イベントは進行する(3)

 真夏が近づくこの時期、ミノワール学園では本格的な暑さが来る前に舞踏会パーティーが開かれる。大人たちのいない生徒だけのパーティーは、若き紳士淑女たちに解放感をもたらし、はやらせる。


 アイリスを追いかけてきたマルコのような平民出身者のために数日、授業にダンスレッスンが組み込まれ、早い者ではこのときに当日のパートナーが決まる。


 サヤヒリアの場合は婚約者がいるので、本来なら彼がパートナーを務めるのだが、これまでの三年間で彼が参加したことはなく、サヤヒリアは会場の端で令嬢たちとお喋りをするか、顔だけ見せて寮に戻り、このパーティーではほとんど踊ったことはない。


 今年も、寮の自室にいたアイリスのもとに不参加を報せる手紙が届いた。簡素に一言、『出ない』。


「やっぱり」


 『フラワーシロップ』のノベライズでは、レイシオンが『サヤヒリア』に一言寄越す描写はなかった。これは、適度な距離感維持を努めた何もしなかった成果であると、去年までは純粋に喜んでいたのだが。


 机の上に置いて手紙を見つめる。


 この文面を例年通りと受け取っていいものだろうか。「出ない」とは、「パーティーに」出ないのか、「私と」出ないのか。


 前世の友人曰く、この初夏のパーティーで踊る相手によって、ルートがほぼ確定するらしい。相手は、その時点で好感度が最も高い者になるというが、サヤヒリアにはアイリスが誰と今一番親しいのか分からない。とりあえずライドルは除外できる。


 目についてしまう、というか意識せざるを得ないのはやはりレイシオンとだが、ニナミエルたちによればアイリスは他のクラスの男子生徒もよく一緒にいるようだし、ダンスレッスンではいつもマルコと踊っている。そのまま本番も幼馴染と共に過ごしてくれたらいいのだが。


 腕を組んで頭を右に左に揺らしていると、ドアがノックされ、本日二通目の手紙が届いた。女子寮の使用人が持ってくる手紙は、学外もしくは男子からの二つに分けられる。


「あら」


 またもや珍しい人物からの手紙にサヤヒリアは目を丸くし、いそいそとすぐに返事を書いて待機していた使用人に渡した。




 休日はほとんど生徒が街などに出かけるため、学園内はいつもより人が少ない。いつもサヤヒリアに付き従ってる少女たちもそれぞれの休みを過ごしており、サヤヒリアはのんびりと一人の時間を楽しんでいた。


 年中無休の札を掲げている購買部に立ち寄り、取り寄せ注文をする。商品棚に並ぶ便箋を見て、そういえばと、用意していたレイシオンへの了承の手紙を机に置いたままだったことに気づいた。そのまま出すべきか悩んでいたし、どこかへ出かけていてすぐには届かないかもしれない。返事を急ぐ必要はないだろう。


 購買部をあとにし、修練場の近くを通りかかったとき、修練場の方からわずかに歓声が聞こえてきた。


 ここが貴人の城であった頃から、騎士が訓練をするときに使っていた修練場も常に開かれており、休日には男子生徒が集まって自主訓練を行なっている。男子と違い、戦闘訓練が必須科目に組み込まれていない女子にはほとんど縁がなく、サヤヒリアも修練場にはほとんど入ったことがない。


「修練場……」


 『フラワーシロップ』では、自主訓練のシーンは度々描かれていた。自主訓練に参加したレイシオンにアイリスが差し入れをするシーンなど。


「もし彼がいるなら、進展しそうな機会は、できるだけ潰しておくべきよね」


 レイシオンを連れ出し、アイリスとの接触を回避させよう。今更それでどの程度の影響を与えられるかはわからないけれど、この現実でも前世の友人をが言っていた「好感度の加減」とやらが作用していたとして、他の攻略者の好感度も上がっているなら、レイシオンの数値を他よりも少しでも下げることができれば、ルート回避ができるかもしれない。


 修練場側の水場は、かつては井戸だったのを数十年前に噴水に作り直し、いちいち汲み上げなくても手洗いと汗を流しやすいように改築したのだという。上からカーテンのように広がって流れる水に、手を晒している青年がいた。


