引き継がれた呪い(2)
一人庭で佇む黒いワンピース姿の子どもを「おいで」と祖母が手招きする。子どもは応じて、彼女の膝に飛び込んだ。
いつもは草花を思わせる温かみのある着物は、今日は真っ黒で子どもとお揃いだった。
「どうしたんだいあんなところで」
「……おかーさんが、おこってるの。いままでおじさんとケンカなんてしたことないのに、すごくおこってるの」
妹の夫への悪口を叫びながら、大泣きし酔い潰れた母の姿は娘に強い衝撃を与えた。
怖くなって逃げ出してきた子どもは、祖母にくっついて顔を埋める。
祖母が子どもを頭を撫でながら、
「前に私が話したお姫様の話を覚えているかい?」
どうしてそんなことを聞くのかと不思議に思いながらも子どもは「うん」と頷く。
「すきなひとをやきころしちゃったおひめさまでしょ?」
「そう。結婚の約束をするほど愛していたのに裏切られ、怒り、悲しみ、鬼になって愛した男を業火で巻いた」
祖母の手は、子どもの耳の上辺りを優しく指で触れる。
「覚えておきなさい。彼女の子孫である私たちは、普通の人よりも『鬼』になりやすいの。私たちにとって恋は恐ろしいモノ。結婚相手は慎重に見極めなければならないわ」
「うん……?」
そのときは、祖母の言葉の意味をほとんど理解していなかった。
それがただの言い伝えでないことを子どもは知る。
叔母は夫に不倫され。
従姉妹は付き合っていた恋人にフラれ。
二人共、文字通り
そんな呪いから、転生したことで解放されたと思っていたのに。
見覚えのある少女とあくまで義務的でしかないはずの婚約者が共にいるところを見た瞬間、胃の底から燃えるような何かが上がってくるのを感じた。
なんで。
呪いが引き継がれているのだとしても、私には本来のサヤヒリアのような感情はない。嫉妬するはずはないのに……まさか。
婚約してるから?
先祖は、結婚の約束を裏切られて焼き殺したという。それが条件だとすれば。
まずいまずいまずい!
悪役回避どころじゃない。下手をすれば、ハッピーエンドを迎える前に王子諸共焼死。
「私はもう『私』じゃないっていうのに! どうして昔の呪いに振り回されなきゃならないのよ!」
サヤヒリアとして生まれてからこんなにも荒げた声を発するのは初めてだった。
「へ?」
寄りかかっていた扉が突然開き、サヤヒリアは後ろへ転げた。
「申し訳ありませんアリッシュベル嬢。お怪我はありませんか」
「貴方は……」
一つにまとめた長い黒髪に神秘的なアメジストの瞳。一見華奢に見える体だが、差し出された手は男性らしく節くれ立っていた。
「大丈夫です。私の方こそ驚かせて申し訳ありませんグレイドル様」
一年のときの編入生、リクス・グレイドル。攻略対象であってもおかしくない容貌の持ち主だが、作中では名前すら出ていない。
もしかして、さっきの聞こえていたのだろうか。
内心どぎまぎしながら平静を装ってサヤヒリアはリクスの手を借りて立ち上がる。リクスは乗せられた手を離さずにじっと見つめていた。
「……あの?」
「アリッシュベル嬢、これは」
唐突にひっくり返された手のひらには熱で赤くなった痕が。
慌てて手を引っ込める。
「あ、なんでもありません。これで失礼しますね」
あーびっくりした。目敏い人。
触れられた手をさすりながら、火傷の薬を貰いにサヤヒリアは保健室へ向かうことにした。
一人でいるレイシオンを見つけるのは、存外簡単なことだ。学園内には彼が一人で過ごすためのテリトリーがいくつか存在する。その中でも校舎から少し離れた、今は使われていない旧講堂は一番のお気に入りだ。
誰も使っていないわりに手入れは行き届き、埃一つ落ちていない。
観覧席の真ん中には、講堂に置くには違和感のあるソファが鎮座し、その上で寝そべっている金髪の少年が寝そべっていた。
「殿下、少しよろしいですか」
返答はないがサヤヒリアはそのまま続ける。
「最近、メロール嬢とのことで皆さんが戸惑っております。……少し、配慮していただけませんか」
「珍しく話しかけてきたかと思えば、つまらんことを」
レイシオンは前髪を掻き上げ、サヤヒリアを睨み据える。粗野な振る舞いも、彼がすれば研ぎ澄まされた挙動になっていた。
「なぜ俺が雑音に耳を貸さなければならない」
「臣下の心を慮るのも王には必要なことだと思いますが」
「
こんな不良王子が未来の君主でいいのだろうか。
前世の友人曰く、「暴君であるレイシオンがヒロインにだけは甘さを見せるのが良いのよ!」ということだ。
優しく健気なヒロインが王妃になることで吊り合いがとれるのかもしれない。
いやいや、それでは私が困るのよ。
「それでも殿下。婚約者がいる身なのですから、必要以上に女性と馴れ合うのはお控えください」
「……お前、頭でも打ったのか」
顔を覗き込まれる。
やはり怪しまれている。サヤヒリア自身、らしくないと思うのだから当然か。けれど本当のことなど言えない。火を吐くなんて怪物の所業だろう。
嬉々と剣を己に向かって振り下ろす相手の姿を思い浮かべながら、サヤヒリアは、同系統でありながら自分のものよりも深い色の瞳を見つめ返し、内側まで見透かそうとするレイシオンの眼差しに耐える。
「何を考えてるのかは知らんが、お前の望み通りにしてやるつもりはない」
とっとと立ち去れと言うように指先を下にして手を振る。
こうなるだろうなとは思っていた。
旧講堂を出て、サヤヒリアは校舎へ向かいながら考える。
王子が動かせないなら、アイリスの方でどうにかしなければならない。しかしどう接触したものか。
「アイリス知ってる? この学園に伝わるコワーイ話」
「え、怖い話?」
廊下に飾られた絵画の前でアイリスと若草色の髪の少年が話していた。
あれは……ロロノア?
星のようにきらきらと輝く大きな瞳にアイリスよりも少し小さな体。一年生に見間違う姿だが、サヤヒリアたちと同い年だ。騎士団長の息子で、可愛らしい外見とは裏腹に剣の腕は作中で一二を争うほどの強者。
二、三度パーティーで顔を合わせたことがあるていどで、王子と距離をとってるサヤヒリアとはあまり関わりを持ったことがない。
確か、「可愛さ担当」の攻略対象だっけ?
二人を横目で見つつ通り過ぎてから、ハッと思いつく。
そうよ。レイシオン以外の
レイシオンを除き、攻略対象は六人。
全員とは知り合ってるはずだから、なんとか後押しできれば、いけるわよね?
「メロール嬢。こちらの方が参考書には最適かと」
「ありがとうございますセルベール様」
図書館でメガネの青年と勉強をするアイリス。
「ア、アイリス! これやる!」
「わー綺麗な花ねマルコ」
アイリスを追いかけて学園に入った幼馴染。
「フィル先輩、落ちましたよ」
「……ああ」
紙を拾いながら、眠たそうにふらつく少年を支えるアイリス。
「きゃあ!」
「大丈夫かい?」
子猫を腕に抱え木の上から落ちたアイリスを両腕で受け止めた茶髪の少年。名場面になりそうな見事なお姫様抱っこにアイリスは顔を赤くして「ありがとうございます、ウィング様……」とおずおずと地面に降りる。
「……ううん?」
遠くから一連のやりとりを見ていたサヤヒリアは、きょとんと首を傾げた。
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