくなったことで、慢性的なマナ不足が解決したのだろう。魔物も知性が足りないのか、小出力の魔法しか行使していないようだし)


 初めてオドを宿し、この世界に満ちているマナを感じ取れた瞬間、ウィリアムは世界中に溢れるマナの量に驚いた。

 マナは無尽蔵に湧いてくるが、オドと異なり回復に長い時間がかかる。マナは、生命の終わりと始まりが繰り返されることで生成されるのだが、人間が生活の全てに魔法を利用していた魔法文明の時代では、生活や戦いのために消費するマナの量が多すぎて、マナの回復が慢性的に追いついていなかった。


 それから1万年が経過し人間が魔法を使わなくなり、魔物が使うマナも少量となった事で、マナ不足問題は一気に解消。人間がマナを使うことといえば、偶発的に魔石を使った武器に宿った魔法効果が発動した時くらいだろう。


 こういった理由があり、世界にはウィリアムが驚くほどマナが満ち溢れていた。

 前世ではなるべくオドを使い、マナの消費を最小限に効率化していた。それと真逆の事をするわけで、オドの消費には明るくないウィリアムは苦悩する。


(もっともっとオドの消費を最小限に、なるべくマナを使ってエーテルを生成⋯⋯。駄目だ、やはりマナを扱うには最低でもマナの半分はオドを必要とする⋯⋯。ここをこうしたらマナは効率化できるのだから、逆にすればオドも効率化出来そうなものだが⋯⋯あぁクソ、また失敗か)


 今の人間にも魔臓があればこんな事で悩む必要も無いのに、と不満を漏らしたくもなる気持ちをグッと堪える。

 もっとオドの変換効率を上げ、優れた魔法術式を組み立てることが出来れば、エトランゼ王国の国民にも魔法が普及してより豊かになると信じているからこそ、ウィリアムは魔法の研究に努力を惜しまない。

 前世での夢や想いこそがウィリアムの原動力だ。


 そんなことを考えていたウィリアムの耳に、近くの木々から物音が聞こえた。そちらに目をやると、緑色の肌に醜悪な顔をした痩せぎすな小人のような生物が、棍棒片手に現れる。

 これらは、かなりポピュラーな魔物である『ゴブリン』だ。ゴブリンは弱いが、狡猾で残忍な性格をしており、見た目だけならか弱い子供かつ、武器も持たず丸腰のウィリアムを餌として認識したようだ。ゴブリンは人型だが、雑食で同じ人型の人間も躊躇なく食す。

 田舎村などでは、そんなゴブリンによる女子供の誘拐事件が後を絶たない。ゴブリンは確かに弱いが、弱いからこそ臆病で慎重だ。勝てない戦いは基本的にしない。


 この世界の人間が魔法を使うことは無い。中途半端に知能があるゴブリンは、その事を理解している。

 だからこそ、魔法を使えるウィリアムを襲ってしまった。


「ギギギ!ガガガ!!」


「ガーガガガ!ゴゴゴ!」


「⋯⋯8匹か。臨時収入だな」


 棍棒を振り回しながらウィリアムを嘲笑するゴブリンは、完全に餌を見る目をしている。しかし、それは8匹のゴブリンに囲まれているウィリアムの目も同じであった。


 ゴブリンの魔石は、店売りなら1個あたり銀貨1枚程度で購入出来る。銀貨10枚で金貨1枚なので、金額に換算すれば、先ほどの青い炎の魔法はゴブリン20匹分の価値があるという事になる。

 勿論、オド変換量の誤差や魔石の個体差、そもそも店売りと買取で金額が違うので一概には言えないが、簡単に言うとそういうことだ。


 毎度王城を抜け出し、短期間だけ働ける仕事を見つけてこっそり働くのも大変なので、弱い魔法でも簡単に倒せて、黒字になりやすい魔物が襲ってきてくれるのは好都合だった。


 ウィリアムは、右手を前に伸ばしながら1回転する。同時にオドを用いて、周囲のマナを吸収しエーテルに変換。ゴブリン2匹分の魔石で得られるオドを消費して、風の魔法を構築する。


『風よ、切り裂け』


 魔法発動のトリガーとなる言葉と共に、見えない風の刃がウィリアムの周囲360度に形成され、波紋のように一気に広がった。

 ゴブリンが何かに気付く前に、ゴブリンの首は既に胴体と切り離されている。一瞬すぎて死んだことも分からず、宙を舞う頭部は下卑な表情を浮かべたままだ。

 数秒経って危険を感じ険しい表情になった時には、既に大量の血を撒き散らしながら命を落としていた。そんなゴブリンに対して悪びれる様子も無く、ウィリアムは手馴れた手つきで魔石のみを取り出した。


