イベントは進行する(2)
ニナミエルがしたことは、本来『サヤヒリア』がやっていたことだった。
この国では学校に通うのに身分を問わない。平民でも『小学校』に通う。けれど、十二歳になると働きに出るのがほとんどで、満十二歳から入学できる『高等学校』に通う平民は少ない。逆に貴族は、十二歳までは自宅で家庭教師の教育を受け、高等学校から学校に通い出す。
ミノワール学園は高等学校にあたるため、生徒のほとんどが貴族。制服で統一し、身分による敬称を省略していても、貴族として教育されてきた習性がなくなるわけではない。
そんな空気に助長して、『サヤヒリア』は学園でも身分を笠に着てアイリスに喧嘩を吹っ掛ける。平民を貶す『サヤヒリア』の態度はアイリスの生まれや、彼女の大事な幼馴染を馬鹿にする行為で、それに怒ったアイリスは堂々と彼女に立ち向かうのだ。
双方の感情が昂ったところで、レイシオンが割り込んで事を鎮める。という、概ね覚えてる物語と一致する。
サヤヒリアがあの場にいなかったために、ニナミエルが身代わりになってしまったのだろう。
「私のせいね。ごめんなさい」
「いいえ! サヤヒリア様が謝る必要などございません! 全ては私が勝手にしたことです」
「そもそも、どうしてそんなことを? 殿下に睨まれるだけではすまなかったかもしれないのに」
「……もう、我慢できなかったのです。これ以上、サヤヒリア様が悲しまれることが」
ん?
「あの二人の行いに心を痛め、日に日に憔悴していく姿を見ていられなかったのです!」
んんん?
いったい、ニナミエルは何を勘違いしているのだろう。サヤヒリアは別に、心など痛めていない。むしろ呪いさえなければ、アイリスたちのことは受け入れるつもりだった。
「ニナミエル様。私は大丈夫だから、どうか気にしないで」
「サヤヒリア様っ」
感極まった様子のニナミエルは、涙を振り切り、両手を握り合わせ祈りの形を作った。敬虔な信徒のような目をサヤヒリアに向ける。
「わたくし、サヤヒリア様のためなら例え相手が王族であろうと――」
「それ以上はやめておきましょう」
どこに目と耳があるかわからない。これ以上面倒ごとを起こさないためにもサヤヒリアは彼女の手を包み、下げさせた。なにより、勘違いでこれ以上背負わせるのは申し訳ない。
アイリスのいる教室には戻らず、ニナミエルは腫れた目元を隠しながら午後の授業を休み先に帰った。
サヤヒリアは何事もなかった顔で教室に向かったが、バルコニーでの件はすで広まっていたらしくいつもより彼女に刺さる視線が多い。そのほとんどが同情的なもの。
当事者のうちの一人であるレイシオンは、相変わらず教室の真ん中を占領して我関せずを貫いている。
アイリスとレイシオンを同じ視界に収めるだけでも咳き込みそうになるサヤヒリアにとってはありがたいことに、教室での二人は離れた席に座っている。
一番後ろ端の席に座りアイリスの方を窺うと、アイリスの隣から怒気を発しながら睨みつけてくる少年と目が合った。
何事もなかったように穏やかに授業終えたあとの放課後。
「おいお前!」
サヤヒリアの周りにいた少女たちは愕然とする。
人の少ない渡り廊下とはいえ、サヤヒリアに向かってそのように声をかける者などこの学園には一人を除いていなかった。その例外が自分からサヤヒリアに話しかけることもない。
口を開こうとする少女たちを制し、驚きを顔に出さないようにしながらサヤヒリアは振り返る。
距離と関係なく、あまり目線が変わらない青い目。本人の性格を現したようなツンツンとした猪色の短髪。一年生と見間違いそうになる少年だが、ゆるく首に掛けられたネクタイの赤がサヤヒリアと同学年であることを示す。何より、教室でサヤヒリアを睨みつけていた少年だ。
「何か御用ですか?」
「お前、仲間をけしかけてアイリスを傷つけようとしただろ!」
何を言っているんだこの男は。
サヤヒリアが呆然としていると「マルコ!」と叫びながらアイリスが走ってくる。
「やめてマルコ」
「いいや! 一回ビシッと言ってやらねぇと! これ以上我慢できるか!」
アイリスの幼馴染は、果敢な様子でサヤヒリアと対峙する。
「アイリスに嫌がらせするのを今すぐやめろよ」
「なんのことか思い当たらないのですけど」
「とぼけんなよ! アイリスの鞄に虫を仕込んだり、騙して倉庫に閉じ込めたり、アイリスの物を壊したり、全部お前の仲間がやったことだろ!」
サヤヒリアは少女たちを見た。彼女たちは首を横に振る。
それは、『サヤヒリア』が主動で行っていた嫌がらせだが、サヤヒリアは何もしていない。ニナミエルのときと同じように、誰かが代わりになっているのだろう。そうして知らず知らずのうちに責任を負わせられ、順調に悪役令嬢としての評価が上がっていたとでもいうのか。
衝撃的な事実に少しショックを受けつつ、実際にはサヤヒリアは何もしていないのだからと胸を張る。
「私は本当に知りません」
「お前っ」
「マルコ! もう、いいから……」
「アイリス……」
マルコの腕を掴みながら、アイリスは真っ直ぐとサヤヒリアを見据えていた。彼女は決して、守られるばかりのか弱いヒロインではない。
思えば
唐突に、これはイベントではないかと思いつく。現状を見るに、おそらくはマルコルート。
「アリッシュベル嬢。今度また私の大切な人を貶すことがあれば、私はもう我慢しませんから」
力強く二つの琥珀を光らせて宣言するアイリス。それに対するサヤヒリアの心情といったら、
——は?
「貴女も、私がしたと思っているの?」
一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべたアイリスは、はっきりと「ええ」と断言してマルコを引きずっていく。
置いてきぼりにされたサヤヒリアの胸に虚しく風が吹き抜ける。
まさかヒロインにも誤解されているなんて。しかも完全に敵認識された。何もせず、慎ましく生きていたというのに。
疲労感で顔を曇らせて帰るサヤヒリアの姿を見て、周りの少女たちはますますアイリスへの敵意を募らせるのであった。
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