引き継がれた呪い(1)

 朝の教室の片隅で、登校してきた少女は真っ先に持っていた青いビニール袋を友人に渡す。


「これ返すね」


「もう読み終わったんだ。どうだった?」


「こういう話は、やっぱりちょっと苦手かも」


「ありゃ。小説でもダメだったか」


 恋愛シミュレーションゲーム『フラワーシロップ』。続編が出てるほどの人気作で、友人が最近ハマっている物だ。


 一人のヒロインが、ルートが分かれているとはいえ、複数の相手と恋愛するという乙女ゲームの性質を苦手とする少女に、それでも自分が面白いと思った物を共有したいという願望からゲームではなくノベライズ小説を貸したのだろう。


 ノベライズ版は王子ルートを基にし、王子以外の六人の攻略対象とは友人関係でとどまっている。


「ゲームよりは純愛に寄ってるから大丈夫だと思ったんだけどなー」


「純愛? 婚約者がいる王子と恋愛をするのが?」


「あー、そこで引っかかったのね。婚約者といっても政略で、しかも相手は悪役だよ?」


「そうだけど……」


 ヒロインに負けた婚約者は、行った悪事の報いを受け、王子はヒロインとハッピーエンド。


 それを当たり前と受け入れている友人とは、この複雑な感情は共有できるものではないだろう。これはヒロインが幸せになる物語なのだから、友人の方が正しい。


「サヤヒリアも、悪くないと思うんだけど」


「ええ? けっこう典型的なわがままお嬢様でわかりやすい悪役だと思うけど……こういうキャラが好きだった?」


「そうじゃなくて。えっと、ほら、王子もけっこう傲慢だし、意外と似た物同士でうまくいったんじゃないかなあって……」


「それはないでしょ」


「……だよね」


 ヒロインに婚約者を奪われると決まっていた悪役。嫉妬で歪み、堕ちるほどの執念を見せた女。


 その憐れで恐ろしい在り方に引っ張られ、つい彼女が幸せになれる方法を考えてしまう。


 それは同情であって、決して。


 彼女になりたいと願ったわけじゃないのに。




 赤いリボンを胸に付け、紺を基調とするくるぶしまであるワンピース型の制服を纏う少女は、豊かな黄金色を背中に流し、二つの碧玉で由緒あるミノワール学園の敷地を白く染める満開のホワイトブロッサムの木々を見上げていた。


 この国に学校教育を根付かせたという貴婦人が所有していた古城を改築した校舎に舞う花吹雪は、年に一度のこの時期にしか見られない。物語の始まりに相応しい情景である。


 とうとうこの日がやってきた。


 大きな覚悟を決めたような面立ちで校門をくぐるのは、今年四年生となる十五歳のアリッシュベル公爵家の令嬢サヤヒリア。


「おはようございます」


「おはようございますサヤヒリア様」


 親しいクラスメイトたちに声をかけながら、教壇を見下ろせるよう階段状になってる教室の一番後ろ端の窓辺の定位置に向かう。その窓の外の下に、見慣れた金髪の男と淡い桃色の髪をした少女が話しているのが見えた。


 もう出会いイベントが起きたのね。


「けほっ」


 喉の渇きを覚え、咳が出る。


「大丈夫ですか?」


 隣で話していた少女たちの一人が気づいてサヤヒリアに声をかけた。


「ええ、大丈夫よ」


「そういえばお聞きになりました?」


 もう一人の少女の切り出しに視線が戻る。サヤヒリアもそちらに耳を傾けた。


「今日、編入生が来るそうですよ」


「編入生?」


 少女たちは聞きなれない単語に不思議そうに顔を見合わせる。


 この学園では『編入生』というのはとても珍しい存在だった。ミノワールの長い歴史を振り返っても実例はほとんどないのだろう。それが、サヤヒリアたちの代で二度も・・・起きている。


 確か一人目は『ローリエ』のクラスだったわよね。


 一年のときに編入生の話を聞いたときは、ノベライズとゲームじゃ設定が違うのかと驚いたが、サヤヒリアたちの『ローズ』クラスではなく隣のクラスに入った、まったく知らない少年だった。


 今度こそ、ヒロインが来る。さきほどこの目で存在を確認したのだから間違いない。


 教室の入り口が少し騒がしくなる。レイシオンが来たのだ。その傍らに、淡い桃色はない。


 定位置である真ん中の席に座る。周囲は席一つ分空いており、彼はのびのびと脚を組む。


 婚約者に一瞥すら寄越さない男をサヤヒリアは淡々と眺めていた。


 サヤヒリアは、原作通りレイシオンと婚約関係にあった。


 破綻する関係だとわかっていても、王家と公爵家の契約に令嬢に過ぎないサヤヒリアは逆らうことができなかった。


 悪役である前にサヤヒリアは公爵令嬢。贅沢な生活ができる代わりに、果たさなければならない責務というものがある。


「はぁ……」


 十六年経っても、なぜ私がサヤヒリアに。という思いは消えない。


 いずれ来たる『サヤヒリア』の破滅の未来に対し、大きな対策は立てず、彼女が心掛けたのはただ一つ。


 何もしない。


 目立たないように粛々と彼女は新しい人生を歩んでいた。その姿は原作のサヤヒリアとはまるで違う。


 そもそも彼女・・は、『フラワーシロップ』の内容をあまり把握していない。知っているのは、ノベライズ化された王子ルートと、友人が感想混じりに喋っていたあらすじ。


 原作サヤヒリアが悲惨な末路を辿ったのは、己の権威を利用して悪事を重ねたせいだ。そのせいで父親に見限られ公爵家を追放され、冷たい石の牢獄で生涯を閉じるハメになった。