「こんにちは、グレイドル様」


 振り返ってリクス・グレイドルは頬笑む。


「こんにちは」


「お怪我を?」


 リクスも剣の修練に参加していたのだろう。制服ではなく簡素な運動着を身につけたリクスの左袖が大きく裂けていた。


「いえ、少し掠っただけです」


 肌に傷はなかった。見過ぎないように意識してサヤヒリアは左腕から目を逸らす。


「貴方の婚約者はお強い方だ」


「まさか、殿下と手合わせされたのですか!? なのにその程度で……グレイドル様の方こそ、お強いのではありませんか」


「いえ、俺など。アロヴェイオン様の優れた剣技には足元にも及びませんでしたよ」


「あの方のは、剣技などと丁寧なものじゃありません。力が強いだけです」


 剣の天才ロロノア・リリベイルほどではないが、レイシオンの剣の腕は確かに同年代と比べれば逸脱している。注視すべきは、彼がどのように技を繰り出すのかではなく、その重さである。レイシオンは生まれつき、拳一つで岩を砕く怪力の持ち主であった。その腕で振るうは圧殺の剣。


 手を抜くことはあっても、手加減はしないレイシオンと手合わせして傷一つないだけでも、リクスが見た目通りの優男でないことがわかる。


「さすが、婚約者のことをよく知っていらっしゃる」


 感心されても全然誇らしくなどなかった。サヤヒリアは、レイシオンが剣を使うところを直に見たことはない。『フラワーシロップ』で知っただけ。作中に描かれなかったことは何も知らず、役割を甘んじて受け入れても、自分からそうあろうとしたことはない。婚約者としては失格だろうと内心、笑う。


 そんなことよりも。


「私と殿下の関係をご存知でしたか」


「はい」


 リクスは隣国の貴族。


 国内でもサヤヒリアとレイシオンの婚約を知るのは少ないというのに、彼が知っているのは意外だった。


「それは、やはり噂をお聞きに?」


 レイシオンのことでニナミエルや他の令嬢たちが何度もアイリスと衝突したために、気付けば、クラスを中心に、アイリス、レイシオン、サヤヒリアの三角関係の図が広まっていた。公爵家の令嬢が王族の婚約者であるのは、さほど珍しいことではないのであまり派手に騒がれてはいないが。


「いえ、ミノワールに入る前にこの国のことを勉強したときに知りました」


「そうでしたか」


「ところでアリッシュベル嬢はなぜこちらに? もしや、アロヴェイオン様に会いに?」


「ええ、まあ」


 いるかもしれないレイシオンに会いに来たというのに、リクスの姿を見かけたら挨拶しなければと思って声をかけてしまったのだ。


「……今、白熱してるところですから別の機会にした方がよろしいかと。今の修練場の光景は令嬢には少々見苦しいかもしれませんし」


 あの男が白熱?


 サヤヒリアは怪訝な顔をする。何事もつまらなそうな顔をしている男が、学生の修練でやる気を出している姿など想像できなかった。


 しかし確かに歓声が修練場の方から轟いてくる。


「リリベイル様がいらっしゃるの?」


「いますよ」


 だからレイシオンは自主訓練に参加している。彼にとって、ロロノアは数少ない楽しめる・・・・人間だから。


「そう……」


 サヤヒリアがいきなり現れたら、レイシオンはともかく他の人を驚かせてしまうかもしれない。人の鍛練を邪魔してしまうかも。けれどこれは未来のためだ。


 サヤヒリアが修練場に向かって一歩進み、リスクが反応する前に。


 修練場の方からレイシオンが現れた。サヤヒリアに気づくなり足を止め、噴水の前で並ぶ二人をじっと見る。


 レイシオンの後ろから、ひょっこりと現れたアイリスにサヤヒリアは奥歯に力を入れ、吐き気・・・を抑えた。


「アリッシュベル嬢」


 明らかに顔色を変えたサヤヒリアにリスクは心配そうな声をかける。


 サヤヒリアは気づいた。彼は二人が一緒にいるから修練場から遠ざけようとしてくれていたのだと。


 膨れ上がる熱が気管を塞ぐ。


「失礼します」


 そう掠れた声で、逃げるように立ち去るサヤヒリアを追いかける者はいなかった。

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