(簡易術式による発動時間短縮⋯⋯色々と試してきたが、やっと一撃でゴブリンを殺せる丁度いい魔法を安定して撃てるようになったな)


 剣を習得した大人なら簡単に殺せると言われているゴブリン相手に、あまり大それた魔法を使うのは勿体無い。その為、良く出会い倒すのにも余裕があるゴブリン相手には、魔法の最適化についての練習相手となってもらう事が多かった。


 初めは魔法が強すぎてオドを無駄に消費してしまったり、逆に弱すぎて魔法を2回以上使わないといけなくなってしまっていた。ゴブリン相手に魔法の練習をすること約1年、やっと8割くらいの確率で最高率な威力の魔法を撃てるようになった。


 腐っても前世は魔導師として名を馳せていたウィリアムは、じっくり完璧に術式を構築すれば完全効率の魔法が発動できていた。しかし、戦闘ではじっくり完璧な術式を構築する暇が無いため、実戦で使う現実的な要素を盛り込んで練習する必要があった。


 魔法は、エーテルを用いて意味ある術式を構築することで、現実を歪め何かに影響を及ぼす力を得る。

 たとえば岩を燃やした『獄炎』という魔法の場合、最初にどこにも存在しない熱を発生させなければならない。次に、火種が無くとも燃えるように空間の理を歪める。そして周囲の空気を使ってその熱を強め、炎の概念を空間に組み込む。ここまでで赤い炎が発生するため、さらに空気を取り込みながら炎の概念を書き換えて温度を上昇させる。青くなった炎の塊をエーテルで包み込み、移動させて物体に当てる。最後は炎を一定の形に固定させていた式のみ解除し、対象物の延焼効率を限界まで引き上げて一気に燃やす。


 こういった一連の作業をまとめたのが術式だ。ただ、このような事を細かく調整していては実戦で使用することが難しいため、殆どの戦闘ではかなり大雑把な術式にする。その事を『簡易術式』という。獄炎の魔法なら、炎を作り温度を高め相手に当てて燃やす、くらいの指定しか行わない。

 簡易術式は魔法発動の効率は非常に高いものの、細かく調整が出来ず魔法にムラが出てしまう。その為、オドの最高効率を目指すには調整が大変なのだ。


 やっと成功率が安定した簡易術式魔法の発動が出来るようになり、今日一番の喜びを感じるウィリアムだった。


(よし、魔石は取り出せたな。後は、ゴブリンの死体をマナに還そう)


 全ての魔石を変換器でオドに変えた後に木の枝を一つ拾うと、枝の先にゴブリンの血を付ける。その血を使ってゴブリンの死体に紋様を描くと、ゴブリンの体が輝き粒子となって消えた。帳簿に使っていた羽根ペンでも良いのだが、インクが勿体ないので血で代行だ。


 肉体のマナ変換。これはマナが不足していた神話の時代で、大気中のマナを補填しながら死者を弔う方法として当たり前に使われていた手法だ。

 体に残る僅かなオドを利用し、紋様が持つ効果によって肉体をマナにする儀式である。ほんの少量マナは使用するが、それでも肉体がマナとなって変換される量の方が遥かに多い。戦争が起きた後などは、戦争で使用したマナを急いで補充するために、敵も味方も関係なく自軍の陣地にある死体全てをマナに変換していた。なお、生者には効果が無い。


 王城から抜け出してゴブリンを狩っている事がバレると面倒なので、魔石を取り出した魔物はこうしてマナに変換している。ウィリアムは試したことは無いが、特性上オドがない現世の人間の死体をマナに変換して証拠隠滅⋯⋯のような事は出来ないだろうと踏んでいた。勿論、そんな事をしないで済むことが一番ではあるが。


 ゴブリンの死体がマナへ変換されていく姿を眺めるウィリアム。無事にゴブリンを処理し、気を抜いた瞬間。常時発動型の障壁魔法が起動、破壊される。


「っ!?」


 敵意があり、自分を傷つけるだけの攻撃が迫ってきた場合、自動的にその攻撃から身を守る障壁魔法。相手からの攻撃を受けることで効果が発動する構築難易度の高い魔法であり、複雑で強力なため魔石をかなり消費する。この障壁が割れただけで、今回のゴブリン狩りで得た黒字分のオドなど雀の涙程度だ。


 間違いなく強力な攻撃。ウィリアムが警戒しながらそちらに目をやると、そこには下半身が蜘蛛で上半身に美しい女性の姿をしたの魔物、『アラクネ』が立っていた。

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