ミノワールの秘密(1)

 サヤヒリア・スヴァル・アリッシュベル。


 アロヴェイオン国のアリッシュベル公爵家の令嬢。金の髪に瑞々しい碧色の瞳を併せ持つ麗しい少女。慎ましくありながらも凛とした佇まい。歳の近い少女たちからも尊敬の念を抱かれている、模範的な淑女。


 レイシオン王子と婚約関係にあるが、両家はその事実をなぜか大々的には報じておらず、学園内でそのことを知る者は少ない。


 しかし、当人に関心がないわけはないようだ。ある少女がレイシオン王子に親しく接する度にアリッシュベル令嬢は苦しそうに彼らを見つめていた。肩を丸め、何も言わずその場を立ち去ってしまうその姿にアリッシュベル令嬢を敬愛する少女たちが胸を痛め、原因となった二人への不満が増えていった。


 密かに想っている婚約者が他の女性へ目を向けて傷つき、その痛みを隠すように健気に振る舞う哀れな公爵令嬢。


 ――というのが、昨晩までリクスが抱いていたサヤヒリアに対する印象であった。




 初夏のパーティーが終わった翌日から、ミノワール学園は夏休みに入る。ほとんどの生徒たちが帰省する一方でサヤヒリアは学園に残っていた。


 もう、始まってる・・・・・はずよね。


 ひとけのない校舎を見回しながら外廊下を歩いていると。


「アリッシュベル嬢」


「グレイドル、様……」


 友人にするように親しげな笑顔でリクスが声をかけてきて、サヤヒリアは表情を固くして振り返る。


「残っていらしたんですね」


「ええまあ……グレイドル様も、帰られなかったのですね。よろしいのですか。長期休みでもないと隣国ご実家にはなかなか帰る機会がないでしょうに」


「ご心配なく。アリッシュベル嬢の方こそ、大丈夫なのですか? 今年はアロヴェイオン様と、メロール嬢も学園に残っているようですよ」


 知っている。


 現在、ミノワール学園で起きている重大事件をアイリスが解決する筋書き運命にあるのだから。


 サヤヒリアは素知らぬフリで顔を背けた。


「また、火を吐いてしまうのでは?」


「……」


 落ち着け私。今ならまだ、誤魔化せるはず。


「気になっていたのですが、もしかしてあれは、『呪い』ですか?」


「っ!!」


 反射的に振り返った姿は、慎ましい淑女とは正反対。その反応だけで答えたようなもので、サヤヒリアは気まずさに目を逸らす。


「こんなにも感情豊かな方だったとは、知りませんでした」


「……言いたいことは、それだけですか」


 和やかなリクスに対し、サヤヒリアは目を吊り上げる。数日前までは穏やかに会話できた相手だけれど、今では穏やかな頬笑みも怪しく見えた。


「そうですね。差し支えなければその『呪い』について教えてほしいですね。ただ『炎を吐く』呪いなんでしょうか? タイミングは? どうしてそんな状態に?」


 壁際に追い込まれる。目の前の双黒が大きく開いて、サヤヒリアの頭から爪先までくまなく視線を巡らせていた。


「ちょ、ちょっと!? 近い!」


「ああ失礼。少し呪いに興味があるもので」


「少し?」


 それに呪いに興味があるって、なんで?


 己の体を抱きしめて、リクスと距離を置く。


「アリッシュベルさん? それにグレイドルさんも。そこで何をしているの」


 声をかけた女教師は、「おはようございます」とそれぞれ返す二人を困惑気味に見つめた。


「貴方たちも残っていたのね。今すぐ寮に戻ってちょうだい。今日一日、外出しないように。あとで寮の方で正式な通達をするから――」


「なぜですか?」


 静かに問いかけたサヤヒリアに教師は一瞬口を噤む。


「……大したことじゃないわ。学園内を点検することになったから、一日だけ生徒の立ち入りを遠慮したいだけなのよ」


「そうですか。わかりました」


 教師が本当のことを言う気がないのが明らかだった。それでもサヤヒリアはあっさり頷く。


 女教師が背を向けて向かった廊下の奥では、他の教員たちが急ぎ足で通り過ぎていくところだった。


 それを見てリクスも只事ではないと思った。


「何かあったみたいですね」


「ええ……」


 初夏のパーティーの夜、女子生徒が一人消えた。


 怪談で語られていたことが実際に起きたのだ。


 『フラワーシロップ』の最初の重大事件。消えたのはアイリスの友人で、翌朝異変に気づいたアイリスは学園に残り、消えた友人を探す。今頃、手がかりを探して学園内を回ってることだろう。


 教師陣は事件をまだ公にはせず、第二の被害者を防ぐため残った生徒たちを寮に待機させ、密かに消えた生徒を探して動いている。


 ほとんどが帰省しているのもあって、他の生徒たちが事件に気づくのは後々になる。休みが終わって学園に戻ってくる頃には、アイリスたちが事件を解決して、消えた生徒も連れ戻しているはず。


 そしてこのイベントで確実にアイリスと攻略対象との距離が縮まることになる。


 レイシオンが隣にいた場合、渦中に飛び込む覚悟でいくしかない。


「姉さん!!」


「ライ?」


 普段は足取りの重いライドルが駆け寄ってくるのにサヤヒリアは目を丸める。


 血の気の引いた顔で汗だくになって、いつになく声を張る。


「助けてくれ姉さん! あいつがいなくなった!」

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悪役令嬢に転生しましたが前世からの呪いで火を吐かないようにするのでいっぱいです 花見川港 @hanamigawaminato

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