 ならば何もしなければいい。


 そのとき・・・・がきて婚約解消をされようとも、何もしていなければ少なくとも公爵家を追い出されることはないはず。


 だからサヤヒリアは何もしなかった。


 婚約者と交流を深めることもせず。


 原作のように派手に立ち振る舞うこともせず。


 ただ静かに穏やかに日々を過ごしていた。存外悪くない生活だ。


 鐘の音が学園中に響き、やがて教師が一人の女子生徒を伴って教室に来た。


「アイリス・メロールと申します。よろしくお願い致します」


 少しぎこちない動きで長いスカートを摘んで挨拶をしたあと、彼女は教室の中央にいるレイシオンを見て目を丸くする。


『アイリスは、先ほど出会った少年が教室にいたことに驚いた。』


 やっぱり読んだ話のままだわ。


 サヤヒリアが久しく見ていない深緑の瞳は、真っ直ぐとアイリスを射抜いている。


 こほっ、と咳の音が響かないように手の下に押さえ込む。喉に手をあてサヤヒリアは小首を傾げた。


 乾燥かしら?




 ヒロインが来る日を今か今かと待ってはいたけれど、実際に来たところで決めた心得を変える気はない。


 何もせず、大人しく時間の流れを待つ。


 だから彼女がどこで何をし、誰かと親しくなっていようと興味はなかった。


 最近、周りの少女たちが何か言いたげにサヤヒリアの様子を窺うことが多くなった。親しくしている子は素直に惑う表情を見せ、あまり関わりのない子からは何か示唆するような強気のこもった視線をもらう。


「なにか、ありました?」


 廊下を歩いている途中、サヤヒリアはとうとう級友の一人に問いかけた。


「あの……実はメロール嬢のことなんですが……」


「……メロール嬢がどうかしたの?」


「恐れ多くも、殿下に無礼な振る舞いをしているのを度々見かけるのです」


「無礼?」


「人目も憚らず殿下に話しかけたり、気安く体に触れたりと。殿下にはサヤヒリア様というお方がいるというのに」


「メロール嬢は、私と殿下の関係など知らないでしょう」


 言葉を交えるどころか、目すら合わせない冷え切った関係。原作サヤヒリアは堂々と「殿下の婚約者」と名乗っていたから周知されていたが、サヤヒリアはそんなことはしていないので学園の生徒の中には、二人が婚約関係にあることを知らない者も多い。


 とくにアイリスは、平民として生まれ育ち、遠縁の貴族から唯一の血縁として養子になることを望まれ、貴族社会に入ったばかりの新人。学園編入に合わせて一通りの作法は身に付けたが、人間関係の把握までは間に合っていなかった。


「やはり一度、サヤヒリア様からご指導してもらうべきかと」


 めんどくさい。


 なんて、言葉にも顔にも出すわけにいかない。


 公爵令嬢という肩書きは、こういうところで持ち上げられ、手本として扱われる。


 原作サヤヒリアはこれでつけ上がり、周囲など気にせず傲慢な振る舞いができたのだろう。


 正直、アイリスとは関わりたくない。役を演じる気はないが、いったいどんな障りが起きるかわからなくてこわい。


 けれど彼女たちの意見を無視するのも、メンツが立たない。


 噂をすればなんとやら。庭園に面した外廊下を歩いていれば、木陰の下に設置されたベンチで寄り添うレイシオンとアイリスを見つけてしまった。珍しいことに、レイシオンは他人が腕に触れているのを許し、いつもは目つき悪く周囲を威圧しているのが、今は落ち着いている。


 さすがヒロインアイリス。短期間で相手の心を掴んだようだ。


 私ト結婚ノ約束ヲシタクセニ。


「っ!?」


「サヤヒリア様?」


 立ち止まりサヤヒリアは堪えるように口元を抑えた。


 声をかけると足早に立ち去ってしまったサヤヒリアに、置いて行かれた少女たちは申し訳なさそうに肩を落とす。


「やはりショックだったのだわ」


「私が余計なことを言ったせいで」


「サヤヒリア様はお優しいから……」


 彼女たちには、サヤヒリアが婚約者が他の女とくっついて傷ついたように見えた。


 そんなわけがない。


 誰もいない廊下を早足で突き抜けるサヤヒリア。


「けほっあっつッ!?」


 慌てて空き教室の中に飛び込み手のひらを見ると、咳を浴びた部分がうっすら赤くなっていた。


 開きっぱなしの小さな隙間から、呼吸と共に火の粉が飛び散る。


「うそ、でしょ……」


 扉に背中を預けながらずるずるとしゃがみ込む。


 熱湯が食道を迫り上がってきたような感覚は今はない。若干、熱を残した喉に触れ少女は呆然とする。


 『サヤヒリア』に火を吐く特異体質なんてない。


 これは、これはっ!

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